第19話 喜びを分かち合う間もなく
畑に治癒魔法を施し、いくつかの「比較実験」を始めてから一週間が経った。
この数日間、ミロたちが何度も報告に来てくれたのだが、彼らはあまりに興奮しすぎていて、何を言っているのか要領を得ないほどだった。
「聖女様! 出ました、すべて出たんです! 植えた種、十種類すべてから芽が吹き出しました!」
ようやく落ち着きを取り戻したミロが、弾んだ声で報告を上げる。主は目を瞬かせ、驚きと共に問い返した。
「ええ? 一番遅いものでも一週間はかかるはずよね。……詳しい経過はどうだったの?」
「はい! まず、一番成長が早かった麦ですが……『種』と『土地』の両方に魔法をかけた区画は、なんと二日目に芽が出ました。次に『土地だけ』が三日目。そして『種だけに魔法』をかけた区画ですら、四日目には芽を出したんです!」
「……一番遅いはずの『種だけ』ですら、通常の倍以上のスピードだわ」
主の声に、少しの困惑が混じる。ミロはさらに、輝くような笑顔で続けた。
「このままの勢いで育てば、本来なら収穫まで四ヶ月はかかる麦が、最短なら半月……長く見積もっても二ヶ月で刈り入れができる計算になります! これなら、冬を越すどころか、余るほどですよ!」
「それはさすがに……。喜びたいけれど、あまりに不自然すぎるわね」
主の懸念はもっともだった。不毛の地で、あり得ない速度で実る黄金の麦。それが外部に知られれば、飢えた周辺諸国や、強欲な王都の貴族たちが黙っているはずがない。
そんな主の心中を察したように、それまで黙って聞いていたヴァンが口を開いた。
「……ミロ、この結果は領民たちに口外しないよう徹底させてくれ。他言無用だ」
「へい、かしこまりました。重々承知しております!」
「イリス。これからは、広域に負担がかかる『土地への魔法』は控えて、『種だけに魔法』を施す形にしよう。それなら、見た目は普通の畑と変わらないし、何より君の魔力の負担も軽くなる」
ヴァンの的確な提案に、主はホッとしたように表情を和らげた。
「そうね。ありがとう、ヴァン。……魔力の影響が、食べた人の体に悪影響を及ぼさないかも確認しなきゃいけないけれど、まずは一歩前進かしら」
「ああ。お礼を言うのは俺たちの方だぞ。……『育つ種』にしてくれて、本当にありがとうな、イリス」
「ふふっ、どういたしまして」
見つめ合い、穏やかに微笑む二人。
領地の最大課題であった「食糧問題」に解決の光が見えた。死地を潜り抜けてきた彼らにとって、これ以上の幸せはないはずだった。
――だが。
「……ッ、親父のところへ向かってくれ、イリス! 魔物の気配だ、それも凄まじい規模だぞ!」
不意に、ヴァンの声から一切の余裕が消えた。
甘い空気は一瞬で霧散し、彼の瞳に「戦士」の鋭い光が宿る。
「魔物が五百……いや、千……二千は来るか!? もうすぐそこまで来ている! 急げ!」
「分かったわ!」
ヴァンの号令が飛ぶ。
「皆のもの、出会え! 魔物が来るぞ――!」
「何だって!? おい、武器を出せ!」
「皆、声を上げろ! 防衛体制を整えるんだ!」
平穏に包まれていた辺境伯領に、怒号と鐘の音が響き渡る。リハビリを終えたばかりの男たちが、イリスに守られた命を、今度は領地を守るために燃やし、一斉に動き出した。
『魔物、だと? ヴァン、どっちから来る。方角は!』
オイラが問いかけると、ヴァンは北の山脈を指差した。
「北だ。間違いねえ……隣国の領土からこちらへ流れてきている!」
『分かった。オイラはイリスに付いて辺境伯に伝えておく』
「頼んだぞ。――俺は先陣を切る!」
ヴァンは鋭い指笛を吹き、愛馬である漆黒号を呼び寄せる。
風を切って現れた愛馬にひらりと跨ると、彼は抜剣し、単身で北の国境へと駆け出してしまった。
死地を駆け抜けてきた英雄とはいえ、二千もの魔物の群れに一人で突っ込んでいくとは。
『……スローライフどころじゃなくなってきたな』
オイラは小さく吐き捨て、主のあとを追ったのだった。




