第28話 国王からの書状
公国との会談から一週間。
平穏を切り裂くように、辺境伯領の街道を仰々しい隊列が埋め尽くした。国王の紋章を掲げた兵士たちの威容に、領民たちは何事かと震え、物陰から怯えた視線を送っている。
そんな緊張感が漂う中、屋敷の前に止まった豪華な馬車から、一人の青年が悠然と降り立った。
「だ、第二王子シリル殿下であられますか!?」
真っ先に狼狽えたのは、出迎えた辺境伯だった。後ろに控える執事や夫人までもが顔を蒼くしている。
「オロオロしていても話は進まないだろう」と、俺は内心で毒づきながら、最低限の騎士の礼を執った。
「殿下、中へ。……お前たちはあちらで待機してくれ。領民が怯えている。これ以上刺激するな」
俺が兵士たちに短く指示を飛ばすと、シリル殿下は苦笑いを浮かべ、供の少女と少年を連れて応接間へと歩を進めた。
「突然の訪問で領民を驚かせてしまったな。すまなかった」
応接間に腰を下ろすなり、殿下が口にしたのは謝罪の言葉だった。
「いえいえいえ! だ、大丈夫でございますので、どうかお顔をお上げください!」
筋肉ダルマの親父が、見たこともないようなスピードで頭を振っている。いくら脳筋でも、王族への敬意は人並みに持ち合わせているらしい。
「すまぬな。……エレーナ、お前も座りなさい」
「あ、はい。……皆様、どうぞお気になさらず……」
殿下に促された王女が、消え入りそうな声で会釈する。
「……気にしないのは無理だろ、普通」
ぼそりと突っ込んだのは、王女の横に控えていた少年だった。あまりに不敬な態度だが、その瞳には鋭い理知の光がある。
「そうだな。君も第二王子の隣に座れ。『氷の魔術師』」
俺がそう言うと、親父が「こら、ヴァン! 敬語を使え!」と顔を真っ赤にして怒鳴ったが、殿下はそれを手で制した。
「ははは! 辺境伯、構わんよ。……ヴァン殿、我が妹とは顔見知りだったかな?」
「ああ、まあな。主にイリスが」
「そう言えば、聖女殿の行方が分からぬと聞いている。ここには……?」
「この面子なら隠す必要もないか。ちょっと待ってろ」
俺は一旦席を立ち、数日前から部屋に籠もらせていたイリスを呼びに走った。
「お呼びでしょうか、辺境伯閣下」
イリスが顔を見せた瞬間、それまで縮こまっていた王女エレーナが弾かれたように立ち上がった。
「聖女様! わたくしの命を救っていただき、本当に、ありがとうございました……!」
王女は瞳に涙を溜め、イリスの手を握りしめた。後ろでは、先ほどの不遜な少年も深々と頭を下げている。
「聖女イリス殿。我が妹の命の恩人だと聞いている。感謝する」
シリル殿下までもが席を立ち、一礼した。イリスは慌てて「大したことはしておりませんから!」と、いつもの謙虚さで恐縮している。
「おいおい、これじゃ話が進まないぞ。――レイ、聞いてるんだろ?」
俺が扉に向かって声をかけると、待機していた公国のレイモンド殿下と、側近のジョルジュが姿を現した。
「久しいね、シリル殿下。四年前の舞踏会以来かな」
「……レイモンド殿下! なぜ貴殿がここに?」
「彼らのおかげで、僕はこうして生きていられるのさ。魔物二千匹の軍勢から我々と国を救ってくれた英雄と聖女にね」
レイモンド殿下は不敵に微笑み、俺とイリスを交互に見た。その言葉に、シリル殿下の表情が険しくなる。
「……シリル殿下、失礼を承知で言わせていただく。この英雄と聖女に対し、王国はあまりに不当な扱いをしていないか? こんな不毛の地に追いやるなど、正気の沙汰とは思えない」
「……その通りだ。王族の一員として、恥ずべきことだと思っている」
シリル殿下は、今度は政治的な重みを持って、辺境伯と俺たちに改めて頭を下げた。
「シリル殿下。単刀直入に聞くが、どこまで知っていて、どこまでやるつもりだ?」
俺が核心を突くと、殿下は真っ直ぐに俺の目を見つめ返した。
「そなたたちが公国へ亡命し、戦争を回避したがっていることは把握している。私の目的は一つ。現国王、および第一王子の失脚だ。今回、私が預かってきた書状の内容は『戦争に出ろ。さもなくば領民に飢えを強いる』という脅しに等しいものだ。もう、時間がないんだ」
殿下は、用意していた羊皮紙の束をテーブルに広げた。
「ですが、我々にお手伝いできるような……味方をしてくれる貴族などおりませんが?」
怪訝そうな親父に、殿下は首を振る。
「本人たちが無自覚なだけだ。ここに来るまでの街で、民は口々に『英雄様と聖女様に救われた』と語っていた。貴族の間でも、その噂は無視できないほどに広がっている」
「ええ、わたくしもこの耳で聞きましたわ」
エレーナ王女も強く頷く。
「ここに、そなたたちを支持するであろう貴族の名を連ねた。文面は私が下書きしてある。一言、私への支持を書き加えてはもらえないだろうか。……見返りは、約束しよう」
「利点は?」
「私が王座に就いた暁には、この辺境伯領を丸ごと公国へ割譲する。公国とは不戦の誓いと共に、永劫の友好国として歩みたい」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。領地を他国へ渡す――それは王国への反逆に他ならないが、同時に、俺たちが求めていた「平和な移住」への最短ルートでもあった。
「本当に、そんなことが可能なのか?」
「本来、英雄の一族がこんな不毛の地で耐え忍ぶ必要などなかったのだ。そなたたちがこの地と共に公国へ行きたいと言うのなら、それは当然の報賞だ。……これでもまだ足りないと思っているほどだよ」
悔しそうに拳を握るシリル殿下の背を、王女と少年が静かに支えていた。
「……いいだろう。乗った」
俺の返事を聞き、作戦は即座に動き出した。
国王の命令が「宣戦布告」へと変わる前に、そして俺たちの「支持状」が王国を揺らす前に。
――辺境の屋敷から、国を覆すための静かな進撃が始まった。




