第十九話 踏み込みすぎた研究
ジークハルトの妹の件が片付いた矢先、今度は、ノエルの灯が、思わぬ方向から揺らいだ。敵の攻撃ではない。彼自身の、才能が、危険な扉に手をかけてしまったのだ。
「――できた。ついに、できたんだ」
魔導院の研究室に呼ばれた私とソレイユは、興奮しきったノエルの顔を見て、嫌な予感がした。白銀の髪を掻き上げ、猫の目を爛々と輝かせた彼は、机の上の、淡く光る水晶球を指した。
研究室は足の踏み場もないほど、書き散らした術式の紙と、割れた実験用の水晶の破片で埋まっていた。この二年、彼がどれだけの時間をこの一点に注いだかが、一目で分かる惨状だった。
「『魂の波長』の、可視化。理論だけだったのが、ついに実物で捉えられた。この水晶に手をかざすと、その人の魂固有の波長が、色と紋様で浮かぶ。世界で初めての観測だ。……で、面白いことに、気づいた」
彼は、私とソレイユを、まっすぐに見た。
「君たち二人の波長、この世界の他の誰とも、違うんだ。みんなの波長は、この土地の魔力と『馴染んでる』色をしてる。でも君たち二人だけ、なんていうか……『よそから来た』みたいな、浮いた波長をしてる。まるで、この世界の外に、故郷があるみたいな」
室内の空気が、凍った。ソレイユが、私の袖を、きゅっと掴んだ。
――たどり着いてしまった。ソレイユが恐れていた、あの場所に。転生の、いちばん近くに。
「ノエル様」
私は、できるだけ静かに、切り出した。
「その研究を、ここで、止めていただけませんこと」
「え? なんで。今、世紀の大発見の入り口に――」
「お願い。理由は、言えませんの。ただ……その水晶が捉えた『よそから来た波長』を、これ以上、誰にも観測させないで。記録も、残さないで。……わたくしとソレイユの、墓まで持っていく秘密に、その研究は、触れてしまうのです」
ノエルは、しばらく黙って、私とソレイユを見比べた。猫のような目が、いつになく、真剣だった。そして、彼は――あっさりと、水晶の光を消した。
「……分かった。やめる」
「よ、よろしいの? あんなに、興奮して」
「うん。だってさ」
ノエルは、少し照れたように、髪を掻いた。
「僕、三年前まで、『才能しか見てもらえない』って、拗ねてたんだ。魔力さえあれば、僕自身なんてどうでもいいんだって。……でも、君たちは違った。栞の会のみんなは、僕の研究の中身より、僕が無理してないかを、先に心配する。……そういう友達の『秘密には触れないで』を、大発見と天秤にかけるほど、僕はもう、孤独じゃないんだよ」
――ずるい。この子、ずるい。三年前、「皆、貴方の魔力目当てよ」の一言で折れるはずだった心が、今や、私たちの秘密を守るために、世紀の大発見を、笑って捨てる。
「ただし」ノエルは、悪戯っぽく付け加えた。「いつか、話せるようになったら、教えてよ。君たちの『故郷』の話。……気長に、待つからさ」
「……ええ。いつか、必ず」
嘘に、なるかもしれない約束だった。だって、私の記憶は、日に日に白くなっている。「故郷」を語れるだけの記憶が、そのときまで、残っているかどうか。
……それでも、私は頷いた。頷けるうちに、頷いておきたかった。
その夜の幕間、手帳に記す。『ノエルの灯、守り抜いた。ただし今回は、外伝知識を、使っていない。……友情だけで、折れなかった。これが、いちばん、強いのかもしれない』。
書きながら、私は、ふと、手を止めた。三年前の私の計画は、「折り方を裏返して支える」ものだった。
外伝の知識を使って、正確な場所に支えを入れる。けれど――ジークハルトの妹は、自分で自分を守った。ノエルは、友情で折れなかった。私の外伝知識を、使わずに。
もしかすると。私が本当に育ててきたのは、六人の「折れない力」そのものなのかもしれない。
だとしたら。私の記憶が全部白くなっても、この子たちは、もう、折れないのではないか。
……そう思うと、白くなっていくページの恐怖が、ほんの少しだけ、和らいだ。ほんの少し、だけ。




