第20話 黄金の瞳が見た、黒い旋風
逃げ惑う者たちの叫び声と、魔物の咆哮が飛び交っているのは、我がレオニア公国側ではあるが、隣国ルミエラ王国との国境近くだった。
「このままルミエラへ入国すれば、助かる可能性はあるが……っ!」
「殿下、我々だけではもう保ちません! 国境で、助けを求めましょう!」
「くっ! あの傲慢なルミエラにどんな条件を突きつけられるか分からんが……。魔力も空になり、走るのがやっとだ。仕方ない……皆、聞いてくれ! ルミエラの国境へ向かい、助けを求める! 走れる者は共に関所へ向かってくれ!」
隣国との国境付近は、いまや阿鼻叫喚の地獄絵図へと変じようとしていた。
「このまま隣国へ越境すれば、国際問題になりかねん。だが……っ!」
苦渋の決断だった。まだ後方で魔物を食い止めてくれている者たちも大勢いるというのに。だが、魔物の数は一向に減らなかった。恐らく二千を下らない数が追いかけて来ているだろう。
「やはり、あの連中の仕業か。魔道具を使ってまで、このレイモンドを消したいか……!」
公国内部の火種が、最果ての地で燃え上がっている。絶望に沈みかけたその時、側近が叫んだ。
「殿下! 国境を……越えました! なぜか、関所が開放されています!」
「な、何だと……? 守備兵はどうした、誰もいないのか!」
「い、いえ! 前方より男が一人、こちらへ……馬? いえ、あれは魔馬ですか!? 物凄い勢いで突っ込んで来ます!」
砂塵の向こうから現れたのは、漆黒の影だった。魔馬に乗った男がたった一人。だが、その放つ威圧感は軍隊一つ分に匹敵する。砂塵を巻き上げ、こちらへと迫りくる。
跨っているのは、熊を思わせるほど体格の良い金髪の男だった。たった一騎。狂気か、それとも救世主か。私は藁をも掴む思いで声を張り上げた。
「助けてくれ! 後ろに魔物の大群が迫っている!」
だが、その男から返ってきたのは、慈悲の言葉ではなかった。
「おらおらあ! 我が領地を荒らそうとする泥棒猫どもはどこだ――! ……あ? お前らか! この先には大事な『聖女の畑』があるんだぞ! 逃げ道にするんじゃねえ、突っ込んでくるな!」
「え……? は、畑……?」
命のやり取りをしている最中に、「畑」だと?
呆気に取られる私を余所に、男は苛立ちを露わに叫ぶ。
「おい、そこにいると邪魔だ! 後で聖女様がいらっしゃるから、怪我人はそこの陰にでも引っ込んでろ! これ以上、俺の女神様の土地を汚されてたまるか!」
男は私たちの横を疾風のごとく通り過ぎると、速度を落とさぬまま魔馬から飛び降りた。
「漆黒号! 好きなだけ暴れて来い! アンバーが惚れ直してくれるかもしれねえぞ!」
「ヒヒィ――――ン!」
男が手にした大剣を一閃させた、その瞬間だった。
空気が爆ぜた。
一振りで十匹以上の魔物が、まるで紙細工のように両断され、霧散していく。魔馬もまた、鋼のような後ろ脚で魔物の頭蓋を粉砕し、戦場を蹂躙し始めた。
その戦いぶりは、もはや「無双」という言葉すら生温い。
「な、何だ……あの男は。魔馬と意思を通わせているのか!?」
「殿下、驚くのはそれだけではありません……あの男、強過ぎます! もしや、ルミエラの……『三年戦争』の英雄、ヴァレント=バルクレイではありませんか!? ガタイの良さとその剣筋、特徴が一致します!」
「……馬鹿な。あのような英雄が、こんな辺境の不毛な地でくすぶっているはずが無かろう」
「しかし殿下、確か英雄は辺境の出身だったはず……」
私は、戦場をたった一人で「掃除」していく男の背中を見つめた。
もしも、あれが本物の英雄だとしたら。
「……もし本当に彼が、こんな場所で放置されているのだとしたら、ルミエラ王国の目は節穴どころではないな。救いようのない暗愚の集まりだ」
「はは、全裸で歩く方がまだマシなほどの間抜けぶりですな。もしそうであれば、ぜひ我が国へ賓客として迎え入れましょう。彼一人で、軍団一つ分以上の価値がありますぞ」
絶望的な状況下で、そんな軽口を叩けるほど、男の戦いは圧倒的だった。
一歩も引かず、ただ「畑を守る」という純粋すぎる動機のために魔物を屠り続ける背中。
この時交わした冗談が、後に自国の運命を大きく変える「誠実な勧誘」になるとは……。
泥にまみれながらも、私の黄金の瞳は、ただただ、その信じがたい光景を焼き付けていた。




