第四話 ヒロインは「知って」いた
三年は、飛ぶように過ぎた。
そして――王立学園、入学。丘の上の白い学舎に、深緑の制服の新入生が吸い込まれていく。ついに本編の舞台が幕を開け、彼女が現れた。
男爵令嬢、ソレイユ・マーチ。陽だまり色の桃色の髪、くるくると表情の変わる飴色の大きな瞳、私より頭ひとつ小柄な体。
間違いない、ゲームのヒロインだ。入学式の壇上で新入生代表の挨拶をする姿は、スチルで見たまま……いえ、スチルより三割増しで潑剌としていた。
挨拶の三分間で会場を二回笑わせ、一回しんみりさせた。何なの、あの話術。
私は、最大級に警戒していた。この三年でフラグは折り尽くしたつもりでいる。けれど相手は物語の主人公。
「主人公補正」という名の修正力が働いて、何をどうしても本編の筋書きに引き戻される――転生ものでは、よくある話だ。
接触は最小限に、観察は最大限に。それが私の方針だった。
その方針は、入学式の翌日、噴水のある中庭で木っ端微塵に砕かれた。
「ヴィオレッタ様! みーつけた!」
ずんずんと歩み寄ってきたヒロインは、周囲に人がいないのを素早く確かめ、声を潜めて、単刀直入に言った。
「あの、率直にお聞きします。……あなた、転生者ですよね!?」
「……は?」
「私、『星降る夜のプレリュード』本編を五周した転生者です! 全ルートコンプ、スチル回収率百パーセント! ……でも、おかしいんですよ、この世界。攻略対象のみんなの、闇落ちフラグが、全っ然立ってない!」
彼女は指を折りながら、まくし立てた。
「オーレリアン様は陛下と月一で手合わせする仲だし、ジークハルト様の妹さんは社交界デビューして笑ってるし、ノエル様には魔力と関係ない友達が十人以上いるし、リュカ様に至っては健康! 昨日、中庭を走ってました! 走って!」
「い、いけませんの? 健康」
「いけなくないです! 最高です! でもゲーム的にはありえないんです! 本編開始時点のみんなは、心に傷を抱えてて、それを私が……ヒロインが癒す流れなのに、この世界の彼ら、癒す傷がないくらい健全で――これ、誰かが三年かけて、先回りして治して回ったとしか思えない。心当たり、ありますよね? 悪役令嬢のヴィオレッタ様?」
……ここまで見抜かれていて、しらを切る意味はない。それに、彼女の目には敵意がなかった。あるのは、好奇心と、同志を見つけた者の輝きだけ。
私は扇を開き、口元を隠して、声を落とした。
「……『ノワール』は、ご存知?」
「ノワール? ああ、外伝の。悪趣味そうだから手を出してな――……まさか」
彼女の百面相が、一瞬だけ、変な止まり方をした。驚きとも、既視感ともつかない、宙を掴むような顔。けれどそれは瞬きの間に流れて、次の瞬間にはもう、爛々とした好奇心に塗り替えられていた。
「ええ、そのまさか。わたくしの前世の知識、外伝だけですの。本編の攻略法はひとつも知らない。知っているのは、攻略対象たちの折り方――壊し方だけ。壊し方を全部知っていたから、壊れる場所に、先回りして補強を入れて回りましたのよ。三年間」
ソレイユは、ぽかんと口を開けた。三秒固まって、それから、噴水に響くほど盛大に吹き出した。
「あははは! 何それ最高! 悪役令嬢が、闇の知識で攻略対象を全員救済済み!? 本編、開始前に完結してるじゃないですか!」
「お静かに。……それで、ヒロイン様は、どうなさりたいの? 皆さまとの恋物語なら、お邪魔はしなくてよ」
「あー、それなんですけど」
彼女は、ぱたぱたと手を振った。
「私、恋愛したくてこの学園に来たんじゃないんです。五周もすると、ですね、恋愛イベントの裏で進んでる『真ルート』の不穏さのほうが気になっちゃって。……ヴィオレッタ様、ご存知ですか。学園編の裏で、隣国の間者が動いてること。放置すると、卒業後に戦争イベントが起きること」
真ルート。全キャラ攻略後に開放される隠しシナリオ。外伝にも、その断片は――ある。
「私は本編の表側を知ってる。あなたは裏側の、人間の心の動かし方を知ってる。……ねえ、ヴィオレッタ様。手を、組みませんか?」
差し出された手を、私は見つめた。ヒロインと悪役令嬢。ゲームなら、決して結ばれない握手。
――握った。存外、力の強い手だった。
ゲームのシナリオが、音を立てて書き換わった瞬間だった。




