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第35話 愛しき背中と、辺境の誇り

 道中では魔物が襲って来た。しかし、我が領に足手まといになる者はいなかった。畑仕事で鍛えられた腕を振るうのは、可憐な聖女イリス様に傷を癒してもらい、信者のようになった者たちばかりだ。


「聖女様をお守りしろ! 絶対に傷一つつけちゃあいけねえ!」


「「「おう!」」」


 わたくしが辺境伯夫人となってからも付いてきてくれた領民たち。先代のときから、彼らにひもじい思いをさせてきたことを申し訳なく思っていた。


 隊列は戦える者が前と後ろに半々。わたくしと聖女イリス様は殿(しんがり)を務める。


 休憩を四度ほど挟み、皆が立ち上がった瞬間だった。


「先頭に伝えて。魔狼が百から百五十。先を急いでと」


 出発してから四時間は経っている。予定では、この森を抜けたらすぐに隣国の砦があるはずだから、今までのスピードで一時間と少しだろう。前方には馬もいる。幼子を抱いた親たちを優先して乗せてくれるように伝えてあるから、急いで突破させた方が被害は少ないだろう。


「戦える者は残ってちょうだい」


 わたくしは愛刀である細身のサーベルを抜いた。


「行けますぜ、セシリア様!」


「久々にセシリア様の剣が見られるぞ!」


 静かに進軍していた領民が声を上げた。魔狼は騒がしい方へ向かう特性があるから、前方の子供や老人たちを逃がすために声を上げているのだ。


「ふっ、頼もしいわね。無理はしないでちょうだい。貴方たちは、わたくしが守ってみせるわっ!」


 少しでも多く魔狼を斃すために五感を研ぎ澄ませ、視覚に頼らず攻撃を繰り出す。


「俺たちも行くぞ――!」


「「「「お――っ!!」」」」


 隊列の後方、危険な殿を守ると残ってくれた者はわたくしと聖女イリス様を含めて七人。イリス様は攻撃魔法は使えないから、戦える者は六人だった。辺りは暗く、味方すらまともに見えない状況では、魔狼のボスを探すのは難しい。魔狼は集団で生活している魔物で、ボスを斃せば統率が取れなくなり、逃げ出すのだ。


 必死に魔狼のボスを探しつつ、襲って来る魔狼を斃す。もう一時間は戦っているだろうか。そろそろ共に戦っている領民たちも限界だろう。そう思い振り向いた時、領民の一人が転んだ。これは致命的だ。グッと踏み込み、彼の前に出て剣を振るう。


 一撃目は当たったが、二撃目はタイミングが合わなかった。体勢を崩したまま攻撃したことで、足元が滑り、わたくしも倒れ込む。


「セシリア様っ!」


 聖女イリス様がわたくしの前に飛び出して来た。駄目よ、駄目っ! 貴女は息子が選んだ愛しい人なのよ! わたくしのために身を投げ出す必要なんてないのにっ! 時の流れが凍りついたような静寂に感じられる中、一匹の魔狼がイリス様に向かって牙を剥いたのが見えた。


「ヒヒ――――ィン!!」


 聖女イリス様に魔狼が口を開けて襲いかかった刹那、その魔狼は真っ二つに両断されていた。目の前には二つの巨影。息子と夫が魔馬で駆けつけてくれたのだと理解した。


「イリス! 母上! 大事ないか!」


 息子の焦る声と、夫の姿に安心したわたくしは、腰が抜けてしまったようだ。魔馬から飛び降りた夫は、いきなりわたくしを横抱きした。「ひゃっ!」と可愛らしい声を出してしまい、赤面する。そんなわたくしを気に留める様子もなく、優しく魔馬に乗せてくれた。恐らく、腰が抜けたことに気づいたのだろう。そんなところに惚れたんだったわと、ちょっと悔しいけれど、やっぱり嬉しかったわ。

 

「イリス、母上、皆、良く頑張ってくれた! あとは俺と親父に任せて砦へ向かってくれ!」

 

 ヴァンの言葉に、領民たちが不安げに顔を見合わせた。自分たちを逃がすために、領主たちを戦場に残していくことに引け目を感じているのだ。

 

 そんな空気を、夫が豪快に笑い飛ばした。

 

「案ずるな。ちょうど暴れ足りなかったところだ。……何時間も待たされて体が鈍っていたからな。お前たちは、俺たちの邪魔にならないよう、さっさと砦へ向かえ!」

 

 戦いたくて戦うんだ、と言わんばかりの凶悪で、けれど最高に不敵な笑み。

 それが、自分たちを焦らせないための夫なりの気遣いだと分かっていても、その圧倒的な自信に満ちた背中は、領民たちの不安を瞬時に「安心」へと書き換えてしまった。

 

「閣下がそう仰るなら!」

「行こうぜ、皆! 英雄様と閣下の邪魔にならねえようにな!」

 

 領民たちの足取りに力強さが戻る。

 わたくしを乗せた魔馬が走り出す直前、夫と視線が合った。

 

「……頼んだわよ!」

 

 つい照れてしまって、そんな素っ気ない言葉しか出せなかったけれど。


「ご武運を!」


 イリス様に声をかけられた息子は「ニカッ!」と白い歯を見せて笑った。夫譲りの、皆を安心させる笑顔。わたくしの惚れた、愛する夫と同じ笑顔に嬉しくなった。

 

 二人の勇姿を見ていたいけれど、急ぎ砦へ向かわなければ。後ろ髪を引かれてふと振り返れば、月光の下で獲物を待つ獣のように、愉悦を浮かべて剣を構える二人の背中が見えた。

 

(ああ、本当に。あんな顔を見せられたら、惚れ直すしかないじゃない……)

 

 わたくしたちを乗せた隊列が、夜の森を抜けていく。

 背後で響く魔物の断末魔を子守唄代わりにしながら、前方に見える公国の砦の灯り――新しい家への入り口を目指して、わたくしたちは希望の中を駆け抜けた。

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