第八話
───6月3日0時34分、中心区域ベターロートにて。
ベターロートの淫靡な町並みに似合わぬオフィスビル「エヴェー」。その7階の一室でブレンダは一人タバコを左手に持ちながら受話器を耳に当てていた。
「…すみません、彼女等を見失ってしまって」
電話の相手はマルクだった。どうやらプレッツェとジェロシアの姿を見失ってしまったらしく、大慌てでブレンダに電話を掛けてきていたのだ。
だがそんなマルクとは逆に、ブレンダは冷静に答える。
「フッ、元より我々が監視下に置ける様な女子じゃないさ、二人は」
「これから如何なさいますか?すぐにでも彼女等を追う事も…」
「放っておけ。私の予想を良い方向に裏切ってくれたんだ、これ以上の拘束は必要ない」
ブレンダは、ジェロシアがプレッツェを何かしらの形で手に掛けるのではないかという事を危険視していた。
だが、二人は共に姿を消した。それはつまり二人の関係が悪くない方向に向かったということだろう。
「…ブレンダさんがそうおっしゃるなら、我々も従います」
「そうしろ。お前達も帰って寝て、これからの事に備えろ、いいな?」
「これからの事、とは?」
「イブリース全体が活性化されている今、何が起こるか未知数だ。ならせめてプレッツェとの約束と、ゼネリ家の存続だけは守り通す」
「分かりました。では我々は失礼します」
「ああ、何かあれば連絡をしろ」
ブレンダはそう言って電話を切り、すぐに別の人物に電話を掛ける。
「…夜分に失礼する、ブレンダだ」
「こんな夜に何だ…っと、そうも言ってられんな。本題を」
「プレッツェが我々の監視下から離れた。以上だ」
「…そうか。まぁ彼女なら大丈夫だと思いたい」
「悪いな、フォスター家の命令を守れずに」
ブレンダはそう言って、鼻で笑ってみせる。それに対して電話の相手、ブルーノは咳払いをして言葉を続けた。
「本当に世話のかかる連中だ。お前も、イブリースの面々も」
「なら態々私なんかに頼まずに、自ら監視下に置けば良かったのでは?」
「タダでさえイブリースとの癒着が叫ばれている現状で、もし彼女の護衛なんてすれば何を言われるか分からんだろう…しかし、清龍党と日久組がこうも表立ってイブリース粛清に乗り出すとはな」
「日久組も今回の騒動の加害者であると?」
「…確定は出来んがな。他のファミリーは沈黙を決めている中、日久だけは不可解な動きを見せていることからも可能性は高い」
「そうか。まぁいい、我々は我々の責務を通す。フォスター家はこれからどうするつもりだ?」
「我々はただ黙って見ている。イブリースの事だ、事件はいずれ収束する、どんな形であろうと」
「フォスター家らしいな。ではこれにて失礼するよ」
ブレンダは受話器を置き、タバコを銜える。
自身の好みに合わせてフレーバーをブレンドしたその手巻きタバコは、どんなタバコよりも気高き芳香を漂わせる。
その薫りにまどろみながらも、ブレンダは“娘達”の弔いを行う準備、そして例のパン屋の監視の継続について考えていた。
その時、またしても電話が鳴る。
「…ブレンダだ」
「すみません、夜遅くに」
若々しくも、冷酷で淡々としたその口調に、ブレンダは一瞬目を見開く。間違いない、相手は日久秀馬だ。
「一体何の用だ?またあの時みたいな小賢しい作戦を持ちかけるつもりか?」
「ええ、そのつもりです。そちらもフォスター家と共にコソコソ動いておられるのでしょう?自分もそれに混ぜて欲しいと思いまして」
「…用件を言え」
「そう急かさないで下さい。まずはお互いの情報の共有です。さて、ゼネリ家は今回の騒動の主犯格は何処であるとお考えで?」
「…清龍党だろう。そこがイブリースを使ってイブリースを襲撃させている。そしてお前等日久組が不可解な動きを見せている。間違いないな?」
「不可解な行動をとっているのはお互い様でしょう。そちらも態々イブリースナンバー3を匿う様な真似を見せておいて、白々しいじゃないですか」
やはり日久はこちらの行動を知った上で連絡を行ってきている。脅迫材料を持たれた今、下手に牙を向いて返り討ちに遭う様な愚かな真似だけは避ける必要がある。
「…こちらの行動はお見通し、というわけか。まぁ隠すつもりなど元よりない」
「なら我々も全て包み隠さずに伝えましょう。我々は今回の事件を、あくまでイブリース内の騒動という事で収めたい」
「…それは清龍党も同意の上か?」
「いいえ。向こうは今回の騒動を起こしたまま、後は放置する予定です。イブリース内で勝手に収束するだろうという浅はかな考えのようですが、どうもそうはいかないらしい」
「どういうことだ?お前達の描いたシナリオ通りだろう、イブリース下位と上位がどちらも数を減らしている今の状況は」
「確かにそうでした。しかし我々の危惧していた事態が起きまして…イブリースナンバー11、モーティマーが本格的に動いてしまったということです」
モーティマー。残念ながらブレンダはその人物の詳細を知らない。ナンバー11という位置の人間を問題視する必要性があるのだろうか。
「…何者だ、モーティマーは」
「彼は少々仕事の手口が厄介でして。情報収集と買収能力に長けている事からナンバー11という位置まで登り詰めた事になっていますが、彼の真の恐ろしさは他にもある」
「もったいぶるな、早く言え」
「彼はネズミ使いでして、カメラや爆弾を埋め込んで街に放す手口で仕事をこなします。が、彼がターゲットの殺害に最も良く使う手段は、ペストに感染したネズミを用いた無差別テロです」
「…ほう、初耳だな。そんな危険な輩が何故今の今までこの街でのうのうと暮らせてきた?」
ブレンダの問いかけに対し、秀馬はしばらく沈黙した後に答えた。
「モーティマーがこの街に着てイブリースに登録されてから半年程度しか経っていない。だが奴はかつて日本で、我々の子組織相手にその手口を用いたんです」
「…面白い冗談だ。このご時勢にそんな無差別テロを起こせば、流石に此処まで情報が届きそうなものだが」
「日本の衛生管理能力と、事件の収束速度を舐めてもらったら困ります。一般人に対しては迅速に治療が施され、ネズミの一斉駆除で事件はごく数日で片付けられた。だが我々のような外道者には一切手は差し伸べられなかった」
「なら、それだけ大事をしでかした相手を何故今まで放置していた?」
「確証が得られるまで動くわけには行かなかった。それにモーティマーも潜伏が非常に得意なやり手だ。ゆえに、今回のイブリース騒動で彼の敏腕さを利用して炙り出したんです」
「…それで、お前等がそのモーティマーに対する恨みと、今回の事件の収束にどう繋げる?」
「幸いにもモーティマーは他のイブリース下位や、ストリートギャングを纏めて仕事をこなそうとしている。つまり見方によれば今回の騒動はモーティマーの独断で行ったようにとる事も可能です」
秀馬の話を聞き、ブレンダは軽く笑って返す。
この男の真意が全く掴めないのはいつもの事だが、今回は輪にかけて不可解だ。
しかし日久秀馬という若者は、狡猾に見えて情に熱く、そして執念深い輩でもある。
それにこんな情報をあえて私に伝えてきたのだ、裏は掴めずともこの話が本当であることは確実だ。
「…いいだろう。では我々に何を望む?」
「いいえ、特に何も。ただブレンダさんには知っておいてもらいたかったんです。我々が清龍党と同じ考えで動いているわけではないという事を」
「…フッ、私はお前とそんなに親しい仲だったか?とにかくお前の話は受け止めた。後は好きにやればいい、我々の領域を侵さない限り」
「百も承知です。ではブレンダさん、良い夜を」
気取った挨拶で秀馬との通話は切られた。
ブレンダは受話器を静かに置き、これからの作戦を練る。
日久組が動けば、清龍党も何かしらの動きを見せるはずだ。
もしそこから大事になれば、火の粉がこちらにも飛んでくるに違いない。
今この街で抗争が起きれば全てのファミリーが不利益を被る。それだけは避けるべきだろう。
ふと、自分が物事を穏便に済ますことしか考えてないことに気づく。
いつからだろうか。現状維持こそ最善であると思うようになってしまったのは。
自分だけではない、他のファミリーの重鎮達もあくまで今の地位の維持しか考えない。
清龍党がイブリースの縮小を図ったとしても、それで被害を被るのはイブリースと、それを利用していたファミリーのみ。
それだけではこの街のバランスは崩れないだろう。清龍党もあくまで穏やかに敵対勢力を縮めようとしている。
果たして、これが我々の望んだ“ファミリー”の姿なのだろうか。
権力と金に飢え、地獄からのし上ろうと血を血で洗う抗争を繰り返したあの時に描いた組織を、今我々は成立させることが出来たのだろうか。
…とにかく今は我々の責務、償いに力を注ごう。
───同日7時頃、北部区域ニビヤシアック、ウィルソン家にて。
ズタズタに引き裂かれた死体を業者に処理させた後、ステラはシャワーを浴びて一息ついていた。
キャリーがいないのは寂しいが、家の中で気兼ねなくタバコを吸えるのは案外心地の良いものだ。
まだ火のついてすぐのパーラメントを銜えながら外の天気をうかがってみると、どうも雨が降り始めているようだった。
「あー、こりゃ仕事は無理そうかねぇ」
独り言を呟き、灰皿に吸殻を落とす。
彼女の情報網は壊滅状態だった。フリーの情報屋は全て買収され、まともに使える人材は皆無に等しい。
そんな状況で雨まで降られてしまっては仕事が全てなくなってしまうも同然だ。雨の日に移動販売を行っても客など殆ど来ないだろう。
仕方なくステラはバスローブ姿のままソファーにもたれかかる。
旦那なら恐らく問題はない。キャリーの安全も保障されている。
残りの不安要素は今回の騒動がどうなるか、そして何よりジェロシアとプレッツェの二人の件についてだけだ。
ふと、彼女の携帯が鳴り出す。
「はい、ステラだけど」
「おはようございます、ステラさん。えっと、雨なので今日は来ないだろうと思って電話しました」
妙によそよそしく、それでもってずかずかとやって来る男、晃司。この男の謎の積極性には半ばあきれ返る。
態々連絡してくるということは、何かしら“仕事”に関する話だろう。仕方なくステラは話に応じた。
「そうかい。で、用件をとっとと伝えな。金の話はそれからだよ」
「はい。実は昨夜ノースハウス隣で銃撃戦がありまして、収まってからちょっと現場に向かいまして…」
「アンタもつくづく馬鹿だね。んなもんに首突っ込むんじゃないよホント」
「す、すみません…で、死んでいたのが誰かは分からなかったんですが、ちょっと変な物を見つけたんです」
「なんだい変なモンって?」
「ネズミです。カメラが仕込まれた。実は俺の部屋に出たネズミもカメラが内蔵されてまして…」
カメラが仕込まれたネズミ。そんな無駄に手の込んだ仕掛けを扱いそうな人物に心当たりがあるかどうか思い返す。
「…あー、なるほど。妙に上位連中がすぐ見つかってるなと思ってたけど、そういうことだったのかい」
「え、どういう事ですか?」
「お手柄だよ晃司君。今回の実行犯のトップが概ね分かった。後はこの情報を上手く流すだけだね」
「は、はぁ…えっと、詳細とか教えてもらえませんか?」
「じゃあアンタの情報と交換。ネズミ使いモーティマーってのがイブリースにいてね。どうもそいつの主導で動いているらしい。ま、誰の依頼かどうかまでは分からないけどさ」
モーティマーの手口は数えるほどしか聞いたことがなかったが、あまりに独特で記憶に残っていた。
「なるほど…それで、これからどうするんですか?」
「モーティマーを止めれば今回の件は収束するはず。依頼主が分からなくてもファミリーやイブリースの面々はそれで満足するよ、多分」
「じゃあ、依頼主が誰かは調べないんですか?」
「アタシはこの情報を流して今回の騒動からは手を引くよ。後はあくまでステラ個人として動く」
「どういうことですかそれ?」
「フフン、オカンのお節介ってやつさ。アタシの可愛いビジネスパートナーや馬鹿旦那に死なれちゃ困るのよ」
「…うーん、良く分からないんですけど…」
「ま、晃司君も好きにやれば良いさ。命の保証は一切出来ないけど。じゃあね」
ステラはそう言って強引に通話を終わらせ、タバコを灰皿に捨ててゆっくりと立ち上がった。
「…ま、アタシに出来ることは殆どないんだけど」
ステラは小さな声で呟き、バスローブを脱ぎ捨てて部屋の隅にかけてあった私服の元まで歩く。
下着に足を通し、ジーンズを履く。そしてブラをつけてシンプルなプルオーバーを着ていつものスタイルが完成する。
携帯電話である人物に電話を掛けながら次の準備を行う。
「もしもし、ジェシーちゃん今いいかしら?」
「あら、別にいいわよ」
「そのさ…プレッツェちゃんの件についてなんだけど」
「あらあら、私達のことなら心配しなくていいわよ。今プレッツェなら私の隣で寝ているから」
「…久々に再会してすぐそれかい、元気だねアンタ達も」
「勘違いされちゃ困るわ。お楽しみは事が済んでからって二人で決めたから…って、プレッツェ起きてたの…あ」
ジェロシアの声の後に聞こえてきたのは別の女性の低くうなる声だった。
そしてすぐにその女性が電話に出る。
「…プレッツェだ。いいか、ジェロシアの言った事は全て出鱈目だからな」
「隠さなくても良いわよ別に。それより、そっちは問題なさそうで一安心だよ」
「…何かと世話をかけた、礼を言う」
「気にしなさんな。それよりも今回の件、実行犯が分かった。モーティマーって名前の男さ、ジェシーちゃんに伝えておくれ」
「…分かった。一応こちらの動きも伝えておく。私達は今メープルに潜伏している。これからはこちらで好きにやらせてもらう、以上だ」
「そうかい。じゃあそっちはヘマするんじゃないよ」
「ああ…ジェロシアに代わる」
プレッツェの声が離れ、しばらくして今度はジェロシアの声がやって来る。
「もう、プレッツェったら照れちゃって…ステラさん、悪いんだけどアリーチェの動きを探ってくれないかしら」
「アリーチェちゃんかい?またどうして?」
「あの子が清龍党のリリって子と行動を共にしているらしくて、一応念には念をって事」
「また面倒なことに…アンタも分かってたなら止めなよ」
「チェシャも一緒だしリリもあまり問題じゃないんだけど…あの三人に寄り付く可能性がある人物がちょっとアレだから」
「…与一とレイヴンさんだね。もしあんなのに襲われちゃ一たまりもないよ。特にレイヴンさん、相当テンション上がってるみたいだし」
「…お願いね、ステラさん」
「まかしときなよ。じゃ、そっちも頑張るんだよ」
ステラは電話を切り、いつの間にかついていたガレージの門を開く。
そしていつもの移動販売車に乗り込んでキーを挿す。
「はぁ、結局休みは無しか…ま、別にいいんだけどさ」
あの二人の件が概ね解決したところで浮上する新たな悩みの種。
与一についても注意する必要があるが、それ以上に厄介なのはレイヴンのほうだ。
凶暴で、かつ足取りが掴めない。何をしでかすか予想が全く出来ない、血に飢えた獣。
まずは彼女が今何処にいるかを掴まなければ。
───同日同時刻、南部区域ワトル、FMOにて。
あれから事務所を襲撃する輩もおらず、フロッドは一人読書をして過ごしていた。
チェシャからは深夜に連絡があって以降音沙汰無しだが、そろそろ帰ってくるだろうとあまり心配していなかった。
ジェロシアからも連絡があり、プレッツェと共に行動するということなのでそちらも心配しなくて良い。
だが、アリーチェの御守りをしないといけないのは少し面倒でもある。
如何せん彼女は弱い。肉体的にも精神的にも弱点が多すぎる。
「…いつの間に入ってきたんでしょうか。アポをもらえれば歓迎したのに」
ぼんやりと明るくなりつつあった廊下から現れたのは、与一だった。
来訪者に対し、フロッドは読書をしながら余裕を持って接する。
「すみませんな。事が事でして、急な訪問になりました」
「で、与一さんが来たと言う事は、日久さんからのフリーの依頼でしょう?」
「その通りで御座います」
そう言って与一が事務所に足を踏み入れた時、フロッドは本をデスクに置いて代わりに一枚のトランプを手にする。
「今、この街で起こっている騒動を知らないとは言わせません。あえてこの状況で、僕に依頼を請け負わせる理由を話してもらいますよ」
「…そうですな。では簡単に話しましょう。若様は今回の騒動を収束させ、かつある復讐を果たそうとされている」
「復讐…その相手は?」
「イブリースナンバー11、モーティマー。現在この男が他の下位ナンバーやストリートギャングを纏めている。つまりこの男が主犯格…そういうことにしたいそうです」
「なるほど。日久組はそれで今回の騒動を収めたいと。ま、いいでしょう。そちらとはまだ仲良くしていたいですし」
「ありがとうございます。実は他の上位ナンバーの方々にも依頼を伝えて回っているのですが、フロッドさんが最初で最後になりそうですな」
「でしょうね。でも他の方達もそれぞれ情報を掴んで動き始めている。今回の騒動が収まるのも時間の問題です」
「…報酬は後払い10万、いつもの方法で。では頼みましたぞ」
与一は深々と頭を下げ、そしてゆっくりと事務所から消えて行った。
「…仕事が出来ちゃ仕方ない、僕も動こうか」
フロッドも腰を持ち上げ、携帯を手にする。
「…もしもし、携帯から失礼するよ、チェシャ」
「…フロッドさん、すみません。朝まで席を外してしまって」
「気にしなくて良いさ。そっちはどんな感じだい?」
「特に問題ありません…アジア街にいるにも関わらず」
「清龍党が君等を襲う事は無かったと…良い友達を持って良かったじゃないか」
「私にもリリさんの動きは読めませんでした…とにかくすぐにアリーチェさんとそちらに戻ります」
「ああ、そうしてくれ。新しい仕事が入った、アリーチェも僕等と動くよう伝えてくれ」
「分かりました、それでは」
───同日同時刻、北部区域ニビヤシアック、アジア街にて。
アジア街は朝から活気に満ちており、店の前では新鮮な野菜や魚が並べられ、店主が声を荒げて客を呼び寄せていた。
そんな喧騒から逃れるように、レイヴンは裏路地で携帯を持っていた。
「…久々に仕事っつって張り切ってたのに、そんなしょうもない内容?」
「お前にしか出来んよ、この仕事は」
「で、何処まで殺せばいい?何なら皆殺しにしてやってもいいけど」
「そうだなぁ…見せしめに雑魚の首を一つ土産にでも持っていけ。いいか、雑魚のだぞ。少しでもセンスのある人材だと思ったら退け。せっかくの原石をお前に砕かれては困る」
「ふーん。あ、正当防衛なら殺しても良いって事?じゃあそっちで楽しませてもらうわぁ」
「駄目だ、殺していいのは一人だけ。そして清に忠告をしろ、イブリースを潰せた気になるのは早いぞ、と」
「あーつまんない。で、それが終わったら次は誰を殺す?」
「そこからの作戦についてはマフィンちゃんが纏めた。詳細はそっちで」
「ふーん、そう。じゃ、早く帰って来てまたヤリ合いましょう、社長さん」
「お前とはもう体力が持たんよ、素手なら考えてやらんことも無いが」
「それでもお前さんと一戦交えるだけで十分さ、それじゃ」
レイヴンはそう言って携帯を切り、ふらふらと表の路地に歩いて行った。
雨が降っているのにも関わらず露店を開くその商売魂には尊敬すら覚える。
辺りを虚ろな目で見渡しながら、誰の首をとるべきか見定める。
露店主や客は一般人、たまにすれ違うスーツの男もファミリーの人間かの確証は掴めない。
雑魚の首、と言われてもすれ違う人々全員が戦闘慣れしていない雑魚なのだから品定めなど出来るわけも無い。
そしてつい目が行ってしまうのは狂気を孕んでいそうな女子の風体。
「あーらあーら、可愛い三人組」
金髪をなびかせ、大きな胸元を大胆に出したリリ、黒髪ショートにネコミミ、死んだ目をした獣チェシャ、そして黒いゴシックドレスを纏った儚いじゃじゃ馬アリーチェ。
三人して楽しそうに話をしながら向こうからやってくる。
こんなに美味なゲテモノを前に無視するなどとんでもない。レイヴンはニヤリと笑って三人に近づいた。
彼女に気づいた三人は一斉に足を止め、アリーチェとリリは目付きを鋭くしてレイヴンを睨む。
「おはようございます、レイヴンさん」
そんな二人とは裏腹にチェシャはぼそりとそう呟く。
「どうも、チェシャ。で、残り二人は挨拶もなしとは、礼儀がなってないご様子」
「…んだよババァ、ウチ等に用?」
リリは静かに、そして低い声で威嚇しながらそう言った。
「あー、言葉が汚い汚い。性事情に乱れると口まで乱れるのかしらねぇ?」
「ちょーうぜーしマジ。そっちから絡んできといて何なの?」
「…そうだアリーチェ。お前さんは今起こっている事件、被害者か加害者どっち?」
「それ聞いてどうするつもり?」
と、アリーチェが精一杯に強がって返す。
「被害者なら手助け、加害者ならぶっ殺す。簡単な二択だけど、嘘ついてもいいわよ」
「…被害者だけど」
「そう。それでチェシャは糞道化の御守りだし…残りはリリ、お前さんだけか」
「あぁ?だから早く用件伝えろよ、だりーなー」
リリがそう言うと、レイヴンは軽く笑う。
「そう言えば、清龍党お抱えの残飯処理担当でしょお前さん。ならちょうどいい、暇つぶしに付き合って下さいな」
レイヴンの話の内容をすぐに理解したリリは一瞬目を見開いて、狂気的な笑みを浮かべる。
「丁度出勤の時間だったから相手してやるよ。テメェの事をちょっと調べたら幾分興味が沸いてねぇ」
「あーいいわぁその目、ドキドキしちゃう。でも今のお前さんは全力を出せない、何故か分かる?」
「…シモノフちゃん持ってくる時間をやろうってかい?余裕たっぷりなこったクソババァ」
「全力でぶつかり合ってこそ良い刺激になるんじゃない。さぁあのデカブツを早く見せて?」
レイヴンの言葉に対し、リリは二人のほうを振り返る。
「わりぃ、車からシモノフちゃん持ってきてくんない?」
「リリ…マジで言ってんの?」
「マジマジ。ほら早く持ってこーい!」
「…アリーチェさん、行きましょう」
「ちょ、チェシャ!?もう、分かったわよ!」
アリーチェとチェシャがレイヴンのほうを見直すと、レイヴンは二人に向かって軽く手を振っていた。
「そっちはそっちで色々オタノシミがあるんだろう?久々の乱痴気騒ぎさ、派手にやりましょう」
レイヴンの言葉を無視して二人は車を停めてあるほうへと去って行った。
「…で、テメェはウチ等清龍党に何の用事なんだよ」
「イブリースを潰そうとするあのオッサンにちょっとお灸を据えてやろうという粋な計らいでも、と」
「ヘッ、そうかい。やっぱりテメェはタダのターゲットじゃないってワケ」
「さっきも言ってたわねぇ、私の事調べたって。お勉強がきちんと出来るなんて見直しちゃった」
「うっせぇなマジ、何様だよ。イブリース上位だからって調子に乗りすぎじゃね?」
「あらあら、私なんてナンバー4と低ナンバーなんだし、上位だなんて何と恐れ多い。残飯処理のそちらのほうが位も上でしょうに」
雨は次第に弱まり始め、それと同時に二人の周りに人が消え始める。
彼女等の素性を知らぬ者でさえ、匂い立つ狂気の薫りに恐れを抱いていた。
二人は狂った笑みを浮かべ、眼光は確かに相手を捕らえてじっと睨み続けた。
しばらくしてチェシャがPTRS1941を肩に担いで戻ってきた。
銃床にジャラジャラとついたストラップを揺らし、チェシャは黙ったまま銃をリリに差し出す。
「あざー。アリーチェの阿呆はどうしたのさ?」
「車で待機させています…リリさん、改めて今回の事件について少しだけでも情報をもらえませんか?」
リリはチェシャから銃を受け取ったが、彼女の質問には答えようとしなかった。
「猫ちゃん、お前さんは糞道化を守ってればいいのさ。それがお前さんのやるべきこと、やりたいことなんでしょう?」
と、レイヴンがチェシャに向かって言い放つ。
「…分かりました。では私はこれにて」
それ以上の質問は無意味と判断したチェシャは二人に軽く頭を下げた後、その場から去って行った。
再び二人は睨み合い、お互いの動きを探る。
レイヴンは武器を一切持たず、ふらふらと左右に小さく揺れながら笑みを放つ。
リリもまた巨大な銃を右肩に担いだまま目を見開いて口角を歪めるだけだ。
お互いの距離はおよそ2メートル。素手だとやや大きく踏み込む必要があり、また狙撃銃を扱うには短すぎる。
両者にとって不利な間合い。それでもなお二人は一切ペースを乱さない。
「早くそのデカブツの音を聞かせて欲しいわぁ。さぞかし心地よい声でしょうねぇ」
「そっちも余裕ぶってないで武器持ち出しなって。素手で勝てるほどリリ様は甘くないよー」
「良い自信だ。どうやら自身に酔っているらしい」
「言うねぇマジ…あーッベェ、久々だよこの感覚…ヨダレが垂れそうで仕方ないよ」
「そうかい、嬉しいわぁこんなオバサン相手に欲情してくれるだなんて。私もどんどん興奮して来ちゃう」
「こっちはクソつまんねぇ仕事続きでイライラしてた所でねぇ…クソババァ、朝から狂気的なプレイをしようじゃねぇか…!」
リリの一声と同時に、PTRS1941が風を切って振り抜かれる。
彼女ほどもあろうかという銃身を、片手で薙ぎ払うその怪力にレイヴンは恍惚な表情を浮かべる。
そして迫り来る鋼鉄を身を屈めて確実に回避し、そこから地面を蹴ってリリの懐に飛び込んだ。
すぐにリリは銃を振り戻そうとするが、それより早くレイヴンがリリの下腹部目掛けて掌底打ちを叩き込んだ。
常人ではあり得ないほどの強烈な一撃にリリの体は無意識に後ろに下がった。
唾液を滴らせながら、それでも銃を決して手から離さずリリは銃を振り回してレイヴンを牽制する。
「へぇ、アレでゲロ吐かないなんて大した胃袋の持ち主だ」
レイヴンは一旦リリから離れて攻撃を安全に回避し、そう言った。
「あんなので嘔吐するほど柔じゃねぇよ…あーウゼェ…!」
リリはそう言って今度は左手で銃身をしっかり握り、レイヴンに駆け寄った。
先ほどのような大振りな攻撃とは異なり、今度は突きを主体とした細かい連撃を繰り出す。
レイヴンはとっさに左太もものナイフシースからサバイバルナイフを取り出して逆手に持ち、銃身の軌道が体から逸れるように受け流して行った。
この至近距離で対戦車ライフルを食らえば、間違いなく体が消し飛ぶ。
リリの非力な体に見合わぬその力とスタミナが尽きるのは当分先だろう。
ならば相手のペースを崩すべき。レイヴンは右手を伸ばして相手の銃身を掴む。
斜め上に銃身を持ち上げながらレイヴンは左手に持ったナイフでリリの右手に刃を刻もうとしたのだ。
「そんなトコ持つなんて馬鹿すぎじゃね?」
だがリリにも策はあった。彼女はとっさに右人差し指にかけた引き金を引く。
鼓膜が破れそうな爆音と共に対戦車ライフル弾が近くのビルに直撃し、コンクリートの壁に巨大な穴が開く。
そして反動がレイヴンとリリの体を襲う。腕が持って行かれることを危惧したレイヴンはすぐに右手を離してナイフを構え直す。
一方反動を逃す体制を一切作っていなかったリリは両手で銃を持ったままその反動に飲み込まれる。
しかし彼女はその反動を同時に行ったバックステップに加算させ、大きく後ろに下がって体制を立て直すことに成功した。
「なるほど、お前さんも反動制御型か。いいわぁ、好きな武器を扱うために無駄な技術を蓄えるその姿勢」
銃の反動を利用して機動力を確保する戦い方は、体の小さなリリとは相性が良かった。
それでも対戦車ライフルの一撃は体への負担が凄まじく、たった一発でリリの体力は大幅に削られていた。
「おしゃべりしてるヒマなんてあんのかよ…!」
それでもリリはすぐさまPTRS1941を腰で構えて引き金を引いた。
だがレイヴンはあっさりと弾道を見切って回避し、リリとの間合いを詰めんとする。
「それは少し単純すぎだ。さぁ三発目を撃てば良い…もっとも腰だめでそんなデカブツ使っといて、そんな余力が残ってるか知らないけど」
レイヴンはそう言ってリリに迫る。
彼女が言う通り、流石にインターバルが必要だ。自身の体力回復のためにも、銃を休ませるためにも。
リリは一旦PTRS1941を担ぎ直し、左手で右太もものガーターベルトに差した小刀を取り出してレイヴンの攻撃に備えた。
「素早いスタイル変更は良い判断…でも守るべき箇所が違う」
リリはレイヴンがこのままゼロ距離まで来てナイフを振るうと予測していた。
しかし彼女はリリの目の前で足をぴたりと止めたのだ。
防御体制に移ろうとしていたリリはペースを乱されて隙を作ってしまう。
レイヴンの露骨なディレイは功をなし、レイヴンは攻勢に移る。
そしてその一撃もリリは読むことは出来なかった。
レイヴンは体を後ろに大きく反らしながら両足を振り上げ、サマーソルトキックをリリの右肘目掛けて繰り出したのだ。
銃の反動か、それよりも強力な圧力にリリの腕は耐え切れず、彼女はPTRS1941を離してしまった。
レイヴンは軽やかにバク転して華麗に着地し、地面に音を立てて落ちた銃を不敵な笑みを浮かべてじっと見ていた。
「チッ、クソが…!」
鈍痛が響く右腕を気にかけることなく、リリは小刀を構える。
片手が生きていれば戦闘は続行可能。だが近接戦闘においてはレイヴンのほうが圧倒的に優れいていることを彼女は悟っていた。
それでもなお武器を構える続けるのは、闘争を求める狂気か、単に負けず嫌いだからか。それとも生存本能がそうさせているのかもしれない。
「…なるほど、強さは概ね分かった。良い暇つぶしになったよ、ありがとう」
レイヴンはそう言って構えを解く。それでもなおリリは戦闘体勢のままだ。
「まだ決着がついてねぇだろ…お互い血を一滴も垂らしてねぇじゃんかよ…こんなんでリリ様が満足できるかよ…!」
「仕事が無ければ勝負つくまでヤリ合うんだけどさ。それに、お前さんを此処で殺すのは確かに勿体無い」
「殺されるって決まったわけじゃねぇよ…その超上から目線マジウゼェ!」
リリは小刀を構えて一気にレイヴンに近づいて突きを繰り出した。
その一閃は確かに早く、確かにレイヴンの体を貫いていた。
だが、小刀が突き刺さっていたのはレイヴンの右腕。
刃は彼女の腕によって止められていたのだ。
「ほうら、血が見れて満足だろう小娘ちゃん」
おぞましい量の鮮血を流しながらも、レイヴンは相変わらず笑みを浮かべたままそう言い放った。
まるで痛みを一切感じていないかのような振る舞いに、流石にリリは恐怖心を覚えていた。
「テ、テメェ…そんな細い腕で何で刃が…!?」
レイヴンはリリと比べれば体格に優れていたが、それでも女性としてのプロポーションは保っていた。
よほど強靭な筋力が無ければ先ほどの一撃を片腕で止めることなど不可能なはず。
それが今、小刀の刃をどれだけ押し込もうとびくりともしない。
「…こっちの腕は9年ぐらい前だったか、骨を全部折ってさ。代わりに鉄骨ぶち込んでんの。それがこうやって刃を受けるのに適してるってこと」
そう言ってレイヴンは口角を更に吊り上げる。
あまりの気味悪さにリリは戦意を喪失しかけており、小刀を引き抜いて一歩後ろに下がる。
「今じゃもう元の骨のほうが少なくなってんの。それでもこうやって生きてられるんだから凄いと思わない?」
「…サ、サイボーグかよ…!?」
「サイボーグかぁ、流石にそこまで体弄ってないなぁ。さてリリ、まだ私と遊びたい?」
「…テメェが何してぇか知らねぇし。だからウチは清龍党の残飯処理として、テメェの相手する必要があるのさ…!」
血に濡れた小刀を構えてリリはそう言った。
「そうねぇ、じゃあ信じるかどうかは自由だけど、これからやりたい事伝えとくわ」
レイヴンはそう言って右腕を押さえて雑な止血処置をしながら話を続ける。
「誰でも良いから、清龍党の雑魚を一人連れてこい。そいつの首はねて、お前さんの頭に土産として持っていく」
「はぁ…ウチの頭に直接会いに行くなんて、尚更此処で止める必要があるじゃんかよ」
「心配しなさんな、こんなしょうもないことで七大ファミリーの頭潰すようなことはしない。いくら私でもそこまで愚かじゃあない」
「信じられっかよんなこと…!」
心身ともに参っていたリリは力を振り絞り、再度小刀を構えてレイヴンに迫る。
だが今度はレイヴンも前に向かって足を動かし、リリの一撃を軽くいなした。
宙をかすめた小刀をよそに、レイヴンはリリを後ろから羽交い絞めにする。
「捕まえちゃった。あー、このまま首の骨へし折れたらどれだけ気持ち良いことか」
レイヴンはリリの耳元で静かにそう呟いて見せた。
リリの左腕もレイヴンに捕まれ、彼女は身動きが全く取れない。
「さぁリリちゃん、大人しく降参したら優しくするわ、どうする?」
「グッ…テメェに白旗なんて…!」
「滾る闘争心を燃やし尽くさないのは良い事だけど、死んじゃったら元も子もない。無謀なのは良くないわよ」
レイヴンはそう言ってリリの頚動脈を締めにかかった。
繊細な技でリリは一瞬で気を失ってしまい、全身の力が抜けてゆくのをレイヴンは感じ取った。
すぐにレイヴンは彼女を離して地面に放り出す。
「確かにこれは磨けば光る逸材。清龍党も中々良い獣を飼ってるじゃないの」
失神したリリを放置し、レイヴンはその場を後にしようとする。
その時、レイヴンの携帯がなり、仕方なく電話に応じた。
「もしもーし、本部が一体何の用?」
「ああ、おはよう御座いますでございますレイヴンさん!社長から話聞いてますよね?」
「聞いてるけど…ああ、“表”の作戦について?」
「そうです。えっとですねー、まーレイヴンさんならいつも通りにテキトーな感じで好きなよーにしてもらったらエエんですけど」
「でも一応殺すべき相手ぐらいは知っとかないと、ねぇ?」
「ですよねー…どうも今回の騒動の実行犯をナンバー11、モーティマーであるようにしようって動きが各方面で出てましてー。ま、それで収まるならこっちもいいかなーて感じでして」
「各方面…もしかして、イブリースの上位全員がその流れに乗ろうって?」
「みたいですねー。ジェロシアさんとプレッツェさんは独自に情報を流してもらって、フロッドさんはフリーの依頼で、そしてビッグジョージさんも自分で割り出したっぽいです」
「へぇー、なるほど。それはそれは結構楽しそうなことになって来た」
「楽しんでもらえたら幸いでございます!じゃ、“裏”の仕事のほう頑張ってくださいなー」
「はいはい、じゃ」
そう言ってレイヴンは電話を切る。
いつの間にか路地に一般人は消え、代わりに清龍党の組員と思わしき男達が数人レイヴンのほうをじっと睨んでいた。
「この中から一人、か。選べそうに無いわねぇ」
リリとは比べ物にならないほどのオーラの無さ。雑魚の首としては丁度良い獲物だ。




