EP 4
第4話 手取り14万の馬車馬トレーニング。婚活ケンタウロスの涙と硝煙の匂い
「待って、死ぬ! マジで足もげるぅぅぅっ!」
ポポロ村のど真ん中を貫く土の街道に、高杉隼斗の情けない絶叫が響き渡った。
彼の腰には太い麻縄がぐるぐると巻き付けられ、そのロープの先は、前方を猛スピードで疾走する巨大な馬体――ケンタウロスのマンミアの腰へと繋がっていた。
「甘いぞ隼斗殿! 魔法使いを相手に立ち回ったあの機転は見事であったが、基礎体力が決定的に不足している! いざという時、その細腕で私の背中を……ごほんっ! 村の平和を守れると思っているのか!」
「思ってない! 手取り14万で村の平和を背負わされてたまるか! ていうか今、背中って言ったよね!?」
「言っていない! さあ、ペースを上げるぞ! 『剣の刃』のごとく、真っ直ぐに突き進め!」
パカッ! パカッ! パカッ!
マンミアの下半身、美しい栗毛の馬体が躍動し、彼女が履いているタローマン特注の蹄鉄が土を蹴り上げる。アナステシア人の標準である「二十馬力」の肉体を以てしても、ケンタウロス種の「三百五十馬力」に敵うはずがない。
少しでも足がもつれれば、そのまま大根おろしのように地面を引きずり回されるという、文字通りの『馬車馬トレーニング』だった。
「ひぃぃぃ……! 労基! 異世界に労働基準監督署はないのか!」
ブラック企業の社畜時代も過酷だったが、物理的に引きずり回されることはなかった。肺が焼け切れるように痛い。
「よし、そこまで! 小休止とする!」
三十分後。ようやくマンミアが立ち止まり、隼斗は地面に倒れ込んで大の字になった。
「ぜぇっ……はぁっ……殺す気か……」
「す、すまない。少し熱が入りすぎたか……? だが、君のその高潔な精神を、脆弱な肉体のせいで失わせたくはなかったのだ」
マンミアは申し訳なさそうに馬体の前足を折り曲げ、隼斗の隣にしゃがみ込んだ。
汗ばんだ彼女の横顔は、彫刻のように美しく、そしてどこか儚げだった。洗練された上半身のプロポーションと、力強い馬体のアンバランスさが、不思議な色気を放っている。
「……ほら、これ。お疲れ様」
息を整えた隼斗は、起き上がると交番の【PX機能(売店)】で買っておいた二つの赤い缶を差し出した。
「なんだこれは? 冷たい……鉄の筒?」
「缶コーヒーの微糖だよ。疲れた時は甘いものが一番だろ。……手取り14万の財布には、ちょっと痛い出費だけどな」
プルタブを開けてやると、マンミアは恐る恐る口をつけ、その瞳を丸くした。
「……美味しい。ひんやりとしていて、程よい苦味と甘味が、疲れた体に染み渡るようだ」
二人は土手に並んで座り(マンミアは足を畳んで)、乾いた風を浴びた。
ふと、マンミアが缶コーヒーを両手で包み込むように持ちながら、ぽつりとこぼした。
「……隼斗殿。君は、私のような女をどう思う?」
「どうって、美人で、強くて、真面目で、最高に頼りになる相棒(自警団リーダー)だと思ってるけど」
営業スマイルではなく、本心からそう答えると、マンミアは「相棒……」と小さく呟き、自嘲するように笑った。
「アナステシア世界では、十六歳で成人し、結婚するのが常識だ。……私は、今年で二十五歳になる」
「あー。俺と同い年だね」
「同い年だからこそ、君ならこの絶望がわかるはずだ! 二十五歳だぞ!? 騎士団長として国に尽くし、気づけば周りの友人は皆、子供を産んで幸せな家庭を築いていた。私だけが、剣と盾を振り回すだけの『行き遅れ』になったのだ!」
マンミアの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「知っているか隼斗殿……。十二月二十五日を過ぎたクリスマスケーキがどうなるかを。どんなに美しくデコレーションされていても、半額のシールを貼られ、誰にも見向きもされずに廃棄されるのだ! あれは私だ……私と同じなのだっ!」
「ちょ、待って待って、落ち着いて!」
まさかの『二十五歳独身コンプレックス』による号泣。高潔な元騎士団長が、まさかクリスマスケーキに自己投影して泣き崩れるとは。
隼斗は慌ててポケットからティッシュを出し、彼女に差し出した。
(そうか、この世界じゃ二十五歳は完全に『売れ残り』扱いなのか。俺の世界じゃまだまだこれからなのに……)
デール・カーネギーの『人を動かす』において、最も重要なのは「相手の自己重要感を満たすこと」だ。そして、アダム・スミスの言う通り、共感のない言葉は相手に届かない。
隼斗は、泣きじゃくる巨体の相棒の肩に、ポンと優しく手を置いた。
「マンミアさん。価値っていうのは、世間の常識が決めるものじゃない。その人自身が積み上げてきた生き様が決めるんだ。君が騎士として、誰かのために剣を振るってきた時間は、絶対に『廃棄』なんかされない」
「隼斗、殿……」
「それに、俺だって二十五歳の独身だ。もし君が半額のケーキなら、俺なんて売れ残りのおにぎり以下だよ。……君は綺麗だし、優しくて、本当に素敵だ。年齢なんて関係ない。俺は、君と出会えてよかったと思ってる」
過労死するまで自分を殺して働いてきた隼斗だからこそ、真面目に生きすぎて不器用になってしまった彼女の痛みが痛いほどよくわかった。
その言葉は、営業マンとしての建前ではない、同じ泥水をすすってきた者としての真実の共感だった。
「あ……」
マンミアの顔が、ボンッ! と音を立てるように真っ赤に染まった。
心拍数が急上昇し、馬体の尻尾がちぎれんばかりにバッサバッサと左右に揺れる。
(きっ、綺麗!? 素敵!? 私と出会えてよかった!? これは、つまり、そういうことか!? やはり彼こそが、私の背中に乗るただ一人の……!)
「は、隼斗殿! 私、私は……もし君が望むなら、その、い、いつでも背中を……っ!」
マンミアが涙を拭い、潤んだ瞳で隼斗に顔を近づけた、その瞬間。
――ピクッ。
隼斗の表情から、温かな笑みが消え失せた。
ユニークスキル【犬のお巡りさん】による嗅覚が、唐突に警告音を鳴らしたのだ。
「隼斗殿……?」
「マンミアさん、静かに」
隼斗はスッと立ち上がり、風上である西の森――ドンガン地下帝国との緩衝地帯がある方向をキツく睨みつけた。
鼻腔を突く、強烈な異臭。
ポポロ村の特産品である甘いメロロンや、土臭い人参マンドラの匂いではない。
それは、濃密な『血』の匂い。
そして、日本の警察官なら絶対に忘れることのない、火薬と硝煙の匂いだった。
「……何か、ヤバいのが村に近づいてきてる」
手取り14万の交番に、初めての『本格的な事件』の足音が迫っていた。
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