第二章 手取り16万の社畜と月給30万のサボり魔。異世界交番、炎上の刃を現行犯逮捕する
手取り16万の怒りと月給30万のサボり魔。異世界交番に新たなクズが着任す
「……ふふっ。手取り、16万」
ポポロ村のメインストリートに建つ駐在所(交番)。
その薄暗いデスク室で、高杉隼斗は一枚の給与明細を手に、ニヤニヤとだらしない笑みを浮かべていた。
数日前、死王蟻機という天魔窟のバケモノから村を守り抜いた功績が認められ、隼斗はヒラ巡査から『巡査長』へとスピード昇級を果たしたのだ。
基本給が二万円アップし、交番維持費の四万円を天引きされても、手元には十六万円が残る。前世のブラック企業の初任給にも満たない額だが、異世界で文字通り命を懸けて得た『昇給』の喜びは、何物にも代えがたい。
「手取り14万の極貧生活から、ついに脱却だ。これならPX(交番売店)で、週に一回はちょっといいカップ麺に卵を落とせる……!」
隼斗は嬉しそうに明細をデスクにしまうと、新たに支給された装備を満足げに見回した。
壁に立てかけられているのは、新品の『防弾大型シールド』。そして、その横には鈍く黒光りする『M870ショットガン』が鎮座している。もちろん実弾ではなく、ゴム弾と催涙ガス弾仕様だ。
交番の隅には、身長二メートルの無表情な石像――日本の警察官の制服をパツパツに着こなした『巡査ゴーレム』が、直立不動で敬礼している。
極めつけは、交番の外に停めてある『125cc MTバイク(魔導エンジン仕様)』だ。ついにギアなしママチャリからの卒業である。
「いやぁ、警察官(公務員)の階段を登ってるって実感が湧くね。今日も一日、村の平和のために――」
ガラララッ!
隼斗が熱い決意を胸に立ち上がろうとした瞬間、交番の引き戸が勢いよく開いた。
「お兄さーんっ! おはよう♡」
「おはようございます、隼斗長! 本日の自警団の朝礼について報告に上がりました!」
元気よく飛び込んできたのは、ポポロ村の平和を共に守る二人の相棒だった。
現代風のパーカーに身を包んだ、純白の兎耳が愛らしいヤンデレ村長、キャルル・ムーンハート。
そして、洗練された軽装鎧とタローマン製のガテン系馬着を完璧に着こなす、婚活こじらせケンタウロスにして自警団リーダーのマンミアだ。
「おはよう、二人とも。朝から元気だな」
隼斗が営業スマイルで出迎えると、キャルルがトコトコと駆け寄り、隼斗の袖をキュッと掴んだ。
「あのね、お兄さん。村の防衛力強化のために新しく自警団で雇った、A級冒険者のフェイトさんなんだけど……」
「ああ、フェイト・ラックだっけか。一昨日から雇用契約を結んだ新入りだな。俺はまだ直接会ってないけど、初日からパトロールのシフトに入ってるはずだろ?」
すると、キャルルは小首を傾げながら、手元のバインダーを読み上げた。
「それがね、今朝、魔導通信石でフェイトさんから連絡があって。『親友の従兄弟の、隣の家に住んでるおばさんの、友達の犬が亡くなったから、ひどく落ち込んでいて……喪に服すために本日はお休みをいただきます』って」
「…………は?」
隼斗の営業スマイルが、ピシリと凍りついた。
「親友の、従兄弟の、隣のおばさんの、友達の犬ゥ!?」
「うん。そう言ってたよ」
「もう赤の他人だし、そもそも犬じゃねえか!! なんだその言い訳は!」
隼斗の怒号に、マンミアが腕を組んで深くため息をついた。
「嘆かわしいことだ。あの男、昨日も『実家の近所の屋根に登った猫を助ける際に腰を痛めた』と言って休んでいる。一昨日も『星の巡りが悪い』と言って午後から帰った。……高潔さの欠片もない! A級冒険者というから期待していたが、あのような給料泥棒、即刻クビにするべきだ!」
マンミアの怒りに、隼斗も深く頷く。
「当たり前だ! そんなふざけた理由で休む奴に払う給料なんかねえよ! ちなみにマンミアさん、あいつの給料って村からいくら出してるんだ?」
「む? あ奴は一応A級冒険者だからな。商業ギルドの相場に合わせ、ポポロ村との専属雇用契約として『月給三十万円』を支払っている」
「……さんじゅうまん?」
隼斗の思考が、一瞬完全に停止した。
「そ、それって、手取りだと……」
「そうだな。税などを引いても、手取り二十五万円ほどは確実に懐に入る計算だ」
――ピキッ。
隼斗の脳内で、何かが決定的に切れる音がした。
自分は、酸を吐き出すバケモノの前に立ち塞がり、全身に火傷を負いながら泥水すすって、ようやく『手取り16万』になったばかりだ。
それが、初日から犬の葬式だの猫の救助だのでサボり散らかしている新入りのクズが、月給30万(手取り25万)だと?
「……許さねぇ」
「隼斗殿?」
「絶ッッ対に許さねえぞ、そのブルジョワ給料泥棒野郎ォォォッ!!」
隼斗の目から光が消え、純度百パーセントの『社畜の怨念』が闘気となって全身から噴き出した。
「マンミアさん、キャルルちゃん! あいつの家はどこだ! 今すぐ現行犯でしょっ引いてやる!」
*
ブロロロロロロォォォッ!!
ポポロ村の住宅街に、隼斗が乗る125ccMTバイクの猛烈なエンジン音が響き渡った。その後ろを、マッハの脚力で並走するキャルルと、地響きを立てて走るマンミアが続く。
教えられた住所は、村の一等地に建つ立派な戸建ての貸家だった。
「警察だ! 開けろゴラァッ!」
隼斗はノックもそこそこに、勢いよく玄関のドアを蹴り開けた。
土足のまま寝室へと上がり込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「あー……。ちょっと高杉の旦那、ドア開けっぱなしにしないでよ。すきま風が自律神経に響くからさ……」
万年床の布団の中から、気だるげな声が響く。
そこに寝転がっていたのは、整った顔立ちの二十代半ばの青年だった。
だが、問題はその服装だ。彼は布団の中であるにもかかわらず、まばゆい輝きを放つ超一流の防具『ミスリルアーマー一式』をガチガチに着込み、枕元には巨大な『ミスリルソード』を立てかけていた。
「て、テメェ……!」
隼斗の額に青筋が浮かぶ。
「鎧着たまま布団に入ってんじゃねえ! っていうか、そのミスリル装備、お前が自警団の給料で買ったのか!?」
「ん? ああ、これ? 違う違う」
フェイト・ラックは、布団の中でモゾモゾと寝返りを打ちながら、ポポロ・シガレット(高級煙草)に火をつけて紫煙をくゆらせた。
「ルナミス新聞社の懸賞でね、コイントスで適当にハガキ送ったら特等で当たったんだよ。最高の装備だろ? 脱ぐの面倒くさいから寝巻きにしてるんだ」
「懸賞で当てた装備を寝巻きにすんな! ふざけんな、お前がフェイト・ラックか! 親友の従兄弟の隣のおばさんの友達の犬が死んだってのはどういうことだ!」
隼斗が胸ぐらを掴み上げようとすると、フェイトは「うぅ……」と大げさに頭を押さえて顔をしかめた。
「いやぁ、本当に悲しい事件でさ。……でも、俺が今日休んだ本当の理由はそれじゃないんだよ」
「あ? じゃあなんだってんだ」
「今朝、起きてパトロールに行こうとしたんだ。でも、日課の『コイントス』をしたらさ……見事に『裏』が出ちゃってね」
フェイトは、枕元に置いてあった一枚の金貨を指差した。
「俺のユニークスキル【コイントス】。表が出れば全ステータス二倍の無敵のヒーローになれるんだけど……裏が出ると、闘気も魔力もゼロになって、自律神経が物理的にぶっ壊れるんだよ。ラプラスの悪魔もびっくりの確率論さ。だから俺がサボってるんじゃない。運命が俺に『今日は寝てろ』って命じたんだ」
「…………」
「分かるだろ、高杉の旦那。労働なんてただの時間の切り売りだ。俺は確率という神の意志に従って、有給を消化しているだけさ」
超論理的な、しかしどこまでもふざけ腐った言い訳。
月給30万の男が、手取り16万で命を懸けている社畜警官に向かって放った、最悪のドヤ顔だった。
――カチャ、カチャ、カチャッ。
静寂に包まれた寝室に、突如として硬質な金属音が響いた。
隼斗の背後から、一切の光を失った漆黒の瞳を持つ兎耳の少女が、両手にダブルトンファーを構えてヌッと姿を現したのだ。
「ねぇ、お兄さん」
キャルルは、星の王子さまのような極上の笑顔を浮かべたまま、その首をコキリと傾げた。
「この給料泥棒のクズ、私が顎を時計回りに百八十度回して、ミスリルごと粗大ゴミに出してきてもいいかな?♡ お兄さんが汗水流して働いてるのに、こんなゴミが月給三十万なんて、村の財政の無駄遣いだよ」
「お、おい村長ちゃん、物騒なモノしまえって。俺、今はステータスゼロの病人だからね? 労災降りるよ?」
「黙れ、フェイト・ラック!」
今度はマンミアが、寝室の床を踏み抜く勢いで前に出た。
「我が旦那様……コホン! 高杉巡査長がどれほど高潔な精神でこの村を守っているか、貴様には到底理解できまい! 己の責任をコインなどという運任せに丸投げするなど、騎士の風上にも置けぬ! 今すぐその布団から出て、パトロールの任に就け!」
ヤンデレの殺意と、生真面目な騎士の怒号。
だが、フェイトはどこ吹く風で煙草の煙を吐き出した。
「やーだよ。今日は裏が出たんだから、絶対に動かない。……文句があるならクビにしてくれていいぜ? ま、俺が抜ければ、次の魔獣の群れが来た時に困るのはそっちだろうけどな」
自分の実力(表が出た時の戦闘力)を盾にとった、完全なる開き直り。
これ以上ないほどに腐りきった態度に、ついに隼斗の我慢の限界が突破した。
ガチャキッ!!
隼斗は背中に背負っていた『M870ショットガン』を瞬時に引き抜き、ポンプアクションで威嚇の音を鳴らして、銃口をフェイトの顔面にピタリと突きつけた。
「ひっ!?」
銃口を突きつけられ、フェイトの余裕の表情が初めて引きつった。
「いいか、クズ野郎」
隼斗は、獲物を追い詰める警察犬のような、底冷えする眼光でフェイトを見下ろした。
「お前がサボろうが運命をコインに委ねようが、俺の知ったこっちゃねえ。だがな……手取り16万の俺より高い給料もらってんのに、俺よりサボる奴は、日本の法律(俺)が許さねえんだよ」
「た、高杉の旦那……目がマジだけど……!?」
「キャルルちゃん! そいつのミスリルアーマーごと、布団を縛り上げろ!」
「はーい♡ お兄さんの命令なら、きっちり縛ってあげる!」
「マンミアさん! そのままそいつを馬車の要領で交番まで引きずっていけ!」
「承知した! 私の三百五十馬力で、性根から叩き直してくれよう!」
「ちょ、待て! 本当に裏が出たんだって! 今はただの一般人以下なんだよ! 死ぬ死ぬ死ぬゥゥゥッ!!」
ポポロ村の爽やかな朝の空に、月給30万のサボり魔剣士の情けない悲鳴が響き渡る。
手取り16万に昇給した社畜警官の、異世界交番における『新たなワチャワチャした日常』が、今日もまた騒がしく幕を開けたのだった。




