EP 8
血と硝煙の夜。悪徳商人と絶望の死王蟻機
『ビーッ! ビーッ! ビーッ! 【緊急警報】ポポロ村境界・西の森より、高魔力反応接近中!』
雪の降る夜の静寂を、交番の無機質な警報音が無残に切り裂いた。
クリスマスケーキの甘い余韻は一瞬にして消え去り、隼斗、キャルル、マンミアの三人は弾かれたように立ち上がった。
「西の森……日中に俺が偵察した方角だ。やはり何か起きていたか!」
マンミアが顔を険しくし、自警団リーダーとしての鋭い眼光を放つ。
「規模は!? 魔獣の群れか!?」
「いや……」
隼斗は【犬のお巡りさん】の嗅覚を極限まで研ぎ澄ませた。
冷たい風に乗って鼻腔を突くのは、生命の熱を感じさせない『死』の臭い。そして、歯車が軋み、排気ガスを撒き散らすような機械油の悪臭だ。
「一つだ。だけど、とてつもなくデカくて……純粋な生物じゃない。機械と魔物が混ざったような、不気味な匂いだ」
「機械の魔物……まさか、天魔窟の『死蟲機』!?」
キャルルが息を呑んだ。
「死蟲機ってなんだ!?」
「かつての神蟲魔大戦で生み出された、魂を喰らう機械の虫だよ! 普段はダンジョンの奥底に封印されているはずなのに、どうしてこんな地上に……!」
「理由はともかく、村に入れさせるわけにはいかない! マンミアさん、キャルルちゃん、先に行って住民の避難誘導と状況確認を頼む!」
「隼斗殿はどうするのだ! 私の背中に乗って――」
「だめ! お兄さんは私が抱っこして走るの!」
「バカ言ってないで早く行け! 俺は俺の足で向かう! 警察官が後れを取るわけにはいかないからな!」
隼斗の強い言葉に、二人のヒロインはハッと我に返った。
「承知した! 死守線は我らが構築する!」
「お兄さん、絶対に無茶しないでね!」
マンミアが凄まじい馬力で地を蹴り、キャルルもまた月兎族の跳躍力で夜の闇へと消えていく。
隼斗は交番の前に停めていた白いママチャリに飛び乗り、ペダルを力一杯に踏み込んだ。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ!」
ギアすらないママチャリで、凍てつく雪道を全力疾走する。
肺に吸い込む空気が刃のように冷たく、太ももの筋肉が悲鳴を上げている。手取り14万の社畜警官にとって、前世の営業回りで鍛えた足腰だけが頼りだった。
西の森の入り口、緩衝地帯に続く広場に到着した時、隼斗の目に飛び込んできたのは、凄惨な光景だった。
ドンガン地下帝国へ続くはずの深い森の木々が、まるでマッチ棒のようにへし折られ、なぎ倒されている。
そこから、一台の荷馬車が猛スピードで飛び出してきた。
「ヒィィィィッ! 助けてくれぇぇぇっ!」
御者台に乗っていたのは、豪奢な毛皮のコートを着た人間の商人だった。
馬車にはドンガン地下帝国から密輸しようとしていた違法な魔導具や、ポポロ村の特産品が山のように積まれている。
だが、馬車を引いていた馬は極度の恐怖から口から泡を吹いて倒れ、馬車は広場の中央で派手に横転してしまった。
「ああっ! 俺の荷が! 金がぁぁぁっ!」
商人が雪の積もる地面に投げ出され、散乱した積荷をかき集めようと這いつくばる。
その背後の森から――『それ』は姿を現した。
ギギギギギッ……! シュゴォォォォォ……ッ!
地響きとともに現れたのは、巨大なトラックほどのサイズを持つ、機械仕掛けの怪物だった。
黒光りする強固な鋼鉄の装甲。無数に蠢く多関節の機械脚。頭部には鋭い刃のような大顎が備わり、腹部からは不気味な紫色の光が漏れ出している。
巨大な蟻。それも、無数の死蟲機を体内で製造し、統率する最悪の女王蜂ならぬ女王蟻。
『死王蟻機』。
「ギシィィィィィィッ!!」
死王蟻機が耳障りな電子音の咆哮を上げた瞬間、その大顎から緑色に濁った液体が吐き出された。
ジュゥゥゥゥッ!
液体が雪に触れた瞬間、猛烈な白煙が上がり、地面の石畳ごとドロドロに溶かしていく。凄まじい威力の強酸だ。
「ヒィッ!? く、来るな! 俺はただ、地下の遺跡で拾ったこいつの『卵』を、高値で売り捌こうとしただけで……っ!」
商人の言葉に、隼斗はすべてを理解した。
(このクソ野郎……! 自分の金儲けのために、ダンジョンの奥底にあったこんな危険物のコアを密輸しようとしたのか!)
その時だった。
「わぁぁぁんっ!」
泣き叫ぶ声が聞こえた。
横転した馬車の陰に、小さな影がうずくまっていた。
見覚えがある。今日の昼間、魔法使いの冒険者から隼斗が助けた、あの犬耳の子供だ。親の目を盗んで、落としたおもちゃでも探しにきていたのだろう。
暴走する死王蟻機と、横転した馬車の間に挟まれ、完全に逃げ場を失っていた。
「おい、お前! その子を抱えてこっちへ逃げろ!」
隼斗がママチャリを降りて叫んだ。
しかし、商人は足元で怯える子供をチラリと見下ろすと、醜く顔を歪ませた。
「ふ、ふざけるな! 他人のガキなんか知るか! それより俺の積荷だ、この『陽薬草の濃縮液』だけでも持って逃げれば、まだ損失は取り返せる……どけぇっ、邪魔だクソガキ!」
商人は、自分にすがりつこうとした犬耳の子供を、乱暴に蹴り飛ばした。
「あうっ!」
子供は無防備に雪の上を転がり、死王蟻機の正面へと放り出されてしまう。
ギガガガガガッ!
死王蟻機の巨大なセンサー(複眼)が、足元で震える子供を新たな『魂の贄』としてロックオンした。大顎がカチャリと開き、致命的な強酸のブレスをチャージし始める。
「――――」
隼斗の頭の中で、何かが『プツン』と音を立てて切れた。
『いいか高杉。会社のためなら、下請けの犠牲なんて気にするな。弱い奴は、俺たち強者に搾取されるために生きてるんだよ』
前世で、自分を過労死に追いやった上司の顔が、目の前の商人のゲスな顔と完全に重なった。
自分の利益のためなら、他人の命がどうなっても構わない。
弱者を平気で見捨て、踏みにじる、絶対的な『理不尽』。
「……ふざけんなよ」
怖い。足は震えている。
あんなバケモノの強酸を食らえば、防刃服など一瞬で溶かされて骨も残らないだろう。魔法使いの時とは次元が違う、純粋な『死』の恐怖が隼斗の理性を警報で埋め尽くしている。
だが。
『――俺はもう、絶対に理不尽には屈しない』
ブラック企業の底辺で泥水をすすってきた、社畜の意地がある。
こんな理不尽な奴らの思い通りにさせられてたまるか。ましてや、自分の管轄で、罪のない子供の命が金儲けの犠牲になるなど、絶対に許してなるものか。
隼斗は、雪を蹴立てて走り出した。
子供を見捨てて逃げようとする商人の胸ぐらを掴み上げると、一切の容赦なく、思い切り顔面を殴り飛ばした。
「ゴバァッ!?」
鼻血を噴き出して倒れ込む商人の腹に、ダメ押しの蹴り(警察官の逮捕術仕込み)を叩き込む。
「テメェのくだらない利益のために、誰かが犠牲になる経済なんて……俺が許さねえ!」
商人が「ヒィィッ!」と悲鳴を上げて気絶するのを尻目に、隼斗は再びママチャリを掴んだ。
ギシィィィィィィッ!!
死王蟻機の大顎から、子供に向けて緑色の強酸が射出される。
間に合わない。走って駆け寄るだけの時間はない。
だが、覚悟を決めた隼斗の頭脳は、極限の冷静さで状況を処理していた。
「――っ、行けぇぇぇぇっ!!」
隼斗はママチャリのペダルを数回全力で漕ぐと、自転車から飛び降りた。
慣性の法則に従い、無人のママチャリが雪の上を滑るように直進し、死王蟻機と子供の間に強引に割り込む。
ジュワァァァァァァァァァッ!!
射出された強酸が、白いママチャリの車体を直撃した。
金属のフレームが凄まじい音を立てて溶け落ち、強酸の軌道が僅かに逸れる。
そのコンマ数秒の『盾』が生み出した隙に、隼斗は雪に飛び込み、犬耳の子供の体をしっかりと抱きかかえていた。
「おにいちゃん……っ!」
「大丈夫だ。もう離さない」
しかし、ママチャリの盾は一瞬で溶け去り、死王蟻機の無慈悲な大顎が、今度こそ隼斗と子供をミンチにすべく振り下ろされようとしていた。
巨大な鋼鉄の顎が、隼斗の頭上に迫る。
逃げ場はない。
(クソッ……ここまでか……!)
隼斗が子供を庇うように背中を向け、ぎゅっと目を閉じた――その時だった。
「私の村人に……何をしてるの!!」
「我が背に隠れよ、隼斗殿ぉぉぉっ!!」
マッハの速度で放たれた『流星』と、三百五十馬力の『質量』が、同時に夜の闇を引き裂いた。
読んでいただきありがとうございます。
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