第十話 断罪イベントは、開催されませんでした
――そして、運命の卒業パーティーの夜が来た。
本編ならば今夜、この大広間で断罪イベントが起きる。
シャンデリアの下、悪役令嬢ヴィオレッタは攻略対象たちに取り囲まれ、罪状を読み上げられ、婚約を破棄され、国外へ追放される。
ヒロインは涙ながらにそれを見守り、物語は大団円へ――そういう筋書きだった。
現実の大広間では。
「ヴィオレッタ! バザー会計の最終報告書、確認してくれ。孤児院への寄付額、学園史上最高記録だ。理事会が来年の予算増額を約束した」
「ヴィオレッタ嬢、妹が一曲目を一緒に踊りたいと聞かなくてな。妹と踊ってやってくれないか。俺は二曲目を予約したい」
「ヴィオレッタ嬢〜、僕の卒業研究、共著に名前入れといたから。『魔力透かしによる文書真正性の保証』。透かし術式、半分君の発案だし。学会で発表するとき隣に座ってよ」
「ヴィオレッタ嬢。僕、王立医学院への入学が正式に決まった。首席合格だって。……全部、君が離宮の扉を叩いてくれた日から始まった。ありがとう」
断罪の代わりに、報告と、お誘いと、感謝が飛び交っている。
司書――もとい証人アルノー氏の証言から、背後の残党商会の摘発は隣国と合同で進行中。
ソレイユは「本編知識、もう一ミリも役に立たない! 全部書き換わった! 最っ高!」と、なぜかキレ気味に喜びながら葡萄果汁を呷っている。
あの子は本当に、いいヒロインだ。ゲームのヒロインじゃなくて、私の物語の。
ふと、ソレイユがグラスを掲げて、私の隣に来た。
「ヴィオレッタ様。……なんか、変な感じですね。私たち、会ったことないはずなのに、ずっと前から知り合いだった気がする」
「あら。同じゲームを遊んだ者同士ですもの。前世の趣味が同じ、それだけのことでしょう?」
「それだけ、かなあ。……ま、いっか! 難しい話は苦手なんで!」
彼女は屈託なく笑って、人の輪へ戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、私はなぜか、胸の奥がきゅっとするのを感じた。
前世で、同じように葡萄……いえ、あれは確か、安い酎ハイの缶を掲げて笑った、誰かの後ろ姿と、重なった気がして。
……気のせいだ。きっと。
人いきれに疲れて、バルコニーで夜風に当たっていると、背後に足音がした。振り返らなくても分かる。三年間、この足音のフラグを管理してきたのだから。
「ヴィオレッタ。三年前から、ずっと聞きたかったことがある」
「……何でしょう、殿下」
「君は、あの剣術大会の日から変わった。まるで私たち全員の、壊れる場所を最初から知っていて、先回りして支えて回るみたいに。ジークハルトの妹のことも、ノエルの孤独も、リュカの離宮も、今回の司書の急所さえも。……君は、何者なんだ?」
夜風が、庭園の薔薇の匂いを運んでくる。答えられない。転生も、ゲームも、三百時間の外伝も。でも、嘘のない答えなら、ひとつだけ持っている。
「わたくしは――皆さまの壊れ方を、知っていた者ですわ。理由は、墓まで持っていく秘密。ただ、知ってしまったからには、壊させないと決めたのです。方法は少々、性格が悪かったかもしれませんけれど」
「そうか」
彼は笑った。それから、ふっと真顔になって、真っ直ぐに私を見た。ゲームのスチルの何倍も、生きた目で。
「なら私は、君の壊れ方を知らないまま、君を守ると決めよう。秘密ごと、まとめて引き受ける。――ヴィオレッタ・アシュフォード。婚約者としてではなく、一人の男として、君に求婚する。家同士の政略の続きじゃない。私の意思で、私の言葉で、だ」
……ちょっと、待ってほしい。
外伝にも、本編にも、こんなイベントはなかった。攻略サイトにも載っていない。選択肢も表示されない。心の準備という名のセーブデータが、どこにもない。
初見のルート。頬が熱い。手札が、ない。
「へ、返事は……書面で、後日……!」
「ふ。君でも慌てることがあるんだな。……いいよ、待つ。三年待たされた身だ、今さら何年でも」
シナリオは、もうどこにもない。
ここから先のページは全部、白紙で――全部、私たちの書き下ろしだ。
……そのはずだった。その夜の私は、まだ知らない。
この世界に「シナリオ」が存在した、その本当の理由を。誰かが白紙に、最初の一文字を書いた者がいるということを。




