EP 2
魔法相手に営業スマイル。泥臭き社畜警官、催涙スプレーで大物喰い
「あのー。そこのお兄さん。ポポロ村駐在所の者ですが。ちょっと、お話いいですかね?」
隼斗の間の抜けた声が路地に響き渡ると、大柄な冒険者の男は、苛立たしげに振り返った。
男の右の手のひらには、野球ボールほどの大きさの『炎』が浮かんでいる。周囲の空気がチリチリと焼け焦げるような熱を発しており、それが手品でも幻覚でもなく、紛れもない『魔法』であることを隼斗に突きつけていた。
「あぁ? なんだお前。見ねぇ顔だな。そのおかしな服、どこぞの劇団員か?」
男は隼斗の水色のシャツと紺色のズボン――日本の警察官の制服を鼻で笑った。
隼斗の膝は、スラックスの下でガクガクと情けないリズムを刻んでいた。
(ひぃぃぃ……! 熱い! 離れてるのに熱が伝わってくる! あんなのまともに食らったら、防刃服なんて意味ない! 丸焼きにされる!)
心の中では絶叫していた。今すぐ土下座して「すいません道間違えました」と言って交番に逃げ帰り、カップラーメンの蓋を開けたい。手取り十四万の給料で、本物の魔法使いを相手にするなど割に合わなすぎる。
だが、男の足元でうずくまっている犬耳の子供が、涙を浮かべて隼斗を見つめていた。
『――俺はもう、絶対に理不尽には屈しない』
前世で、上司のパワハラから同僚を庇えずに見捨てた苦い記憶が、隼斗の背骨に強烈な芯を通した。
覚悟が決まると、不思議なことに頭の中のノイズがスッと消え去るのを感じた。
隼斗は、男に向かって『完璧な四十五度の角度』で深々と頭を下げた。
「ご機嫌斜めのところ、お時間を頂戴して誠に申し訳ございません。私、本日よりこの村に赴任いたしました、駐在の高杉と申します」
「は……? なんだ急に」
突然の丁寧すぎるお辞儀と営業スマイルに、男は毒気を抜かれたようにぽかんと口を開けた。
隼斗の脳内で、ユニークスキル【犬のお巡りさん】がフル稼働していた。
犬並みに引き上げられた嗅覚が、男の情報を瞬時に分析する。
(強烈な安いエールの匂い。それに、ひどく汗臭い。魔力を練り上げているというより、虚勢を張るために無理やり炎を出している匂いだ……こいつ、見た目ほど強くないな)
相手の力量と精神状態を嗅ぎ取った隼斗は、家電量販店で数々の激昂するクレーマーを沈めてきた『悪知恵』と『交渉術』のスイッチを入れた。
「いやぁ、実はお見かけした瞬間から、ただ者ではないオーラを感じておりまして。その研ぎ澄まされた魔力、歴戦の凄腕冒険者様とお見受けいたします。そんな高名な方が、こんな路地裏でご立腹とは、よほどの理由がおありなのでしょう」
「お、おう? ま、まぁな。俺はCランク冒険者のガンツだ。このクソガキが、俺の商売道具のブーツを踏みやがったんだよ!」
持ち上げられた男――ガンツは、気を良くしたのか胸を張った。
その瞬間、彼の手のひらに浮かんでいた炎の勢いが、ほんの少しだけ弱まる。
集中力が途切れた証拠だ。
「なるほど! それはご立腹されて当然です。ブーツは冒険者様の命綱ですからね。この子が全面的に悪い」
隼斗は同調しながら、ゆっくりと、ごく自然な足取りでガンツとの距離を詰めていく。
「なっ、そうだろ? だから俺が教育してやって――」
「ええ、ええ。ですがガンツ様。あなたほどの偉大な冒険者が、こんな子供相手に魔法を使ったとなれば、周囲に『器の小さい男だ』と誤解されかねません。あなたの輝かしい経歴に傷がつくのは、私としても忍びないのです」
「うっ……そ、それは……」
残り三メートル。
ガンツの意識が『怒り』から『世間体』へと移り、炎への意識が完全に疎かになった。
「そこでご提案なのですが、被害届として調書を作成させていただけませんか? つきましては、身分証――冒険者カードを拝見できればと」
「ちっ、面倒くせぇな……ほらよ」
残り一メートル。
ガンツが舌打ちをし、炎を浮かべていない左手を懐に入れようと視線を落とした、その瞬間。
(――獲った!)
隼斗の眼光が、営業マンのそれから、獲物を狩る『警察犬』のものへと豹変した。
「じゃあ、ちょっとこれを見てください」
隼斗は腰のポーチから円筒形の物体を引き抜き、安全ピンを弾き飛ばしてガンツの足元へ転がした。
「あ? なんだこりゃ――」
カッ……!!
強烈な閃光と、鼓膜を破るような爆音。
日本の警察が特殊部隊(SAT)などで使用する制圧兵器、『閃光弾』である。異世界の魔法使いなど、こんな近代兵器の光に対する耐性を持っているはずがない。
「ギャアアアアッ!? 目がぁっ! 俺の目がぁぁっ!」
網膜を焼かれたガンツが悲鳴を上げ、炎を維持できなくなり魔法がかき消える。
「魔法さえなければ、ただの酔っ払いだ!」
隼斗は躊躇なく踏み込み、左手に構えた真っ赤なスプレー缶――『警察用・超高濃度催涙スプレー』のノズルを、ガンツの顔面に向け至近距離から噴射した。
「ブブベアアアアッ!? 痛ェ!? 顔が、鼻が燃えるぅぅぅ!?」
唐辛子成分の暴力的な刺激に、ガンツは完全に戦意を喪失し、顔を押さえてのたうち回る。
だが、隼斗は手を緩めない。クレーマー対応の鉄則、それは『相手に反撃の隙を一切与えないこと』だ。
シャキッ! と金属音を鳴らし、腰から特殊警棒を振り出す。
「大人しくしろ!」
ガンツの右腕(魔法を使う腕)の手首を警棒で強かに打ち据え、完全に無力化する。
そのまま、中学・高校の体育の授業レベルだったはずの柔道の技術が、スキル【犬のお巡りさん】の補正によってプロ級の洗練された動きへと昇華される。
隼斗はガンツの襟と袖を掴むと、アナステシア人の標準仕様である「二十馬力」の肉体補正をフルに活かし、流れるような大外刈りを放った。
ドゴォォォンッ!!
Cランク冒険者の巨体が、宙を舞い、背中から石畳に叩きつけられる。
肺から空気を吐き出し、白目を剥いて痙攣するガンツ。
隼斗は素早くガンツをうつ伏せに引っくり返すと、背中に膝を乗せて関節を極め、腰から銀色の手錠を引き抜いた。
ガチャンッ! カチカチカチッ!
冷たい金属の輪が、男の太い両手首を拘束する。
手帳を提示した瞬間から発動していたスキルの『強制力(公権力の威光)』が、手錠をかけられたことで決定的なものとなり、男の闘気は完全に霧散した。
「午後二時四十五分。公務執行妨害、および傷害未遂の容疑で……現行犯逮捕だ」
静寂が、路地に落ちた。
周囲で様子を窺っていた村人たちは、ひ弱そうな見慣れない青年が、魔法使いの冒険者を一瞬のうちに、しかも『無傷』で制圧してしまった光景に言葉を失っていた。
「……ふぅーっ」
隼斗は大きく息を吐き出し、額の冷や汗を拭った。
立ち上がろうとした瞬間、ガクッと膝から崩れ落ちそうになる。心臓は未だに早鐘を打ち、手は小刻みに震えていた。
(死ぬかと思った……! 相手が魔法の詠唱とか始めたらどうしようって、ずっと腹痛かったわ……)
内心の恐怖を必死に隠しながら、隼斗はうずくまっている犬耳の子供の目線に合わせてしゃがみ込んだ。
そして、先ほどとは違う、本当の優しい笑顔を向ける。
「もう大丈夫だよ。怪我はない?」
「う、うん……! おにいちゃん、すっごく弱そうなのに、すっごく強かった!」
「弱そうは余計だよ。俺は交番のお巡りさんだからね。困ったことがあったら、いつでもあそこのハコに来てよ」
子供の頭を優しく撫でてやると、ようやく村人たちからワァッと安堵の歓声と拍手が沸き起こった。
――だが、隼斗はその時、気づいていなかった。
路地のさらに奥、薄暗い建物の影から、この一部始終をじっと見つめている『二つの影』があったことに。
「……見事な手際です」
影の一つが、感嘆の息を漏らした。
洗練された軽装鎧を纏い、下半身に艶やかな栗毛の馬体を持つ女性。ケンタウロス種の彼女は、腕を組みながら隼斗の泥臭い戦いぶりを高く評価していた。
「自らは一切の魔法も闘気も持たぬ非力な身でありながら、知恵と機転、そして見たこともない暗器で格上の魔法使いを無力化した。何より……相手を殺すことなく制圧する、あの『高潔なる精神』。ノブリス・オブリージュの体現者ですね」
ケンタウロスの女性が熱い視線を送る隣で、もう一つの影が、トンファーを弄りながら甘い吐息を漏らした。
現代風のラフなパーカーを着込み、頭にふかふかの兎耳を生やした美少女。
彼女の並外れた聴覚は、隼斗の『心音』を完全に拾い上げていた。
「ふふっ……おかしいな。あのお兄さん、最初はすっごく心臓バクバクして、逃げ出したいくらい怯えてたのに」
兎耳の少女の瞳の奥に、暗く、熱を帯びた情念の火が灯る。
「自分が死ぬかもしれない恐怖の中で、それでも、私のかわいい村人を守るために立ち向かってくれた。その瞬間の心音……一切の『嘘』がない、真っ直ぐで、綺麗で、優しくて……ぞくぞくしちゃう」
彼女は、ポケットに忍ばせていた『人参柄の刺繍が施された手作りハンカチ』を、両手でギュッと握りしめた。
「決めた。あのお兄さん……私のものにする♡」
手取り十四万の社畜警官の運命は、この瞬間、異世界のヤンデレ兎村長と、婚活こじらせケンタウロスという、二つの強大すぎる規格外ヒロインに完全にロックオンされたのだった。
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