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「殿下、少しよろしくて?」
カツカツとヒールを床に打ち付けて、リーゼロッテはにっこりと笑った。後ろには聖母のように微笑むハンナ。途端、レオナルドの顔がホッとしたように緩み、ベアトリーチェの顔が不機嫌に歪む。
「申し訳ありませんが、レオナルド様は私とお話なさってるの。また機会を改めてくださる?」
「本日の茶会は、普段殿下とあまり話すことのできない方々のために開かれたようなものですわ。ベアトリーチェ様が他の方々を殿下と接することが出来ないようにするのは、殿下の意に反することだと思います」
「でしたら、リーゼロッテ様がレオナルド様とお話しなさることこそレオナルド様の本意ではないと思いますわ。リーゼッロテ様のお兄様とレオナルド様はお友達なのですから、お話しする機会も多いはずですもの」
「いや大丈夫だよ。なんだい、リーゼロッテ嬢?」
加熱しそうな口頭での殴り合いは、レオナルドの優しい口調で停戦となった。リーゼロッテとしては消化不良なところはあるが、レオナルドの安心しきった目を見て考えを改める。
ハンナはレオナルドのことを、ただのヘタレだと言っていた。この様子を見ると本当にそうなのかもしれない。
そうなると、何処かの誰かを思い出す。夜会に出席するたびに壁の草と化していた、大切で大好きな幼なじみ。
――ハンナ様も、こんな気持ちなのかしら。
頼りない幼なじみを、なんとかしてあげなければと言う使命感。将来どうなるのか見届けて、できる事ならば幸せになる為の手助けもしてあげたい。
リーゼロッテはそれを一番側でしたいと思ったし、ハンナは影からそっと背中を押してあげたいと思ったのだ。形こそ違え、小さい頃からずっと一緒だった人を思う気持ちは同じである。
ならば、精一杯力になってあげたいではないか。
「レオナルド様ぁ。リーゼロッテ様はたくさんの殿方がお慕いなさっている方ですから、せめてレオナルド様は私とお話なさって?」
「何をおっしゃっているのかさっぱり理解できませんわ。ベアトリーチェ様は頭が湧いてらっしゃるようですわね」
「……え?」
力になる上でまず最初にしなければならないことは、この目の前の勘違い女を退治することである。
「わたくしは別に殿方と話したいがために殿下に話しかけたわけではありませんし、ベアトリーチェ様もそうでしょう? そもそも、ベアトリーチェ様も殿方にお声がけされる事はたくさんあるではありませんか。それにつれない態度をとって、お話する機会をなくしているのはベアトリーチェ様ご自身です。殿下とお話する為の口実に使われるのは如何なものかと思いますわ」
感情表現豊かに、言葉に抑揚をつけてまくし立てるリーゼロッテはどことなく鬼気迫る迫力がある。それを目前にしたベアトリーチェは、リーゼロッテの笑顔なのに謎の圧を感じるエメラルドグリーンの瞳に背中をのけぞらせた。
ベアトリーチェのそばに(不本意ながら)立っていたレオナルドも口元を引きつらせ、王太子をめぐる令嬢のいざこざを遠目に眺めていた群衆も、これまで以上に立ち入ることができなくなったと固唾を呑んで見守る。
ハンナだけが、リーゼロッテの一歩後ろで面白そうにベアトリーチェとレオナルドの反応を見ていた。
この場にテオドールやテディがいたならば、リーゼロッテの顔を指差してこう言うだろう。
『獲物をロックオンした時のハゲタカの顔だ』
そして、この場にアリスがいたならば、リーゼロッテの顔を見て嬉しそうにこう言うのだ。
『リズさんの目、爛々と輝いていて、綺麗です!』
リーゼロッテは、楽しそうに笑った。手に持っていた羽飾りのついた扇の開閉を繰り返して手慰めをする。獲物がまた体を強張らせた。
「ベアトリーチェ様、そこを退いてくださいませ」
「い、いやですわ! レオナルド様、こんな恐ろしい方よりも私を選んでくださいまし!」
明らかにリーゼロッテに気圧されているベアトリーチェは、それでもなおレオナルドにすがりつこうとする。それを見たリーゼロッテは残念だとばかりに首を振り、ちょうど開いた扇をパシンと音を立てて閉じた。
そのままの勢いでベアトリーチェとレオナルドの間に扇を差し入れ、レオナルドを自分の背に回すように割り込んだ。
近い距離でリーゼロッテとベアトリーチェが向かい合う形になる。
「見てわかりませんの? 殿下は貴女に付きまとわれることを嫌がっておいでですわ。今、素直に引き下がった方が身のためでしてよ」
「う、うるさい! そんなことレオナルド様は一言もおっしゃってないじゃない。あなたがそこを退きなさい! 邪魔をしないで!」
顔を真っ赤にしたベアトリーチェがヒステリックに叫ぶ。キッとリーゼロッテを睨みつけ、あろうことか真っ白な手袋をした両手でリーゼロッテの胸を思いっきり押し込んだ。普通の令嬢ならすぐによろけてしまうぐらいには、かなり力の入った張り手である。
だが、残念ながらリーゼロッテは普通の令嬢ではない。幼い頃から騎士団長であるたちの背中を見て育ち、自らも鍛錬を積んだ武術の達人なのである。その身体の芯は並大抵の力では揺るがない。
実際、リーゼロッテは涼しい顔をしてベアトリーチェの張り手を受け止めた。悔しそうに顔を歪ませるベアトリーチェに、得意げに口を吊り上げるリーゼロッテ。
だがしかし、誰もがリーゼロッテが倒れると思ったこの瞬間、リーゼロッテのすぐ後ろにいたレオナルドはとっさにリーゼロッテの両肩を掴んで引き寄せていた。
予期せぬ後ろからの力に驚き、リーゼロッテはついたたらを踏んでしまう。流石に倒れることはなかったものの、拍子に右手に握っていた扇が地面に落ちてしまった。
カランと音を立てて地面に転がる扇。それを見たベアトリーチェがニヤリと唇を片側だけ歪ませる。
「あらリーゼロッテ様? 扇を床に落としてしまうだなんて、なんてはしたないのでしょう」
「……ええ、申し訳ありませんわ。誰か拾ってくださる?」
一般に、貴族が王族以外の前で跪くことはご法度である。もし床に何か落としてしまったとしても、それは使用人に拾わせることがマナーだ。
だからリーゼロッテは部屋にいる城の侍女に声を掛けた。しかし、彼女達が扇を拾う前にベアトリーチェが待ったをかけた。
「ダメよ。自分で落としたものは自分で拾わないと。ねぇ? リーゼロッテ様?」
これには流石のレオナルドも呆れの表情を浮かべた。貴族がものを拾ってはいけないのは常識であり、マナーだ。それをリーゼロッテに破らせようとしているのかもしれないが、そうなった場合はっきり言ってマナー違反なのはベアトリーチェに他ならない。そもそも、リーゼロッテに暴力を振るった時点でベアトリーチェの負けである。
「誰か……」
「結構ですわ」
リーゼロッテ嬢の扇を拾ってあげてくれ。そう言おうとしたレオナルドを、他ならないリーゼロッテが制した。戸惑いを隠せないまま、レオナルドがおし黙る。
「この扇をわたくしが拾えと、そう仰るのですわね?」
「そうですわ。他人に自身の尻ぬぐいをさせるなど、誇りある貴族にあってはならないことですもの」
立場が入れ替わったと、ベアトリーチェが楽しそうに笑う。
「そうですか……仕方ありませんわね」
諦めたように呟くリーゼロッテ。レオナルドが慌てて止めようとし、ベアトリーチェが笑みをさらに深める。
しかし次の瞬間、その笑顔は凍りつくこととなる。
「よい、しょっと」
可愛らしく掛け声をあげたリーゼロッテは、扇を取るために膝を折った。
そして扇の中心を見極め、後ろに引いて勢いをつけた足で蹴り上げる。扇は綺麗に垂直に飛び、リーゼロッテの手に収まった。
跪くことなく、蹴り上げることで扇を拾ったのである。一般にはとても褒められた所作ではないが、貴族としてのメンツを守るというこの一点においてはとても効果のあるものだった?
「な、な、な……」
絶句するベアトリーチェ。リーゼロッテは拾った扇を片手で優雅に開き、口元に当てた。
「お見苦しいものを、失礼いたしました」
誰が見ても、リーゼロッテの完全勝利であった。




