第38話 公国とバルクレイ、価値観の差が生んだ「楽園」
公国の国境を越え、森を抜けた先で建てた簡易テントで仮眠を取った俺は、レイモンドに『午後には、土地を譲渡するために役人が来る』と言われていたため、身支度を済ませて携帯食の干し肉を齧っていた。
「ヴァン様! おはようございます!」
「おはようございます! 昨晩はありがとうございました!」
隊列の後方を守ってくれていた領民たちが、笑顔で声をかけてきた。
「ああ、おはよう! さっき聞いたところによると怪我人がいたようだが、治療はしてもらったか?」
「へい! 怪我人があまりにも多ければ、起きてから治してもらおうと思っていたんですが数人だったこともあって、イリス様にすぐに見つかっちまって、あっという間に治してもらいましたぜ!」
「ははは! さすがはイリスだな! お前たちが無事で良かった」
「……っ! へい! 俺らは元気ですから、何でも言いつけてくだせえ!」
「おう! この後、俺たちの住む予定の土地に案内してくれる者が来るらしいから、もてなしてやってくれ」
「「「はい!」」」
噂をすれば、蹄の音が複数近づいてきた。
「そこの君が英雄殿かな。確かに立派な体躯をしているな。まあ良い。馬でついてきなさい。これから君たちの領地に向かう」
三人の偉そうな男たちが、にへらと笑いながら馬上から俺に声をかけた。
「……分かった。ピュ――ィ!」
指笛が響いた瞬間、森の奥から地響きが轟いた。現れたのは、夜の闇をそのまま形にしたような巨躯の軍馬。その猛々しい眼光に射すくめられ、役人たちの馬が恐怖で嘶き、後退る。
「あ、あわわ……っ」
背に乗っていた役人たちが慌てて馬にしがみついた。英雄の駆る相棒の『格』の違いを、公国の役人は身をもって知ることになったのだ。
どうやら俺たちを置いて、先に走り去ろうとしていたらしい。さっきまでのだらしない笑顔が引きつっている。
「で、では、参ろうか」
上手く笑えず、苦笑いを浮かべながら前を走る三人に続いて、俺たちも進む。目が覚めて起きてきた領民たちの一部は、新しい領地が気になるらしく、走ってついて来た。
「今日からここが、君たちの領地だ。土地は荒れ果て、森側からは魔物が出るが、英雄がいるのであれば平気だろう?」
指し示されたのは、人の背丈ほどもある雑草が生い茂る荒野だった。公国の役人はそれを「整備されていないゴミ捨て場」を見るような目で眺めていたが、俺たちの目には違って見えた。一掴みした土は、握ればしっとりと指に吸い付く。王国の辺境で、赤茶けた砂を噛み締めていた俺たちにとって、それは黄金よりも価値のある『肥沃な大地』そのものだった。
「すげえ! 草が青いぞ!」「水が飲み放題だ!」「見てろ、三日で家を建ててやる!」とあちこちで歓喜の声が上がった。
その声に役人たちは驚き、「何で喜んでるんだ」と困惑の表情を浮かべていた。
「ふんっ。あとで文句を言っても知らないからな」
捨て台詞を吐いた役人たちは、あっという間に立ち去ったのだった。
それから俺は、親父と力仕事のできる男どもを連れて、新しい領地を検分して回った。
「この草の根の張り方は土が肥えている証拠ですぜ」
「あの森の形なら、風除けにもなりますね。木を間引く時は気をつけましょう」
「湖までは少し距離があるから、今日は無理です。明日以降に回しましょう」
「まだ昼過ぎなのに、魔物がちらほら出てきてますぜ。木を調達するにも、魔物を追いやる者たちが必要だな!」
皆の意見を聞いて、今からやるべきことを指示する。バルクレイの民は、何をするには何が要るかを理解しているから、何をしたいか伝えるだけで自ら動いてくれる。
まずは一本、「魔物の通り道」を制限するための起点となる杭を打ち込んだ。
「おし、今日は夜の安全のために森側に柵を作る。昨日の隊列前方の者たちは木を切って運んでくれ! 指示はネロ! 隊列後方にいた者たちは彼らを守りつつ、晩飯の魔物を狩ってくれ! こっちは親父、頼む」
「おう、任せろ!」
これで、木を切り出した者たちは柵を作り、魔物を狩った者たちは捌くところまで、終わらせてくれるだろう。俺の指示を待つまでもない。彼らは全員が、生き残るための術を知り尽くした戦士であり、開拓者だった。
「かーちゃん連中と子供たちは、足元の草を刈ってくれるか。蛇や毒虫がいるかもしれないから、あまり深くは踏み込むなよ! 草は柵が立ったらそれにかけて干してくれ」
「あいよ!」
「任せときな!」
「ヴァン兄ちゃん、俺もやるー!」
「俺もー!」
「おー、力があるやつは、かーちゃんの手伝いを頼むぞ! 嬢ちゃんたちは、小さな子供たちの面倒を見てやってくれ!」
「「は――い!」」
元気に返事をする子供たちに笑顔で対応する大人たち。イリスと母上がいるから、あとは任せて大丈夫だろう。指示を待つまでもなく、男たちが森へ消え、女たちが笑いながら草を刈り始める。二千人の家族が、一丸となって『家』を創り出そうとしている。その光景に、込み上げる熱いものを隠して、俺は次の策を考える。
この土地の問題は、水を汲むには湖は遠すぎることだ。男どもが運ぶにしても、見えてはいるが数キロ離れているから一苦労だろう。そんなことを考えていると、森に入っていた者たちが声を上げた。
「ヴァン様! 少し奥に綺麗な小川があります!」
「今行く。案内を頼む」
俺は小川を見に、森へと入った。見つけた小川は、底の石が透けて見えるほど清らかだった。恐らく、少し上流に水が湧いている場所があるのだろう。不毛だった王国の辺境では、泥混じりの水を濾過して使っていた彼らにとって、それはどんな宝石よりも輝いて見えたはずだ。
俺は思わず、その流れに手を浸した。指先を刺すような冷たさが心地いい。濾過しても砂の味が取れなかったバルクレイ領の水とは違う、純粋な、命を繋ぐ水の味。後ろで見ていた男たちの喉が鳴るのが分かった。
……ああ、俺たちは本当に、生き延びたんだ。絶望の中で国を捨てた決断は、間違いではなかったのだと、心の中で静かに祈りを捧げる。
「これはありがたい恵みだな。少し上流で水を汲み、下流では洗濯ができるな」
戻ってから母上たちに報告すると、女性陣が「これで洗濯や水浴びができる!」と大喜びした。湖があるとはいえ、やはり安全な水が近くにあることは、生活する上で何物にも代えがたい「恵み」だからな。
こうやって、俺たちの新しい領地の開拓が始まった。




