第17話 成長した人々と、育たぬ畑
領民の治療が始まってから、領地には日々明るい声が響き、賑わっていた。
主からすれば、手足を失った重傷者でさえ完治まで三ヶ月を要する「軽症」らしい。彼女が時間をかけずに治療できた者たちは、最初のひと月で全員が完治し、日常へと戻っていった。
バルクレイ辺境伯領に奇跡が訪れた日から、半年。
領内には子供たちのはしゃぐ声が響き、活気に溢れている。リハビリの最終段階にある一割ほどの者たちも、すでに生活に支障がないレベルまで回復していた。
「英雄様がいらっしゃるからこその辺境伯だ!」
「聖女様、あんたは俺たちの命の恩人だよ!」
領民たちは何をするにも協力的で、二人への感謝を忘れる日はなかった。朝晩の祈りの時間になれば、主のために建てられた小さな教会に人々が集まり、静かに祈りを捧げる。それが今の辺境伯領の、穏やかで幸福な光景だ。
あの『飲んだくれのミロ』も、あれから必死にリハビリに励んでいた。今では、日に焼けて逞しくなった脚や腕が、この半年間のたゆまぬ努力を物語っている。
泥にまみれて男たちに指示を出すミロは、今や誰よりも頼れる男に見えた。かつて酒瓶を握っていた手で、今はしっかりと鍬を握り、子供たちに「ほら、見てろよ」と笑ってみせる。領民たちからも「ミロさん、ここはどうしましょう?」と真っ先に相談される存在になっていた。
だが、人の体が癒えても、腹を満たす作物が育たなければ生活は行き詰まる。このバルクレイ辺境伯領は、古くから作物が枯れやすく、成長も極端に遅い不毛の地なのだ。
『……イリス様、申し訳ねえ。あんたに治してもらったこの腕で、最高の麦を捧げたかったんだが……。この土地は、俺たちの必死の祈りにも、努力にも、応えてくれねえんだ』
先日、誰も悪くないのに土下座せんばかりの勢いで報告にきたミロの姿を思い出す。
落ち着いて暮らすには、「食糧」の自給自足は避けて通れない問題だ。ミロは責任を感じているのだろうが、こればかりは気合だけでどうにかなるものではない。
「近くの川で捕れる魚と、森の奥の薬草。あとは、怪我の治った男たちが狩ってくる猪くらいか」
「ええ。やはり穀物が育たないことには、この先の冬を越すのも厳しくなるわ」
「土地が悪い、としか言いようがないんだよな」
ヴァンが足元の乾いた土を掬い上げ、掌で握りつぶす。土塊は、パキッと乾いた音を立てて無情に崩れ落ちた。
「土地が、悪い……。もしかして、土地そのものが『病気』なのかしら?」
「そうなのかもしれんが……土地を診る医者なんて、聞いたこともないぞ?」
『都会なら庭師なんて職種もいるがね。彼らなら詳しいだろうが……』
「そんな人間、この辺境にいるはずないだろう。――だが、俺の目の前には、美しい女神様ならいるけどな!」
両腕を広げて主を讃えるヴァン。オイラは冷ややかな視線を送り、溜息をついた。
『残念だったな。君の女神様は今、思考の沼に嵌っているようだぞ』
「イリス、俺の愛をスルーしないでくれ!」
茶化すヴァンを余所に、主が不意に顔を上げた。
「畑へ行くわ」
『唐突だな。何か策でもあるのかい?』
「考えていても始まらないもの。大地も、生き物の一種だわ。――だから、土地を『治療』してみるわ」
「ガハハ、イリスらしいな! 好きにやってくれ。これ以上、悪くなりようがないんだ、気楽にいこうぜ!」
ヴァンの豪快な笑い声に、主も少しだけ表情を緩める。
「ふふ、ありがとう、ヴァン。少しでも効果があると良いのだけれど」
「ああ。この地でのんびり暮らすためにも、まずは食糧の確保だ」
辺境伯領に辿り着いたあの日から、二人の願いは一つ。
――落ち着いた場所で、仲間たちと楽しくスローライフを送ること。
死地を駆け抜けてきた者たちにとって、それは何物にも代えがたい贅沢だ。失った腕も、脚も、指の一本までも再生させてしまう奇跡の女神。当たり前の日々こそが幸福なのだと、彼女たちは戦場という名の地獄で、嫌というほど学んできたのだから。
「やるだけやってみましょう。ミロなら、どこが一番酷いのか分かるわよね? 彼を呼びに行きましょう。どう変わったか、土の状態も調べてもらう必要があるわ」
「ああ、そうだな。俺が呼んでこよう」
ミロと合流した一行は、辺境伯領で最も「死んでいる」と思われる畑へと向かうのだった。




