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第42話 楽園はここにあり! 至高の料理が爆誕した日

 慌ただしい移動と、慣れない新天地での心労が重なっていたのだろう。私は椅子に腰掛けたまま、どうやらウトウトと眠ってしまっていたようだ。虹鰐(にじわに)を捌き終わったところまでは見ていたのだが、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 

「……っ、この匂いは……」

 

 私を眠りの淵から引きずり出したのは、ヴァンでも領民の声でもなかった。焚き火の熱で熱せられた鉄板の上で、じゅわじゅわと脂が弾ける音。そして、これまでの人生で嗅いだことのない、芳醇で野性味あふれる、暴力的なまでに食欲をそそる香りだった。

 

「お? レイ、起きたか。悪いな、公国の世子をこんなところで寝かせちまって。……おまけに、酒の差し入れまで。世話になりっぱなしだな」

 

 珍しく眉を下げて、申し訳なさそうに笑うヴァン。その武骨な優しさに、私は可笑しさがこみ上げてきた。

 

「あはは! 何を今さら。ヴァン、言っただろう? これは公国にとっても利がある話なんだ。だから気にするな。それよりも、だ……。そちらの肉が、その、気になって仕方ないんだが」

 

「くくっ、そうだろう、そうだろう! この匂いだけで、よだれが止まらねえよな。そろそろ焼けるぞ。おし、皆、皿を持て――!」

 

「「「「は――い!!」」」」

 

 元気な返事と共に、子供たちが整然と列を作る。空腹の極致にあるはずなのに、奪い合うこともなく順番を待つ彼らの姿に改めて感心しつつ、私も自分の皿を手に取った。

 配られたのは、厚切りにされた虹鰐のステーキだ。表面は香ばしく焼き上げられ、断面からは透き通った肉汁が溢れ出している。

 

「おし、全員に行き渡ったな。おかわりは山ほどあるから、慌てずに食えよ! それじゃあ、地の恵みに感謝を!」

 

「「「「感謝します!!」」」」

 

 一斉に、皆が肉に齧りついた。私も、目の前のそれが凶暴な魔物であることなど忘れ、本能のままに肉を口へと運んだ。

 

「――っ!? な、なんだ、これは……!」

 

 歯を押し返すような心地よい弾力。そして、噛み締めた瞬間に爆発する、驚異的な量の肉汁。脂は極めて甘いが、不思議なほどにクドさがない。高級な豚の脂よりも洗練され、それでいて力強い旨味だ。

 

 私は、自分が差し入れたエールの樽を開け、木杯に注いで一気に煽った。

 

「くはぁ……ッ!! 美味い……。この濃厚な脂を、エールの苦味が完璧に洗い流していく。最高の組み合わせだ!」

 

「ガッハッハ! 美味いだろう? レイ、そんなに焦らなくても肉はまだあるぞ。お前が寝ている間にもう一匹捌いておいたから、帰りに持っていくか?」

 

「い、良いのかい!? ぜひ、ぜひ頼むよ!」

 

 食い気味に応じた私に、周りの領民たちがニコニコと温かい笑顔を向けてくれた。


「たくさん持って帰ってください!」

「我々の恩人なんですから、遠慮なく!」

 

 公国では、これほど貴重な食材は貴族が独占し、奪い合うのが常だ。だがバルクレイの人々は、自分たちが豊かであることを確信しているかのように、当たり前に分け合っている。その精神性の高さに、私は圧倒された。

 

「レイが気に入ってくれて良かったよ。これで、ワニを養殖しても文句は言われないよな?」

 

「ああ、理解したよ。これほど美味な肉を知らなかったとは、公国民として恥ずかしいくらいだ。それに、あの美しい虹色の革……。食用と工芸、両面で巨大な産業になるはずだ」

 

「ああ。ついでにこれ、黒い革も見てくれよ。子供たちが、王子様に見せてやれって言うんでな」

 

 ヴァンが差し出したのは、先ほどの虹色の輝きとは対照的な、深みのある漆黒の革だった。落ち着いた光沢があり、最高級の外套(がいとう)(かばん)に加工すれば、公都の貴族たちがこぞって欲しがるだろう。

 

「……素晴らしい。黒もこれほど美しいとは。良ければ、城に優先的に卸してはもらえないだろうか」

 

「まあ、数に限りはあるがな。今後、この地を代表する名産品にするつもりだ。レイの頼みなら、優先的に回してやるよ」

 

「ありがたい。……ヴァン、君には先見の明がある。ただの武人ではなく、本物の領主だな」

 

「そうか? 俺はただ、皆が腹いっぱい食えて、暖かく寝られればそれでいいだけだ。……さて、肉のおかわりはどうする?」

 

「いただくよ! もちろん!」

 

 ヴァンのリーダーシップについて深く考察しようとした頭も、次に焼き上がった肉の香りに負けて、思考を放棄した。

 今はただ、この楽園の味に身を委ねよう。私は二枚目のステーキに齧りつき、再び極上の幸福感に包まれるのだった。

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