第三話 病弱な第二王子と、毒じゃないお茶会
攻略対象その四、第二王子リュカ。十二歳。生まれつき病弱で、王宮の外れの離宮に籠もって暮らしている。
離宮は、王宮の華やかさから切り離された、静かな石造りの建物だった。
庭は手入れされているのに、遊んだ跡がない。廊下は磨かれているのに、走った傷がない。子供が一人住んでいるはずの家の、子供の匂いのしなさに、私は初回の訪問で胸を突かれた。
当のリュカ殿下は、日当たりのいい書斎の椅子に、本の砦を築いて籠城していた。
亜麻色の柔らかい髪、青白い肌、袖の中で折れそうな細い手首。十二歳にしては小柄な体に、目つきだけが年に不釣り合いに鋭い――警戒心の強い、賢しい目。
外伝での彼の「折り方」は、全ルート中もっとも簡単で、もっとも胸が痛かった。
人恋しい離宮に通い、優しい顔で信頼を勝ち取ってから、たった一言、嘘を落とすのだ。「貴方のご病気、兄君が王位のために盛った毒だそうですわ」
――孤独な子供は、自分に構ってくれる悪意を、疑うことができない。
難易度、星一つ未満。攻略サイトには「良心が痛むルートNo.1」と書かれていた。本当に、悪趣味なゲームだった。
だから私は、破滅回避計画の一環として――ごく普通に、お茶会に通うことにした。嘘の種を撒く者が現れる前に、この離宮の「人恋しさ」という土壌そのものを、耕し直してしまえばいい。
一度目の訪問、殿下は本から顔も上げなかった。
二度目、貸した薬草学の本(王都の書店で銀貨三枚。前世感覚で三万円の専門書だが、公爵家の書籍費は無限に近い。使わせてもらう)を、無言で受け取った。
そして三度目の訪問で、リュカ殿下は分厚い本の陰から、ようやくまともに口をきいてくれた。
「ヴィオレッタ嬢は、変わっているね」
「あら、初めて名前を呼んでくださいましたわね」
「……兄上の婚約者殿が、僕のところに通っても、得はないよ。僕は王位に関係ない、予備ですらない王子だ。社交の点数にもならない」
「得なら、ありましてよ」
私は、盛大に音を立てて紅茶を一口飲んだ。行儀の悪さに、殿下が目を丸くする。
「殿下、先週お貸しした薬草学の本、もう読み終えたのでしょう? 栞の位置で分かりますわ。――わたくし、殿下と本の話をするのが、領地の葡萄酒より好きですの。これが得でなくて、何かしら」
「……あの本の著者は、東方医学を誤解している」
ぽつり、と殿下が言った。
「あら。どこが?」
「三章の解熱の処方。あれは体力のある大人の分量だ。子供や病人に使えば、熱は下がっても心の臓に障る。僕なら、まず量を三分の一にして、経過を――」
彼は、堰を切ったように語り始めた。病弱ゆえに自分の体と向き合い、医学書を読み漁って蓄えた知識は、十二歳のそれではまるでなかった。
私は本気で聞き、本気で質問した。演技ではない。この子は本当に、面白い。
四度目からは、私が「宿題」を出すようになった。曰く、離宮の侍医の処方箋を検分せよ。曰く、東方と西方の解熱剤の利点欠点を比較せよ。青白い頬に、宿題の話をするときだけ、血の色が差す。
通い始めて半年後。
リュカ殿下は自分の症状を自分で記録し、侍医と対等に治療方針を議論するようになっていた。
「昨夜の発作は食後二刻。前回と共通するのは献立の海老です。除いて経過を見たい」
――侍医が唸り、実際に発作は減った。
もう、大丈夫だ。「毒を盛られている」なんて嘘が入り込む隙間は、この子にはない。自分の体のことを、この国の誰より正確に、自分の言葉で知っているから。嘘は、無知の隙間にしか棲めない。
「ヴィオレッタ嬢。僕、決めたんだ」
ある日の午後、殿下は本を閉じて、まっすぐに私を見た。
「医学を修めて、王家初の医師になる。王位に関係ない王子だからこそ、なれるものがある」
「素敵ですわ。では殿下が最初に治すべき患者を、ご紹介いたします」
「え? 誰?」
「殿下ご自身ですわ。医学書の基本でしょう――養生の第一は、日光と、適度な運動。まずは中庭の散歩から。わたくしが付き添いますから、逃げられませんことよ」
「……君は本当に、性格が悪いね」
彼は、攻略対象の顔ではなく、年相応の男の子の顔で笑った。
翌週から、離宮の廊下に、杖の音と、それを追い立てる扇の音が響くようになった。庭に、少しずつ、歩いた跡が増えていく。
手帳に記す。『フラグ四本目、処理完了』。
……あれ? 私、この計画、けっこう楽しんでいない?




