第21話 奇跡は一度とは限らない
目の前にいた大量の魔物たちはほぼ殲滅され、彼の乗ってきた『漆黒号』という魔馬が、残っていた魔物を追いかけ回していた。
「あ、あの、この度はありがとうございました。その、厚顔無恥なことは重々承知しておりますが、公国側の森では仲間の兵士たちが魔物と対峙しているのです! ど、どうか、お助けいただけませんでしょうか!」
「公国側に許可を取るのは時間がかかるぞ? 俺としては、こちらへ向かって来た魔物は殲滅して、畑やイリスの安全が確保されるのであれば、吝かではないが」
「許可は私が出します! 申し遅れました。私はレオニア公国第一王子、レイモンドと申します」
「お、許可を出せるんだな。じゃあ、ひとっ走りして来るか。終わったら、兵士にはどう説明すれば良いんだ?」
「あなた様は、ルミエラ王国の英雄様とお見受けしました。レイモンドを安全な場所に保護したので、付いてきてほしいと伝えていただけますでしょうか」
「相分かった。すぐに聖女様がいらっしゃると思うから、俺のことはそう説明しておいてくれるか」
「はい、しかと承りました」
「ピュ――ィ! 漆黒号、行くぞ!」
「ヒヒィ――ン!」
あっという間に見えなくなった英雄と、その愛馬に、『仲間が助かるかも知れない』という、小さな希望を見出した。その時、蹄の音とたくさんの足音が、英雄殿の向かった方向とは逆の方向からこちらへ向かってくるのだった。
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蹄の音と、重厚な足音が近づいてくる。砂塵の向こうから現れたのは、茶色の魔馬に跨った一人の女性だった。
乱れた髪を厭わず、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳。彼女こそが、あの男が「女神」と呼んだ聖女なのだと、レイモンドは直感的に理解した。
「出血が酷いわね。……ミロ、止血の準備を!」
彼女は馬を降りるなり、レイモンドの泥にまみれた装束など気にする様子もなく、その傍らに膝をついた。ふわりと、戦場には似つかわしくない、清らかな薬草の香りがレイモンドの鼻腔をくすぐる。
「ルミエラ王国の聖女様とお見受けしました。どうか、お助けください……」
「もちろん治療しますよ。安心してくださいね」
向けられたのは、春の日差しのような微笑みだった。
極限状態にいたレイモンドの胸が、ドクン、と大きく跳ねる。それは死への恐怖からではなく、目の前の女性が放つ圧倒的な「生」の輝きに、魂が震えた音だった。
「あら、脈が速いわね……。ショック症状かしら。先に外傷を治療するわね」
イリスが手をかざすと、柔らかなオレンジ色の光が溢れ出した。ひんやりとした心地よさが傷口を撫でたかと思うと、肉を裂いていた深い傷跡が、まるで時間を巻き戻すかのように滑らかに消えていく。
レイモンドと側近は、その神業に声も出せず、ただ祈るように跪くしかなかった。
やっと動き出した時間に息を呑み、声を絞り出す。
「な、なんと!」
「こ、こんな、一瞬で……」
私と側近が驚いていると、聖女はすぐに側近の怪我も治してくれた。
「襲われたのはあなた方、お二人だけですか?」
「はっ! いいえ、公国側の森で、いまだに戦っている者たちがおります。その中には、怪我の酷い者もいるのです! 助けていただけませんでしょうか!」
私は藁にもすがる思いで聖女に頭を下げる。私について来た者たちは、立場の弱かった私と共に、幼い頃から助け合って来た仲間たちなのだ。
「ええ、もちろんです。恐らく、わたくしの探し人も、そこにいるでしょうから……」
「あっ、そうでした! 英雄様が仲間を助けに向かってくださっているのです。聖女様が探しているのが英雄様であれば、公国側の森にいらっしゃいます」
「ま、まさか一人で向かった……と?」
「あ、は、はい……」
聖女の手は震え、顔から一気に血の気が引いて真っ白になっている。そんな聖女の肩をバシバシと叩き、声をかける男が一人。
「イリス殿、大丈夫だ! 我が息子は魔物程度、片手間で倒せるほどに強いからな! たった二千だろう? ほら、そこらに散らばっている魔物の残骸を見れば、強さも分かるだろう!」
「で、ですが一人ですよ! 戦争であれば、背中を仲間が守ってくれるのです! なのに、一人で二千匹と対峙するなんてっ! 危機管理がなっていませんわ!」
「ガハハ! では、帰ってきたら、しっかり尻に……おっと。開口一番、叱りつけてやってくれよな! ガッハッハ!」
楽しそうに話す男は、どうやら英雄の父親のようだな。大らかな人に見せてはいるが、武にもかなり優れているようだ。立ち姿が武人のそれだった。
「おっ。噂をすれば。帰って来たようだな」
英雄は、重症な者を一人は肩に担ぎ、一人は膝の上にうつ伏せに乗せているようだ。
「イリス――! 重症患者だ! 治してやってくれ――!」
叫びながら私たちの前で止まった彼の周りには、手伝おうとする領民の姿があった。複数人で一人ずつ、そっと優しく降ろしてくれていた。ここの領地の者たちは、こんなにも足並みが揃っているのだな。きっと、辺境伯……あの武人が素晴らしい統括をしているのだろうと、すぐに察しがついた。
「もう大丈夫ですよ。落ち着いてくださいね」
「あ、脚がぁ――! 俺の脚がぁ――……」
脚を魔物に喰われ、失った者が叫ぶ。それを必死に宥めようとする聖女の姿に、手伝わなければと腰を上げようとした瞬間だった。
「おい、そんなに動いたら治療できないだろうが! 目の前にいらっしゃるのは我が国で一番の聖女様だ! 安心して見ていろ。大丈夫だ。お前は一人じゃないぞ!」
「ほ、本当に、大丈夫なの……か?」
「ああ、もちろんだ。一気に全員は無理だが、必ず治してくださるからな! 安心して療養するが良い。親父、良いよな?」
「ああ、もちろんだ。うちの応接間を開放しよう。傷が治っても、出血が多かったら動けないだろうから、せめて動けるようになるまではうちで療養するが良い」
「あ、あ、ありがとうございます! 仲間を見捨てずに済んだこと、生涯感謝いたします!」
「ガハハ! 大袈裟だな! そんなこと気にせずに、早く良くなれよ!」
私の部下たち二十五人中、虫の息だった三人を含め、全員が助かるという……。そんな奇跡が、私の目の前で起こったのだった。




