第五話
───6月2日23時30分頃、中心区域ベターロート、ラビーレ一室にて。
死体処理も終わらせ、部屋には一人プレッツェがじっとベッドに佇んでいた。
ゼネリ家はアパートに住む全ての娼婦の素性を調べているらしいが、その程度で殺し屋の存在を暴けるなど到底思えない。
娼婦という職業が明るみに出ることなどありえない。ゆえにこの肩書きは麻薬密売や殺人といった犯罪行為の隠れ蓑として手に入れる者が多い。
これまで何人もの娼婦を殺してきた。金の為に自身の股を開き、あまつさえ罪を犯すような女共だ、どいつもこいつも碌な人間じゃなかった。
もちろん、金の為に人を殺すことを厭わない私も同類だが。
静かにタバコをふかせながら、これからの事を考える。
態々身元が割れるような行動…イブリースへの連絡を行った真意、果たしてあの二人は理解してくれただろうか。
ふと、携帯が静かに震えていることに気づく。
「…プレッツェだ」
「ブレンダだ。一通り娘達を調べ終わったので報告しておく。イブリースに所属していた者は無し、他ファミリーの組員もゼロ、以上だ」
「そうか」
「…信じる気はない、か。今夜からゼネリ家の組員が24時間体制でラビーレの警備につくことになった。マルクも有事の際はそちらに飛んで行かせる」
「あの木偶の坊が役に立つとは到底思えんが」
あの時、力試しなんていう無意味な行いからおおよそあの男の強さは測り取っていた。
大幅に手加減してやったのにも関わらず両腕と上半身を貫かれるような無能だ、下手をすればイブリースの下位ナンバーとすら渡り合えないかもしれない。
「心配するな、アレは我々の抗争時の要だ。油断しがちなのが玉に瑕だがな」
「…もしお前達の手に負えない侵入者が来たら屋上に陽動しろ」
「そうならないことを期待しておけ。では、おやすみ」
ブレンダから就寝の挨拶を受け取り、プレッツェは舌打ちをして電話を切った。
そしてそれとほぼ同時に、ラビーレに警報が鳴り響く。
「…言った傍からか」
ゆっくりとベッドから立ち上がり、近くに立てかけたレイピアを持つ。
再び着信が来た携帯を左手に持ちながら、扉の前まで向かう。
相手はゼネリ家の組員のようだ。こう安々と携帯番号を教えられると困るのだが。
「…状況は?」
「いや、それが…どうも二階でちょっとした小火があったみたいで、すぐスプリンクラーが作動したんで大事には至っていません」
「…エサか」
「は…?なっ…!?」
鳴り止まぬ銃声と、受話器の落ちる音。
恐らく小火騒ぎだと思わせて油断させたのだろう。なんとも古典的な手段だが、それに引っかかってしまう方も愚かだ。
携帯を切って部屋から出ると、薄暗い廊下には何人かの娼婦が怯えた表情で立ちすくんでいる。
私の隠れている部屋は三階。二階でやられたのなら、敵はすぐに来るはず。
電話越しの音から察するに、敵はサブマシンガンを所持している。
足音も複数聞こえた。正面から戦いを挑むのは不可能に近い。
そして…敵は私以外の人間がどうなろうと関係ないだろう。たとえ娼婦がいようと、躊躇無く引き金を引くはずだ。
プレッツェは近くにいた娼婦に近づき、静かに呟いた。
「死にたくなければ部屋の隅、扉から離れてじっとしていろと伝えておけ。すぐにだ」
果たして恐怖で顔を歪めきった娼婦が冷静に伝言を届けられるか疑問だったが、すぐに娼婦は他の娼婦達の元に走り去った。
…そして廊下の突当りに現れる二人の人影。革ジャンにジーンズと如何にもバイカーらしい格好をした男女のコンビだ。
男はM93R、女はM92Fを所持しているようだ。
距離はおよそ15メートル。流石に分が悪すぎる。
プレッツェはすぐに真後ろの廊下突当りにある扉を開け、外にある非常階段へと走った。
敵が銃撃を始め、中から娼婦の断末魔が聞こえたが、そんな事に構っている場合ではない。
恐らく向こうもすぐに追いかけてくるはずだと予想し、プレッツェは屋上に続く階段を駆け上がる。
アパートは四階建てなので、すぐに屋上に到着した。
屋上には柵すらなく、中央階段用の出入り口と非常階段以外に繋がる箇所も無し。
金の長い髪が荒々しくなびく。辺りの建物に狙撃手はいない。
またしても着信が来たため、プレッツェは携帯を手にした。
「…プレッツェだ」
「襲撃を受けたそうだな。今マルクを始めとする用心棒を送らせた。五分も掛からないだろうが、一応気をつけてくれ」
「…お前達の組員は恐らく全滅、娼婦達もやられている。これ以上被害を増やしたくなければ早く来いと伝えておけ」
「…そうか、娘達もやられたか。悪いな、部下が出来損ないで」
「そろそろ敵が来る。切るぞ」
娼婦の死を知って声のトーンが下がるブレンダを放っておいてプレッツェは電話をしまい、じっと非常階段を睨む。
こちらの階段を昇る人員は二人。先ほどの男女コンビだろう。
一方中央階段からも足音が聞こえる。果たして逃げてきた娼婦か、それとも敵か。
まずはあの男女コンビからだ。プレッツェは静かにレイピアを鞘から抜き、じっと構えた。
敵は階段を昇り終わる前に、顔だけ出してこちらの様子を伺うはず。狙うならそこだ。
「敵は屋上だ…此処でしとめたら100万ももらえるぜハニー!」
「ねぇ、100万手に入ったらこんな街からおさらばして、リゾート地に豪邸を建てましょう!」
「もちろんだ、そしてそこで末永く暮らそうや」
取らぬ狸の皮算用。敵は大金を目前にして浮かれきっている。
そしてそれは油断を生む。予想通り男は顔を出して屋上を偵察しようとしてきた。
後はただレイピアを突き刺すだけ。単純作業を淡々とプレッツェはこなす。
男の額を剣で貫き、すぐにそれを抜くとプレッツェは後ろに隠れる女のほう目掛けて勢い良く突進した。
剣先は女の心臓を捉え、哀れにも階段を転げ落ちて行く。
撒き散らされる鮮血でスーツを汚しながら、プレッツェは剣の血を払い、すぐに中央階段のほうを向く。
「ヒ、ヒヒヒ…流石、流石ですよプレッツェさん…」
足音こそ聞いていたが、全く気配を感じることが出来なかった。いつの間にか斧を持った男が屋上に立っていたのだ。
プレッツェはじっと男を睨み、出方を伺う。
「お、俺アルバートって言うんですよ…じ、実は前々からプレッツェさんに会いたくて…」
アルバートの話に、プレッツェは何も答えない。
「その、長くて綺麗な髪の毛、とっても欲しいんです…欲しいんですよ、すごく…」
そう言ってアルバートは斧を担ぐ。
「もちろん、体も…あなたの体なら、永遠に愛でることが出来そうで…ウッ、想像しただけで出そう…」
不愉快極まりない、今すぐにでも仕留めたい。
だがあの気配の消し方といい、この男はそれなりのやり手であると予想される。これも挑発の可能性が高い。
こちらも冷静に、ただじっとレイピアの剣先を相手に向ける。
「や、やっぱり綺麗だ…あ、駄目だもう抑えられない」
アルバートはそう言って、あろうことか左手をズボンに突っ込んだのだ。
しかし取り出したものはピンポン玉程度の大きさの球体だった。
そしてそれをプレッツェ目掛けて投げつける。
真正面からの攻撃などプレッツェにとって避けることは造作も無かった。それでも謎の武器を警戒し、プレッツェは大きく走りボールから離れた。
予想は再び当たり、地面にぶつかったボールから液体が飛び散り、そしてそこに火がついたのだ。
あのボールの中には恐らくオイルが入っており、更に地面に当たると同時に点火するようにセットされている。限界まで小型化された火炎瓶ということだろう。
「ヒヒヒ…身のこなしも綺麗…ヒ、ヒヒ…」
アルバートは全身のばねを巧みに扱い、一気にプレッツェに迫り斧を横に薙ぎ払った。
そのスピードに対しプレッツェはとっさに斜め前に前転して回避し、即座にレイピアをアルバートの足目掛けて突き出す。
が、アルバートはいとも簡単にそれをジャンプで避け、落下の勢いをつけて斧を振り下ろす。
間一髪、再び前転回避でそれから逃れられたものの、アルバートはプレッツェに攻撃の隙を与えようとはしない。
「ああ…こんなに近くにプレッツェさんが…良い匂いだ…」
そう言いながらアルバートは斧を素早く振り続ける。
一見がむしゃらに振るうようにしか見えない連撃は、反撃の隙間さえ見せずプレッツェはひたすら後ろに下がることしか出来なかった。
斧の軌道を見切ることに神経を尖らせていたプレッツェは、アルバートの左手に一瞬目をやり、舌打ちをする。
既に彼の左手にはあのボールが握られており、それを再びプレッツェ目掛けて投げてきた。
素早くサイドステップを繰り出し直撃こそしなかったがオイルがジャケットに付いて、そこから火が広がりだしてしまう。
このままでは火達磨になってしまう。とっさにプレッツェはレイピアを左手の鞘にしまって右腕を袖から抜く。
その時、ふとプレッツェはあることを思い出す。このジャケットの胸ポケットには、大切なヘアピンがささったままだ。
一瞬の迷いがアルバートの攻撃を許す。縦に振り下ろされた斧を回避することが出来ず、プレッツェは鞘に収めたレイピアで斧の柄を止めた。
「ああ…服なんて燃えてしまえ…そして綺麗な体をあらわにしてくれ…」
こうしている間にもジャケットの火は広がり、他の服にも燃え移ろうとしている。
こんな変態に殺されてたまるものか、まだ自分はやるべきことがある。
相手の攻撃をすぐに受け流し、鞘を持ち替えてすぐにジャケットを脱げ捨てたプレッツェは、アルバートから7メートルほど離れて再びレイピアを抜く。
「一枚…まずは一枚…ゆっくり、ゆっくり脱がせるのもいいですね…興奮するなぁ…」
相手のペースに乗せられすぎた。これまで雑魚続きということもあって油断していた所もあっただろう。
…これ以上戦闘を長引かせることは自分にとっても不利だ。
そろそろ決めるか。プレッツェはレイピアを構え直す。
今までのように中段ではなく、右手に持った柄を左頬に付くぐらいまで近づけ、地面と平行に刃を置き、剣先を敵に向ける。
石像の如く、プレッツェは瞬き一つせず呼吸すら止めてその場に留まる。その異様な殺気にアルバートは少しひるむ。
だがアルバートには投擲武器がある。一切動かない相手などただの的だ。
アルバートはボールを取り出す。その間もプレッツェは一切動かない。
「で、でもやっぱり、早く脱がせたいから…イヒヒ…!」
アルバートが左手を振りかぶろうとしたその瞬間、プレッツェの足が僅かに動く。
「…え?」
次の瞬間には、アルバートの左手には鮮血とオイルに濡れていた。
アルバートの目では彼女が消えたようにしか見えず、だが彼女の姿は確かに目の前にある。
後から激痛が左手から伝わりだし、アルバートは急いで右手の斧を振ろうとした。
だがそれより遥かに早く、プレッツェはレイピアをアルバートの喉に突き刺していた。
声すら出せず、アルバートは苦悶の表情を浮かべて口から血反吐を流す。
剣を抜くためにプレッツェはアルバートの体を足で押しのけ、レイピアを払う。
いつの間にか炎も小さくなっていた。プレッツェはレイピアを鞘にしまい、灰と化したジャケットに近づく。
シガレットケースは何とか無事だったが、ジッポは高熱で歪んでしまい使えそうに無かった。
そしてヘアピンもまた折れ曲がってしまい、とても髪に挿せそうにない。
せめて親友を想う為と持ってきてしまったことを激しく後悔する。
クロワと再会した時、もっとオシャレをすればと言われて貰ったヘアピン。
あの子にとっては何気ない行動だったのかもしれないが、あの時の私にとって親友からの贈り物はこの上なく嬉しかった。だからどうしても近くに持っておきたかった。
プレッツェの後悔の念は、屋上にやってきたマルクたちによってかき消された。
「…無事か?」
マルクはそう言ってプレッツェに近づく。
「…屋上の敵は全て仕留めた。これで全部のはずだ」
「そうか…俺達は死体の処理をする。お前は部屋に戻っておけ」
「…しばらく風に当たりたい」
プレッツェの申し出にマルクは黙ったまま頷き、他の組員達と共に死体の運搬を始めた。
それに目もくれず、プレッツェは屋上の端に立つ。
風俗街の夜は長い。下ではいかがわしい格好の娼婦と羽振りのよさそうな男達が騒ぎ立て、ネオンの光が目に染みる。
これからの闘争をどのようにやり過ごすか。あのアルバートとか言う男如きに押されているようでは情けない。
やはり確実に力は衰えている。それ以上に慢心が過ぎる。
しかしすぐに力を引き戻すことも出来そうにはない。
…せめて、彼女に会うまでは生きなければ。
いつもの癖でシガレットケースからガラムを取り出し、口に銜えてしまった。
フィルターから甘みが口にかすかに広がる。
火の付かないタバコを寂しく銜え、プレッツェは夜の風に吹かれる。
「あら、火種をお探しかしら」
久しく耳にしなかった声。しかし間違えようのない一声。
振り返ると、彼女がいた。赤き髪は静かに風になびいていた。




