第十一話
───6月3日8時23分、メープル下水道管理室にて。
メープルの西端、海に面した場所に下水道管理所が存在する。
その地下はキャスタニアに張り巡らされた下水道と繋がっており、当然不審者が入らないよう警備が施されている。
だが、今日はそんな監視など一切おらず、その代わり下水道管理室に至るまでの道にはペストマスクを被った死体の絨毯が広がっていた。
「予想以上に手薄だったわね…これなら地上のルートを使うべきだったわ」
返り血を滴らせ、静かに微笑みながらジェロシアが呟きながら最後の一人をM1895で撃ち殺した。
その隣には返り血に塗れて無表情で佇むプレッツェがいた。
「…ビッグジョージは大丈夫だろうか」
「あらあら、あんたがあの旦那を心配するだなんて。大丈夫よ、あんな雑魚相手に死ぬような男じゃないわ」
此処に来る途中、突如後方から沸いてきた敵を相手にビッグジョージは足止め役を買って出ていた。
敵がゾンビなら派手に散る最後を迎えていただろうが、今回はただの的に等しい雑魚敵。死ぬ要素はないだろう。
プレッツェは黙ったまま、近くの死体のペストマスクをいくつか剥ぐ。それぞれ全くの別人で、人種も年齢も異なる。
「よくもまぁこんなに集めたものね。数だけならファミリー一つ分はありそう」
「戦闘能力はゼロ…ジェロシア、一体これは何処の誰だか分かるか?」
「ストリートギャングも買収されたって聞いたけど…この量だと更に下の人も買われたんでしょう」
「…ホームレスか」
「いつもなら快適な下水道にもっとホームレスがいるもの、恐らく彼等を上手く買収できたんでしょうね」
「その上全員で仮装ごっこか…舐められたものだ、行くぞジェロシア」
プレッツェはそう言って下水道管理室の扉を開いた。
部屋は狭く、いくつものモニターがセットされ、そしてそれらを全て見渡せるような位置に一人の男性が腰掛けて座っていた。
「…今の時代を作った二人がゴールですか、流石です」
男はそう言って椅子を回転させて二人のほうを向く。
素顔はさらけ出しているが、服装はあのペストマスク連中と同じ手術衣だった。
「あんたが本物のモーティマー…ってことにしてくれないかしら?いくら殺せるとは言え、雑魚ばっかだとつまらないのよ」
「ええ、いいでしょう。私は本事件における本当のモーティマーです。さて、お二人や他の方々の仕事は私を殺すこと。私は抵抗しません、どうぞお好きにして下さい」
モーティマーはそう言って鼻で笑う。
「フフッ、それだけじゃあ駄目なの。あんたが此処まで人員を確保してまで何がしたかったのかを教えてくれないかしら?」
「それは出来ません…まぁこの街で過ごして長いあなたなら大体分かっているとは思います。今回の事件、裏に複数の黒幕がいる事ぐらい」
「ならせめて、七大ファミリーの何処かだけでも知りたいわ。私の勘じゃ清龍党と日久組だと踏んでいるけど」
「清龍党も日久組も確かに絡んではいる…が、あの二つはあくまで本事件の表の面として利用されたに過ぎない…とか、いいと思いませんか?」
「…下らない…」
プレッツェはぼそりと呟き、モーティマーに迫りレイピアを彼の首に突きつけた。
しかしモーティマーは一切臆することなくニヤリと笑うだけだ。
「脅しは効かないようになっています。皆さんが殺したモーティマーを見て分かる通り、モーティマーに恐怖という感情はありません。モーティマーとして忠実に仕事をこなす、まるでロボットのような存在」
「へぇ、あのペストマスク共は金で買ったんじゃないのかしら?」
「…っと、その点もまだネタバラシするのは早い。すみませんねぇ、これ以上そちらが知りたい情報は話せそうに無い」
そう言ってモーティマーはレイピアの刃を右手で握り締めた。
瞬く間に刃を鮮血が伝って行くが、モーティマーは気にすることなく刃を握り、自身の首に剣先を突き刺そうとし始めた。
「プレッツェ、もういいんじゃないかしら。これ以上は話すだけ無駄そうよ」
ジェロシアはそう言うが、プレッツェは柄を握り決してモーティマーを貫かせようとはしない。
「…納得できるものか…」
「どうしたのよそんなムキになって。あんたらしくないわよ」
「私はお前と会うために、そして親友を危険な目に合わせないためにこの街に戻ってきた…だから今回の事件について殆ど何も掴めていない」
プレッツェは、モーティマーの目を睨んだままそう言った。
「私は殺し屋だ。金になる物次第であらゆる仕事を請け負う輩だ。だがな、今回私は何の報酬も貰っていない…タダ働きのようなものだ」
「何だ、金ですか。金ならありますよ、事件が終わり次第そちらのパン屋に届けましょう」
パン屋、という言葉を聞いてプレッツェは舌打ちをする。
「その情報の出所は何処だ?私を四六時中薄汚いネズミを使って監視した成果か?それともゼネリ家と何か繋がりがあるのか?…今回の報酬は情報だ…言え、モーティマー」
「そうでした、そちらがパン屋に隠れていたという情報はつい最近までごく一部にしか知れ渡っていないことになっていましたねぇ。口を滑らせた侘びです、その件について少し」
モーティマーはニヤニヤ笑いながら話を続ける。
「御察しの通り、七大ファミリーのうち直接あなたに接触したゼネリ家からの情報ですよ」
「七大ファミリー中3つが黒…思った以上に大きな事件だったのね」
「なら…私をこの街に連れてきたこともゼネリ家の…黒幕の仕込んだことか。ふざけやがって…」
プレッツェがそう吐き捨てたその時、一匹のネズミが椅子に座るモーティマーの膝に駆け上って来た。
「おやおや、ボマーが来てしまった。この子はこれ以上私がうっかり情報を漏らすことを許してくれないそうです」
「…爆弾か。どうやら更に監視する者がいるようだな」
「しばらくお別れの時間です。プレッツェさん、心配せずとも当分はマッシモ家の刺客ぐらいしか危険な輩は来ないでしょう。これまでと同じ日々に戻れますよ」
モーティマーがそう言うと同時に、ネズミは更にモーティマーの体を昇ってゆき、襟から服の中へと侵入した。
ゆっくりとレイピアから手を離して、腕の力を抜いてモーティマーは力なく笑みを浮かべた。
これから何が起こるか、二人は概ね予想していた。モーティマーから数歩離れて結末を見守る。
突如としてモーティマーの体が内側から破裂し、胴体が二つに分断される。
臓物と鮮血が飛び散り、汚臭が部屋に広がる。
その匂いを消そうと二人は武器をしまってタバコを銜え、お互いにジッポを回して火をつけた。
ジェロシアはモニターに映る映像を見て軽く微笑む。
「あら、皆とっても楽しんでたみたい。フフッ、でも残った敵も一斉に爆発して死んでいっている。どうやらこれが一応本物だったようね」
「…ジェロシア、お前はどうする。今回の件、更に調べるか?」
「どうかしら…私も今回は巻き込まれただけだからそんなに興味はないし…それより…」
ジェロシアはタバコを銜えたままプレッツェに近づく。
「どうするの、あんたは?」
「…ひとまず今回の件はこれで一区切りついたことにしておく。だから…」
「帰るのね、あの場所に」
ジェロシアの言葉を聞いて、プレッツェは彼女から目を逸らす。
「…ジェロシア…私は…」
「フフッ、クロワちゃんの伝言を伝えたのは私。だから帰ってあげなさい、じゃないと私が仕事してないみたいになるじゃない」
「…ジェロシア、タバコを捨てろ」
プレッツェはそう言ってタバコを投げ捨てて、ジェロシアを見つめ返した。一方ジェロシアはプレッツェの言葉が理解できず突っ立ったままだった。
プレッツェが更にジェロシアに近づき、そして彼女を深く抱きしめる。
突然の抱擁に、タバコを落とす。血溜まりに触れたタバコの火が消える。
「…私の前では強がるな。本当の姿を見せろ」
「…駄目よ、あのネズミを使って誰かが見てるでしょう?」
「気にするな。いいんだジェロシア、お前も部下や仕事相手の前で気を張り続けてきたんだろう…お前の元を勝手に去った私がこんな事をする権利などないと思うかもしれないが…」
「…あんたはホント、自分のせいだと全てを背負い込むのが好きね…」
「お前も人の事言えないだろう…私の前で、ジェロシアでいる必要なんてない…我が友、ジェリー」
ジェリーという名を聞いて、ジェロシアはぐっとプレッツェを抱きしめ返す。
かつてブランドンという男がその名を言った時の様な反応とは間逆の行動をジェロシアはとる。
「…プレッツェ、本当の事を言って…あんたは、私の事が嫌いになって、私の元から離れたの…?」
「断じて違う…信じてくれ、そして…」
「許してくれって…?許すも何もない…私はあんたを恨んだ事も、許さないと思った事もないから…」
「…ありがとう、そしてすまなかった、本当に…」
プレッツェの胸の中で、ジェロシアはしばらくじっとしたままだった。
長い時間、二人は言葉を交わすことは無かった。
沈黙の後、静かにジェロシアが呟く。
「…帰りなさい、プレッツェ」
「…私の服をこれだけ濡らしておいて、まだ強がるつもりか?」
「フフッ、色々考えて思ったんだけど…別にあんたがあの場所に帰ろうと、永遠に会えなくなる訳じゃないでしょ?」
「確かにそうだが…いいのか、それで」
「もちろん、ずっと傍にいて欲しいけれど…あんたと私は夫婦じゃない、だから常に傍にいる道理はない」
「…連絡先を教えておく。いつでも連絡を寄越せ、すぐに駆けつけるから。それに店にも来い、血を見ることにならない限り歓迎する」
「心配しないで…あんな可愛い子、食べちゃうのももったいないから」
ジェロシアはゆっくりとプレッツェから離れ、左目を指で軽くこする。
「それと…流石にこの格好で帰るのはマズイ、シャワー付きの宿でいい所はないか?」
「ノースハウス…あの部屋は埋まってるけど…別にいいでしょ?」
「あそこなら使い慣れているし、助かる」
「それじゃあ行きましょうか…フフッ」
二人は下水管理室の扉を開き、外に出た。
外ではいつの間にかフロッド、チェシャ、そしてアリーチェの三人が揃っていた。
「やっぱり君達が一番か…やれやれ殺し損だね、これじゃあ」
三人とも真っ赤に全身を染め上げており、それでもって余裕綽々の雰囲気をかもし出していた。
「チェシャ、ご無沙汰ね」
「ご無沙汰です…っと、初めまして、プレッツェさん。とは言っても今後会うことがあるかは分かりませんが…」
チェシャはそう言ってプレッツェに向かって頭を下げる。しかしプレッツェは何も言葉を発っそうとしない。
「ごめんねチェシャ、この子人見知りなの。内心ではそのネコミミの事褒めてるから喜んでいいわよ」
「…あんまり出鱈目言ったら調子に乗るからやめてやってくれ、ジェロシア」
彼女等の会話をほんの少し離れて聞いていたアリーチェは、次第に目が潤み始めた。
それを見たジェロシアは軽く笑いながら彼女に近づいた。
「心配掛けたわねアリーチェ。二人に悪戯されなかった?」
そう言いながら近づいたジェロシアに、アリーチェは思いっきり抱きつく。
「良かった…もしもジェシーに何かあったらって…」
「此処の所アリーチェには気を負わせっぱなしね…明日からはタップリ可愛がってあげるから…それと、チョコケーキも買ってあげる」
「そ、そんな安い女じゃないし…でもそれで許してあげるんだから…!」
まるで子をなだめる親のような光景を横に、フロッドはプレッツェに近づいた。
「…久しぶりだね、元気そうで良かった」
「…ああ」
「どうやら、君達のほうは心配は要らないみたいだね。僕も一応君のビジネスパートナーだから、何かあれば仕事を請け負ってもいいよ」
「…なるべくそうならないようにしよう」
「冷たいねぇ、相変わらず。ま、いいか。チェシャ、僕等は先に帰ろうか。君達も早めに切り上げたほうがいい、流石に今回は殺しすぎた」
フロッドはそう言って三人に軽く手を振って下水道の奥へと消えて行った。それに続くようにチェシャも消えた。
───下水道管理室入り口の様子を、遠方からウィルソン夫妻とレイヴンが観察していた。
「何か、アタシ等がはしゃいでるうちに解決したみたいですね、色々と」
と、ステラが言った。
「つまんないわぁ、これで終わりなんて…っと、電話か」
レイヴンはそう言って携帯を手に持つ。
「もしもし、何かしら」
「あ、いやー、一応ほら、モーティマーがどうなったかご報告をーと思いまして…」
「多分ジェロシア達が仕留めた。これで今回の件は全て終わり?」
「あ、ならオッケーですねー。もうファミリーの動きも分かんない位小さくなってるんで大丈夫かと」
「そう…で、社長からは?」
「何もないそうですー。なんでまたバカンス三昧していいそうですー」
「また休みか…暇ばっか貰っても困るのよ」
「いや、レイヴンさんはほら、マジヤバイ時にバンバン働いてもらわんといけんのですよ…なんで、充電期間ってことで」
「ま、そっか。じゃ」
レイヴンは電話を切り、改めてステラのほうを見る。
「私は帰って寝るわぁ…その前に食料買わないと。あ、二人とも久々に飲みましょうよ。旦那も一緒なら安心できるでしょ、綺麗なステラちゃんが寝取られる事もなくて」
「お酒なら良いですよ!アンタも来るでしょ?」
「い、いや…あのな、こんだけやらかしといてすぐ表に出るのはマズイだろう…」
ビッグジョージの正論に対し、レイヴンは深くため息をつく。
「社長がサツ動かしたから、もう」
「…と言う事はイブリースは今回の件を揉み消すつもりか?」
「揉み消すだなんて人聞きの悪い。サツ使って今回の事件を整理させるのよ」
「やっぱり…色々ファミリーが絡んでますよね、今回の件」
「ファミリーだけで済んでたらいいけどさ。あのモーティマーについてはまだ調べる必要がある…恐らく本物は残っているし」
「…やはりか…」
「という訳で、情報纏まるまで私等は乱痴気騒ぎしましょうよ、ほらまずは朝酒から」
レイヴンはそう言ってスキットルを取り出し、それに口をつけながら下水道を歩いて行った。
「あー、レイヴンさん待ってくださいって…ほら早く来なさいアンタも!」
「こんなんでいいのか本当に…考えるだけ今は無駄か…ハァ、アフロビートも呼び戻してやるか…」
───同日同時刻、北西区域メープルにて。
身が震え上がらん程の雷鳴に驚くことなく、晃司はベッドに寝転がりながらキーボードを叩いていた。
晃司は昨夜の件をステラに報告してからは結局何も出来ず、とりあえず既存の記事編集のほうを地道にこなしていた。
この天気で出歩いたところで良いネタが手に入る確率は低いだろう。例え大きな事件が動いていたとしても、晃司のようにコネクションの少ない人間では到底その渦に巻き込まれることは叶わない。
ひとまず次号の記事の推敲を終わらせ、編集に送信してパソコンを閉じる。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
晃司はゆっくりと立ち上がり、扉に近づいた。
「はい、どちら様ですか?」
晃司の問いかけに対し、少し間をおいてから返答が来る。
「俺だ、フロントの」
すっかり聞きなれたその声に、晃司は小さくため息をついてから扉を開けた。
「おはようございます。珍しいですね、何か用ですか?」
「えっとだな…一応、あんた一般人だろ?サツから連絡があって、非常事態宣言だとよ」
「非常事態宣言…しかも警察が?そんな物騒なことが起こってるんですか?」
「どうもなぁ、疫病が蔓延したらしい。それであんたや俺達みたいな一般人には特別検査及び予防・治療を施すんだってよ」
唐突過ぎていまいち状況が読み込めないが、晃司はうっすらとこの出来事にデジャブを感じていた。
「はぁ…なんか日本でもこんなことあったような気がするなぁ…」
「サツが動くって事は相当な大事だ、俺達は素直に従ったほうが良い。各区域ごとに治療時間が別けられていて、メープルは今日の13時からだ」
「分かりました。それで、どんな疫病とかって情報はないんですか?」
「確か、ペストだったか…ま、きちんと処置すればそんなに怖くないらしいし、あんま心配はしなくていいらしい」
「ペスト…あぁ、やっぱ日本でもありました。一時期ペストが流行って大変だったんですよ」
「日本ってもっと清潔なイメージだったが…」
「それが一説ではテロじゃないかって噂も…テロ…そうか…もしかすると…」
今起きている事件、ネズミ、ペスト、テロ…ピースが一向に揃わないパズルを俯瞰し、晃司は今回の件についておおよその見解を思い浮かべた。
正確な情報を求められる新聞などのメディアならこんな内容で記事を書くのはご法度だ。
だが、自分が書く記事は大衆週刊誌のたかが一コーナー。しかも内容は半分フィクションじゃないかと疑われているようなものだ。
これまで異常なぐらい身を削って記事の作成に取り組んできたが、今回はここらで自分も身を引いて本業を終わらせることにしよう。
「何だ?もしかしてあんた、また事件に首突っ込むつもりか?」
「いや、今回はやめときます。とにかく教えてくれてありがとうございました」
「お、おうそうか。じゃ、まだ朝飯残ってるから好きな時間に取りに来いよ」
フロントマンはそう言って晃司の部屋の前から去って行った。
晃司も扉を閉じてベッドへ戻って腰を掛け、メビウスからタバコを一本取り出して口に銜えた。
「…恐怖!!犯罪都市のネズミ使い…こんなんでいいだろ次の記事は」
───「…終わったな、ご苦労だったモーティマー」
「いえいえ、こちらも良い結果が得られて満足です。さて、此れから如何なさいましょうか?」
「得られたデータを解析してから次の実験だ。何、時間はタップリある。今回は濡れ衣を被せることもできたしな」
「次の定例会、大荒れしそうですねぇ…ま、フォスター家が上手く取り繕うでしょうけど」
「どうだかな。では早速解析に移ろう」
《百鬼夜行編 完》




