第二話 王子の折り方、教えません
最初の関門は、記憶が戻って二月後にやってきた。王宮で開かれる、年に一度の御前剣術大会である。
白亜の演武場に、貴族席の色とりどりの日傘。
中央の玉座には国王陛下――鍛え上げた壮年の偉丈夫で、御前試合の間、表情筋を一度も動かさないことで有名な方だ。
婚約者として観覧席の最前列に座りながら、私は膝の上で拳を握っていた。
知っている。今日、十四歳のオーレリアン殿下は、決勝で年上の騎士候補生に敗れる。
外伝では、ここが最初の「仕込み場」だった。
人払いをした控えの間で、敗北に打ちひしがれる殿下に近づき、悪役令嬢はこう囁く。
「陛下が『あれが次の王とは』と溜息をついておられましたわ」――事実ではない。完全な嘘だ。
でも殿下は、確かめられない。幼い頃から父王に厳しく育てられた彼にとって、「父上に直接聞く」ことは、処刑台に自分から登るのと同じだから。確かめられない毒は、三年かけてゆっくり回る。ヒロインという解毒剤に出会うまで。
――決勝が始まった。相手は十八の候補生筆頭、体格差は大人と子供だ。
それでも殿下は喰らいついた。明るい金の髪を汗で額に貼りつかせ、空色の瞳で相手の剣筋だけを見て、一の太刀、二の太刀、三の太刀までを受けきる。
観客席がどよめいた、その刹那――私は見た。玉座の陛下が、僅かに、身を乗り出したのを。表情筋の動かない王が、肘掛けを、確かに一度、叩いたのを。
カン、と高い音がして、四合目、殿下の剣が宙を舞った。場内がどよめく。一礼して控えの間へ下がる殿下の背中は、次代の太陽でもなんでもない、ただの負けた十四歳の少年のそれだった。
私は席を立ち、追いかけた。廊下は人払いされている。外伝と、まったく同じ舞台装置。台詞だけを、私は差し替える。
「殿下」
「……笑いに来たのか、ヴィオレッタ」
振り向いた顔は、汗と悔しさでぐしゃぐしゃだった。そして彼は、自分から急所を差し出してきた。
「父上は……陛下は、なんと仰っていた」
来た。
外伝ならここで刺す。
ゲームの私は、ここで何十回も刺した。選択肢の一番上、『失望しておられましたわ』。
押した回数だけ、画面の中の少年は壊れていった。でも、今日の私は。
「陛下は、身を乗り出しておいででした」
「……え?」
「最後の打ち合い、殿下が三の太刀まで受けきったところで、肘掛けを叩いておられましたわ。わたくし、隣の席でしたもの。見間違いではなくてよ」
「……嘘だ。慰めはやめろ。父上が私を見て、失望以外の顔をするはずが」
「では、確かめましょう。今から。ご一緒に」
「なっ……!?」
私は殿下の腕を掴んだ。淑女にあるまじき力で。外伝三百時間で、私は骨身に沁みて学んだのだ――この呪いは「確かめられない」ことを養分に育つ。なら、育つ前に、確かめさせればいい。それも、傷が新しい、今日のうちに。
「や、やめろ、引っ張るな! 父上に何と言うつもりだ!」
「『本日の御感想を伺いに参りました』。それだけですわ。質問するのは不敬ではありません。質問しないで三年悩むほうが、よほど不敬でしてよ」
観覧席に引き戻された殿下を見て、陛下は片眉を上げた。そして、震える息子が絞り出した「ご、御前を汚しました」という詫びに、こう返したのだ。
「汚してなどおらん。……三の太刀は、見事だった。あの相手から三合引き出した者は、候補生にもおらぬ。――悔しいか。悔しいなら、伸びる」
殿下は、泣くのを堪える顔で、深く深く頭を下げた。
陛下の口の端が、ほんの一瞬だけ、緩んだのを――たぶん、見たのは私だけだ。
表情筋の動かない王の、年間予算一回分くらいの微笑だった。
帰りの廊下で、殿下は小さく言った。
「ヴィオレッタ。君は……私が思っていたような令嬢では、ないのだな」
「あら。わたくしは殿下が思っているより、ずっと性格が悪くてよ。……使い道を、変えただけですわ」
「使い道?」
「こちらの話。それより殿下、悔しいなら伸びるそうですわよ。来年の大会まで、あと三百六十日ございますわね」
「……ふ。ああ、そうだな。三百六十日だ」
彼は目元の汗を乱暴に拭って笑った。壇上の王子の顔が、年相応の少年の顔に戻る、その笑い方を、私はこの日、初めて見た。
その夜、手帳に記す。
『破滅フラグ、一本目。折らずに、支柱を入れて処理完了』。
……この調子よ、ヴィオレッタ。あと、何十本でも。




