EP 14
悪徳商人への現行犯逮捕。手取り14万の社畜、経済と法で理不尽を論破す
死王蟻機が完全に機能停止し、静寂を取り戻したポポロ村の広場。
雪が静かに降り積もる中、横転した馬車の陰でガタガタと震えている男がいた。
この大惨事を引き起こした元凶――違法な魔導具や魔獣のコアを密輸しようとしていた悪徳商人だ。
「ば、化け物どもめ……! あの天魔窟の『死蟲機』を、たった三人でスクラップにしちまうなんて……!」
商人は恐怖で顔を引きつらせながら、雪の上に散乱した積荷の中から、高価な『陽薬草の濃縮液』や違法な魔石を狂ったように鞄へと詰め込んでいた。
護衛の冒険者は逃げ出し、馬も死んだ。だが、この鞄一つあれば、ドンガン地下帝国の闇市場で売り捌いて再起できる。
商人は鞄を抱え込み、隼斗たちが巨大な残骸に気を取られている隙を突いて、こそこそと暗い森の方へと逃げ出そうとした。
「――おい。どこへ行く気だ」
背後から、地を這うような低い声が響いた。
商人がビクッと肩を揺らして振り返ると、全身火傷だらけで、制服をボロボロに焦がした隼斗が、鋭い眼光でこちらを睨みつけていた。
「ヒッ……!?」
「お前の落とし物のせいで、村が消し飛ぶところだったんだぞ。まさか、子供を囮にして自分だけ逃げるつもりか」
「う、うるせぇっ! 俺には関係ねぇ! あいつが勝手に暴走しただけだ!」
商人は雪を蹴立てて、脱兎のごとく森へ向かって走り出した。
「逃がすか!」
隼斗は後を追おうとしたが、ボロボロの肉体が限界を訴え、ガクッと膝が折れそうになった。愛車であったママチャリは、先ほど子供を庇った際に強酸でドロドロに溶けてしまっている。
「隼斗殿! 私に乗れ!」
その時、ケンタウロスのマンミアが、隼斗の隣に滑り込むようにして馬体の前足を折り曲げた。
「えっ?」
「急げ! 今のあなたでは走れまい! 我が背中を貸す!」
「あ、ありがとう! 助かる!」
隼斗は躊躇うことなく、マンミアの美しい栗毛の背中へとまたがり、彼女の腰に腕を回した。
――その瞬間である。
「ひゃうっ!?」
マンミアの口から、高潔な元騎士団長らしからぬ、素っ頓狂な可愛らしい悲鳴が漏れた。
彼女の顔が、首の裏から耳の先まで、ポンッ! と音を立ててトマトのように真っ赤に染め上がる。
(ののの、乗った! 男が! 私の、聖域である背中に! ああっ、隼斗殿の逞しい太ももが私の馬体に密着して、腕が私の腰にぃぃぃっ!!)
二十五年間、一度も男を背に乗せたことがない『行き遅れ』のケンタウロスにとって、それはあまりにも刺激が強すぎる出来事だった。
心拍数が一気に二百を突破し、頭からプシューッと湯気が噴き出す。
「マ、マンミアさん!? 大丈夫か、顔が赤いけど!」
「だ、だだだ、大丈夫だ問題ない! 責任は取ってもらうからな! ゆ、行くぞ我が旦那様ぁぁぁっ!!」
羞恥と興奮で完全にバグを引き起こしたマンミアは、三百五十馬力のリミッターを外し、凄まじい土煙を上げて猛ダッシュした。
時速百キロ近い爆発的な加速。隼斗は「うわぁぁぁぁっ!?」と振り落とされそうになり、必死にマンミアにしがみつく。
「ああっ!? ずるいずるいずるいっ! マンミアちゃん抜け駆け! 私だって、お兄さんをおんぶしたかったのにぃっ!」
背後で、キャルルが地団駄を踏んでヤンデレの炎を燃やしているのが見えたが、もはや止まることはできない。
「ヒィィィィッ!?」
森へ逃げ込もうとしていた商人は、背後から凄まじい蹄の音を立てて迫ってくるケンタウロスと、その背で目を回している警官の姿を見て、絶望の悲鳴を上げた。
マンミアは商人の目の前にマッハで回り込み、退路を完全に塞ぐようにして急ブレーキをかけた。
「ひっ、ひぃぃ……! く、来るな!」
商人は雪の上に尻餅をつき、抱えていた鞄を盾にするように震えた。
隼斗はマンミアの背から降りると、痛む足を引きずりながら商人を見下ろした。
彼のユニークスキル【犬のお巡りさん】の嗅覚が、商人から発せられる『嘘』と『醜い欲望』の匂いを冷徹に嗅ぎ分けている。
「……もう逃げ道はないぞ。大人しく荷物を置いて、村の被害に対する賠償と、法による裁きを受けろ」
隼斗が静かに宣告すると、商人は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「ふざけるな! たかがしがない村の自警団や衛兵ふぜいが、俺を誰だと思ってる! 俺は商業ギルドの幹部候補だぞ! 利益を追求して何が悪い! 弱者が強者に搾取されるのは、この世界の経済のルールだろうが!」
「経済のルール、だと?」
「そうだ! あのガキが死にかけたのも、自己責任だ! 俺のような優秀な商人が生き残って富を回すことで、結果的に世界は豊かになるんだよ! 底辺の分際で、偉そうに説教するんじゃねえ!」
商人の歪んだ主張を聞いて、隼斗の瞳の奥に、氷のような冷たい怒りが宿った。
前世で、ブラック企業の経営陣が口を揃えて言っていた詭弁と、全く同じだったからだ。
「……アダム・スミスという、偉大な経済学者がいた」
隼斗は、一歩、商人へと歩み寄った。
「彼は『国富論』の中で、個人の利益追求が結果的に社会を豊かにすると説いた。お前が言っているのは、その上澄みだけをすくい取っただけの、ただの身勝手な言い訳だ」
「な、なんだと……?」
「スミスは、経済の根本を語る前にもう一つ、重要な本を書いている。『道徳感情論』だ」
隼斗は、商人の胸ぐらをガシッと掴み上げた。
火傷だらけの手から伝わる、社畜として地獄を見てきた男の圧倒的な『凄み』に、商人は息を呑む。
「彼は言った。人間の経済活動の根底には、必ず他者への『共感』がなければならないと。他人の痛みを無視し、弱者を踏みにじって得た利益など、経済でも商売でもない。……ただの『強盗』だ」
「ひっ……!」
「お前がやろうとしたことは、経済を回すことじゃない。自分の欲望のために、無関係な子供の命を天秤にかけた、卑劣な犯罪行為だ。……日本の法律も、異世界のルールも、そんな理不尽は絶対に許さねえ」
隼斗の理路整然とした、しかし怒りに満ちたロジックに、商人は完全に圧倒され、言葉を失った。
だが、往生際の悪い商人は、最後の悪あがきに出た。震える手で懐を探り、ジャラリと音を立てる重い袋を取り出したのだ。
「ま、待て! 金だ! 金貨百枚ある!」
商人は、必死の作り笑いを浮かべて隼斗に袋を押し付けようとした。
「お前ら、こんな村で安月給で働いてるんだろ!? この金をやる! これで今回のことは見逃してくれ! なっ、賢い大人なら分かるだろ!?」
金貨百枚。日本円にして約百万円。
手取り14万の隼斗からすれば、目玉が飛び出るほどの大金である。これでクリスマスケーキがいくつ買えるだろうか。一瞬、隼斗の脳内に「百万円……!」という煩悩がよぎった。
だが。
「……公務執行に対する贈賄工作。お前、本当に救いようのないクズだな」
隼斗は、金貨の袋を無造作に払い落とした。
チャリンッ、と雪の上に金貨が散らばる。
「て、テメェッ! 後悔させてやる、俺のコネを使えばお前なんか――!」
商人が逆上し、懐から短剣を引き抜こうとした、その時。
ヒュンッ!!
空気を裂く鋭い音と共に、どこからか飛んできた小石が、商人の手首に弾丸のような速度で命中した。
「ギャアアアアッ!?」
手首の骨を砕かれ、商人は短剣を落として絶叫する。
「あーあ。私のお兄さんのカッコいいお説教を邪魔するから、バチが当たったんだよ」
雪を踏みしめ、いつの間にかキャルルが後ろに立っていた。
星の王子さまのような無邪気な笑顔のまま、その瞳には絶対零度の殺意がこもっている。
「もう一度、お兄さんにその汚い手を向けたら……次は、首から上を吹き飛ばすからね♡」
「ヒィィィィィッ!! ば、化け物……!」
ヤンデレ兎の底知れぬ恐怖に触れ、商人は完全に戦意を喪失し、雪の上に土下座するように平伏した。
「これで、チェックメイトだ」
隼斗は腰のポーチから、予備の『警察の手錠』を引き抜いた。
そして、震える商人の両腕を背後に回させ、冷たい金属の輪をガチャンと噛み合わせる。
「午前零時十五分。関税法違反、絶滅危惧魔獣の不法所持、殺人未遂、および公務員への贈賄容疑で……現行犯逮捕する」
警察手帳の『公権力の威光』が発動し、商人の気力は完全に削ぎ落とされた。
ガクリと首を垂れ、商人は大人しく拘束に従った。
「やったな、隼斗殿! 見事な論破、そして逮捕劇であった!」
マンミアが誇らしげに胸を張り、馬の尻尾を揺らす。
「お兄さん、かっこよかったよぉ♡ やっぱり私のお兄さんが世界で一番だね!」
キャルルが満面の笑みで、隼斗の焦げた制服の袖をギュッと握りしめる。
その時、広場の入り口の方から、無数の足音と松明の明かりが近づいてきた。
「おーい! 村長! お巡りさーん!」
「バケモノは!? 大丈夫だったか!」
避難していたポポロ村の住民たちが、武器の鍬や魔導ライフルを手に、様子を見に戻ってきたのだ。
彼らの目に飛び込んできたのは、完全にスクラップと化した死王蟻機の残骸と、悪徳商人に手錠をかけて立つ、ボロボロの駐在さんの姿だった。
「すげぇ……あのバケモノを、本当に倒しちまったのか!」
「お巡りさんが、村を守ってくれたんだ!」
ワァァァァァァァァァッ!!
雪の降る夜空に、村人たちの割れんばかりの歓声が響き渡った。
「おにいちゃん!」
人混みを掻き分けて、先ほど隼斗が身を挺して守った犬耳の子供が駆け寄ってきた。
その後ろからは、涙ぐんだ両親も頭を下げてついてくる。
「おにいちゃん、助けてくれてありがとう! おにいちゃん、すっごく強くてかっこよかった!」
子供が、隼斗の足にギュッと抱きつく。
「いてて……」
火傷と打撲の痛みに顔をしかめながらも、隼斗は優しく子供の頭を撫でた。
「俺一人じゃない。村長と、自警団のリーダーが頑張ってくれたからだよ。……でも、無事で本当によかった」
ふと、隼斗は顔を上げた。
彼の隣には、純粋な好意と重すぎる愛を向けてくる兎耳の美少女。
もう片方の隣には、絶対の忠誠と乙女の恋心を爆発させているケンタウロスの麗人。
そして周囲には、自分を頼りにしてくれる温かい村人たちの笑顔があった。
ブラック企業の社畜時代、誰からも感謝されず、ただ数字の歯車として使い捨てられた日々。
だが今は違う。
手取り14万という給料は安いかもしれないが、ここで得た『仲間』と『居場所』は、何百万という金貨にも代えがたい価値がある。
「隼斗お兄さん、どうしたの? ニヤニヤして」
「怪我の痛みで、顔面が引きつっているのではないか!? やはり私が背中に乗せて――」
「いや、なんでもないよ」
隼斗は、二人のヒロインに向けて、心からの『本物の笑顔』を向けた。
「さあ、帰ろうか。俺たちの交番に」
夜空から降る雪は、いつの間にか止んでいた。
雲の隙間から差し込む満月の光が、手取り14万の社畜警官と、最強の相棒たちの凱旋を、優しく照らし出していた。
読んでいただきありがとうございます。
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