第八話 悪役令嬢の「実績」
バザー一週間前。敵は、こちらの想定の斜め上から来た。
朝、登校すると、学園中に匿名の怪文書が撒かれていた。廊下に、中庭に、教室の机の中にまで。
『生徒会会計顧問ヴィオレッタ・アシュフォードは、過去に複数の生徒を階段から突き落とし、家の権力で隠蔽した。虚栄と嫉妬で知られる公爵令嬢に、バザーの金銭管理を任せてよいのか。学園の良識に問う』
……なるほど、そう来たか。
台帳の防備が固すぎて細工を諦め、管理者の私ごと排除する方針に切り替えたわけだ。
しかも「悪役令嬢ヴィオレッタ」という設定を、逆手に取って。本編通りの世界なら、私には虐めの前科の一つや二つあるはずで、埃を叩けば出ると踏んだのだろう。
――ぞくり、と背筋が冷えた。
この男、なぜ「ヴィオレッタなら叩けば埃が出る」と踏んだ?
まるで、この世界のヴィオレッタが本来どういう女であるべきか、知っているみたいに。
……いえ。考えすぎだ。悪役令嬢の悪評など、社交界では誰でも囁く。そう自分に言い聞かせて、私は目の前の火消しに集中した。
実際、効いた。
廊下を歩くと、ひそひそ声が水面の輪みたいに広がる。三年間で積み上げた信頼など、匿名の紙切れ一枚で揺らぐ程度のものらしい。人の口とは、そういうものだ。
「ヴィオレッタ様、これ、放っておいたら理事会が動きます! 本編でもこの手の醜聞は一晩で燃え広がって……!」
対策本部で、ソレイユが青ざめる。オーレリアンは今にも剣の柄に手をかけそうだ。
「僕が声明を出す。婚約者として、生徒会長として」
「殿下、それは逆効果ですわ。権力者の庇護と取られて、噂に薪をくべるだけ。……皆さま、ご心配なく」
私は、静かに手を挙げた。実のところ、この展開は外伝で百回見た。悪役令嬢を社会的に葬る手口の、教科書第一章。だから対処法も、教科書に書いてある。
「噂には反論しません。反論は水掛け論。――代わりに、証言で埋めますわ。この三年間の、わたくしの『実績』で」
翌日の臨時説明会。理事たちの前に立ったのは、私ではなかった。
剣術大会の日、私が観覧席で励ました下級生たち。ノエルの最初の「魔力目当てじゃない友達」になった魔法科の生徒。ジークハルトの妹。リュカの離宮の侍女たち。薬草園の管理人。図書委員。
……三年間、フラグを折るついでに関わってきた人たちが、次々に立ち上がり、日付と場所つきで証言した。
「怪文書にある六月三日、ヴィオレッタ様は私と薬草園で土いじりをしておられました。爪に土が入ったと騒いでおられたので、よく覚えています」
「階段の一件とされる日は、離宮のお茶会です。招待状と、お茶会の記録が現存します」
「そもそもヴィオレッタ様は三年間、階段では必ず手すり側を歩かれます。ご自分が転んで記憶……ではなくて、その、以前転ばれて懲りたそうで」
最後のは余計だったけれど、会場の空気が笑いで緩んだのが決定打になった。
フラグ管理のために日付と行動を全部手帳に記録していたのが、まさか自分のアリバイ帳になるとは。
外伝で学んだ格言を思い出す。『人を陥れる噂は、日付に弱い』。
……記録は、私を何度でも守ってくれる。この癖だけは、前世から連れてきてよかったと、心から思う。
そして――証言台に立った人々の顔を眺めていて、私は不覚にも、目の奥が熱くなった。
この人たちは、私が「フラグを折るついでに」関わっただけの相手だ。打算で近づいた相手だと言っていい。それなのに、匿名の紙一枚で私が沈みかけたとき、日付と場所を握りしめて、自分から立ち上がってくれた。
……打算で撒いた種でも、水をやり続ければ、こうして花になる。悪役令嬢の三年間は、無駄ではなかったらしい。
怪文書は一日で信用を失い、逆に理事会は「出所」の調査を決議した。追い詰められたのは、司書のほうだ。
そして追い詰められた工作員は、必ず、本番の日に賭ける。来なさい。栞の会は、ページを開いて待っている。




