第十二話 王宮という名の、攻略対象外
婚約の再承認とともに、私の王太子妃教育が再開された。といっても、礼法や語学は三年前に修了している。
残っているのは、もっとも攻略難度の高い領域――王宮の人間関係、通称「勢力図」だ。
「よろしくて、ヴィオレッタさん。王宮とは、笑顔の数だけ派閥がある場所です」
教育係を買って出てくださったのは、意外にも王妃陛下その人だった。
噂では「氷の王妃」。銀灰の髪をひとすじの乱れなく結い上げ、青灰色の瞳は真冬の湖のよう。オーレリアンの母君でありながら、外伝にも本編にもほとんど登場しない人。
つまり私にとって、攻略情報が一行もない、完全な初見の相手である。年の頃は四十半ば、けれど背筋の伸びた立ち姿には、二十年宮廷を生き抜いた者だけが持つ、静かな強度があった。
「宰相派、武門派、教会派、外戚派。あなたはどの派閥に与しますか?」
「どこにも。……と申し上げたいところですが、正解は『帳簿方』ですわね」
「帳簿方?」
「各派閥の予算要求と実際の支出を把握する側に立ちます。人は口では嘘をつきますが、お金の使い道は正直ですもの。誰が何を本当に欲しているかは、帳簿がいちばん雄弁ですわ」
王妃陛下は扇の陰で、初めて、氷を少しだけ溶かした。
「……オーレリアンは、良い目をしていたのね。ではあなたに、帳簿では読めないものを一つ教えましょう。王家の祭事です」
差し出されたのは、古い革表紙の典礼書だった。ページをめくる。
新年の儀、豊穣祭、建国記念の観兵式――そして、最後のページに、見慣れない項目があった。
『星降りの夜 (百二十年周期・次回まで凡そ二年) 執行細目、欠落』
「星降り、の夜?」
「王家に伝わる、最も古い祭事です。百二十年に一度、星がよく流れる年があり、その夜に王家は祈りを捧げる……ということになっているのだけれど。ご覧なさい、細目が『欠落』。何を、どう祈るのか、記録が残っていないの。過去の典礼書を遡っても、そのページだけが、どの代のものも破られたように失われている」
「……記録の国の王家が、最重要の祭事の記録だけを、失っている?」
「ええ。歴代の王妃は皆、気味悪がって触れずにきました。あなたはどう? 帳簿方の目には、これはどう見えて?」
私は典礼書の綴じ目を指でなぞった。破られたのではない。綴じ直されている。つまり、誰かが意図的に抜いたのだ。それも、代替わりのたびに、几帳面に。
「――『失われた』のではなく、『失わせ続けている』ように見えますわ。二百年以上、誰かが」
王妃陛下は扇を閉じ、静かに言った。
「合格。……その誰かを、突き止めなさいとは言いません。ただ、次の星降りの夜は、あなたが王太子妃として迎える最初の大祭になる。心に留めておきなさい」
同じ頃。王立文書院の門を、桃色の髪の新入生がくぐっていた。
「特待生のソレイユ・マーチです! 研究テーマは『建国期の民間祭事と天文記録の照合』! よろしくお願いします!」
卒業後の進路を問われた彼女は、迷わず文書院を選んだ。
曰く、「真ルートの戦争イベントの黒幕、ゲームだと正体が最後までボカされてるんですよ。示唆されるのは『古い教会関係者』ってことだけ。なら一次資料を洗うのが早いです」。
彼女はまだ知らない。自分の研究テーマが、二年後の世界の運命に直結することを。そして書庫の最も深い棚で、彼女を待っている一冊の祭文集のことを。




