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男泣きするテオドールは置いといて__いや、少し遊びすぎてしまった。申し訳ない。後でお詫びに例の薄い本を持っていこう。冗談抜きにして面白いのだ。
いけない、思考がそれてしまった。
リーゼロッテは考える。
このままじゃ、私はみんなから愛されるご令嬢のままだわ。癖を治すなり、テオみたいに壁の花になるなりしないと。でも周りが壁の花にしてくれないのよね。人気者は辛いわあ。
「何か、いい案はある?」
「これからの小説の展開についてですか? それでしたらノーコメントです。僕は一介の読者として楽しみたいんです。それに、最新刊まで読んでいないので何ともコメントしずらい状況にありますし」
「違うわよ」
私の愛されすぎ問題についてよ。そう言う前にテディは続けた。どうやらまだふざけていたようだ。
「やはり、言葉でダメならば態度で示すべきだと思うんです」
「態度?」
「睨みつけたり、足を踏んだり、舌打ちしたり、膝への下段蹴りを決めたり」
「等間隔で暴力を入れるのやめてくれない?」
膝への下段蹴りなんて、嫌われる以前に人としてやってはいけないだろう。被害者は最悪膝が壊れて、しばらく杖をつく生活になってしまう。
「せめて上段回し蹴りだろう。あれは怖い」
しばらく放っとかれて落ち着いたらしいテオドールが会話に参加してきた。したり顔で上段回し蹴りを推す。幼い頃、練習相手として寸止めで受けたことがあるのだ。今思うとマネキンで良かったのではないかとも思うが、あの時のリーゼロッテは嬉々として蹴りを放っており、とても嫌だと言える雰囲気ではなかった。
「二人して私に暴力を求めるのはどうして?」
「リズ様のイメージですかね」
「なるほど」
テディの簡潔な返答に、リーゼロッテは朗らかな笑顔を浮かべた。よく見ると、額には青筋が浮かび上がっている。微笑みは仮面のように顔にひっついているが、どう見ても般若の様相である。
「ご要望にお応えして」
「痛いっ」
朗らかな笑顔を浮かべたままテディを端に追い詰め、またもや足の甲をグリグリと踏みつける。
正直なのは美徳だが、やはり時と場合によるな。痛みに震えるテディの背中を見て、テオドールは心に刻みつけた。
さて、忘れてはいけないが今はパーティーの真っ最中である。いつまでも引っ込んでいてはいけない。
リーゼロッテは嫌がるテオドールを脅しすかして(宥めすかすではない)、人影のなかったバルコニーからどこを見ても人影しかない会場内に戻った。
木登りをして不法侵入したテディは、しばらく法を犯し続けることにしたらしい。どこからかジュースの入ったグラスと皿いっぱいの食事を持ってきていた。従者が不法侵入に加えて窃盗の罪も犯したわけだが、主人のテオドールは見つからなければどうだっていいらしい。
リーゼロッテは人々の中心に、テオドールは壁の草に、二人はそれぞれ身を置いた。
そしてしばらく経った頃、リーゼロッテは耐えがたい苛立ちを必死に隠して微笑を浮かべていた。が、顔が引きつっている。テオドールやテディのようなごく親しい間柄の人間にしかわからないであろうが、完璧な猫かぶりをするリーゼロッテにしては珍しいことだった。
「さあ、リーゼロッテ嬢。勇気を出して、僕の手を取ってくれ。あの時、君と過ごした時間が今でも忘れられないんだ。美しく可憐な君の隣に立つのは、僕のような男でないとダメだろう? 二人で一緒にしがらみもない世界へ逃げ出そう。僕らを分かつものは何も無いんだ。僕を……信じて」
『僕を』と『信じて』の間で一拍置くところがなんともイラつく。自分の容姿が美しいことを鼻にかけているところがムカつく。一度ダンスを踊っただけなのに妙に馴れ馴れしくてキモい。自分も地位と責任のある立場なのに、全て投げ出すようなことを簡単に言うようなところがもう生理的にムリ。
リーゼロッテの前で無意味で情熱的な口説き文句を吐いているのは、バルコニーへ行く前にもしつこく誘われて辟易していたバーミンガム侯爵嫡男のダニエルである。前バーミンガム侯爵の時代に商売で一旗揚げ、現バーミンガム侯爵がその地位を盤石なものにし、次期バーミンガム侯爵が盤石な地位にヒビを入れると言われている。
なまじ力のある家柄だけに、他の者がリーゼロッテとダニエルの間に割り込んで話そうとはしてこない。
「ダニエル様、申し訳ありませんがわたく」
「ああ、なんて可愛らしい声なんだ。もっとそばで聞かせてくれるかい?」
「ですから、ダニエルさ」
「君に名前を呼ばれるだけで、僕の心は荒れ狂う。この心の嵐を止めてくれるのは君しかいないんだ、リーゼロッテ嬢」
明らかに矛盾している。私が起こす嵐を私が止まるってどういう事だ。
もうやだ。逃げ出したい。というより引き倒したい。今すぐ男性特有の急所を蹴り上げてやろうかしら。
ここで頼りにしたい男は、今も壁の草をしている。救援信号と言う名のアイコンタクトは何度送っても返信はなかった。
もうっ! 本当に使えない!
猫かぶりを忘れてテオドールを睨め付ける。さすがに恋のせいで盲目なダニエルも、リーゼロッテの視線の先に気づいたようだ。咎めるようにリーゼロッテに語りかける。
「おや? リーゼロッテ嬢、僕を差し置いて何を見ているんだい? 今は目の前にいる僕のことだけを見ていてほしいな。あんな根暗で無能な奴ではなく」
「はい?」
目の前の男が何を言い出したのかわからず、思わず声をあげたリーゼロッテ。その反応をどう受け取ったのか、ダニエルが嬉々として続ける。
「君が見ていたのはテオドール殿だろう? 彼は君にふさわしく無い。髪も瞳も暗い闇の色だし、あんな冷たい目つきをする男が、君を幸せにできるはずがない。あいつの取り柄はその家柄だけさ。唯一の誇れるものである家柄にしがみついている、醜い男だよ全く」
こいつは何を言っているのだろうか。
「そもそも宰相なんて柄じゃないだろう。人と話すことさえしない無能が将来国の中枢に行くなんて、僕は不安で仕方がないよ。少しぐらい努力でもすればいいものを、どうせ日がな一日遊んでるんだろう。ここでは静かにしているだけで、娼館に通い詰めているって噂もあるし。全く、親の金でよくやるよ。最底辺のクズとはきっとああいう人のことを言うんだろうね」
なんの根拠もない自論を展開するダニエル。何が彼にそうさせるのか、テオドールのことが気に入らなくて仕方がないらしい。
目の前がスッとクリアになり、何も考えられなくなった。
気付いた時には、体が動いていた。
具体的には、足が。