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リーゼロッテはキレやすい。テオドールやテディと話しているときは三十分に一度は目を釣り上げている気がするし、猫かぶりしてるときだって心の中で何回薬指を突き立てたかわからない。
でも、こんなにプッツリきたのは久しぶりだと、左足を踏み込みながら思った。
ああ、ここでぶっ倒しちゃったら、私、嫌われるどころか社交界追放じゃないかしら。一足早く修道院行きもありえなくないわね。
妙に冷静に、しかし煮え繰り返った怒りは抱いたまま、ダニエルの横面を見据える。白い太ももが見えるのも構わずに右脚の膝を曲げたまま高く上げた。
そのまま腰を返しながら勢いで膝を伸ばす。身につけていた空色のドレスが翻る。ヒュッと風を切る音がして、ハイヒールを履いた足の甲がダニエルの顔にダイレクトにヒットした。
と、思われた。
「っリズ!」
自分の愛称を呼ぶ、聞き慣れた声。
滑らかな曲線を描いて目標を捉えていたリーゼロッテの足は、ヒットまであと数センチの所でピタリと止まった。強烈なリーゼロッテの回し蹴りの風圧で、ダニエルのセットした前髪がはらりと乱れる。
その場にいた誰もが、今見たものをを容易に受け入れられなかった。
あのリーゼロッテが、衆人環視の中で、自分よりも大柄な男相手に、見事な回し蹴りをしたのだ。
その日からリーゼロッテの周りは一変した。こんな事件を起こして、愛され令嬢のままなわけがない。
まず、多くの令嬢からの友好を示す手紙と貴公子たちからの恋文が途絶えた。リーゼロッテ自身も返信を面倒くさがってテオドールやテディに内容を考えてもらっていたくらいなので、あまり気にしなかった。
婚約の申し込みもめっきり減ったし、申し込みの取り消しを求める書状が届くこともしばしばあった。それでも申し込みが少なからずあるのは、マグロス侯爵令嬢というリーゼロッテの肩書が目当てなのだろう。これに関しては苦労したのは書類の整理に追われた当主である父と補佐役の従者くらいで、リーゼロッテは申し訳ないと思う程度であった。
そして、家族の反応。リーゼロッテとしてはそこを一番心配していたのだが、想像していたよりもずっと淡白なものだった。
『いつかやると思っていた』
母も兄のクラウスもそれだけである。父からは恨み言を言われたが、友人が一気に減った娘を心配する言葉のほうが多かった。
嫌われ令嬢になるまでどんな長期戦になるかと思ったが、とんとん拍子に目的を達成してしまった。そういう点では、あのダニエル・バーミンガムに感謝の念を抱くことすら禁じ得ない。テオドールをコケにしたことは許しはしないが。
どうやら、リーゼロッテの地雷はテオドールだったようだ。判りきったことではあったのだが、実際に踏まれるとここまで暴発することになるとは思っていなかった。
なるほど、ヤンデレの素質はあったわけだ。テオドールに言うと心配されるだろうから、言うつもりはないが。その素質が兄に向けての愛情で開花しなくてよかったと、リーゼロッテは人知れず胸をなでおろした。
とにもかくにも、猫かぶりがどうこう以前に『ヤバいやつ』認定されたことによって周りから人が離れていったリーゼロッテ。嫌われるのとはまた違った形だが、結果的には同じである。
これでテオドールも一安心かと思いきや、そうではないのである。
あの事件の時、ダニエルに上段回し蹴りを決めようとしたリーゼロッテにとっさに呼び掛けたテオドール。それはひとえに、リーゼロッテが『男を一撃で気絶させたご令嬢』という社交の場では限りなく不名誉な称号を得ないようにするためであった。
しかし、現場にいた人々の目には、風前の灯火であったダニエルに救いの手を差し伸べたように見えた。自分を散々こけおろしていたあのダニエル・バーミンガムに、である。
しかも、そのあとのテオドールの行動のおかげで、さらに人々に目には素晴らしい貴公子として映ることとなった。
「皆様、お騒がせいたしました」
周囲に集まった参加者たちに優雅に一礼し、
「君、大丈夫か? 怖かっただろう」
へたり込んだダニエルを助け起こし、
「リズ、ここは公共の場なんだ。婦女子がそんなに肌をさらけ出していいわけがないだろう。ほら、控室でドレスを整えよう。せっかく似合ってるんだから、着崩してちゃもったいないだろ」
そう言って『ヤバいやつ』認定された令嬢を柔らかな笑顔でエスコートする。
洗練された一挙手一投足。人目を惹く美しい容姿。堂々たる態度。そして、甘さ控えめのフェミニスト。
長らく噂でしかその人となりを知ることのできなかったテオドール・アレキサンドの新たな一面に、貴族のご令嬢たちは夢中になった。
その結果、テオドール一人では対処できない量の恋文が王国中から集まったのである。
「……で、私に恋文の返事を書かせていると」
「今まで手伝ってやってたんだから、その分は働いてもらわないとな」
「学園の入学準備もあるのにこんな仕事まで増やすなんて、我が主ながら鬼畜の所業ですね」
「私だって暇じゃないのに」
「用もないのに訪ねてきたのはどこのどいつだ。とにかく、学院に入学する前に片づけるぞ」
アレキサンド公爵家の王都の屋敷にて、リーゼロッテとテディはテオドールに届いた恋文の処理に追われていた。
__ああ、この子は刺繡が得意なのよ。この子はおとなしそうに見えて趣味は乗馬なの。あら、このご令嬢には婚約者がいらっしゃったはずよ。うまくいってないのかしら。
恋文の差出人の情報を垂れ流しながらテキパキと作業をするリーゼロッテ。社交界で突然孤立した寂しさなどみじんも感じさせないその様子に、テオドールはほっと息をついた。嫌われろなどと言っておきながら、常に周りに人がいた状態しか知らないリーゼロッテを心配していたのだ。
「突然蒸し返すようですけど、やっぱり嫌われるにはリズ様の足技が手っ取り早かったですね」
「本当に突然ね。まあ、その通りだけど」
「学院で友達ができなくて寂しくなったら、すぐに連絡してくださいね」
「同じ敷地内にいるのに?」
部屋の隅には、衣類などの荷物が中途半端に放り込まれたボストンバック。
《乙女ゲーム》の舞台である学院に入学する日が近づいていた。
さて、目論見通りに(?)しっかりと周りから人を排除した悪役令嬢。だが、物語はまだ始まっていない。
幼馴染のモテ男とその従者を引き連れて、入学するシャラマイユ学院が次なる舞台。
そこでゆかいな仲間をもう一人増やして、物語は動き出す。




