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鉄薫る世界にて  作者: キャバルリー
第九章:トラウマ ~ルドマン編~
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第六話

───8月4日17時頃、キャスタニア郊外、教会にて。

応接室でレイヴンは窓の傍に佇む。シュトーレは呼吸や拍動こそ正常だが目を覚ます様子はない。

あれだけの緊張状態が続いていたのだから無理も無い。

レイヴンはスキットルの口を舐めながら来客を待つ。


「…こちらです」


扉の向こうからローレンスの声が聞こえてドアノブが動く。


「…レイヴン、貴様…!」


扉が開くや否や、その向こうに居たプレッツェが怒りを露にして部屋へ飛び込んできた。

そしてレイヴンに迫ると彼女の左腕を押さえつけた。

スキットルが床に落ち、僅かに入っていたウイスキーがこぼれる。


「私が怒られる道理は無い、もう少し落ち着け」


レイヴンはそう言ってにやりと笑ってみせる。


「そ、そうだよプレッツェ…落ち着いてよ…!」


遅れて入ってきたクロワが悲しそうにそう言う。

クロワの言葉に対しプレッツェは舌打ちをしてレイヴンの腕を離した。


「…てっきりマーケットへ商品の回収に行ったと思っていたが…私もついていくべきだった…!」

「まだ死んだわけじゃない、そう悲観的になりなさんな」

「煩い…お前を少しでも頼ろうとした私が間違いだった…クソ…!」


やり場の無い怒りにプレッツェは声を震わせる。

そんな彼女の肩に、クロワはそっと手を置く。


「ジャンヌさん…で、いいんですよね…?」


と、クロワがレイヴンに向かってそう言う。


「どっちでも好きなように呼んでもらっていいけど…色々ややこしいしレイヴンで通してくれる?」

「分かりました。レイヴンさん、ローレンスさんからお話があると聞いてます…私達に教えてもらえませんか?シュトーレの事、色々と」

「ええ勿論。とりあえず空いてるソファにお座り。私は立ったままでいいから」

「はい…プレッツェ、ね?」

「…分かった」


クロワとプレッツェはソファに腰掛ける。

これから話される親友の秘密を知る事への恐れ。そして親友の事を理解するための覚悟。

クロワもプレッツェも真剣な表情を浮かべていた。


「僕は何か作ってきます。お話は進めといてもらって構わないんで」


そう言ってローレンスは応接室から去って行った。


「…さて、何から話そうか」

「じゃあ…どうしてシュトーレが襲われる様な事態になってるかから教えてください」

「簡単にまとめれば、シュトーレの父親でキャスタニアのマフィアの総代、ロイド・ルドマンが撃たれた、命に別状は無いが。で、その娘のシュトーレもまた命を狙われている。恐らくジョングオ派というマフィアに」

「シュトーレのお父さんが…マフィア…?」

「あそこは組員もかなり少ないし、事実を知っている者も表の住人の中には殆どいない、お前さんが知らないのも無理はない」

「…だが、シュトーレ本人はその事を一切口にしたがらなかった」


プレッツェがそう呟くと、レイヴンは咳払いをした。


「シュトーレはその事実を知っていたが受け入れようとしなかった。何故なら彼女がある事件に巻き込まれ、自身が死んだことにされるまで本当に知らなかったから」


レイヴンの言葉にクロワとプレッツェは驚愕する。


「死んだことって、どういうことですか…!?」

「シュトーレは五年前のこの日、薙刀の代表選手権大会に出場していた。そして彼女の在籍するハワード私立工科大学は爆発テロにあった」

「…シュトーレが大学に…?五年前だろう…シュトーレは当時17歳だぞ」

「飛び級してたならその歳の大学生ってあまり珍しくないから…でもシュトーレがハワードにいたなんて初耳…」

「天才少女の学び舎はたった一日で焼け落ちた。更にハワード私立工科大学に在籍する学生や教授がその日以降次々と不審死を遂げている。東のほうへ大会に出ていたシュトーレはニュースでそれを知ってすぐに帰ろうとしたが、彼女はロイドに呼び出されてまずは実家に足を運んだのさ」


レイヴンの話を二人は聞き続ける。


「其処でシュトーレは聞かされたんだよ。自分が死亡扱いになっていることを、“力”を使ってそれを実行した父親の口からね」

「…娘を守るためか」

「ええ。それから二年間、シュトーレはキャスタニアの実家に引篭もらされ続けた。でもロイドはある一通の手紙を機に考えを変えた」


手紙と聞き、クロワははっとした表情を浮かべた。


「もしかして、私が送った手紙の事ですか?」

「その通り。其処から色々根回しして安全を確保した上で、お前さんのパン屋で働かせることにした。幼き頃の親友なら、少しでも彼女の心の支えになってやれるかもしれないとでも思ったんだろう」

「…シュトーレ…」


クロワは消え入りそうな声でシュトーレの名を呟く。プレッツェも黙ったまま何かを考えているようだった。


「彼女は耐えられなかったんだろう、あまりにショックな出来事が起きすぎて。だから過去を語ろうとしなかった…向き合うのが怖かったのさ。でも今回の事件が起きてしまった以上、彼女は向き合わざるを得ない。そしてお前さんたち二人は彼女を支えてやって欲しい」


レイヴンの言葉に対し、二人は黙ったままだった。


「生憎私は心理カウンセリングなんてチャチなもんは出来ない。命は守れるが彼女の精神まで傷つけない保証は無い。だから、そっちのサポートを任せていいかしら?」


プレッツェは黙ったまま、眠りについているシュトーレを見つめる。

一方クロワは鼻をすすりながら顔を下げていた。


「私…シュトーレの事何にも知らずに…親友ぶったこと言って今まで…」

「誰にだって知って欲しくない過去はあるものさ。お前さんが責任を感じることは無い」

「…レイヴンさん、大事なお話ありがとう御座いました…でも、シュトーレはこのことを…私たちに知られて…」

「だから支えてやるのよ。それが出来るのはお前さんたちだけだ」

「…はい」


その時、レイヴンの携帯が静かに震える。

電話の相手はキャンディだった。すぐにレイヴンは電話に応じる。


「ちょっと失礼…もしもし、判定は?」

「はい。女性のほうはイブリースナンバー19、ジェニファーだったんですが…男性グループは該当データなし、でした」

「つまり完全な部外者って事か」

「報酬も指名手配も無いので恐らくは。後、マフィンさんから伝言が。例の依頼主のジャック…正体は清龍党のリリの可能性が高い、とのことです」

「…リリ?」


リリの名が此処で出てきたのは少し意外だった。

確かにジョングオ派と清龍党は因縁がある組織同士だが、今回の事件にも清龍党が噛んでいるとなれば事態はかなりややこしいことになってくる。


「今日の22時20分頃、例のジャックがブロッサム5番倉庫でフロッドさん指名で依頼を出すそうです…どうされるかはレイヴンさん、お任せします」

「あーら、どうするか分かっている癖に。ま、そっちは適当にやってみるから大丈夫。それじゃ」

「失礼致します」


電話が切れ、レイヴンは再びクロワとシュトーレのほうを向く。


「シュトーレが起きたらパン屋に帰りましょうか。それからプレッツェ、お前さんとは作戦を練りたい」

「…分かった」

「クロワ、お前さんのパン屋が少し汚れるかもしれないけど、親友の安全のため我慢してもらえる?心配しなくても命の保証は完璧だから」

「大丈夫です…レイヴンさん、お世話になります」

「こちらこそ、改めてよろしく」


その時だった。ローレンスがお盆にカップを置いてやって来たのと同時にシュトーレが目を覚ました。

目をこすりながら身体を起こして、シュトーレは目の前に居る二人の親友の姿を見た。


「…二人とも、何で此処に?」


シュトーレが目を覚まして安心したのか、クロワは今まで抑えてきた感情が遂に爆発したらしい。すぐさま立ち上がってシュトーレの近くに駆け寄り、彼女をぎゅっと抱きしめる。


「シュトーレ…良かった…うう…」

「ク、クロワ…」

「ごめんね…私、シュトーレの事何にも分かってあげられなかった…」


その言葉を聞いてシュトーレも察したらしく、彼女も目から涙をこぼす。


「…二人にばれちゃったんだ…」

「大丈夫だよ…私達はずっと、シュトーレの傍にいてあげるから…何も隠す必要なんて無いから…!」

「…ありがとう…」


二人のやり取りをプレッツェはじっと見つめる。彼女の目にも温もりが宿っているようだった。


「お前さんもクールぶってないで抱きしめてやったらどうなんだい?」


レイヴンはそう言ってニヤニヤと笑う。


「私はいいんだ」

「ただ恥ずかしいだけだろう?」

「…黙れ」


しばらくして落ち着いた後、ローレンスの作ったコーヒーで暖をとった三人はソファから腰を上げる。


「教会からパン屋まで、業者の護衛をつけます。でも其処からは…レイヴンさん、頼みます」

「助かるわ、ローレンス。教会の修理費とかは後日出すから」

「ありがとうございます。では皆さん、どうかご無事で」



───同日22時頃、南部区域ワトル、FMOにて。


「…よし、10月の海外公演スケジュールも概ね埋まりそうだ。チェシャ、君はトムヤムクンとバクテーのどっちが食べたい?」


事務所のデスクでフロッドは暇そうにパソコンを触りながら、近くのデスクでトランプを入念に切っているチェシャに問いかけた。


「…バクテーで」

「ならこの日はシンガポールにしよう。ふぅ、何も僕の残業に付き合う必要なかったのに」

「私もそろそろ本格的にマジックの練習に励まなければならないですし、気にしないで下さい」

「鍛錬に勤しむのもいいけど、あんまりブラック企業だと思われても困るんだよねぇ…あっと、マズイマズイ」


フロッドはちらりと腕時計を見て、急いで立ち上がる。


「悪いねチェシャ、どうせだしボディーガードの仕事をお願いしようか」

「了承。どちらに?」

「本部伝いに依頼がね、しかも知らない依頼主からの御指名さ。報酬もかなりの額だが…多分面倒な依頼だ」

「例のルドマン家絡みでしょうか?」

「恐らく。御指名があった以上最低限顔は合わせておこうと思ってね。それじゃあ行こうか。場所はブロッサムの5番倉庫だ」

「分かりました。では表に車を回しておきます」


チェシャはそう言って立ち上がり、すたすたと事務所から去って行った。


「…もう少しで一年経つのか、そういえば」


誰もいなくなった事務所で一人フロッドが呟く。

FMOがこっそり出している求人募集に、何の接点もない彼女が応募して来たのが去年の1月ごろだった。

日本人だが英語は堪能…なんてレベルを超えてネイティブクラスの読み書きが出来る優秀な人材だから採用したことにしている。

だがフロッドが彼女を傍に置く本当の理由は、彼女の本質を見抜くためだった。

死んだ目で淡々と命令に従う猟犬。その獣が過去にどんな過ちを犯してこの街に流れてきたかどれだけ調べても分からなかった。

自身を付けねらう殺し屋なのか、どこかの組織が僕を監視するために送り込んできたスパイなのか。

人を殺すことになんの躊躇も見せない人間は殆ど居ない。軍人も、殺し屋も、幾人とも殺し殺されることは恐怖である。この街に巣食う者たちも例外ではない。

だが…彼女は希有な存在。殺人に対し一切の疑念を持たない血狂いの野獣。

そんな彼女の正体、そして心の奥底を覗いてみたい好奇心。ただ単に何を考えているのか分からない彼女の言動を観察するのが楽しいのもまた、フロッドがチェシャを雇っている理由だった。

一通り準備を済ませて、フロッドはビルの外に出る。

目の前の道路には既にチェシャの運転する車がスタンバイしていた。

早速助手席の扉を開けてフロッドは席に着く。


「待たせて悪かった。さあ行こうか」

「はい」


ワトルからブロッサムまでは海沿いの道路を使えばほぼ一本道な上、この時間帯にブロッサムのような危険地帯に向かう者も居るはずも無く、15分ほどで車は到着した。

倉庫前道路の路肩で停車し、車内で各々の装備チェックを終わらせて二人は下車する。

ブロッサムは何時にも増して淀んだ沈黙が漂っていた。ただ潮の音のみが聞こえるだけだ。

前のイブリース粛清事件の影響でホームレスの大部分が死亡したこともあり、現在のブロッサムは日夜問わず人が殆どいない状態だった。


「どうやら迎えは無いみたいだね」

「そのようですね」


二人は神経を尖らせながら5番倉庫へと足を運ぶ。

明りがほぼ存在しないこの地において二人が迷い無く目的地へたどり着けるのも、ブロッサムで“待ち合わせ”をよく行ってきたからである。

5番倉庫の入り口を開け、まずチェシャが倉庫内の確認をざっと済ませて中に入る。それに続くようにフロッドも中へ入った。

倉庫の電気は補助用の蛍光灯が薄暗く照るのみ。そして人影も、気配もただ一人だけだった。

こちらに背を向けるその相手の正体にチェシャは既に気づいていたが、フロッドが声をかけるまで何も話そうとしなかった。


「…ジャックさんでお間違いないでしょうか?御指名預かりましたフロッドです。こちらはボディーガードのチェシャ、怪しいものではないのでご安心を」


どうやらフロッドも相手が誰なのか分かっているようだが、あえて丁寧に自己紹介を済ます。まるで相手をからかうかのように。


「…んだよ、分かってんだろウチが誰か」


そう言いながら相手がこちら側に振り向く。二人の予想通り、相手は清龍党のリリだった。


「依頼ではジャックという名前でしたからね、なら今もジャックのはず。まさかリリさんのはずもない」

「うっせぇよマジ。チェシャも黙ってねぇで何か言えっつーの」

「…私はボディーガードです。意見を求められない限り話すことはありません」

「調子狂うなぁ…ま、テメェ等ぐらいビジネスマンな野郎のほうがやりやすいし呼んで正解だったわー」


リリがそう言うと、フロッドは軽く微笑んでみせる。


「さて、依頼の内容は一体なんでしょうか?あれだけの報酬を積んだ以上、かなり面倒な依頼なんでしょう?」

「…ロイド・ルドマン、その娘の暗殺が依頼だよ。報酬は後払いで200万。悪くねぇだろ?」

「…成程。で、そちらは僕がその依頼を受けるとお思いで?」


今日に至るまでフロッドはルドマン家の一連の事件には関わっていなかった。

しかしこの街の情報の巡りはとても早く、ルドマン家が襲われたその真の理由に、ロイドの死んだはずの娘の存在が関係していることまで知っていた。

もし今回のこの依頼を受ければ、自身は今回の事件の主犯格に祭り上げられる可能性もある。

七大ファミリーに深く関わる事件を起こしたとなれば何処から凶刃に襲われるか分かったものじゃない。

だが、それ以外にもフロッドがこの依頼を受けたがらない理由があった。


「…断るつもりかよ」

「そちらが僕の事をどれぐらい知っているかは知りませんが…依頼を必ず断るであろう僕をあえて選んだんでしょう」

「はぁ?」

「ロイドの娘が現在何処で暮らしているか…僕が知っていることもご存知なんでしょう?そして僕があの地で争いを起こしたくない理由も」


そう語るフロッドの眼光は鋭く凍てつくようで、その笑みすら冷酷に思えた。

リリはフロッドの言葉に対し、ニヤリと笑って返す。


「…掴んだ情報は正解だったみてぇだ。フロッド、その口でもう一度はっきりと言いやがれ、依頼を断ると」

「ええ、いいでしょう。ジャックさん、あなたの依頼を僕はお断りします」

「ヘッ、ならとっとと帰りな」


あまりに不可解なリリの言動。それにフロッドが納得するはずもなかった。

フロッドは僅かな時間で相手の本当の狙いを推測して口にする。


「…僕に知らせたかったんだろう?清龍党もロイドの娘の命を狙っているってことが」

「…どうだかねぇ」

「七大ファミリーの抗争に関わるような案件をわざとイブリース本部を伝って依頼するような愚行、君みたいな切れ者が行うわけが無い。どうだろう、僕が依頼を断る条件として、君のその行動の理由を教えてくれないかい?」

「…テメェ如きがウチに交渉するつもりかよ?」

「別にいいですよ、なら依頼を受けましょうか?相手は一般人だ、殺すのなんて造作も無い」

「…からかうのもいい加減にしやがれマジ!テメェは依頼を断って、清龍党が事件に一枚噛んでいることを言いふらしゃいいんだよ!その軽い口で情報屋にでも何でも流してみせやがれよ!!」

「…それでそちらに何のメリットが?清龍党のメンバーである君に不利益しか生まないよ、きっと」


フロッドの問いに、リリは歯軋りを返して小刀を抜く。

即座にチェシャも左手で大型ナイフを構えるが、フロッドは余裕そうな表情で笑みを浮かべる。


「テメェにこれ以上話すことなんて何もねぇ…あんまうっせぇとぶち殺すよ?」

「どうぞお好きに。もっとも、君もタダじゃすまないけど」

「言うねぇマジ…今のウチは気が立って仕方ねぇんだ…いいや、どーせ別の作戦立てるし、テメェ等は此処で野垂れ死にやがれ!!」


カッと目を見開き、リリは小刀を構えてフロッド目掛けて一閃を放つ。

だが、当然の如くチェシャがその刃をナイフでガードしてみせた。


「…君は嘘をつくのが苦手なのかい?そんな小刀で勝つ気なんて端から無いくせに」


チェシャの後ろでフロッドが嘲笑交じりにそう言う。

リリは更に怒りに身を任せて小刀を振るうが、全ての軌道はチェシャに読まれていた。


「チェシャの事を良く知っているなら尚更だ。どうして勝てない戦を仕掛ける?」

「黙れ…黙れ!黙れ!!テメェも守られないと何もできねぇ雑魚の癖しやがって!!!」

「そうだよ、僕は君等みたいに戦い慣れしていない弱者だ。だからこうやって守ってもらうのさ、僕の忠実な部下にね」


フロッドの言葉は図星だった。

リリの小刀はあくまで補助武器。一方チェシャの大型ナイフも補助武器であるが、それを振るってきた回数は圧倒的にチェシャのほうが多い。

更にチェシャの戦闘スタイルも散弾銃とナイフを用いた中近距離戦が主流。PTRS1941を用いる中近距離戦と比べても、より近接戦に持ち込むことが多いのはチェシャのほうだ。

つまり圧倒的にチェシャのほうが有利な状況で、更に手の内が全く分からない戦法をとるフロッドまでいるとなるとリリに勝ち目は無いと言っていいだろう。

完全にリリは自暴自棄になっていた。自身のプライドも立場もなく、ただ感情の赴くままに刃を振りかざす。

そんな彼女の感情を知ってか知らずか、チェシャは防御のみを行い反撃に出ようとはしない。


「テメェも余裕ブッコいてねぇで反撃して来いよ!!そういうの一番萎えるんだよ!!」


リリは目を血走らせてそう叫ぶが、チェシャは一切態度を変えない。


「…やめませんか、リリさん。無駄な争いは何も生みません」

「うっせぇよ!!無駄だって決め付けんな!!」

「…では」


チェシャはふとサイドステップでリリの一撃を避ける。

そして二撃目を繰り出そうとする彼女の小刀をナイフで素早く弾き飛ばす。

更にチェシャは距離を一歩つめてリリの脇腹目掛けてナイフの柄頭を抉り込ませた。

流れるように今度は左ローキック、続けて右ハイキックを繰り出す。

あまりに露骨な連撃。冷静に応じればダメージを抑えることなど容易だったが、血の昇っていたリリは全ての攻撃を直に食らってしまった。

チェシャの強靭な足によって放たれたキックは、小柄なリリを大きく引き飛ばす。

地面に転がったリリにチェシャは即座に迫りマウントポジションを取るが、チェシャが完全に押さえつける前にリリが反撃に出る。

腹筋のみで一気に上半身を起こしてチェシャの顎目掛けて頭突きをかますと、一瞬チェシャがひるむ。

反動で額が割れて血が滴り落ちるが、そんな傷に構っている余裕など無い。リリは右フックを放つが、チェシャも右手で彼女の腕を掴む。

両者のいがみ合いを、フロッドは静かに観戦していた。当然、チェシャが不利になれば手を出すつもりだ。

しかし、突如漂ってきた殺気にフロッドは嫌な予感を察知しながら倉庫入り口に目をやる。


「…何で此処に?」


フロッドにとって想定外の相手。不気味に笑うその女はレイヴンだった。


「しょーもないキャットファイト見てシコってたのかい、糞道化が」

「下品な言葉で虚勢を張ってればいいさ。で、何の用だい?」


フロッドとの会話を聞き、リリとチェシャもレイヴンの存在に気づく。

その来客が現れた以上、小競り合いをしている余裕はない。チェシャはマウントポジションを解いて立ち上がり、リリもすぐに身体を起こす。


「テ、テメェ…なんでこっちにいんだよ!?い、依頼は一体…」


リリもまたレイヴンの登場に驚きが隠せないようだった。


「ああ、お前さんは知ってるのか。あっちには輝きを取り戻した雀蜂がいる。しばらく私が空けていても問題はないさ」

「…雀蜂…貴様、まさか…」

「どうした糞道化。私が雀蜂の住いで護衛依頼していることが驚き?」

「…それは予想してなかったよ、全くね」

「そうかい。さて、私が用があるのはお前さんじゃない、リリだ。そしてリリ、お前さんも私に用件があるはずだ」


レイヴンはそう言って邪悪な笑みを浮かべながらリリに近づく。

リリは小刀を構えて臨戦態勢だが、既に手負いの彼女がレイヴンに勝てるはずがなかった。


「んだよ…もう掴んだのかよ」

「本部から不可解な依頼主からロイドの娘の暗殺依頼が来ていると聞いていてね。で、この時間に糞道化にも依頼があると聞いてやって来たのさ」

「…やっぱイブリースに目ぇつけて正解だったよ。幾らなんでも早過ぎるけど、いつかこうやって会うと思ってた」

「へぇ、なら話してもらおうか。こんな回りくどい呼び出し方を行った理由を」

「…いいか、良く聞きやがれ。清龍党は今、ジョングオ派の指示の元ルドマン家の娘を暗殺するよう動いてんだ」

「ふぅん。清龍党がジョングオ派なんてのにこき使われてるの。プライドとかは無いのかしら?」

「チッ、なんとでも言いやがれ…!ジョングオ派を使って七大ファミリーの一つぶっ潰せるんだったらそれで満足なんだよ、ウチの頭は」

「…でも、それが許せないんだろ…清黎々」


清黎々という名前を聞き、リリは明らかに動揺しながらレイヴンを凝視する。


「今回の事件に関係あるだろうと、清龍党の事も大方調べさせてもらったさ。お前さんが清龍党前支部長の娘ってこともね」

「…人違いだ!!」

「お前さんの見ていた理想の清龍党は、ジョングオ派によってズタズタに引き裂かれた。だから許せないんだろう、今の清龍党がジョングオ派に従っているのが」

「…うるさいうるさいうるさい!!」


レイヴンの的確な推測に、リリは大きく首を振って否定するが、その行動こそ推測が当たっている事を物語っている。


「…全く、経歴も何もかも似すぎだ、お前さんもシュトーレも」


レイヴンがシュトーレの名を漏らすと、リリは再びレイヴンのほうを向く。


「…シュトーレ…?」

「お前さんたちは過去に深いトラウマを刻み込まれた者同士ってことさ。誰にだって後ろめたい過去はある。そいつから目を背けて逃げることも、真正面から向き合ってその場で停滞し続けるのもそいつの自由ってもんさ」

「…ああそっか…そうだよな…シュトーレも…」

「これだけは一つ肝に銘じとくといい。過去ってのは何時如何なる時もお前さんを蝕み、襲い続けるもの。決して己の身から離れることは無い。一生そいつと付き合うことになる」


レイヴンはすっかり大人しくなったリリに語り続ける。


「それをしっかり頭に叩き込んだ上で問おうか。お前さんはこれまでの過去を、そしてこれからの未来をどうしたい?清龍党を、ジョングオ派をどうしたいんだい?」

「それは…」

「このままこんな場所で、過去を否定して留まり続けるのなら私は何も言わない。でも、それが本当にお前さんの求める物かね?実際、違うからこうやって行動に移せたんだろう、実に素晴らしいじゃないか」

「…分かった口聞きやがって…」

「…なーに、ゆっくり考えればいいさ。まだ若いんだ、これから死ぬまで生き続けなきゃだろう?答えが決まったら教えて、その後私はお前さんの味方か敵へと姿を変えるよ」


レイヴンがそう言うと、リリはすっかり黙り込んでしまった。

倉庫内の沈黙。それは再びリリが口を開くまで続いた。


「…立場上、ウチは直接他のファミリーに交渉に行けねぇ。だから今回イブリース伝いにこうやって情報を流してやった」

「それは賢い判断だ」

「ウチは自分の信念を曲げるつもりはねぇ。清龍党のあるべき姿を変えるつもりも更々ねぇ。レイヴン、テメェにもあくまで情報を流すだけだからな、ウチは」

「それだけでも十分さ。で、何を教えてくれる?」

「ジョングオ派は明日23時にカトレアのルドマン邸を襲撃する、あくまでそっちは陽動だけど。同時刻にロイドの娘シュトーレの元にもヒットマンを大量に送りつけるつもりだ」

「…そいつは急すぎる話だねぇ。でも安心しなさい、カトレアの陽動作戦は確実に失敗に終わるから」

「…はぁ?」

「アコニットが必死になってジョングオ派の拠点を探り当てたから準備は完璧だ。それに、あのアコニットが本気を出すとなれば見物客も多くなる。ジョングオ派の陽動部隊はもちろん、全て喰らい尽くすよ、この街の狂気は」

「まさか、他のファミリーの主力も動くつもりかよ…!?」

「さぁ、どうだろう。アコニットの狩りに茶々入れる馬鹿がいるかどうか。そしてシュトーレの命は、私が守る。そういう依頼だからね。つまりお前さんが動かなくてもジョングオ派の浅はかな計らいは全て無駄と化す運命だったのさ」

「…チッ、んだよそれ…」

「だからお前さんはお前さんでやりたいことをやればいい。その信念の為にその身を焼き尽くせ、以上がオバサンからの助言。じゃあね、色々落ち着いたらシュトーレにお前さんを紹介してやるよ、薙刀の相手探してるらしいからあの子」


レイヴンはそう言って軽く手を振って倉庫の入り口へと歩いて行った。

フロッドの横を通り過ぎたとき、フロッドに聞こえるようレイヴンは囁く。


「なーに、あの子には傷一本つけさせない。お前さんはこの街でチェシャとイチャイチャしておけばいいさ」

「…何?」

「フフッ、お前さんの目的も概ね知ってるから。じゃ、またいつか」


レイヴンはそのまま倉庫から姿を消した。

残された三人のうち、まず動いたのはリリだった。


「…色々面倒かけた。一応謝っとく」

「気にしないでいいさ」

「んじゃ、ウチも行くから」


額の血をハンカチで拭きながら、リリも倉庫から立ち去った。


「…フロッドさん、我々も帰りますか」


と、チェシャはナイフをしまってフロッドに近づきながらそう言った。

しかしフロッドは気難しい表情で何かを考えているようだった。


「…チェシャ、悪いね。僕の代わりに至極個人的な仕事を受けて欲しい」

「…はい」

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