第19話 手遅れ
中間者は決意の下、また同じ街へと戻ってきた。肺に潜り込んでくる汚染された空気と耳障りな喧騒に、顔がしかめられる。見渡すと、<神>は人々に命令を出し、人々は言われるがままに行動していた。
中間者は、陸橋の上から濁流のように渦巻く人混みを眺めた。小さな生が、脳の機能を停止しながら歩いていた。被支配者は支配者に似る。支配者が大雑把な、穴だらけの、そして思慮のない考えを命令に落とし込んだ結果、彼らは虚ろになってしまったのだ。かつては笑い飛ばして取り合わなかったのに、ついに彼らはその濁りを、体内に取り入れてしまったのだ。
そのとき、誰かが中間者を指差し、叫び上げた。すると、人混みは一つの生物になったかのかと錯覚するほど一斉に、こちらを見上げた。意志のない目に見つめられると、中間者ですら寒気を感じる。
中間者には言うべきことがあった。とても多くのことが。しかし、中間者には口を噤むほかなかった。ここまで<神>が浸透しては、もう何もできることはないと直感したのだ。
彼女は遅かったのである。
こうなっては、決意も意味を成さない。
<神>の、吐き気がするような薄ら笑いが視界の端に見えた気がして、中間者は身を翻した。エロスの制止も聞き入れず、中間者は街を出た。
街を出て、歩みを進めていると、ふと、足が止まった。
彼女は、そこで座り込んでしまう。
「おい、どうした?」
エロスが心配して声をかけるが、少女は答えない。
エロスが顔を覗き込もうとすると、少女は膝に顔を埋め、無言の圧力をもってエロスの侵入を拒んだ。
彼女は中間者。そして、それ以前に、一人の弱い少女であった。
そのとき、前から走ってくる者があった。少女は中間者として、顔を拭い、立ち上がる。
眼前で、息を切らせながら微笑むのは、さっきぶつかったあの女であった。女は頬に汗を伝わせながら、少女を追いかけてきたのだと言った。
「帰りましょ」
女は笑顔に努めながらそう言う。少女は目を見開く。
「ご両親が待ってるでしょ? 送るわ」
しばらく、優しい瞳が少女を見つめていた。
しかし、彼女はもう行かねばならない。
「私は帰れない。私がここで過ごせる時間は終わった」
女は、少女が遠慮しているとでも思ったのか、少女の髪を軽く撫でた。
「大丈夫よ。帰ってちゃんと話したら、ご両親もきっと分かってくれる。私も一緒に謝ってあげるから」
「……」
彼女は家出をしたわけではないし、迷子になったわけでもない。彼女は……。
「……私は帰れない。……けど……良ければ……」
「ん? 何? なんでも言って?」
残された時間で自らの心残りを晴らすなど言語道断だと、普段の彼女なら、きっとそう思っていただろう。だが、彼女は動揺していた。そして憔悴していた。
「一つ頼みが」