第十四話 記憶の、ページが
その夜、私は自室に籠もり、机に手帳を広げて、生まれて初めて「自分の記憶の棚卸し」を行った。
やり方は、財産目録と同じだ。外伝『プレリュード・ノワール』の全構成を、章立てごとに書き出していく。
オーレリアン闇落ちルート、全七章。ジークハルトルート、全六章。ノエル、リュカ、隠しルート、暗殺・工作コマンド一覧、設定資料集。三百時間分の、私の武器庫の、全部。
――結果は、財産目録ではなく、被害報告書になった。
「……欠けてる。それも、一つや二つじゃ、ない」
オーレリアンルート三章、偽の恋文の封蝋手順――欠落。
剣術大会の敗北後に囁く台詞の、正確な文言――欠落。
リュカルート一章、毒の噂を吹き込む会話の選択肢――欠落。
ジークハルトルート、妹に似た少女を使う仕込みの段取り――欠落。
震える手で、欠けた項目に印をつけていく。つけ終わって、私は印の並びを見つめ、血の気が引いた。
法則が、ある。
欠けているのは、全部――私が三年間で、実際に「裏返して使った」場面だ。
剣術大会。使った。リュカの離宮。使った。ジークハルトの妹の件。使った。バザーの司書戦。使った。使った箇所だけが、ページを破り取られたように消えている。逆に、一度も使っていない隠しルートの後半や、設定資料の細部は、鮮明に残っている。
「使うと……消える? 運命を書き換えるのに使った知識から、順番に……?」
もしそうなら。これから先、私が誰かを守るために外伝知識を使うたび、私の武器庫は――前世の私は、一ページずつ、白くなっていく。
そして敵は、同じ武器庫を、たぶん無傷で持っている。
窓の外で、星がひとつ流れた。私は無意識に、手帳の余白に書き付けていた。
『要検証。ソレイユの本編知識にも同じ欠落があるか。彼女がまだ知識を「使って」いないなら、欠落もないはず』
――書きながら、指先が冷たかった。これは、チートの目減りなんて話じゃない。私という人間の、前世との唯一の繋がりが、目減りしているのだ。
翌朝。寝不足の私のもとに、ソレイユが文書院から吹っ飛んできた。抱えているのは、黴の匂いのする祭文集の写本。
「ヴィオレッタ様、見つけました、見つけちゃいました! 建国期の祭文! 『星降りの夜』の! 王家の典礼書から失われてるって言ってた、その大元です! でも、それより、それよりですね……!」
彼女は震える指で、古語の一節を示した。読める。三年間の王太子妃教育は、伊達ではない。
――そこには、こう書かれていた。
『百二十年の巡りの果て、星降る夜の来たらんとき、まず奏でらるるは前つ歌なり。
前つ歌、六つの灯を消して回り、消えし灯の闇を束ねて、天の裂け目を開くべし。
これを称して――星降る夜の、前奏曲、と謂う』
「…………」
「…………」
二人とも、しばらく声が出なかった。先に口を開いたのは、ソレイユだった。声が、笑おうとして失敗していた。
「……ゲームの、タイトル。『星降る夜のプレリュード』。私、ずっと、綺麗な題名だなって、それだけ……。でもこれ、この祭文が大元なら、意味、全然違う。前奏曲って、恋物語のことじゃない。『六つの灯を消して回る』――六つの、灯」
「攻略対象が、五人。……わたくしを、入れて」
「六つ」
窓の外は、腹立たしいほどの快晴だった。
私は祭文の「消えし灯の闇を束ねて」の一行を、指でなぞった。外伝の、あの悪趣味な闇落ちルートの数々が、頭の中で全く別の顔をして並び直っていく。
あれは悪ノリの二次創作なんかじゃ、なかったとしたら。あれが、手順書だったとしたら。
六つの灯を消して回る、何かの。
「ソレイユ。研究テーマ、変更なさい。……いえ、深化よ。調べるのは『星降りの夜に、過去、実際に何が起きたか』。百二十年前と、二百四十年前。記録の欠落そのものが、記録よ」
「はい……はいっ!」
【幕間】
――彼女は、気づき始めた。
ページは、めくった分だけ白くなる。使った知識は、世界に呑まれて還らない。
……僕の本も、最初はそうだった。何度も読み返すうちに、覚えているページのほうが少なくなった。
それでも読むのをやめられなかったのは、結末を知りたかったからじゃない。
結末を、変えたかったからだ。
――ねえ、君もそうだろう?
だったら急いだほうがいい。星は、あと七百三十回ほど夜を数えたら、降ってくる。




