EP 7
12月25日の売れ残りケーキ。手取り14万が贈る最高のご褒美
ポンッ、と軽い電子音が鳴ったかと思うと、交番のデスクの上に真っ白な箱が唐突に出現した。
【PX(交番売店)機能】の魔導転送システムは、手取り14万の底辺警官にはもったいないくらい優秀だった。
箱には『50%OFF』という赤いシールが、これ見よがしに貼られている。
「本当に届いた……地球のクリスマスケーキだ」
箱を開けると、中には真っ白な生クリームに真っ赤な苺が乗った、小ぶりだが美しいホールケーキが鎮座していた。甘い香りが漂い、社畜時代に一人きりでコンビニのショートケーキを食べていたクリスマスを思い出して、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
窓の外を見ると、ポポロ村の夜空からはチラチラと白い雪が舞い始めていた。
十二月二十五日、午後十時。
アナステシア世界にクリスマスという概念があるかは分からないが、地球の暦で言えば、まさに聖夜の終わり際である。
カラカラカラッ。
交番の引き戸が開く音がして、冷たい風と共に二人の影が入ってきた。
「こんばんは、隼斗お兄さん。……雪、降ってきたね」
「夜分にすまない、隼斗殿。本日の自警団の巡回を終えた報告にきた」
キャルルとマンミアだった。
村長としての激務と治癒魔法の反動で、キャルルの顔色は少し青白く、足取りも重い。
一方のマンミアは、体力の消耗というより、精神的な疲労が顔に滲み出ていた。大きな馬体の尻尾は力なく垂れ下がり、その美貌には色濃い影が落ちている。
「二人とも、お疲れ様。外、寒かっただろ」
隼斗は立ち上がり、備え付けのストーブ(魔法石で動くヒーター)の火力を上げた。
「ええ。ですが、村の平和を守るのが私の……いや、我らの使命ですから……はぁ」
マンミアが深いため息をつく。
「どうかしたの? 元気ないね」
「……いや。ただ、今日という日が終わってしまうことが、少し恐ろしいだけだ」
マンミアはストーブの火を見つめながら、自虐的な笑みを浮かべた。
「十二月二十五日が終われば、私も完全に『二十六歳』へのカウントダウンが始まる。世間から見れば、私はもう賞味期限の切れた廃棄物だ。高潔に生きようとも、一人で死んでいく運命は変わらないのだと……雪の冷たさが、骨身に染みてな」
やはり、日中に言っていた『二十五歳独身の呪い』を引きずっているらしい。屈強なケンタウロスの騎士が、体育座りのような姿勢(前足を畳んで)で縮こまっている姿は、なんとも言えない哀愁を漂わせていた。
「マンミアちゃん、そんなこと言わないで。マンミアちゃんはすっごく綺麗だし、私の自慢の自警団リーダーなんだから」
キャルルが優しく励ますが、マンミアは首を横に振る。
「ありがとう、村長。だが、現実は厳しい。誰にも選ばれず、売れ残ったケーキの末路は、半額シールを貼られて見切り品として扱われることなのだ……」
「――見切り品なんかじゃないよ」
隼斗の静かな声が、交番内に響いた。
二人が振り返ると、隼斗はデスクの上にあった白い箱を、ストーブの前の小さなテーブルへと運んできた。
「これ、さっき届いたんだ。俺からの、二人への差し入れ」
隼斗が箱を開けると、真っ白な生クリームと苺のコントラストが目に飛び込んできた。
「こ、これは……地球の洋菓子……ケーキ!?」
「わぁ……すっごく甘くていい匂い……!」
驚く二人の前で、隼斗は箱の端に貼られていた『50%OFF』の赤いシールを指差した。
「マンミアさん。このケーキは、十二月二十五日の夜だから半額で売られていた、いわゆる『売れ残り』だ」
「っ……! や、やはり私への当てつけか!? 隼斗殿まで、私を見切り品だと……!」
マンミアの瞳に涙が浮かび、声が震える。
だが、隼斗は営業スマイルではなく、どこまでも真剣な、真っ直ぐな目をしてマンミアを見つめ返した。
「違う。俺は、半額だったからこれを買ったんじゃない。俺の手取り14万の財布には厳しかったけど、それでも……今日、体を張って村を守ってくれた『最高の仲間』に、一番美味しいものを食べてほしかったから買ったんだ」
隼斗は、PXの画面を見た時の素直な気持ちを口にした。
「世間がどう評価しようと、値段が下がろうと、俺にとってはこのケーキが一番価値がある。君の価値も同じだ、マンミアさん。世間の常識が君を『売れ残り』と呼ぼうが関係ない。俺にとって、君はかけがえのない、最高に誇り高い相棒だ。……俺は、君が二十五歳でも、三十歳でも、君の価値は絶対に下がらないって知ってるよ」
アダム・スミスの『道徳感情論』に曰く、真の共感は打算からは生まれない。
前世で誰からも労われず、見切り品のように使い捨てられて死んだ隼斗だからこそ、彼女の痛みに心から寄り添うことができた。
「隼斗、殿……」
マンミアの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、二十五年間、誰にも分かってもらえなかった孤独を、温かい言葉で溶かされた安堵の涙だった。
「うぅっ……ずびっ……ああ、アリストテレスよ……私は、私は間違っていなかったのだな……っ! 私の高潔さを、見抜いてくれる男が、ここにいたのだ……っ!」
「だから婿じゃないってば」
馬車馬のように泣きじゃくるマンミアに、隼斗は苦笑しながらハンカチ(支給品)を渡した。
「それから、キャルルちゃん」
「あ……はい」
隼斗は、紙皿に取り分けたケーキをキャルルの前に置いた。
「村長の仕事に、回復魔法での治療……今日も一日、本当に頑張ったな。でも、自分の命を削ってまで無理をするのは、もうやめてほしい」
「でも、私がやらないと、村のみんなが……」
「村を守るのは、俺たち警察と自警団の仕事だ。キャルルちゃんは、もっと自分を大切にしていいんだよ。俺は、君が笑って生きていけるように、この村の理不尽を全部しょっ引いてやるからさ。……だから、今日はこの甘いケーキを食べて、ゆっくり休んでくれ」
隼斗が優しくキャルルの頭を撫でると、彼女の純白の兎耳が、ピクッと大きく跳ねた。
月兎族の特性である『心音の看破』。
キャルルの耳には、隼斗の心臓の鼓動がはっきりと聞こえている。
(……トクン、トクン、トクン。嘘がない。打算もない。私の暴力じゃなくて、私自身を心配して、守るって言ってくれてる……!)
キャルルの心臓が、早鐘を打つように激しく高鳴り始めた。
ドクン、ドクン、ドクンッ!
星の王子さまのような純真な笑顔の裏側で、暗く、熱く、ねっとりとした『ヤンデレの情念』が、限界を突破して爆発した。
(あぁ……どうしよう。好き。だめだ、もう私、この人なしじゃ息もできない。隼斗お兄さんの全部が欲しい。心も、体も、その真っ直ぐな心音も、全部、全部、ぜぇんぶ……っ♡)
「キャルルちゃん? 顔が赤いけど、まだ熱があるのか?」
「ううん……なんでもないよ♡ ケーキ、すっごく美味しいね、隼斗お兄さん♡」
キャルルは、頬を真っ赤に染めながら、苺をパクリと口に入れた。
その瞳の奥には、獲物を絶対に逃さない捕食者のような、恐ろしくも甘い執着の光が宿っていた。
「うむ! 生クリームというのか、この甘さ、脳が蕩けそうだ! それにスポンジも柔らかい! 隼斗殿、これは至高の食べ物だな!」
マンミアも涙を拭い、嬉しそうに馬の尻尾をバッサバッサと揺らしながらケーキを頬張っている。
ストーブの火が赤々と燃える小さな交番。
窓の外の雪を眺めながら、三人は笑い合い、ケーキを食べた。
(……手取り14万はキツいけど、こういうのも悪くないな)
隼斗は温かいお茶を啜りながら、ささやかな幸せを噛み締めていた。
自分が買った半額のケーキで、こんなにも嬉しそうに笑ってくれる仲間がいる。ブラック企業では決して得られなかった、確かな『居場所』がここにはあった。
しかし。
その温かい平穏を切り裂くように、交番のデスクに置かれたパソコンから、けたたましい電子音が鳴り響いた。
『ビーッ! ビーッ! ビーッ! 【緊急警報】ポポロ村境界・西の森より、高魔力反応接近中!』
「なっ……警報!?」
隼斗が立ち上がった瞬間、【犬のお巡りさん】の嗅覚が、強烈な臭気を捉えた。
日中に嗅ぎ取った『血と硝煙の匂い』。それが、何十倍にも膨れ上がり、猛烈な速度でこのポポロ村へと向かってきている。
さらに、機械の油の匂いと、生物の死臭が入り混じった、吐き気を催すような異臭。
「来る……! マンミアさんが言っていた、ヤバい奴だ!」
隼斗の顔から血の気が引く。
「隼斗殿、自警団を動かす! 指示を!」
「私も行く! 私の村を壊す奴は、絶対に許さない!」
ケーキの皿を置き、一瞬にして『戦士』の顔になった二人のヒロイン。
「よし……二人とも、行くぞ! ポポロ村で暴れる奴は、誰であろうと現行犯逮捕だ!」
手取り14万の社畜警官と、規格外の相棒たち。
彼らの真のチームワークが試される『章ボス』との死闘が、静かな雪降る夜に幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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