モンスターは愛を求める
私とマスターが出会ったあの日を、今でも思い出す。
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気づけば、私はこの世界に立っていた。
汗を流す少年と少女を見て、状況を把握しようとする。
そして脳が伝えた。
目の前の彼こそがマスターなのだと。
踏みしめた雪の感触が足に伝わる。冷たさを感じない。寒さに強い私の体は、寒い気候を自覚しながらも、それを苦とは感じなかった。
「初めまして、マスター」
自然と口から溢れ出した言葉には、相手と自分の主従関係を明確にするための物だった。
恐らくは、自然の摂理故に初対面で私は頭を下げ、自分が従う立場にあると示したのだろう。それは、きっとモンスターがマスターに絶対服従すると決まっているから。
私の心に、その行動についての疑念は無かった。
彼の瞳を見る。
モンスターが配下に入る時、マスターに憎しみの目を向けられることが少なくない。
それは何も覚えてないとはいえ、自分のモンスターを失ったという事実があるから。
ある時は金銭的な損失を理由に。
ある時は、可愛がっていたモンスターを失った恨みを理由に。
でも、それよりもマスターの配下らに憎しみを持たれる事が多い。
それは大抵の場合が、マスターよりも深く、失われた仲の良いモンスターに対して悲しんでいるから。
マスターを見る。
様子を見るに、私との戦闘では何かを失ったりした訳ではなさそうだ。
自分の強さは自覚しているので、自分を倒した相手の力量もある程度は把握出来る。
まあ、複雑な気分ではあるけれど。
マスターの印象は悪く無かった。
態度も良く、それでいて気さくで話しやすい。
──アンナでどうだ?
そして、私はアンナと名付けられた。
**
……あの時。
後悔している事がある。
マスターもリリィも倒れている時、私は諦めかけた事。
リリィが言っていた。死にたくないと。その言葉に、私は同意した筈なのに。
私も死にたくなんて無かったけど。
そう思った。リリィも私も、マスターもきっと。死にたくなんて無いのだろう。
でもどうしようも無い。
そう、諦めていた。
リリィは違った。
当時はまだ、少ししか話していなかったけど、彼女の熱が本物だと言うのは知っていた。
それは奇跡に近い何かで。
都合の良い脚本みたいな逆転劇で。
でも、そんな少年漫画ばりの非現実的なストーリーに、私は憧れを抱いてしまった。
何処かで思っていた。
自分もああなれるんじゃ無いかって。
誰かに愛されて、生きる理由はあって、追いかける目標があって、盲目的な依存先がある。
そんな空想に憧れてしまった。
でも。
空想に憧れるほど、現実と空想の差が開いていった。
待てども、待てども、その時が訪れる時なんて来なくて。
最初は楽しかったのに、この世界に立って地面を踏み締める意味がわからなくなった。
自覚してしまった。
奇跡は起きる。でも、それは選ばれた者にしか起きないんだって。
私は、違う。
視界が暗くなった。
居心地が悪い。マスターとの会話でイタズラ心を駆り立てられる自分がいない。リリィとの会話でクスッと笑う自分がいない。白狐の言葉に適当な相槌を打つ自分が嫌いで、気持ち悪い。
カードの中にいる時、曖昧で薄い意識の中、時間の感覚も分からないまま考え続ける。
その時の自分は、一粒の涙を流して泣いていた。
目が覚める。
カードの中の自分は涙を流したのに、大地を踏みしている時の自分は泣けなかった。
嗚咽を漏らして、誰かの胸の中で心ゆくまで泣きたい。
でもそんな相手はどこにもいなかった。
一人で寂しさを抱えたって意味はない。
空虚に悲しさを響かせても意味はない。
──アンナ。
声が聞こえた。
マスターの声だった。
その優しさを含んだ声に安心感を覚える。
もし。もし、マスターが私を抱き止めてくれるなら。
そんな都合の良い幻想が頭に浮かんでしまう。
──立て、アンナ。
現実に引き戻された。
そうだ。私はサンダーバードと戦っていたんだった。
私は役に立てなくて、リリィに勝手に嫉妬して。
醜い。自分が、醜い。
──何が欲しい?
マスターの問いかけに声が詰まった自分がいた。
奇跡。リリィが起こした奇跡の再現を。
でも、知ってる。奇跡なんて起きない事を。そんな偶発的な事は起きないのだと、身をもって知っている。
なら、何が必要なのだろう?
奇跡より、もっとシンプルな物を。
「力です」
私は自分で導き出した答えを馬鹿馬鹿しいと思わなかった。
**
あれから自分の中に自信が漲っている。
戦うたび、自分が強くなっているのを感じた。
「颯太様。いつもの、お願いしますね」
リリィが甘えるようにマスターに抱きついて、囁く。
彼女のその行動に、心が掻き立てられた。
体に異常はないのに、原因不明の動悸が心を締め付けいていた。
おかしい。
そう思っても、口には出せなかった。出してはいけない気がした。
「はいはい」
マスターは何も言わずに、素直に服をずらして肩を曝け出す。
不意に、その行動がとても色っぽく見えてしまった。チラッと見える鎖骨と、真っ白な肌。無防備な肩は、私の頬を高調させた。
……これがフェチなのかしら?
無意識にそう思ってしまった。
けれど。
リリィを見る。
彼女の頬は私よりも真っ赤で、マスターの顔に熱中するように夢中で瞳の視線が注がれていた。
「どうした?」
マスターが疑問を覚え、視線を下す。リリィは素早く目線を外し、誤魔化すように言葉を繰り出した。
「は、早く済ませましょうか。吸血鬼の吸血欲も大変ですから! ええ、全く仕方がない!」
リリィはマスターにバレないように全力を注いでいたせいか、側から見れば分かりやすかったが、肝心のマスターが騙されてしまうのだからヤキモキする。
少し嫌な気分になって、私もまた目を背けた。
そしてそんな私達を遠巻きに白狐が微笑ましいものを見るかのように、温かい目で見守っていたんだった。
**
リリィはきっと、マスターが好きなのだろう。
それは仲間としてではなく、異性として。
馬鹿な話だ。
マスターを好きになる話自体珍しいが、どちらにせよ結果は決まっている。
マスターが……人間が、振り向く事はない。
それはモンスター自身が自然繁殖してしまうと迷宮のシステムに影響が出てしまうから。
だから、モンスターには生殖機能がないし人間がモンスターに性的魅力を感じないようプログラミングされているのに。
なら、神様は何故モンスターにも同じように人を好きにならないようプロミングしてくれなかったのだろう。
これじゃあ、苦しいのは私達だけだ……。
リリィはきっと気付いていない。
自分の好きが、どういう意味でのものなのかを。
だから、彼女は幸せでいられるんだ。私と違って。
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「あー、だよな。熱いもんなぁ」
「はい、汗だくですよ」
リリィとマスターが雑談を交わしていた。
少し前まで自分と話していたマスターが彼女と会話している様子を見て、取られたような気分を覚え、苛立ちが芽生える。それを隠そうとして、顔が強張っているのが自分でもわかった。
「俺も汗かくんだよな。タオルとか着替えとかは持参してるんだけど、色々気使うんだよ。ほら、周りも体臭対策とかし出す時期だしさ。女の子とかは特に繊細になりがちだし」
「そうらしいですよね」
「美香も柔軟剤の匂いがどう思われてるかとか、男子には聴きにくいって言ってたし」
「美香……ああ、あの時の友人ですか」
「そうそう。良い匂いだと思うけどなぁ、って言ったら「勝手に嗅がないで、キモい(笑)」って言われて落ち込んだし」
「妙に声真似での再現度が高いですね」
「別に意図して嗅いだ訳じゃないのに……」
マスターが女性の話をするようになった。
友人、と言っていたが聞く限り関係は良さそうである。
……そりゃあマスターも、人間の方が好きよね
無意識的に、そう思う自分がいた。
嫌な女だと、勝手に思う。
叶う筈のないこの想いに縋って、マスターが仲良くしている女性に敵意を向けて。
リリィとだって、最近は上手く話せているか分からない。
向こうは私の気持ちに気付いていないと思うけど、私は上の空だった。
でも、リリィを見て、それ程露骨に表情を暗くしたらバレてしまうじゃない、なんて心配する自分がいる事に気づいて。矛盾を抱える自分の心に、また自己嫌悪する。
**
「マスター」
「ん? 何だアンナ」
白狐もリリィもフェリスもカードに戻り、私が最後に戻る番となった時だった。
どうしてか、私はマスターを呼び止めてしまっていた。
「ちょっと待って頂戴」
「あ、ああ」
後は帰るだけで、マスターも帰りたいだろうに、マスターは当然のようにお願いを断る素振りすら見せなかった。そう言うところが憎い。
「私、今日、敵を十二体倒したでしょ? ほら、ボスへのトドメもあのタイミングで急所を打ち抜いたじゃない。それに、えっ、と……」
言葉が上手く回らない。
話し始めたら、もっと上手く言葉に出来ると思ってたのに、拙い言葉ばかりになってしまう。
私は、何でこんな話をしているのだろう。
自分でさえも上手く説明出来ない。ただ、衝動的に溢れ出す言葉も、目的が分からず走り続けている人のようで、とても無様だった。
「ああ。頑張ったな、アンナ」
けれど。
マスターは、言って欲しかったを言ってくれた。
察してくれた事が恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
「わ、私、その、欲しい物が……あるの」
「えっ? うーん、高い物じゃないなら良いけど……皆んなには内緒で頼むぞ?」
「あ、ありがとう。マスター」
そう言うところが憎い。
その言い回しに、勘違いしてしまいそうになる自分がいる。
彼のそういう所が嫌いだ。
「それで、何が欲しいんだ?」
「え、えっと……何でも良い」
「何でもって……具体案はないのか?」
「そ、装飾品とかが良いわ。安いやつで良いの」
「あー。確かに、アンナも女の子だしなぁ。ちょっと意外ではあるけど……。んじゃあ、何か似合いそうなものを選んでおくから、近いうちに渡すよ」
マスターはそう言って、私の頭を軽く触るように撫でた。
ああ。そういうのを、やめて欲しいのに。
感情が爆発しそうで、嫌になる。
「マスター」
「?」
?を浮かべるマスターの腕を掴むと、彼は素直に頭から手を離した。
私はゆっくりとマスターの背後に回った。
振り向こうとする彼を、掴んでいた腕を引っ張る事で止めるように無言で伝える。
彼は何も言わずに、動きを止めた。
──本当は胸の中で泣きたかったのだけれど。仕方ないわね
そう思いながら、後頭部を彼の背中より少し上の首辺りのもたれ掛かるように身を預けた。
しっかりと支えてくれる彼を見て、そういう所も嫌いだな、と思う。
マスターの誰にでも優しい所が嫌いだ。
勘違いしてしまうような冗談が嫌いだ。
こっちの気持ちなんて気づいてくれない事が嫌いだ。
でも。
察しがいい所も、優しい声で面白い話を振ってくれる所も、勇気を与えて心を支えてくれる所も、格好良くて甘えたくなってしまう所も。全部、大好きだ。
ああ、そうだ。
嫌いな所の何倍も、彼の好きな所が思い浮かんでしまう自分が一番大嫌いだ。
涙が、流れた。
音もなく、泣いている自分を自覚した。
バレてはいけない。
この気持ちが気付かれてはいけない。
まだ、ほんの少しでも長くここにいさせて欲しいから。
嫌でも実感してしまう。
──私は、マスターが好きなのね
彼のもう片方の腕に握られていた、私のカードに触れる。
そしてカードの中に戻った。
訳も分からないマスターを置いて。
こんな恋慕を嫌悪しながら。




