少女は出会う、新たな生で
……ぁ。
そこには獣が立っていた。
二足で歩行する猫の獣。……私だ。
何年か何十年か分からないが、久しぶりに歩む地面の感触を懐かしむ事もなく、脳に知識が流れ込んでくる。
人間を、殺さなければ。
理由など無い。
脳に注がれるように、インプットされただけ。
この、迷宮というシステムに。
「ぁあ、人、間を」
思考が周りだし、記憶を封じ込められて、知識の中にポッカリと開いた穴は埋められるように書き換わっていく。
何をすればいい?
彼女は何も分からないまま問うた。
神か、迷宮の創造主か。
誰に聞いてるのかも分からないまま。
人間を、殺戮する。
そう。
返答は、簡単な答えだった。
**
「久しぶりだね」
あれから再び迷宮へ来た俺は、彼女らを呼び出す。
リリィは美香と潜った時にも呼び出したが、アンナと白狐は一週間ぶりだ。
「会えなくて寂しかったですよ、颯太様」
カードにいる間も時間の流れを感じたるするのだろうか。
とはいえ、会っていなかった時間は二日程度の筈なんだが。
「俺もだ。色々話したい事もあるんだ。本当に会いたかったよ。……そう言えば近頃個人が運用できる規模の小さなシミュレーションルームを生み出す魔道具が発売されるらしい。そうしたら毎日会えるようになるかもな」
「え、本当ですか? それは楽しみです」
「まあその為にもしっかりと稼がないとな。というわけで今日もよろしく、リリィ」
「はい。勿論です」
にこやかにリリィが笑い、俺は今日の予定を彼女らに説明し始めた。
「今日は前々から行ってきた技能の試運転を続ける。それと、本日より潜り始めるのは二十一層だ。これまでよりも大分レベルも上がるし、厳しくなるだろうけど、俺はやれると思ってる」
迷いなく俺は大口を叩くが、白虎は少し不安な顔を見せる。
その表情には難色を宿しているようだった。
リリィやアンナのように安直ではなく、客観的に状況を把握出来るからこそだろう。彼女はそれが何を意味するのかを理解していた。
「マスター。ご存知の通り、私達の平均ランクはE+程度よ。正確に言えばD-からE+の中間ではあるけど。とはいえ、三体でのパーティーを組んでいる私達が、Dランクのモンスターが主な二十一層に行くのは無理があるんじゃないかしら?」
「……ああ。以前から、メンバーの増加については考えてるんだ。前、ミズチがドロップした時試してみただろ? ただ初めてとはいえ、あまりにも連携が取れかったし、多分お前達が特殊なのか、全然フィットしなかったのは覚えてる筈だ」
彼女ら三人は、ランク以上の能力がある。
そのせいで、ミズチは明らかな戦力不足だった。当然四体目になり得るはずもなく、売却。
同様にサンダーバードも試してみたが、こちらは幾分かマシだったとはいえ、やはり一体だけ動きが遅いのが目立った。
結局、俺は金が貯まった時に新たに購入するか、格上相手のドロップに期待するかという結論に至った。
そうして現在もパーティーは三体のみにとどまっている。
実力的には大丈夫なはずだ。
二十層のD-ランクのモンスターらにさえ余裕を持って戦えてたし、ボスのDランクモンスターにも手間取る事は無かった。
D-からDランク。
ボスを仮定すればDランクからD+ランク。ここにどれほどの差があるかは、俺にとって未知数だ。
けれど、挑戦したい。
その欲求を胸に秘めながら。
静かにそう決意したのだから。
「白狐、心配するな。信じてついて来てくれ。死なせたりはしないし、お前をもっと強くさせる。
「……いや、別に、私は強くなる事を望んでる訳じゃない」
「そうなのか……? なら、何だって望みを言ってみてくれ。可能な限り叶えよう。俺はその程度しかお前のモチベーションを上げる方法を知らない」
俺がそう発言すると、彼女は戸惑ったような顔をする。
俺と彼女の信頼関係はまだ発展途中だ。とはいえ、前よりは良くなったと思う。思いたい。
少し踏み込んだ話をした時も嫌がらなくなったし、自分を見せる時、これまでは問答無用でノーだったのが、少しだけ悩んでくれるようになった。
白狐とは上手くやりたい。
「……もう良い。願いはいつか言うよ。だから、今は貴方に付いていく。マスター」
けれど、そんな願いは一先ず保留にされ。
遠慮がちに、彼女は短くそう答えただけだった。
**
迷宮01、二十一層。
広い野原と多くの木々。照らす太陽は熱く、真っ青な空が上にある。
思い返せばここ最近はずっと迷宮01に潜りっぱなしだ。
こうして潜っていると、迷宮01のメリットを痛感する。
メリットの一例として、多種多様のフィールドがある為、モンスタードロップを頼りにする場合タイプが偏らない事がある。これはギルド側の値段が少々高いと感じていて、ドロップアイテム狙いをしている俺としても非常に助かる事だ。
「マスター、コカトリスです」
アンナが茂みの中で敵を探し当て、杖で方向を指したと同時に攻撃を仕掛けた。
同時に俺たちもアンナに続く。
『氷矢』
氷の矢が奇襲となり、鶏の形をしたコカトリスに突き刺さった。
デカい。
接近する為近づくと分かるが、一メートル近くある。
氷の矢は羽根に刺さっている為、致命傷にはならなかった筈だ。
「出現する敵は情報通りだ! コカトリスは尻尾に蛇を持っているから視界が二つある。囲んで攻撃しても効果は薄い。一斉攻撃だ。タイミング合わせるぞ!」
「はい!」
「了解です!」
指示を出して、緊張を抑えつつポケットに用意してあったアイテムを取り出す。
火魔法が内蔵されたポーションのガラス瓶だ。
手榴弾とも呼ぶそれを、俺は振りかぶる。
そしてガラス瓶を投げた同時に叫んだ。
「今だ!」
宙に投げられたガラス瓶が、コカトリスの視線を惹く。
その中身を知る由もなく、コカトリスの中で処理順位が決めつけられ、ガラス瓶の処理に防御手段のリソースをコカトリスは使った。
ガラス瓶は強風で弾き返され、駆け寄っていた俺たちの近くでパリンと割れる。
しかし、中身はブラフ。
爆発魔法など入っていない。
カウンターを成功させたと油断していたコカトリスは、ようやく騙されたのだと気づき、防御スキルのクールタイムを確認して間に合わないと判断し、すぐに回避に移る。
『水砲』
間一髪で水の砲撃を躱したコカトリスは、すぐに蛇を忍ばせ、毒牙を白狐に喰らわせようとする。
それをいち早く感知した俺は、白狐に届くよりも前に素早く剣で蛇を叩き落とす。
『火岩矢』
狙いを邪魔されずに定めて魔法を発動し終えた白狐は、火の岩矢をコカトリスに命中させる。
ドッ。
火がよく効いたのか、コカトリスは絶叫を上げた。
「終わりです!」
リリィが背後を取った。
『血弾』
血で出来た五つの弾丸が、散弾銃のように同時に放たれる。
それらはコカトリスに命中し、貫きながら、空いた穴の周りを溶かし始めた。
激しいコカトリスの抵抗が見える。
痛みに抗いながら、コカトリスは静かに息を引き取った。
「倒した、か。お疲れ、みんな」
「はい。お疲れ様です颯太様」
「上手くいって良かったな」
「ええ。お疲れ様、マスター」
口々から返事を受け取り、俺はコカトリスがいた場所へ向かう。
「無いか」
モンスターカードはドロップしなかったが、かなり良い大きさの魔石がドロップしてあった。
更にコカトリスの羽毛が三つほど残っている。
中々幸運だ。
魔石を手に取ると、良い具合の重さがある。
魔石は通常死ぬほど軽いのだが、しっかりと重量を感じられるという事は質も高いのだろう。
「よし、この調子でドンドン進むぞ」
**
二十一層。
ボスエリア前。
存外順調に攻略は進んだ。
道中遭遇した敵の数は十数体。
内、運よくシャナがドロップした為即戦力になりそうだ。
と考えれば今のパーティーは四体。
シャナを使い慣れてないので、積極的に彼女にだけ指示を出す必要がありそうだが、
俺は確認の為シャナのカードを見る。
スキル構成は……後衛よりか。初級魔法の風、土。回復魔法もあるな……。火力は高くないし、ヒーラーが適任か? となると腕を見る為にも一旦指示を出さずに彼女自身の判断を仰いでみるか。
結論は出た。
「リリィ、今回はシャナを回復役として使うつもりだ。なので、シャナの指示に時間を割くこともあるだろうから、各自俺の指示がない時は好きに動いてくれ。統率が不安定なようならサブリーダーのような形でリリィに指揮を取って欲しい。出来るか?」
「問題ありません」
「皆んなもそれで良いか?」
「はい。大丈夫です」
俺一人だと今後指揮が回り切らないという問題は常に付き纏っている。
三体までなら大丈夫だが、四体以上になると厳しい。だからこれからの事も考えるならサブリーダーが必要なのだ。
俺は暫定的なサブリーダーをリリィに決定した。
彼女の戦闘に関するセンスは誰もが認めるところだ。リーダーシップと言うよりは、彼女の場合カリスマだろうか。このサブリーダーとしての素質も一旦様子を見てみることになるだろう。
「行きましょう、マスター」
アンナに手を引かれ、俺は考え事の波から顔を上げて息を吸い込む。
そうだ。
大丈夫。
落ち着け。緊張なんていつもの事だ。
俺たちは戦う。
戦って、相手を殺し合う。
痛みを与え合って、互いを傷つける。
それをするのが探索者なのだから。
「行こう」
短く呟いた。
一歩踏み出し始めた瞬間、空気の重さが変わる。
雲に包まれ、晴れやかな晴天は姿を顰めた。
緑色の野原は燃やされたように、不自然に一部分が消えていたりする。
木々が多くなて、茂みや大きな岩の数も増え出した。
「ッ」
白狐が短く息を漏らした。
同時の俺も、全身を監視されているかのような圧を感じ取る。
──来る。
直感的に誰もがそう思う。
ガルルル。
獣の鳴き声だった。
猛獣。
頭にそんな言葉が過ぎる。
一秒、二秒が過ぎて、来ないのか? 一瞬そう思った瞬間だった。
スッと、強風が押し寄せ、半目になって視界が狭まる。
ほぼ同時に鳴ったのはとても大きな金属音だった。
ギィッィィンンン!!
素早く敵からの攻撃を防いだのはリリィだった。
「ッな」
一瞬のうちに接近し、その爪をこちらに鋭く振るってくる。
敵の正体は一瞬の内に絞られて行く。
「獣人戦士…いや、獣人闘士か!!」
獣人闘士。
ランクD+。獣人系列で、獣人戦士の進化先だ。
獣人闘士。それも猫の。
「速いですね、貴方」
対峙したリリィが短剣で爪を押し返した。
獣人闘士が少しのけ反る。
その隙に鋭く獣人闘士の目を狙って、リリィが短剣を突き出す。
が、その短剣もまた爪を突き返すようにして獣人闘士に防がれた。
「ッ……へぇ」
リリィが微笑う。
この距離感では、魔法も駆使するリリィの本来の力は発揮し切れない。
けれど、リリィはそのまま接近戦を楽しむように、再び短剣を構える。
四足歩行のように姿勢を低くした獣人闘士は、バネのように脚で地面を弾き、一瞬の内にしてリリィとの間合いを詰めた。
シュッ。
軽快に風を切り裂き音を鳴らしながら、彼女の拳が振るわれる。
リリィが防御の構えを取った。
が、獣人闘士からは逆の腕がリリィの顔を捉えていた。
フェイントだ。
鋭いフェイントで防御の位置を動かし、速さを重視した拳を当てる。
リリィが頬に拳を喰らい仰け反る。
が、同時に密かに突き出していた手が獣人闘士に触れる。
『ドレイン』
生命力が、体力が手を通して獣人闘士からリリィへと流れる。
その時間はほんの僅かではあったが、獣人闘士は素早く手を振り払って距離を取った。
「シャナ!!」
「こんにちはマスター、ってそんな事言ってる場合じゃなさそうだね!」
「ああ、回復魔法をリリィに。次の回復魔法に関してはタイミングを任せるから、上手くやってくれよ!!」
「責任重大だね。了解!!」
シャナを側に呼び出し、指示を下す。
一先ずリリィに回復を掛けてもらう。
癒しの光がリリィを囲み、血を吐き出していたリリィの口元が治っていく。
「治りました」
リリィの報告に安堵し、俺は次なる指示を頭の中で回す。
そしてアンナと白狐に声をかける。
「アンナ、魔法でリリィの援護を!! 白狐は狐の姿に戻って接近戦で手助けしてくれ!!」
「はい!!」
「了解!!」
二人にも指示を下す。リリィと敵の攻防は硬直状態。しっかりと援護をして勝ち切らねば。
アンナが杖を構えた。
『水流』
素早く放たれた水の水流が獣人闘士を押し退けるようにして、避け切らせずに掠る。
──ッァ
彼女は、獣人闘士は身を反転し、水流を往なしながら後ろへと跳んで距離を取った。
猫系だけあって相当な跳躍力だ。
いつ襲ってくるかも分からない。
気をつけなければ──
そう考えていた瞬間だった。
違和感に気付く。
「──どこへ行った?」
一瞬、獣人闘士が視界から外れて彼女を追おうとしたが、彼女はどこにも見当たらなかった。
消えた?
いや、まさか。ボスモンスターが逃亡する訳がない。
このエリアがボスの縄張りであり、支配下なのだから。
刹那、強烈な悪寒が走った。
背中に何かを感じて、ブルッと体が震えた。
この感覚を知っている。
危険を知らす、信号だ。
──ガァアア
「ッぐ」
彼女は既に目の前に現れていた。
急いで剣を構え、防御の姿勢を取る。
そして重い衝撃が剣にのし掛かり、俺は重力が消えたような錯覚に陥る。
直ぐに体勢が崩れたのだと知って、足で地面を探りながら、再度踏ん張ろうと試みるが、足が地面に届くことは無かった。
ヤバい。
そんな久しい感覚を肌身に受ける。
命が奪われるかもしれないと言う恐怖。
死という想像もしない空想物が、確実に現実を犯してその手を伸ばして来る光景が浮かぶ。
獣人闘士が腕を振るおうとする。
当たれば死ぬ。直感的にそう感じた。
しかし、彼女は頭を射て来た氷の矢を避ける為、攻撃を一旦遅らせた。
アンナが放った氷の矢は空を突き抜けて行く。
その一瞬の遅れを逃さず、すかさず俺の元へと駆け寄ったリリィが、獣人闘士に切り掛かった。
短剣を滑らせる。
それを滑らかに躱わして、獣人闘士は再び距離を取った。
「マスター、腕折れてるよ!! 一旦じっとしてて」
シャナに抑えられて、俺は自分の腕の状態を見る。
腫れ上がっているのが目視で分かる。
同時に今まで若干麻痺していた痛みが襲いかかってきた。
上手く防げた上でこれとは、まともに食らっていれば腕が複雑骨折していたかもしれない。
その力強さに今更ながら冷や汗をかく。
『ヒール』
シャナがヒールが掛けてくれる。
激しい痛みが続いていた右腕が癒やされた。
「ありがとう」
「うん」
場面は戻り、獣人闘士がジリジリと距離を測るように後退していた。
そしてその背後に迫っていた白狐が、隙を見逃さず切りつける。
その距離なら避けられない筈だ。
当たる。
そう確信した、次の瞬間、獣人闘士が素早く向き直り、爪同士がぶつかった。
ガァン。
まるで金属同士が撃ち合ったかのような硬い音が響く。
右手、右足同士の硬い肉の塊がぶつかり合う。
強さ。その二言が何よりも、この戦いの行く末を分つ。
力強さで獣人闘士が押し勝ち、白狐が熟練された技術で受け流す。
この攻防は互角に終わる。
そして。
全く同じ瞬間、二体が次に取った行動はとてもシンプルだった。
左手、左足が互いの首元へとノーガードで振るわれた。
彼女らの攻撃速度は同じだった。
ただ、一つ勝敗が分けられた理由があるとするなら、それは仲間の有無だったのだろう。
白狐の脚が獣人闘士の首元へと届く。
同じく、獣人闘士の攻撃も、白狐の首元へと届いていた。
しかし決定的な違いがあるとするなら。彼女は白狐の首元を引き裂く前に、腕を血の矢に、手の甲を氷の矢によって貫かれていた。
獣人闘士の首元が大きく抉り取られる。
咄嗟に受け流された為、即死とはなり得なかったが三割以上の首を失った彼女は瀕死寸前の筈だ。
むしろ死が確定した彼女に取って、中途半端に死ななかった事の方が苦しみを与えているように感じる。
立ち尽くしたまま、体内から流れ続ける血と崩れそうな臓器を手で押さえようと足掻くだけだった。
獣人闘士は、その瞳に未だ憎悪と殺意を含みながら、しかし確実に足が震えていた。
彼女はこのまま死ぬだろう。
迂闊にトドメを刺す事もなく、彼女が息絶えるまで身構えたまま待つ。
すると、殺意を向けていた彼女は次の瞬間、感情の読み取れない表情で口角を上げた。
彼女はそのまま手を動かす。
何をするつもりだ?
そう考えていると、何かが彼女から放り投げられていた。
視線が向く。
あれは……髪飾り?
彼女が付けていた物のはず。もしや何か、危険な物なのか?
爆弾?
呪い?
何だ? どう言う意図で……
思考が周る。
ゆっくりと重力に引き摺り下ろされる、美しい装飾の髪飾りが目に映った。
が、強烈な違和感を覚える。
──あれ、彼女は……どこだ?
意識外から、いつの間にか彼女はふらっと倒れるように消えていた。
視界内のどこにも見当たらない。
いない。
……居ない。
何処へ?
そんな質問をするまでもなく、答えが分かった。
──背後
素早く後ろへと剣を振るった。
手遅れかもしれない。もうあの拳がすぐ首元まで迫っているかもしれない。
そんな恐怖の想像が溢れ出す。
そして、痛みが来ないまま、間に合ったと、剣の位置を把握しながら感じて。
剣が空を切った。
背後には何も無かった。
背後にいる事でしか説明が付かない筈の彼女はしかし、そこには居なかった。
なら何処に。
何処にいる!!???
混乱の中、耳が拾ったのは己の背後に迫る足音だった。
──……ック………ィト……
チェックメイト。
彼女は確かに、そう言ったのだと思う。
その掠れ声が聞こえるほど彼女は直ぐそばに迫っていたのに。
俺が振り返った時、そこに残されていたのは魔石と彼女のカードだけだった。
ゴロッ
魔石が転がって、踵に当たる。
直ぐそこまで伸ばされていた死の手は、そう、ほんの数十センチ届かなかった。
それだけだった。
けれど。
その意味は自分で思うより大きい。
死んでもおかしく無かった。
その事実だけが、急激に晴れ暖かな陽射しを照らす太陽に反して寒気を植えつけ続けていた。
***
私は、目覚めた。
召喚されて目を開ける懐かしい感覚と、自分の変わった体に気付きを覚える。
私は……。
記憶は残ってないけれど。
自分を構築する記録が、知識に刻まれている。
私は獣人闘士。かつては獣人戦士だった。
いつ進化したのかは分からない。
ボスモンスターとして彷徨っていた筈だ。
生まれ直す時再構築された体が、ボスモンスターとして設定された為格が引き上げられたのだろうか。
まあ、何でも良い。
私の今回のマスターは、一体どんな人物だろうか。
「初めましてマスター。獣人闘士です。どうぞよろしくお願い致します」
正しい挨拶を述べ、一礼してから顔を上げた。
己のマスターを視界に捉える。
十五歳ほどだろうか。
随分若いように見受けられる。仮にも私はD+ランクのモンスターな筈。
いつから探索者を始めたのかは知らないが、どの道とても才能に溢れるマスターであろう事が分かる。
「ご丁寧にどうも。獣人闘士は前衛で良いんだよね……ってこの名前呼びにくいな」
それは確かにそうかもしれない。
まぁ、獣人戦士だった頃も縮めて獣人ちゃんだとか呼んで貰っていたみたいですし。
「もし構わなければニックネームを付けさせてもらって良いか?」
「……構いませんよ」
そう答えると、マスターは考え込む。
別に大した名前は付けなくても良いと言うのに。
「あ、思い付いた」
「なんですか?」
純粋に、彼に尋ねてみる。
「フェリス」
「フェリス……ですか?」
「ああ。パッと浮かんだんだ。何となく似合ってる気がする」
「そうですかね?」
フェリス。
必死に知識の中を探って、探り当てた。
それはスペイン語で幸せや幸運を意味した筈だ。
私には似合わなそうだ。
けれど。
幸せ。
何故か、妙にとてもその言葉が気に掛かった。
「マスター。ありがとうございます」
決して似合う名前はないだろうけど。
けれども、私の中に浮かんだ感情は感謝だった。
その名前を貰ったことに喜んでいたのだ。
「フェリス。よろしく頼むよ。これは白狐にも言ったんだが、望む物があるなら何だって言ってくれ。その代わり、その力と才能の全てを使い尽くしてくれ」
「言われずとも大丈夫ですよ。貴方の命令に従います。貴方は私の……マスターなのですから」
幸せ。
その二文字が頭に浮かんだ瞬間から、その二文字は私が今欲しいと思える唯一のものになった。
マスターが私に幸せを与えくれるのかどうかなんてわからないけれど。
少しだけ、何が叶えば……
何が実現すれば、自分が幸せになれるのかを考えてみようと思った。
なんか結局今回も長くなってしまいましたね。




