第二十話 王家の、空白
そして、オーレリアンが動いていた。私が託した、最も重く、最も辛い仕事――王家の内側で、二百年、典礼書のページを抜き続けてきた「手」を、数える作業を。
「……分かったことを、話す」
公爵邸の一室。人払いをして、オーレリアンは、疲れた顔で切り出した。婚約者として三年見てきたけれど、彼がこんなに憔悴した顔をするのは、初めてだった。
「星降りの夜の記録を管理する権限は、代々、王家の『祭祀長官』という役職にある。表向きは名誉職で、実権はない。……だが、典礼書の保管庫の鍵を持つのは、歴代、この祭祀長官だけだ。つまり、ページを抜けたのは、祭祀長官しかいない」
「では、現在の祭祀長官を調べれば」
「そこが、おかしいんだ」
オーレリアンは、古い任命記録を広げた。
「祭祀長官は、二百年前から、ずっと『空席』なんだ。任命の記録がない。なのに、鍵は、代々、確実に引き継がれている。誰かが、記録に残らない形で、この役職を、二百年、世襲してきた。……王家の、すぐ隣で。名前も、顔も、残さずに」
背筋が、ぞくりとした。
記録を消す役職そのものが、記録から消されている。二重の空白。それは、偶然ではありえない。誰かが、二百年、気の遠くなるほどの執念で、自分の存在ごと、歴史から削り続けている。
「殿下。その『空席の祭祀長官』は、王家の人間ですの? それとも、外部の?」
「分からない。ただ、ひとつだけ、手がかりがある。……鍵の、引き継ぎの記録だ。鍵が引き継がれる年を、全部、洗い出した。すると」
彼は、年表を指でなぞった。
「引き継ぎは、不定期だ。二十年ごとのときもあれば、五十年空くこともある。……法則性が、まるでない。まるで、引き継ぐ側の『寿命』が、バラバラであるかのように」
――寿命が、バラバラ。
私の頭の中で、ばらばらだったピースが、いくつか、音を立てて噛み合った。百二十年周期の祭事。記録を消し続ける、寿命の読めない何か。そして、金の流れの決裁者、『L・A』の署名に感じた、あの既視感。
「……殿下。ひとつ、仮説を申し上げてもよろしくて? ……ひどく、荒唐無稽な仮説を」
「言ってくれ。この件で、荒唐無稽でない仮説なんて、もう一つもない」
「記録を消し続けている『手』は……ずっと、同じ一人なのではないかしら。二百年、いえ、もっと長く。生き続けている、たった一人が」
オーレリアンは、笑わなかった。荒唐無稽だと、切り捨てなかった。ただ、静かに、私の目を見た。
「……ヴィオレッタ。君は時々、この世界の理の、外側から、ものを言うな。まるで、この世界を、上から見ている者のように」
どきり、とした。彼は、詮索しない、と約束した。だから、それ以上は、聞かなかった。ただ、私の手を、静かに握った。
「その仮説が正しいなら、敵は、想像を絶する孤独の中にいる。……なあ、ヴィオレッタ。俺たちが最後に折る――いや、支えるべき相手は、案外、いちばん、疲れ果てた奴なのかもしれないな」
彼の言葉は、まだ、なんの根拠もない、直感にすぎなかった。けれど後になって、私は思い知ることになる。
このとき彼が口にした直感が、この物語の、いちばん深い真実を、言い当てていたことを。
【幕間】
――ずっと同じ一人だ、と、彼女は言ったらしい。
僕は、久しぶりに、笑った。声を出して、笑った。何百年ぶりだろう。
その通りだよ、悪役令嬢。ずっと、僕一人だ。記録を消してきたのも、金を動かしてきたのも、戦争の火種を撒いているのも、全部、僕だ。
でも、勘違いしないでほしい。僕は、世界を憎んでいるわけじゃない。
僕はただ、疲れたんだ。同じ夜を、七回も、繰り返すのに。
……ねえ。君は、変えてくれるんだろう?
だったら、早く、こっちへおいで。星降る夜は、もう、目の前だ。




