第2話 英雄の凱旋と、残酷な『事務連絡』
報告書を手に、国王と宰相マルセインが執務室で密談していた。
「英雄ヴァンには相応の褒賞を出さねば、民衆や軍が黙っていない。……だが、あの小娘はどうする?」
「聖女イリスですな。……フン、聖女など古来より『聖なる水で傷を清める』だけの象徴。実態はただの洗浄係です。彼女が治したという報告も、どうせ戦場での誇張か、ヴァンの戦功を華やかにするための色付けでしょう」
「左様。彼女にまで高額な年金や領地を割く予算はない。……『標準的な聖女』としての最低限の報奨で十分だ」
「噂を流させましょう。拝謁式まであと一時間ごさいます。とどめはわたくしが刺しますから、慌てて城を飛び出していくことでしょう」
★★★
拝謁式がもう少しで始まるようだ。華やかな場でありながら、何となく違和感があった。貴族たちからイリスに向けられる視線が、明らかにおかしいと分かるほどに冷ややかなのだ。
「見てみなさい、あの平民上がりのような格好。戦場で兵士と泥にまみれていたんですって。聖女の品位もあったものじゃないわ」
「ああ、あの元侯爵令嬢ね。今では平民なのだから仕方ありませんわ」
そんなひそひそ話があちこちから聞こえてきた。『元侯爵令嬢』だと? 彼女はれっきとしたエクリシア侯爵家のご令嬢だぞ。
「これより、ルミエラ王国聖戦での功労者への褒賞式を始める!」
頭を捻って考えていると、宰相の声が響いた。
「この度の聖戦で、最も活躍した英雄、ヴァレント=バルクレイ! そなたには、勲章と褒賞金が与えられる!」
「「「「わ――っ!」」」」
前線で戦った仲間たちが次々と呼ばれ、褒賞金が渡されるが、少なくないか? さすがに仲間に「いくらだった?」とは聞きにくいが、三年間も前線で戦ってきた者たちに支払われる額としては少なく感じた。
「長らくの洗浄奉仕、大儀であった。看護師としての労いを与える」
その言葉が耳に届いた瞬間、俺の頭の中で何かが千切れる音がした。
聖女ではなく、看護師。……いや、それ以下だ。ただの『清掃係』だと言わんばかりの蔑称。
「洗浄だと……? 彼女は、俺の、俺たちのちぎれかけた腕を繋ぎ、死の淵から引き戻したんだぞ! それを、ただ洗っただけだと……!? ふざけるな!」
俺の脳裏には、あの終戦の日の光景が焼き付いている。
敵国の王子が倒れ、勝敗が決した瞬間。彼女は勝ち鬨を上げる兵士たちをすり抜け、まだ血の流れる敵兵たちの間に跪いたのだ。
『――光よ、どうか彼らの魂を安らぎへ導いて。憎しみも痛みも、この大地に置いていけますように』
淡い光が戦場を包み込み、死にゆく敵兵たちの苦悶の表情が、嘘のように穏やかになっていった。
敵味方の区別なく、この戦争で散ったすべての命に涙を流し、祈りを捧げたあの神々しい姿。
それを、この男は「洗浄」と、ただの「作業」だと抜かしやがったのか。
苛立っている俺は、再度文句を言おうと口を開こうとする。すると、慌てたイリスに袖を引かれた。
「ヴァン様、怒らないでくださいませ……。わたくしがしたことなんて、皆さんの補助に過ぎませんわ。前線で戦ってくださった戦士の方々のおかげです。皆さんの生命力が凄かっただけで、私の力なんて、微々たるものです」
イリスは無理に微笑もうとして、けれどその唇は小刻みに震えていた。彼女自身、この場を支配する「悪意」に、無自覚ながらも傷ついているのが分かって、俺は拳を血が滲むほど握りしめた。
そんな俺たちの様子を、宰相は退屈そうに眺め、とどめと言わんばかりに冷酷な唇を開いた。
「まあ、弁えてはいるようだな。……ああ、そういえば。1つ、伝え忘れていた些細な事務連絡があった」
まるで、今日の夕飯の献立でも話すような軽さだった。
「君の両親――先代侯爵夫妻だが、二年も前に流行り病で亡くなっているよ」
一瞬、謁見の間の空気が凍りついた。
「…………え? 二年……前?」
イリスの声は、羽虫の羽ばたきよりも弱く、消え入りそうだった。
「そう、二年だ。……君が泥にまみれて『聖女ごっこ』を始めた半年後くらいだったかな」
宰相は「しっしっ」と、汚物でも払うように優雅な手つきでイリスを促す。
「親を捨てて戦場を選んだ報いだよ。……さあ、下がりたまえ。ここは、君のような『平民』が長居していい場所ではないのだから」
「貴様ッ!! ふざけるな!! 彼女は……イリスは、死に物狂いで国のために尽くしてきたんだぞ!? それを……!」
「おっと、英雄殿。剣を引け。……すでに侯爵家は、君の叔父上が立派に継いでおられる。君にはもう、帰る家も、待っている両親もいない。……寂しいかね? だが、それが『親を捨てて戦場を選んだ報い』というものだよ」
そんな宰相を許せないと殴りかかった俺を、辺境の者たちが押さえ込んだ。
「坊っちゃん! 今日は我慢してくだせえ! 儂らも『聖女様』をこんな言われ方をされて腸が煮えくり返るようですが、王の前ですから我慢してくだせえ!」
俺や辺境の者たちがゴタゴタとしている間に、イリスは会場から走り去っていた。恐らく、侯爵家に確認しに向かったのだろう。
宰相はあんなことを言っていたが、叔父に追い出されるわけもないと高を括っていた。
――いや、そう思いたかっただけなのだ。
彼女がどれほどの絶望の中に一人で向かったのかも想像せず、あとで会いに行こうなんて安易に考えていた俺を、この後の俺は殴りたいと――心から呪うことになるのだった。




