EP 5
狂気の農村とヤンデレ兎の優しい嘘。手取り14万、自己犠牲を抱きとめる
「血と硝煙の匂い……?」
西の森を睨みつける隼斗の言葉に、マンミアの顔つきが『恋する乙女』から『元騎士団長』のそれへと一瞬で切り替わった。
「確かなのか、隼斗殿。あの方角は、ドンガン地下帝国へ続く緩衝地帯だが……」
「わからない。でも、俺の鼻が全力で『ヤバい』って警鐘を鳴らしてる。争ったような匂いだった」
ユニークスキル【犬のお巡りさん】の嗅覚は、すでに日本の優秀な警察犬と同等かそれ以上の精度を誇っていた。
「……承知した。自警団リーダーとして、私が森の偵察に向かおう。隼斗殿は村内の警戒と、日常のパトロールを頼む」
「了解。無理はしないでくれよ、マンミアさん」
「フッ、心配してくれるのだな。我が背中を預けるに足る男よ……行ってくる!」
マンミアはドゴォン! と凄まじい蹄の音を響かせ、猛スピードで森へと駆けていった。
残された隼斗は、交番から乗ってきた真っ白なママチャリに跨り、ポポロ村の巡回パトロールを開始した。
血と硝煙の匂いは気がかりだが、今のところ村に直接的な脅威が迫っている様子はない。
それよりも、隼斗には『異世界の手取り14万駐在さん』として、やらねばならない日常業務があった。
三大国家の緩衝地帯であるこのポポロ村は、のどかな農村に見えて、実態は『狂気』に満ち溢れているのだ。
「ギャアアアアアアッ!!」
「待てコラー! 逃がすか、俺の生活費ィィッ!」
畑のあぜ道をママチャリで走っていると、ものすごい砂煙を上げて、奇妙な生物がこちらへ向かって爆走してきた。
根の形が人間の手足のようになっている、巨大な人参だ。
それが、時速五十キロほどの猛スピードで地面を走り、後ろから農家のおじさんが虫取り網を持って必死に追いかけている。
(出たな、『人参マンドラ』……!)
引っこ抜くと鼓膜を引き裂く悲鳴を上げ、そのまま脱走するというポポロ村のイカれた特産品である。
「お巡りさぁん! 捕まえてくれぇ!」
「任せてください!」
隼斗はママチャリを急ブレーキで止めると、腰から特殊警棒をシャキッと振り出した。
向かってくる人参マンドラの軌道を冷静に読み切り、すれ違いざまに警棒で足を(根を?)的確に払い倒す。
「ギャンッ!?」
すっ転んだ人参マンドラに覆いかぶさり、すかさず警察用の頑丈な捕縄でグルグル巻きにして『現行犯逮捕』した。
「ふぅ、これで一件落着……って、休む暇もないな」
人参マンドラをおじさんに引き渡した直後、今度は隣のビニールハウスから、農家の奥さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「あんた! またそのメロンに騙されてるのね! 女房とどっちが大事なのよ!」
「うるせぇ! メロロンは俺の話を真剣に聞いてくれるんだ! お前みたいにガミガミ言わねぇんだよ!」
隼斗が慌ててビニールハウスに突入すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
農家のおじさんが、台座に鎮座する『豊満な形をしたメロン』をうっとりと撫でているのだ。
『今日も来てくれたのね、他の人には内緒よ? ……あなたのお水が一番美味しいわ♡』
「うおおおっ! メロロン! 愛してるぞぉぉっ!」
(キャバクラかよ!!)
隼斗は心の中で激しくツッコミを入れた。
これもポポロ村の国家崩壊級の危険作物、『完熟メロロン』である。甘い香りと極上の接客ボイスで、農家の男たちを次々と狂わせ、家庭を崩壊させる魔性の果実だ。
『あら……そこの青いお洋服のお兄さん。とっても疲れ切った目をしているわ。今日は全部忘れて、私に甘えていいのよ?』
メロロンが、今度は隼斗に向かって、脳を直接とろけるような甘い声で囁きかけてきた。
その声を聞いた瞬間、普通の男なら庇護欲と性欲を刺激され、メロロンの虜になって全財産を貢いでしまうだろう。
――しかし。
「申し訳ありませんが、当方、勤務中につきそういった接待はお断りしております」
隼斗の瞳は、一切の光を持たない『死んだ魚の目』になっていた。
ブラック企業の社畜として、連日理不尽なクレーマーから罵声を浴び、ノルマに追われ、自尊心を粉々に砕かれてきた彼にとって、こんな中途半端な誘惑など無風に等しい。手取り14万の現実は、魔性のメロンより重いのだ。
「ポポロ村条例違反、および結婚詐欺、公職選挙法違反(甘い声での買収)の容疑で、証拠品として押収します」
『えっ……ちょ、ちょっとお兄さん! 待って、私まだ話が……キャアアッ!』
隼斗は真顔のまま、証拠品保管用の黒いビニール袋に完熟メロロンを容赦なく放り込み、口を固く縛った。
「ああっ! 俺のメロロンがぁぁぁっ!」
「旦那さん。目を覚ましてください。相手はメロンですよ。それに奥さん、今夜は旦那さんの好きなカツ丼でも作ってあげてください」
泣き叫ぶおじさんを宥め、奥さんにアフターフォローを入れる。営業マン仕込みの人心掌握術は、農村の夫婦喧嘩の調停にも大いに役立っていた。
「はぁ……異世界に来てまで、俺は何をやってるんだか」
押収したメロロンをママチャリの前カゴに突っ込み、隼斗はため息をついた。
だが、こんなドタバタした狂気の日常も、嫌いではなかった。少なくとも、誰も過労死しないし、理不尽に命を奪われることはない。
そのまま村の中心部にある広場へ向かうと、人だかりができているのを見つけた。
中心にいたのは、村長のキャルルだった。
「痛っ……うぅ……」
「大丈夫だよ。もう痛くないからね」
地面には、先ほどの人参マンドラ捕獲の際に転んで、腕をざっくりと切ってしまった若い村人が座り込んでいた。
キャルルは彼の前にしゃがみ込み、自らの掌に青々とした『陽薬草』を乗せている。
「月の光よ、この者の痛みを癒やして……」
キャルルが祈るように目を閉じると、彼女の純白の兎耳が淡い銀色に発光し始めた。
その光が陽薬草に吸い込まれ、薬草は瞬く間にドロリとした銀色の液体――『月光薬』へと変化する。キャルルがそれを村人の傷口に塗ると、深い切り傷が、まるでビデオの巻き戻しのように一瞬で塞がってしまった。
「す、すげぇ……傷が完全に治った!」
「ありがとうございます、村長!」
「ふふっ、大切な村の皆が元気なのが、私の一番の幸せだからね♡」
キャルルは、あの『星の王子さま』のような純真無垢な笑顔で、周囲の村人たちに手を振った。
村人たちは口々に感謝を述べ、広場は温かい空気に包まれる。
その様子を少し離れた場所から見ていた隼斗は、感心して息を漏らした。
(すごいな。あの子の回復能力は本物だ。それに、あの笑顔……本当にこの村の人たちのことが好きなんだな)
出会った時の、あの背筋が凍るようなヤンデレ発言が嘘のようだ。
だが、村人たちが安心しきって散っていった後。
誰もいなくなった広場の片隅で、キャルルがふらりとよろけ、近くの木陰に身を隠すようにしゃがみ込むのを、隼斗の目は見逃さなかった。
「……キャルルちゃん?」
不審に思い、ママチャリを降りてそっと近づく。
木陰から聞こえてきたのは、苦しそうな咳き込みの音だった。
「ゲホッ……コホッ、はぁっ……」
キャルルが口元を押さえていた手を離すと、その白い掌には、べったりと赤黒い『血』が付着していた。
「なっ……!?」
隼斗は思わず駆け寄った。
「キャルルちゃん! どうしたんだその血、怪我でもしたのか!?」
「あ……隼斗、お兄さん……」
驚いたように顔を上げたキャルルの顔色は、抜けるように蒼白だった。彼女は慌てて血のついた手をパーカーの袖で隠し、いつもの笑顔を取り繕おうとする。
「な、なんでもないよ? ちょっと、口の中噛んじゃって……」
「嘘だ。そんな量の血じゃないだろ。……もしかして、さっきの回復魔法のせいか?」
ユニークスキル【犬のお巡りさん】の嗅覚が、彼女から放たれる激しい疲労と、生命力が削り取られたような血の匂いを正確に捉えていた。
隼斗の真剣な眼差しから逃れられないと悟ったのか、キャルルは伏し目がちに小さく頷いた。
「……私の、月兎族の力はね。自分の生命力(魔力)を極限まで絞り出して、陽薬草に注入することで『月光薬』を作るの。だから、使えば使うほど、私の体は内側から傷ついていくんだ」
「そんな……自分の命を削ってまで、どうしてあんなことを!」
隼斗の悲痛な叫びに、キャルルはゆっくりと首を横に振った。
「だって、ここは私の……私たちが自由に生きられる、大切な場所だもの。レオンハート王国みたいに、私を『便利な道具』として檻に閉じ込める人たちは、ここにはいない。みんな、私をただの『キャルル』として愛してくれる」
彼女の瞳の奥にあるのは、純度百パーセントの『自己犠牲』だった。
自分の血を吐いてでも、理不尽から逃れて辿り着いたこの居場所と、優しくしてくれた村人たちを守りたい。その切実な願いが、痛いほどに伝わってくる。
(こいつ……ヤンデレで怖い奴かと思ってたけど、根っこは、誰よりも不器用で優しい女の子じゃないか……)
前世で、会社の利益のために他人を蹴落とす大人ばかりを見てきた隼斗にとって、キャルルのその無謀なまでの優しさは、あまりにも眩しく、そして見ていて酷く胸が締め付けられるものだった。
「ダメだよ、隼斗お兄さん……そんな、悲しそうな顔、しないで……」
キャルルが弱々しく笑いながら、隼斗の頬に触れようと手を伸ばす。
しかし、極度の貧血と魔力枯渇により、彼女の体はついに限界を迎えた。
「あっ……」
糸が切れたように、キャルルの小さな体が前へと崩れ落ちる。
「キャルル!」
隼斗は咄嗟に腕を伸ばし、倒れ込んでくる彼女の体をしっかりと抱きとめた。
腕の中に収まるその体は、マッハで暴れ回るバケモノだとは到底思えないほど、軽くて、華奢で、儚かった。
「……ごめん、ね。ちょっとだけ……休ませて……」
隼斗の胸に顔をうずめたキャルルは、安心したように目を閉じた。
密着した胸の奥底で、キャルルには隼斗の心音が聞こえていた。
トクン、トクン、と。
自分の身を案じ、痛みを分かち合おうとしてくれる、嘘偽りのない優しく温かい心音。
気を失いかけているキャルルの胸の奥で、暗く熱い情念の火が、これまで以上に激しく燃え上がっていく。
(ああ……やっぱり、この人は特別だ。私の傷を、痛みを、こんなに本気で心配してくれる。……もっと、もっと聞かせて。お兄さんの、その心音を……)
手取り14万の社畜警官の腕の中で、ヤンデレ兎の『好感度』は、すでに限界を突破し、取り返しのつかない領域(ストップ高)へと突入しようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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