第三話
───8月6日18時頃、キャスタニア郊外にて。
自分の家に帰ってきたのは四日ぶり。まぁこの程度家を空けるのはいつものことだし気にすることは何もない。
夕日がまだ高い夏の空の下、私は玄関横の椅子にもたれかかってサウザのブルーを流し込んで喉を焦がし、客人を待つ。
シュトーレを狙う影が今も潜んでいる可能性は高い。だがプレッツェがいれば少しぐらい見張りを外していても問題はなかろう。
それにしても全く、あの子も律儀だ。育ちの良さが隠しきれていない。
しばしの休息に微睡んでいると、遠方から聞き慣れた原付のエンジン音が聞こえてきた。
現れた客人は、いつものような反抗的な目つきとは異なる、神妙そうな表情を浮かべていた。
「…ワリィ、呼び出して」
原付から降りてきたその子、リリはこちらに向かって歩きながらそう言った。
私も椅子から立ち上がり、彼女に近づく。
「弟子の言う事は聞かないと。それで、用件は?」
私がそう言うと、リリは唾を飲み込んで黙り込む。まだ何をどう伝えるべきか迷っているのかしら。
きっと彼女は、私に別れの挨拶を言いに来たのだろう。彼女の成すべき事を成す前に。
しばらく黙って待っていてあげると、やっとリリは口を開いた。
「…テメェは知ってたんだろ?ウチが稽古をつけて貰う為じゃなくて、テメェを監視する為に此処に訪れていた事をよ」
へぇ、薄々感づいていたけどやっぱりそうだったか。
「一応そうじゃないかって思ってたさ。ま、別に監視されて困る事ないしどうでもいいけど」
「…んだよそれ」
「それで今日はその監視業をやめる事を伝えにでも来たの?お前さんもあんまり時間がないだろう、手早く終わらせればいいさ」
「…ウチはさ、稽古付けてほしいって想いはホントだったんだ。それに答えてくれて感謝してる。世話になった」
「どういたしまして。ささ、早く行くがいい」
そう言ってあげてもリリはまだ動こうとしない。
「…すまねぇ、一つだけ頼み…いや、お願いを聞いてくれ」
「お願い?私とヤリ合いたいって?」
「…茶化すんじゃねぇよ。これはマジの願いなんだ」
リリはそう言って深く頭を下げる。全くもって礼儀正しい性格。
「シトレン・ルドマン…シュトーレに会わせてほしい。それだけなんだ」
「…あーら、そいつは少し厄介な内容だ」
ジョングオ派の狙いであるシュトーレ。そしてそのジョングオ派と繋がっている清龍党。その清龍党の実働部隊であるリリ。
リリ本人はジョングオ派に従う気は無いだろう。だが清龍党の人間をシュトーレに接触させる行為は危険極まりない。
此処で一つ良い事を思いついた。もしリリがシュトーレに手を伸ばせば、リリは私の敵となる。
この子と本気でヤリ合える機会が作れるかもしれない。実に素晴らしい。
少し考えれば厄介でもなんでもない願いじゃないか。私も仕事に囚われすぎていた。
「…いや、別にいいか。いいだろう、じゃあ今から行こうか」
「…本当にいいのか?ウチを信じてくれるのか?」
そう言ってリリは頭を上げた。
「信じる?シュトーレに会って何をするかは何も知らないし、知る必要もないさ」
「テメェ、清龍党とジョングオ派の事は知ってんだろ…いいのかよそれで…!?」
「ええ勿論。もし仮にお前さんがシュトーレに手を出そうとしたら、その時は私がお前さんを殺すだけだ。とってもシンプルな構図、悩む点は一切ない」
「…ヘヘッ、やっぱテメェはイカレてる。まぁ願いを聞いてくれるならウチとしてもありがたい」
「じゃあすぐに向かおう。時間がないのは皆一緒だからね」
「ああ…あ、そうだ。あくまでウチはテメェがシュトーレに紹介する形で頼むわ」
あえてそんな回りくどい方法を頼むのも、きっと彼女の過去が関係している。
彼女は自身の名前を忘れたがっている。シュトーレとも清黎々としてでなく、リリとして会いたいのだろうか。
この世界に生きる者にとって、名前とは重要な物である。例え本名が知られていようと、偽名を名乗っていたらそれが本名となる。
本名が紡いだ歴史と地位は偽名には継承されず、偽名のそれもまた本名には影響を及ぼさない。
故に相手の本名を調べるのは、その人物の全てを知ることが出来る愚かで正しい行為。少なくともこの場で行うのは野暮というものだ。
「分かったわ。それじゃあ行きましょうか」
私は残っていたサウザを飲み干して空き瓶を放り投げ、玄関に停めてあった愛車、S1000XRにまたがりエンジンをかける。
「お前さんの原付じゃオフは走れないんだろう?此処から道路使えば30分以上かかる、飛ばすよ」
「…ワリィ、世話掛けて」
「若い女子の面倒見るのは嫌いじゃない、気になさんな」
リリもすぐに原付に乗ってエンジンをかける。
ヘルメットを装備し、軽くふかせてから愛車を走らせる。舗装された道だから心置きなくスピードを出せるが、あの子の原付に合わせてあげないといけないのがもどかしい。
さて、この子はシュトーレ相手に何をしようというのか。どの道に転んでも楽しくなりそうなのは確かだ。
───同日同時刻、南部区域ワトルにて。
夕暮れ時の買い出しと外食を兼ねて、はるばるワトルまで足を運んでみた。
ずっと前にジェロシアがワトルの免税店の存在を教えてくれて以来、俺は愛飲しているメビウスを何不自由なく買うことが出来て助かっている。
そして俺が記事を出している外道伝まで並んでいるのだから驚きだ。ジェロシアが無理矢理取り寄せさせているらしいが。
彼女も旅行者じゃないのにこの店でセブンスターを買っており、彼女の銘柄へのこだわりを感じさせられる。
セブンスター…七つの星、七芒星…物事の結び付け方が短絡的なところも彼女らしい。
…一体彼女の何を知っているんだという話だが。
何となく、外道伝を手に取って自分の書いた記事をチェックしてみる。8月1日刊行だから…ネズミ使い編のクライマックスだ。
自分でもこんな嘘だらけの記事を良く書き上げたなと感心してしまうほど、内容が馬鹿げている。
まぁ編集長の話曰く、それなりに評判はいいらしいし別にいいだろう。大体大真面目にこんな雑誌を読む酔狂な人もいないだろうし。
「…へぇ、そんなゴシップ誌も並べてあるのか、凄いですね」
いつの間にか俺の隣に立っていた男がそう言って、俺はハッとして顔を上げた。
驚いたのは男の存在に対してではなく、彼が日本語を話したからだ。
「あ、すみません…邪魔でしたか?」
驚きながらも、一応俺も日本語で言葉を返しつつ、男の顔を見る。
年齢は俺と同じぐらいの青年だが…チャラけた大学生かチンピラめいた黒いワイシャツにドッグタグ、そして黒い太縁メガネ。
観光客にしては荷物は持ってないし、一体何者だろう。
「いえ、日本にいたころにもこんな雑誌あったなと思っただけでして、こちらこそすみませんね」
男はそう言って少し口角を上げて見せる。その笑顔を見て俺は無意識に後ずさりをしてしまった。
この笑顔の性質は間違いなく“裏の住人”のそれだ。しかもジェロシア達のそれと桁が違う、禍々しさを凌駕して絶対的な恐怖を此方に突き刺してくる。
「…フッ、どうかされましたか?それともこの街で過ごしてある程度相手の為人を察知できるようになったんでしょうか」
間違いない、相手は俺の事を知っている。非常にマズイ展開だ。
日本人で裏の住人となると、恐らく彼は日久組の人間のはず。
…いや、此処でひるんではいけない。まだ相手が何を仕掛けてくるか分からない。逃げるには早すぎる。
「…俺のことを知ってるんですか?」
「はい、世羅田晃司さん…おっと、こちらも名乗らなければ失礼ですね。初めまして、自分は日久組キャスタニア支部の支部長を務めております、日久秀馬と申します」
日久組の支部長…突然の大物との接触に俺は動揺する。
何故トップ自ら、いきなり俺の所に…?
混乱して言葉が出ないまま、相手が話を進めだした。
「…噂は色々と聞いていますよ。前に与一にもお会いしたようで、ご迷惑をおかけしました」
「め、迷惑なんて別に…」
「さて、あまり時間がないので本題に移りましょう。幸いこの免税店、客は少ないが警備は厳重、そしてこの店は我々日久組の管轄外です。此処で話し続ければあなたに危害は加わらない」
「…でも、この店を出れば…」
「心配なさらず。我々はあなたを殺す理由がない、今のところはですが」
遠回しに脅しをかけてくるのは本当にやめてほしい。何よりこちらの動向が大体掴まれているのが厄介極まりない。
「話を戻します。結論から申すと、しばらくあなたには日本に帰っていただきたい」
「…え?」
話が全く読めない。日本に帰らして一体何がしたいんだろうか。
「今この街で起こっている事件…まぁあなたもご存じでしょう、ルドマン家のトップが撃たれた事は」
「え、ええ」
「その事件の発端は、あなたの書いた記事である可能性がかなり高い。5月23日刊行の記事に、あなたは一枚の写真を載せた。その写真が事件のトリガーだと我々は推測しています」
「…ああ、あの…」
彼が言っている写真とは、Dear friendsで撮った三人の女性の写真の事で間違いない。
前もイブリースナンバー3…プレッツェの件で痛い目を見たが、ここにきてまた再発するとは。
だが少し不可解だ。写真の件でアコニットが訪ねてきた時、プレッツェの名を言うと彼女は予想していなかったかのような素振りを見せていた。
何よりプレッツェ関連の話なら事が大きく動いた時期と大きくずれている。
なら…あの写真に写った残り二人に何か謎があるのか。
「ルドマン家のアコニットさんともお会いされていると伺っています。今こうやってお話出来ていることより考えるに、何事もなかったようで安心しています」
「…すみません、一ついいですか?」
「ほぅ、何か?」
「自分が撮った例の写真…その写真に写っていたイブリースのプレッツェさんがきっかけでこの街で一騒動あったと聞いています…今回もそれに関する事なんでしょうか?」
さて、こちらの質問にどう返してくるか。
俺の質問に対し、日久は鼻で笑って見せた。
「…成程、洞察力もあって物怖じしない。プレグレッフィ家が目を付けていただけのことはある。世羅田晃司さん、あなたは実に幸運な男だ」
「…どういうことですか?」
「相手が自分だったと言う事です。いいでしょう、質問に答えます。今起きているのはあの写真に写った茶髪の女性…シトレン・ルドマンに関する事件です。プレッツェさんとは関係がない」
「シトレン…ルドマン…ルドマン?あのルドマン家ですか?」
「ええ、その通り。ルドマン家の娘はあのパン屋に隠遁させられていた。外部メディアや情報屋の目は意図的に遮断されてね。しかしあなたの存在をルドマン家はマークできていなかったらしい」
「…そして情報が漏れた、って事ですか」
「最も有力な流れとしてはそうなります。それが偶然か否かについて…アコニットさんにも問い詰められたんでしょう?」
あの時の状況を思い出すだけでも悪寒が走る。俺は黙ったまま頷いてみせた。
「やはり。まぁ我々は偶然だったと推測しています。だがルドマン家は勿論、本事件に関わっている者達はこれが計画的犯行ではないか…と考えるのがごく自然な流れ」
「確かに偶然にしては出来過ぎている気がしますね…」
「今、あなたは重要参考人としてマークされています。何よりプレッツェさんの件から立て続けですから、より疑いが強くなっている。現在この街に居続けるのはあまりにも危険だと思いませんか?」
「…そうですね」
「キャスタニアで警察の加護がなくても、日本に帰ればあなたはただの社会人。比べ物にならないほど安全が保障されています。ですから此処は帰国される事を薦めます」
…一通り相手の話を聞き、相手が想像以上にこちらの動向を掴んでいることに恐怖しか感じられない。
だが一番の謎は、接点のない俺を何故助けるような素振りを見せるのかだ。
相手の言う事は間違っていないが、あまりにも親切が過ぎるのではないか。
「…分かりました。でも、どうしてトップのあなた自らそれを伝えに?」
「深い事情なんて何もない、この街でコソコソ嗅ぎまわっている輩の顔を一目見たかっただけです」
彼はこちらを煽る言動を放ち、軽く笑って見せた。
「それと…日久組も助けられていますからね、御社には」
「は…?越膳社に…!?」
突如現れた会社の存在に更に動揺を曝け出してしまう。
日本で日久組なんて暴力団の名は聞いたことないし、増して越膳社が暴力団と深く関わっている話もないはずだ。
「…ああそうか、そちらは知らないんでしたっけ。日久組の事は」
「え、ええ…」
「なら一つだけヒントをお教えしましょう。日本国民全てと日久組は密接に関わっている、一切の例外なく」
「…それは、どういう…」
「それだけ力を持った組織と言う事です。其処から何を考えて動くかはそちらの自由ですけど」
暗に都合が悪ければ容赦なく潰せる事を言っているようなものじゃないか。
日本に深く根付いているのに名前が知られていない組織となると、最早太刀打ちなど不可能な相手だ。
仕方ない、此処はおとなしく従おう。
「…ではしばらく自分は日本に戻ります。わざわざ助言下さってありがとうございます」
「いえいえお構いなく。ま、お盆も近いですしゆっくり休まれて下さい。では、そろそろこの辺で」
彼はそう言って頭を下げ、免税店から去って行った。
気が付けば外には何台ものセンチュリーが路肩に停まっており、彼はその中の一台に乗り込んだ。
もし下手な行動を取っていたらどうなっていたか、考えただけでも恐ろしい。
日久組の正体や、今起こっている事件の全容など気になることは山ほどあるが、これ以上の深入りは不可能に近いと考えるのが妥当だろう。
会社には盆休みと有給申請を通して、一旦日本に帰ろう。




