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死地を駆け抜けた者たちのスローライフ〜用済みと捨てられた聖女と英雄。辺境で隠居のはずが、隣国王子に国賓スカウトされました〜  作者: 月城 蓮桜音


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第23話 男たちの価値観

 ルミエラ王国の最果て、バルクレイ辺境伯領に、穏やかな朝の光が差し込んでいた。

 

 隣国レオニア公国の第一王子、レイモンド率いる一行がこの地に逃げ込んできてから、早いもので半月が過ぎようとしている。

 

 あの日、魔物の牙に引き裂かれ、生死の境を彷徨っていた兵士たちは、聖女イリスが放つ「オレンジ色の光」によって奇跡的に命を繋ぎ止めていた。手足を失った者も少なくなかったが、イリスが丁寧に施した治癒と、辺境伯家が用意した簡素ながらも清潔な寝床、そして栄養価の高い炊き出しのおかげで、今では不自由を抱えながらも自力で生活できるほどに回復している。

 

 朝霧が晴れ、土の匂いが立ち込める畑の片隅。

 そこで、ちょっとした押し問答が起きていた。

 

「ですから、私も手伝わせてください。ただでさえ、多大な恩義があるのです。このまま何もしないのは、私の誇りが許しません」

 

「で、ですが……。殿下のようなお方に、このような……」

 

 戸惑いの声を上げているのは、この畑を預かるベテラン領民のミロだった。

 彼の目の前には、レオニア公国の第一王子という、本来ならば生涯お目にかかることすらないはずの雲の上の存在がいる。レイモンドは、泥を跳ね飛ばすための簡素な麻の衣を借り、自らの美しい金の髪を後ろで束ねていた。その凛とした立ち姿は、農具を持たせるにはあまりに不釣り合いなほど気高く見えた。

 

「おう、どうしたんだ。ミロ、何に困ってる?」

 

 そこへ、肩に大きな籠を担いだヴァンが、のっしのっしと現れた。

 この男は、驚くほど周りをよく見ている。ヴァンに言わせれば、「昼間に畑のど真ん中で立ち止まっている人間は、不自然すぎて魔物より目立つ」らしい。

 

「ヴァン様! その、こちらの王子様が、どうしても土いじりを手伝いたいとおっしゃいまして……」

 

 ミロが泣きそうな顔で訴える。ヴァンはレイモンドを、頭の先から泥にまみれたブーツの先まで、じろじろと遠慮なく眺め回した。

 

「ん? それは良い心がけじゃないか。王子の立ち姿を見る限り、腰の使い方は悪くない。(くわ)を振らせても、収穫した作物を運ばせても大丈夫だと思うぞ」

 

「ヴァン様、そうではなくて……! お立場というものが……!」

 

 ミロが必死にヴァンの袖を引く。

 

『恐らく、隣国のお偉いさんに汚れ仕事をさせるのは、国際問題か何かに発展するんじゃないかってビビってるんだろうぜ』

 

 言いたいことが伝わらず、狼狽するミロを見かねて、ヴァンの影からオイラが進言する。ヴァンは「ああ」と短く声を漏らし、得心がいったように頷いた。

 

「ああ、そんなことか。ミロ、いいか。隣国のお偉いさんだろうが、世話になったら働いて返そうという、この男の気持ちを受け取らないのは失礼ってもんだ。俺だって、もし他所で飯を食わせてもらったら、薪割りだろうが荷物運びだろうが、きっちり恩を返してから帰りたいと思うからな」

 

 ヴァンの言葉は、飾り気がない分、不思議と説得力を持って響いた。

 

「な、なるほど……。ヴァン様がそうおっしゃるなら……」

 

 ミロはまだ半信半疑といった様子だったが、使い込まれた鍬を、おずおずとレイモンドへ差し出した。

 レイモンドは、まるで宝剣でも受け取るかのような真剣な面持ちで鍬を握りしめると、その端正な顔にパッと明るい笑みを浮かべた。

 

「感謝します。……ふむ、なるほど。重心の取り方が剣とは違いますが、これはこれで、理にかなった重さだ」

 

 驚いたことに、レイモンドはそれから数時間、一心不乱に土を耕し続けた。

 王子の細い指は瞬く間に泥で汚れ、額には玉のような汗がにじむ。それでも、彼の表情は王宮にいた頃よりもずっと生き生きとして見えた。自分を狙う暗殺者も、陰湿な政治工作もない。ただ、目の前の土を耕し、命を育む準備をする。その単純で力強い営みが、王子の傷ついた心を癒やしているようでもあった。

 

 その様子をしばらく眺めていたヴァンが、休憩中にレイモンドへ声をかけた。

 

「なんだ、体が鈍っていて動かしたかったのか? それなら土いじりだけじゃ物足りないだろう。剣の稽古なら、俺が相手をしてやるぞ」

 

「本当ですか、英雄殿! 畑仕事が終わりましたら、ぜひ……ぜひお願いします!」

 

 身を乗り出すレイモンドの瞳に、子供のような純粋な熱が宿る。

 

『んん? この王子、もしかしたらヴァンと同類か……?』

 

 ポツリとつぶやいた、オイラの予感は的中した。

 その日の夕暮れ。畑仕事を終えた男たちの前に、さらに「同類」が現れた。

 

「ヴァン! 私も入れてくれ! 久しぶりに血が騒ぐわい!」

 

 ヴァンの父親であり、現バルクレイ辺境伯。ヴァンと瓜二つの巨躯を持つその男が、満面の笑みで木剣を担いで乱入してきた。

 

 こうして、レオニアの王子が帰路につくその日まで、バルクレイ領には連日、男たちの勇ましい掛け声と、木剣が打ち合う乾いた音が鳴り響くことになった。

 その光景を、イリスが呆れ顔で、しかしどこか誇らしげに眺めているのを、オイラは知っている。

 

 奇跡は、魔法だけで起きるのではない。

 こうして汗を流し、笑い合う日常こそが、バルクレイに咲いた何よりの奇跡なのだから。

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