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鉄薫る世界にて  作者: キャバルリー
第六章:百鬼夜行 ~イブリース粛清編~
42/71

第九話

───6月3日7時21分、北部区域ニビヤシアック、亜細亜中心にて。

オーナー室にいた清は先ほどから受話器をずっと持ったままだった。


「敵は誰だ?被害状況は?」


想定外の敵襲に対しても決して焦ることなく、彼は状況把握に努める。


「相手はたった一人です!現在の死亡者も一人ですが…」

「何だ、思った以上に被害は少ないみたいだな」

「い、いえ、それが…リリさんも気絶しておりまして、他の組員も軒並み重傷を負ってまして…」

「リリもか…敵は今何処に?」

「…どうやら何処からか亜細亜中心に侵入したようです。何とか止めてみます…!」

「ファミリー相手に単身で挑むような奴だ、無茶はするな」


清はそう言って受話器を置く。そしてそれと同時にオーナー室の扉が乱暴に開かれた。


「…早すぎるだろう」


体を鮮血で濡らし、生々しい傷を幾つもつけたライダースーツの女性。

その女性はニヤリと笑い、そして清目掛けて左手に持っていたものを投げつけた。

とっさに清はそれを避けて、地面に転がったそれを見て顔をしかめる。

恐怖に呑まれた表情を浮かべて絶命している男の生首。恐らく清龍党の組員だろう。


「オッサンにお土産。お前さんの所の組員は一人を除いてヤリ応えの無い雑魚揃いだったよ」

「…まずは名を名乗れ」

「あーらあーら、リリちゃんはお勉強していたのに上司は知らないの。ま、いいけど。レイヴンって名前は聞いたことあるでしょう?」


レイヴンはそう言って前に進もうとするが、清は拳銃を取り出してレイヴンに向けて構えた。

彼女はぴたりと足を止めるが、未だ飄々としている。


「死体を呼ぶ渡鴉レイヴン…か。まさかまだ生きていたとは。てっきり過去の人物だと思っていた」

「あーそっか。清龍党はイブリースもあんま利用してないらしいし、知らなくても無理は無いか」

「で、用件は何だ…こんな真似をしてただで済むと思うなよ?」

「心配しなさんな。別に清龍党潰そうとか考えてないから。一つ、お前さんに忠告さ」


そう言ってレイヴンは首をかしげて更に奇妙に笑う。

もはや人間とは思えない奇怪な姿に清は言葉を返そうともしない。


「この程度でイブリースが潰せた気になるなよ。お前さんが喧嘩を売った相手は人間じゃない、悪魔さ」

「…フン、そうか。もう情報を掴んだか。流石だイブリース、素直に褒めておこう」

「そっちが今後もセコイ手を使って対立してくるのなら、容赦はしない。それがこっちの社長の言い分だそう」

「殺ししか能が無いお前等がファミリーと抗争するつもりか…笑わせるなよ」

「…なるほどなるほど。お前さんは清龍党キャスタニア支部二代目だったっけ。ふーん、やっぱ勉強もろくに出来ない親の七光りか」


レイヴンはそう言った後、清に向けての前進を再開した。

清は黙ったまま拳銃を構えるが、そんな事などお構いなしだ。

二人の距離が5メートル以下になろうかとしたその時、遂に清の我慢の限界に達した。

一発の銃声が室内に響くが、依然としてレイヴンは立ったままだ。

銃弾は彼女の左胸を狙っていたが、現在その弾丸は彼女の左掌の中にあった。


「そんな護身用のチャチな拳銃で殺せるとでも?」


そう言ってレイヴンは左手を口に当て、掌にめり込んだ弾丸を無理やり歯で引き千切って吐き出して見せた。


「てっきり比喩かと思っていたが、本当に悪魔とはな」

「私はこれでも普通の人間。さてお坊ちゃん、私はお前さんの事を決して低く評価はしていない。現にファミリーの指揮を的確にこなして来たから今の地位がある、そうでしょう?」


レイヴンの問いに清は何も返さない。


「これからはもっとこの街で起きた事についても勉強しなさいな。そして突拍子も無いような愚かな事はしなさんな。誰も今の地位から堕ちる事なんて望んでないんだから」

「…言いたい事はそれだけか?」

「あのリリちゃんをもっとしっかり育ててやれとか色々言いたいことあるけどやめときましょう。あ、そうだ。今此処で私をぶっ殺せば何が起こるか、聞きたい?」

「…とりあえず今はやめておこう。他の組員にも警戒を解くよう連絡する。さぁ、誰にも危害を加えずにとっとと帰ってくれ」

「そうさせてもらうわぁ。此処のアジア街のご飯は美味しいからまた利用させてもらおうかしら、じゃあね」


レイヴンはそう言って血が流れ続ける左手を軽く振り、部屋からふらりと去って行った。

部屋で一人、清は深くため息をつき、リリに対して電話をかけた。


「…清さん、ワリィ。シクったよ…」

「死者は一人だけ、負傷者は数え切れないほどだが…とにかく最悪の事態にはならなかった。気にするな」

「そっか。あのレイヴン、これからどうする?」

「放っておけ、あれは手を出すべきでない相手だ。それと、例の作戦は本時刻を持って終了とし、我々は今後一切の関与を行わない事にする」

「…あのババァに何吹き込まれたのさ。この程度でビビるようじゃ清龍党の恥じゃんかよ!」

「清龍党は賢く有るべきだ。イブリースは我々の想像以上に恐ろしい何かを秘めている、あのレイヴンを見てそう感じてしまってな」

「あーそうかい…清さんがそういうならウチは従うよ。でも清龍党は賢く、そして強く有るべき。それが先代の…親父の教えだろう?」

「強さは決して殺し合いだけで測れる物ではない。とにかくお前もしばらく休め」

「チッ、んだよ…じゃ、後片付けして帰るから」


リリの言葉で通話は終わり、清は受話器を置いて椅子にもたれかかった。

イブリースナンバー4、レイヴン。最後に本部を通して依頼を行ったのは15年前。それ以降彼女が何処で何をしていたか、公なデータは一切存在しなかった。

リリが調べ上げたレイヴンのデータも非常に古いもので、それでも彼女が狂気そのものであることは想像に難くなかった。

だが、今日彼女に出会って改めてレイヴンという女性がどれほど恐ろしい存在かを全身で感じるハメになってしまった。

あの獣を飼うイブリースもまた、強大で狂気的な組織であることを再認識させられる。

今回の作戦は決して失敗ではない。だが、イブリースとの対立は表立ったものとなり、それが今後どのような影響を及ぼすかは未知数だ。



───同日同時刻、北西区域メープル、廃墟にて。

塵にまみれた廃墟の一室。ステラとの通話を終わらせて、ジェロシアとプレッツェ壁にもたれかかるように仮眠をとっていた。

二人一組で動いているのならどちらかが監視役になり、もう片方が休息を取るのが普通である。

だがこの二人には監視役など不要だった。

敵の気配を察知する能力。全身の神経を限界まで尖らせて、何処にどれだけの、どの程度の戦力の敵がいるかを予測する事に関して二人は一般人とは比べ物にならないほど優れていた。

それは何より幼き頃から他者を殺め、生命の危機に瀕してきた彼女等の経験からくるものである。


「…一人、玄関前から。棒状の武器を持っている」


ゆっくりと目を開き、プレッツェが静かに呟いた。


「この階のベランダにも一人。粗悪な拳銃を持ってるみたい」


そう言ってジェロシアも目を開く。

二人が音を立てずに立ち上がると、それと同時に二人の敵が二人のいる部屋に突入してきた。

それを歓迎するかのように、まずプレッツェが一人をレイピアで突き刺す。

そしてジェロシアは右腰ホルスターのSAAに触れ、ファストドロウを繰り出した。

ほぼ同じタイミングで、二人の敵は地に伏せた。


「…この辺りも敵の監視下か」

「…イブリースナンバー11、モーティマーねぇ。正直あんまり知らないのよね、一緒に仕事したこともないし」

「ネズミを使って監視業とはな。つくづくイブリースには変な奴しかいない」

「あんたも人の事言えないでしょ?」


ジェロシアがそう言うと、プレッツェは軽く鼻で笑って返した。


「さて、そろそろ頃合じゃないかしらねぇ…」


ジェロシアはそう言いながら携帯を取り出す。


「もしもし、もう規制解除してくれてもいいんじゃないかしら、LE」

「おっと、何の話でしょうか…って白を切っても無駄だよな。にしてもあんたはホントタイミングがばっちりだ」

「あらそう、なら良かったわ。じゃあ新しいお仕事、イブリースナンバー11、モーティマーの居場所を教えてくれない?」

「それについても丁度良かった。今フリーの連中がモーティマーに買収され始めててよ、俺の所にもそろそろ話が来るんじゃないかと待ってた所だ」

「へぇ、じゃあ私がもう少し遅れてたらまたあんたはダンマリを通してたって事」

「それが仕事だからな。さて、モーティマーの居場所についてだが…如何せんアレは潜伏が上手くてな、候補地は何とか挙げられそうだが…」

「それだけでも十分よ」

「ヘッ、毎度あり…候補は三つ。ブロッサムの倉庫、マグノリアの病院、そしてキャスタニア地下に張り巡らされた下水道…そんなところだ」


ブロッサムの倉庫は確かに隠れ場所として良く使われるが、そういう目的としてはありきたりな場所なため、潜伏が上手いとされているモーティマーがいる可能性は低い。。

次の候補地、マグノリアの病院にその男が潜める理由は分からないが、あの区域で暴れるのはなるべく避けたい。

ならば残った場所は下水道。しかし其処も居心地の良い場所ではない。


「下水道だなんて、私達淑女には向いてないわね」

「何言ってんだ、あんた達のホームグラウンドだったろアソコは…ただなぁ、確かに今の下水道はすっかり変わって、以前に比べ格段に“綺麗”になっちまった」

「そうでしょう?色々遊べるお店も全て潰れて、普通の場所になっちゃったし。ま、適当にふらついて探してみるわ」

「今、フロッドたちがワトルからマグノリアに移動を始めている。ビッグジョージはブロッサムに…それと、レイヴンもニビヤシアックから動いた」

「フフッ、皆血気盛んなこと…私達も早く行かないと。じゃあLE、また何か分かれば連絡を」

「ああ、じゃあな」


ジェロシアは通話を終わらせて、プレッツェのほうを向いた。


「下水道か。入り口はあの場所で変わっていないか?」


と、プレッツェはジェロシアに問いかける。


「ええ。私も最近アソコからは出入りしてないけど使えるでしょう」

「そうか、じゃあ早速向かおう」

「フフッ、お互いキッチリ“仕事”をこなしましょう、前と変わらず」


ジェロシアはそう言ってセッターを取り出し、ジッポで火をつけて一服する。

そしてプレッツェにジッポを投げ渡す。

プレッツェもその行為が当然かの如く受け取り、シガレットケースからガラムを取り出して口に銜えた。


「そのつもりだ…だが久方ぶりにお前と組むから呼吸が合わないかもしれない…」

「大丈夫、あんたの吐息なら何処にいても感じ取れるから」

「…世話をかけるな、お前には…」


プレッツェはそう言いながらジッポをジェロシアに投げ返した。

そして二人は沈黙し、ゆっくりと息を吸う。

紫煙で肺を満たし、滾る血を抑えつけて全身の力を抜く。

彼女等にとってタバコは鎮静剤。たった一息で極限まで気を落ち着かせる。

そして迫り来る闘争に身を投じた時、全神経の限界を超えて鮮血を求めることが出来る。

赤き灰がフィルターにギリギリまで迫り、二人はタバコを投げ捨てる。


「…さぁ行きましょう。楽しいお遊戯の始まりよ」

「…ああ、行くぞ」


ジェロシアは後ろの腰から二丁の銀色に輝くSAAを取り出し、プレッツェは鞘からレイピアを抜く。

二人は既に気づいていた、廃墟内に五人の敵が侵入していたことを。

だが気配からして雑魚であることは予想済み。闘争ではなく一方的な殺戮と化すことなど想像に難くない。

程なくして、廃墟から幾人もの断末魔が木霊した。



───同日同時刻、中央区域南東部マグノリアにて。

弱まっていた雨はまたしても強まり始め、早朝の街に行き交う人々は少ない。

一台の車が、キャスタニア市立病院前の路肩に停まる。


「こんな明るい中で仕事とはねぇ…しかもマグノリアと来た。今回の件に関連してなかったら断るレベルだよ」


と、助手席に座っていたフロッドが愚痴をこぼす。


「…ナンバー11、モーティマーに酷似した人物がこの病院に勤務しているという情報がLEさんから来ています。調べる価値はあるかと」


運転席に座るチェシャはそう言いながら外の様子を伺う。


「調べる、か…簡単に言ってくれるけど、此処はごく普通の病院。正面から行っても門前払いを食らうだけだよ」

「何言ってるのよ、だったらどこかから侵入して調べればいいじゃない」


と、後部座席に座るアリーチェが言った。

それを聞いてフロッドは軽くため息をついて呆れる。


「アリーチェ…ジェロシアとずっと仕事をしてきた君が本格的な潜入任務なんて出来るのかい?」

「フン、何よ!ジェシーだってたまには暗殺任務とかするんだから、私だって出来るに決まってるでしょ!?」

「君等の場合、片っ端から殺した上での暗殺だろう?今回はモーティマーとその取り巻き以外に一切危害を加えてはいけない、分かってるのかい?」

「い、言われなくてもそのぐらい…!」

「…ま、いっか。チェシャとアリーチェは外壁を伝って屋上へ。僕は患者を装って正面から入ろう。僕の指示があったら屋上から侵入、それからは適宜指示に従うこと、いいね?」


フロッドの作戦に対してチェシャは黙ったまま頷くが、アリーチェは不満そうにフロッドを睨んだ。


「あんた、さっき正面からは無理って言ってたじゃない!」

「…僕は生憎僕流のやり方しか知らない。それが正面から潜入する方法なだけさ。君等は身軽だから屋上ルートでも問題ないだろうけど、僕はそんな事出来ないからね」

「アリーチェさん、フロッドさんなら何も心配要りません」

「…分かったわよ。ほら、私はもう準備できてるから!」

「作戦は決まりだ、行こうか」


フロッドはそう言って車のドアを開けて外に出た。

それに続くようにアリーチェも降り、最後にチェシャがスパス12を持ち出して外に出た。


「チェシャさ…潜入なのにそんな堂々と武器持ってどうすんの?」


と、アリーチェがチェシャを見て言った。


「アリーチェさんもゴシックドレスで潜入任務でしょう、お互い様です」

「いやいや…せめて隠す努力とかさ…」

「大丈夫さ、チェシャはこの姿でも見つかったことは殆ど無いからね。さぁ、あまり雨に当たると風邪を引いてしまうよ」


三人は病院に向かって足を進める。

幸い、雨ということで周りに人はおらず、怪しい三人組を監視する目も無いように思えた。

アリーチェとチェシャはフロッドと別れて、病院脇に生い茂る街路樹に身を潜めて侵入口を探す。

一方フロッドはポケットからマスクを取り出し、堂々と病院へと入って行った。

朝の病院はまだ開院していないため他の利用者もおらず、看護士と用務員がポツポツと業務を行っていた。


「おはようございます…すみません、まだ開院しておりませんので、ご予約等は致しかねます」


と、受付に座る看護士がフロッドのほうを見ながら言った。

フロッドは受付に近づき、そしておもむろに顔の前で手を合わせる。


「すみません、ちょっとトイレを貸してもらえませんか!?」

「え、トイレですか…?」

「実は急に催してしまって…割と限界が…お願いします、トイレを…!」

「え、ええ…トイレは右側の通路に入ってすぐですので…」

「ありがとうございます…うぉぉ…では失礼します…!」


普段の彼では考えられないようなテンションで、フロッドはトイレへと駆け込む。

相手を欺くためなら恥すら惜しまない。フロッドはこの短時間で必要な情報をいくつか盗み出していた。

誰も居ない男子トイレに入り、ため息をついたフロッドは携帯を取り出す。


「病院内は至って平和だ。そういえば、モーティマーに似た医師の専攻とかって分かるかい?」

「確か…産婦人科医だったはずです」

「産婦人科か…さっき館内マップを見た感じだと二階に産婦人科関係の部屋があるらしい。引き続き僕は其処に向かう、しばらく屋上待機しといてくれ」

「了承」


チェシャはそう言って電話を切る。

チェシャとアリーチェは軽やかに病院の窓を伝って壁を昇っている真っ最中だった。

カーテンの閉まった窓を選んで、音を立てずに手を掛ける。

チェシャは背中にスパス12を背負い、更に左手に携帯を持ちながらそれを意図も簡単にこなす。

一方アリーチェも重装備にも拘らず的確に足場を見極めていた。


「何かカーテン閉まっている部屋多くない?」


と、アリーチェが言う。


「まだ朝ですし、雨も降っていますから」

「それもそっか…んしょっと、やっと屋上に着いた」


此処の病院は四階建ての比較的小さな施設である。

屋上には何本もの洗濯竿が並んでいたが、天候の事もあり何も掛かってはいない。

人影も一切無く、潜伏するには適した場所だ。

二人は柵を乗り越えて屋上に着地し、改めて辺りを見回す。


「しばらく我々は待機です。屋根でもあれば良かったんですが」

「ま、気にしないってこんぐらい。スカートは防水加工してあるから故障も無いだろうし」


二人は引き続き監視をしながら、各々の武器の最終チェックを始めた。


「LEさんの情報が急に飛び込んできたという事は、何か上で動きがあったんでしょうか」

「そうかも。ま、私達には関係ないでしょ」

「…その、アリーチェさん。本当に良かったんですか、我々と動く事になったこと」


チェシャはそう言ってアリーチェの顔色を伺う。

仕事の最中という事を考慮しても、彼女の顔には覇気が見られない。


「うん、だってジェシーは別の人と組んで動いてるし…」

「…ナンバー3、プレッツェ。私も話でしか聞いたこと無いのでなんとも言えませんが…」

「もしかしたら何か更に裏があるかもって?大丈夫、ジェシーがそんな単純な罠にひっかかるはず…ないから…ない…よね…?」


例のナンバー3関連に罠が張られている可能性は分からない。

だが話ではジェロシアとプレッツェの関係は良好だったと聞く。心配する必要はないと考えておいていいだろう。

しかしチェシャの危惧する対象はやはりアリーチェにあった。彼女はジェロシアの事を心配しすぎているのだ。

どれだけ考えても分からない事を必要以上に考えすぎる事は良くない。特に我々のように高い集中力を保つ必要のある仕事をする人間にとっては。


「アリーチェさんの言うとおり、あの方なら大丈夫です…ですから、今は我々との仕事に集中してもらっていいですか?お願いします」

「う、うんゴメン…」


雨はあらゆる物を流し去る。音、匂い、そして殺気すらも。

チェシャはごく僅かな物音を耳にして眉にしわを寄せる。誰かが屋上に向かってきているらしい。


「誰か来るみたいです。あの上に」


チェシャはそう言って、屋上の塔屋を指差してすぐにそちらに向かって走った。

アリーチェもそれに続き、二人は塔屋に昇って息を殺した。

足音はだんだんと大きくなり、そして金属をこする音を立てなが下の扉が開かれた。

上からチェシャは相手を見て、静かに背中に背負ったスパス12のグリップに右手をかけた。

真っ白な手術衣で体を覆い、顔には真っ黒なペストマスクをつけている。

体格からして男性だろう。そして敵であることに違いはない。


「…塔屋の上にいることは分かっていますよ。FMO契約社員チェシャ、そしてイブリースナンバー17、アリーチェ」


男はそう言いながら振り向き、塔屋のほうを睨む。

こちらの場所はおろか素性までばれている。情報のスピードが速過ぎる。

相手が敵が潜む場所に堂々と訪れる場合、何かしらの対策を万全にしてあるに違いない。

二人は何も答えず、ただじっとして相手の出方を探る。


「おっと、申し遅れました…私はイブリースナンバー11、モーティマー。マスク越しで失礼…さて、どうやら私を殺す動きが各方面から出ているようですね」


この男がモーティマーだという確証はない。不気味なペストマスクは男の顔を全て覆い隠し、目の色すら知ることが出来ない。

だが、とりあえず今は彼がモーティマーだということにしておく。真実は後で知れば良い。


「こんな仕事をしている以上、トラブルは起きて当然。そして私は野望の為に、君等のような殺し屋を相手しましょう」


モーティマーの話の間、チェシャはそっとスパス12を担ぎなおし、アリーチェも両手に仕込み刃を構える。


「おっと、そうだ。アリーチェさんに一つお話が。君が愛して止まないジェロシアさんですが…まさかあんな事になってしまうとは」


至極単純な揺さぶりをモーティマーは仕掛けてきた。チェシャには全く効かないが、今のアリーチェにはそれなりの威力を発揮する。

アリーチェが何かを言いたそうに口を開くが、そっとチェシャが左手で彼女の口を押さえる。


「やはり、ナンバー3のプレッツェさんは恐ろしい方だ…数年前に一緒に組んでいたジェロシアさんを裏切り、のうのうと再会を果たしたと思えば今度はこれですからね。全く、仕事熱心なお方ですよ」


具体的な名称を出されると、信憑性があるように錯覚してしまう。アリーチェに、明らかな動揺の感情が芽生える。


「ジェロシアさんはただ昔の相棒に会いたかっただけなのに、その純粋な気持ちを弄ぶ。とても許せないお方ですよねぇ?ま、だからこそかつてイブリースナンバー1にまで登り詰めることが出来たんでしょう」


これ以上の言葉はアリーチェにとって猛毒だった。

アリーチェは静かに目を閉じ、そして虚ろな瞳へと変貌する。

ジェロシアから聞いた事のある、アリーチェの変異。こうなってしまってはもう遅い。

チェシャは即座に塔屋から飛び降りながら、モーティマー目掛けて片手でスパス12を構えて引き金を引いた。

この距離で散弾を避けることなど不可能である。モーティマーの胴体に鉛玉が群がり、8つの傷を形作る。

反動を制御してチェシャは着地し、すぐさま階段のほうを向く。やはり他にも敵はいた。

チェシャはスパス12を構え直そうとするが、それよりも先にアリーチェが降りて来て、黙ったまま階段のほうへと突撃する。

敵が撃つ弾丸を、縦横無尽に飛び回って回避する。壁、手すり、ありとあらゆる地形に足をかけつつアリーチェは常人ではあり得ない機動力で次々と敵の首を討ち取って行った。

アリーチェを追うべきか迷うが、まずはモーティマーの正体を掴むためにチェシャは地に伏したモーティマーのペストマスクを剥ぐ。


「…偽者ですか」


モーティマーに酷似した医者の顔と、今いる男の顔は違っていた。

こちらの動きを知った上でデコイをぶつけてくる。モーティマーは予想以上に面倒な相手だ。

チェシャはスパス12を担いで、階段を下りながら殺戮を繰り返すアリーチェを追いつつ携帯を持った。


「チェシャ、そっちの状況は?上で銃声が聞こえてからこっちは大騒ぎだよ」

「すみません。アリーチェさんに例の変異が生じてしまって、戦闘になってしまいました」

「成程。そうだ、敵にペストマスクをつけた男はいたかい?」

「はい、モーティマーを名乗る偽者でした」

「やはりか。僕も産婦人科の診療室に入ったとき敵襲を受けてね、その男も君等の出会ったような偽者だった」

「となると、この病院には…」

「いないだろうね、モーティマーは。更に敵は僕等、そしてアリーチェをわざとこの病院に誘い込んだ」

「…アリーチェさんの変異を読んだ上で、ということですか」

「恐らくね。この騒ぎだ、僕もすぐにそっちに合流する。出来ればそれまでにアリーチェを止めてくれ」

「分かりました、では」


チェシャは携帯を切り、アリーチェの行方を目で追う。

敵は既に全員事切れており、アリーチェは四階へと足を進めようとしていた。

チェシャは手すりから飛び出てアリーチェの目の前に着地し、彼女のほうを見た。


「此処にターゲットがいる可能性は限りなく低いです。フロッドさんと合流後、撤退しましょう」


返事もせず、焦点の定まらない目でアリーチェは四階の廊下をじっと見つめる。

敵の気配は感じられない。人員は最低限しか置いてないということか。

ならば敵の狙いは我々の陽動だけではなく、アリーチェにもあったのだろう。

彼女を変異させることで騒ぎを大きくし、我々を大きく足止めさせる算段のはず。

そしてその作戦は上手く行ってしまった。チェシャがアリーチェの右肩に手を掛けた瞬間、アリーチェは右腕を大きく振ってそれを拒んだのだ。


「アリーチェさん…聞こえますか?」


チェシャの問いかけに答えることもなく、アリーチェは双剣を構える。

彼女の目には、ただ敵の姿しか映らない。それが誰であろうと、今の彼女にとって全てが敵。

唯一別の姿で見えるのであろうジェロシアも今はいない。彼女を止める方法を選ぶ余裕はないらしい。

チェシャはスパス12を背中に背負い、腰に下げた大型ナイフを構えた。

これで彼女を傷つけるつもりはない。だが、あの双剣を素手で全ていなすのは至難の業だ。

すぐさま、アリーチェの双剣が宙を切り裂く。チェシャもナイフで剣戟の軌道を反らしつつ、後ろに下がる。

こちらが後ろに下がっても、アリーチェはすぐに間合いをつめて剣を振る。

刃は首筋や両腕といった急所を捉えんとチェシャを襲い、確実にこちらの息の根を止めようとしている。

防戦一方で彼女を止める手段すら思いつかない。

まだ彼女が剣を振るだけならなんとかなるが、もしこの距離で彼女がスカート内の隠し刃を使用すれば、避けることは不可能だろう。

その前に決着をつけなければ、そう思っていた矢先、誰かが階段を昇ってきた事にチェシャは気づいた。

何処から手に入れたのか、白衣を着て頭に薄髪のカツラを身につけたフロッドだった。


「世話のかかるお嬢様だよ」


そう言いながら、アリーチェの後ろに立ったフロッドは左手に持った銃器でアリーチェを狙い、引き金を引いた。

その瞬間、アリーチェが悲鳴を一瞬だけあげて、双剣を持ったまま体を硬直させてチェシャのほうへ倒れこんできた。

急いでチェシャはナイフを地面に捨てて彼女を抱きかかえる。彼女の体は僅かに痙攣し、それでも体を一切動かそうとしない。


「テーザーガンなんて持っていたんですか」


二人の元にやってきたフロッドに、チェシャはそう言った。


「こういう仕事の時は、非殺傷武器も必要だろう。ま、今回はそれを使う対象がオカシイけど」


フロッドはそう言ってアリーチェのほうを見る。

テーザーガンは、いわば射撃するスタンガンであり、あくまで一時的な敵の非力化を図る武器だ。

電撃は体内の神経を狂わせて思うような行動を取れなくする。

もちろん筋肉を始めとする肉体的な制御も出来なくさせるが、それと同時に相手の脳にも一時的なショックを加える。


「…あれ?」


やっと体が動くようになり、アリーチェはチェシャの胸の中できょとんとした表情を浮かべる。

そして何が起きたのかを察し、すぐにチェシャから離れる。


「ご、ごめんなさい、私…」

「謝っている暇なんてない、すぐに脱出だ。屋上からのルートを潰されたら終わりだよ」


フロッドはそう言って後ろを向き、階段へと向かった。

チェシャはナイフを拾ってそれをしまい、オドオドするアリーチェに手招きをする。


「アリーチェさんも早く」

「…私、ついて行ってもいいの?」

「話は後です」


今此処で無駄話をしている時間など存在しない。チェシャはアリーチェの右手を掴んで無理やり彼女を走らせた。

先ほどのような拒絶は見せない。アリーチェもチェシャの力に負けて足を走らせた。

死体を跨ぎ、屋上に三人は到着した。雨足は勢いを増し、モーティマーの偽者のある死体の近くには鮮血が滲んでいる。

フロッドは柵に近づいて下の様子をうかがい、ため息をついた。


「流石マグノリアだ、もうサツが来てる」


病院入り口前の道路にはパトカーが何台も止まり、警官たちが次々と病院内へと入ってゆく姿が見える。

上手い具合に裏から壁を伝って逃げることが出来ればいいが、生憎フロッドにそんなスキルはない。

一応屋上には非常時用の梯子があるが、下では警察達がウロウロしている。


「チェシャ、悪いんだけど僕はこの梯子を使いたいから、その死体を目立つように下に捨てるんだ」

「…死体を?」

「相手を欺く時の鉄則は、まず何かしらのインパクトを与えることだ。死体が降って来て驚かないほどの鉄の心を持っていないだろう、彼等は」

「分かりました。我々は壁を伝うので後から向かいます」

「頼んだよ」


フロッドはそう言って壁に掛かった梯子に近づいた。

そしてチェシャは敵の死体を一つ担ぎ、屋上の端へ向かい、柵の外へそれを思いっきり投げ捨てた。

それと同時にフロッドは梯子を滑り降りてゆく。

死体が地面にぶつかり、肉塊が炸裂する音が響き渡る。

警察たちの意識はそちらへ向かい、一斉に死体へと向かって行った。

その間にフロッドは一階まで降りることに成功し、すぐに白衣とカツラを脱ぎ捨てる。

辺りには警官以外に誰もいない。警官達も死体に意識が行きっ放しでこちらには気づいていない。

フロッドはそのまま静かに、素早く病院裏の歩道へ姿を消した。

チェシャやアリーチェもすぐに壁を伝って下に降りて、それぞれ別方向へと姿をくらました。



───同日同時刻、西部区域ブロッサムにて。

雨が降る中、ビッグジョージは倉庫街へと向かう道路を歩いていた。

この道路の脇にはいくつも段ボールが置かれている。

大の大人一人が寝転がるのに必要なスペースだけ、ビニールテープで繋ぎ合わされた不恰好なその家がある。

雨の日はその上にビニールが敷かれ、せめて段ボールが破れない様にしているらしい。

本当に人がいるかどうかは分からないし、知りたくもない。

ビッグジョージもまたLEからの情報でブロッサムに来ていたのだった。

ブロッサムの倉庫は隠れ蓑に適しているし、モーティマーが潜んでいても何らおかしくはない。

ふと、段ボールハウスの一つからネズミが飛び出してきたのをビッグジョージは確認した。


「こちらの行動は今も監視中か」


モーティマーの手口についてもある程度情報を仕入れていた。もっとも、モーティマーがどんな男か、どの程度の戦力を束ねているかまでは分からない。

先ほどから腐敗臭も酷い。ブロッサムゆえ衛生管理など無いに等しいが、それでもこの臭いは異常だ。

その臭いの発生源は恐らく段ボールハウス。

まさかと思い、ビッグジョージは段ボールハウスの一つに手を掛け、段ボールを剥がす。

予感は的中していた。手足が真っ黒に壊死し、息の絶えたホームレスが腐臭を放っていたのだ。


「おやおや、やはりブロッサムは病気が回るのが速いですねぇ」


何処からかそんな声が聞こえ、急いでビッグジョージはその方向を見る。

其処にいたのはペストマスクを被った白衣の男性だった。


「誰だ、お前は?」

「私はイブリースナンバー11、モーティマー。いやぁ、もうペストネズミを放った成果が出てしまうなんて。凄いでしょう、ノミなどの媒介役無しで直接感染させてしまうんですよ、私のネズミ達は」

「監視だけでなく無差別攻撃とはな…そこまでして俺達の首が欲しいか」

「もちろん、それもありますが…私には他の目的もある」

「目的?」

「この街には不要なものが多すぎる。およそ半年、イブリースに潜ってみてそれを確信しましてね。私もそろそろ良い年です。何か仕事以外の事で偉業を成し遂げたいと、そんな野望を持ってみようかと」


馬鹿馬鹿しい話に、ビッグジョージは鼻で笑って返す。


「その結果が病気の蔓延か。しかもペストなんて予防策も多いだろうに、良く分からない男だな」

「もちろんそんな事は知っていますよ。だからペストなんですよ。予防策があろうと、それを受けられない人達は多い、特にこの街では」

「そいつ等は不要って事か」

「そう思いませんか?ホームレスだけではない、犯罪でしか生計を立てられず、表の世界で生きられない殺し屋やマフィア達もまた不要な存在だと」

「自虐か、それ?」

「私は本当は立派な医者として十分生きてゆける。でもね、それじゃあ私の野望は叶えられないから仕方なく殺し屋という職に就いているだけですよ」

「…フン、お前のしょうもない野望を聞いて損した。悪いが俺は俺の仕事をこなす」


そう言ってビッグジョージはコートの裏から二丁のUZIを取り出して、モーティマーに向けた。

そして躊躇することなく引き金を引き、モーティマーを蜂の巣にしてみせた。

彼は銃弾を避けようともせず、体を穴だらけにして地面に伏した。


「…あっけなすぎるな…」


明らかに弱すぎる相手を前に、ビッグジョージは警戒を解かずにゆっくりと死体に近づいた。

その瞬間、段ボールハウスの一つが吹き飛ばされ、中からモーティマーと全く同じ姿をした男が出てきたのだ。


「そちらは偽者。私が本当のモーティマーですよ」


新しく出てきた本当のモーティマーはそう言って右手に持ったメスをビッグジョージに向かって投げてきた。

速度はあるが、弾丸でもないそれを避けることなどビッグジョージにとって造作も無い。

ビッグジョージはそれを軽く避けて引き金を引いた。

やはりモーティマーはあっさりと死亡してしまう。

そしてそれと同時にまた段ボールハウスからモーティマーが登場する。


「クソッ、本物は何処だ…?」


これ以上この偽者共に構っても無駄だ。

飛交うメスを避けつつ、ビッグジョージは倉庫街のほうへと走った。

一体ペストマスクの集団がどれだけ潜んでいるのか未知数だ。

もしかしたら本物がどこかに紛れ込んでいるかもしれないが、それを確認する余裕が無い。

UZIをばら撒きながら倉庫街に到着し、すぐさま近くの1番倉庫に突入する。


「おはようございます、ビッグジョージさん。私は…」


倉庫にはやはりペストマスクの男。挨拶を聞く前にビッグジョージは男を射殺する。

その瞬間倉庫の電気がつき、倉庫の二階から何人ものペストマスクの男達が降りてきた。


「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはようございます」


「おはようございます、ビッグジョージさん。私はイブリースナンバー11、モーティマーです」

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