第四話
───5月31日14時頃、キャスタニア東部、郊外の端にて。
郊外にぽつぽつとある町から更に離れた場所に、大きな小麦畑と一軒の煙突がついたレンガの店があった。
その店の入り口に立つ木の看板には「Dear Friends」という文字と、パンの絵が描かれている。
お昼時を過ぎ、一段落ついた私は調理器具をのんびりと洗っていた。
今日も何も無く時間が過ぎていく、普通の人にとっては当たり前の時間が、私はこの上なく嬉しい。
ふと、ホールのほうから電話の呼び出し音が聞こえてきて、すぐにクロワの声が続いた。
「はーい、こちらDear friendsです!はい…あ、分かりました、少々お待ちをー。プレッツェ、電話ー!」
私宛に電話と聞き、不穏な予感がよぎる。
いや、いつも親しくしていただいてるマーケットの人達かもしれない。
「分かった、すぐに行く」
私はそう言って器具を置いて手を拭き、すぐに電話のほうに向かった。
「相手は?」
「えっと…ウィルソンの移動販売とか何とか言ってたよー。あ、もしかして私達のパンを売りたいっていう内容かも!」
悪い予感はどうして当たってしまうのだろうか。
何も知らずはしゃぐクロワに私は固い笑顔を返す。
「すまない、結構洗い物が溜まっていてな…少し手伝ってくれないか?」
「オッケー!じゃあ行ってくるねー!」
クロワはそう言って厨房のほうへ去って行った。
シュトーレは今は店の裏で洗濯物を干しているところだ。そのためこのホールにいるのは私だけ。
準備は概ね整った、私は受話器を持ち保留を解除する。
「…何か用か?」
「三年ぶりぐらいかい、久々だねプレッツェ」
受話器の向こうの相手は、ステラだ。かつて私も色々と世話になった相手である。
そして、今の私にとっては敵か味方かの区別が付け難い、最も厄介な相手だ。
「悪いが本題だけを伝えてくれ」
「相変わらずだねアンタは。用件はいくつかあるが、纏めるとアンタの知り合いがアンタに会いたがっている」
「…情報提供どうも、だが何故それを態々私に?」
「依頼さ。アンタのいるその店で厄介事を起こして欲しくない人がいるそうだよ」
「そうか。で、誰が来る?」
「恐らく確定なのはゼネリ家の誰かだ」
ゼネリ家。昔にいくつか仕事を請け負ったことがあるファミリーだ。
今になって私に用とは、昔の仕事でトラブルでも生じたのだろうか。
「それと…ジェロシアもアンタの存在を知った可能性が高い」
…今の私にとって最も聞きたくなかった名前だ。
逃れることは出来ないと高を括っていたが、遂にその時が来てしまった。
「…分かった」
「用件はそれだけだ、此処からはオバサンのお節介だと思って聞き流してくれ」
ステラの言葉を私は何も返さず聞き続ける。
「アンタの事情は深くは知らないし、知る気もない。でも、ジェロシアとアンタの関係を見ていた者として、出来れば平和的に解決できることを望んでいるよ」
「…伝えたい事はそれだけか?」
「ああ…アタシは少なくともアンタの味方だよ、じゃあね」
電話はステラの言葉を最後に切られた。
ゼネリ家、そしてジェロシア。あの街に住む者が来る以上、鉄の薫りに飲み込まれることは絶対だ。
私は、私の親友達に過去の事を話した。それでも二人は私を受け入れてくれた。
だが、だからと言って二人に“裏”の世界を見せたくはない。出来る限り二人を巻き込みたくない。
私はまず厨房に行き、クロワにしばらく店を離れる旨を伝え、次に私達の寝室に向かった。
そして今の私を着飾る華麗な制服を脱ぎ捨てて、クローゼットからかつての私を形作る黒のスーツを取り出して袖を通す。
小物入れからはジッポとシガレットケースを、そしてクローゼットに立てかけた一本のレイピアを持ち出した。
姿見で一応チェックし、最後に右前髪につけた二本のヘヤピンを取って胸ポケットに差した。
この店で親友と再会した時に貰ったこのヘヤピンは、今の私を象徴する大事な宝物だ。これだけは過去の血の色に染めたくない。
「…行くんだね」
いつの間にか寝室に入ってきていたシュトーレがそう呟く。
「…もし私を尋ねる者が店に来たら、身を隠してくれ」
「ねぇ、私に出来ること、ない?」
「…此処で私の帰りを待っていてくるだけでいい、頼む」
私はそう言って寝室を後にし、裏口から店を出た。
すぐに私の携帯が鳴り響く。
「…いつもすまない」
「いいんだよ、プレッツェちゃん。それより、一台の車がそっちに向かったよ、何処に陽動すりゃいい?」
「いつもの廃墟に」
「了解、じゃあ気をつけてよ」
郊外の町に住む人たちは私の事情を知りながらも、私に惜しみなく協力して下さる。
いつも不審な人物が見つかった時は、私の元に来るように上手く陽動してもらう。
私は携帯を切り、裏に停めてあるZX-12Rにまたがる。
エンジンを掛けて、冷たい風を顔で感じながら道を行く。
こいつはこちらに来てから中古車屋で買ってみたのだが、とんでもない速さを叩きだせるため直線ばかりの郊外とすこぶる相性が良い。
バイクを走らせてすぐに目的地である天井の抜けた廃墟にたどり着いた。
適当な場所にバイクを停め、廃墟の一角に私は座った。
コンクリートに無数の返り血がこびり付くこの場所は、かつてどんな施設だったかは分からないが、無機質極まりない造りで決して健全な場所でないことを知らせる。
此処で始まるであろう事に備え、懐からシガレットケースを取り出し、ガラムを銜えてジッポで火をつける。
静寂に火花が光り、甘き薫りが口腔に広がる。
タバコ一本で私の脳裏にかつての世界、人々、そして私の姿がフラッシュバックし始める。
全ての過去を思い出させる味。この一本で過去の私が蘇る。
パンの焼ける甘き薫りと異なる薫りは、全身の感覚を限界まで研ぎ澄まさせる。
既に敵はこの廃墟に来ている。私の真上に僅かに残った天井の裏。
数は一。銃火器は所持していない。刃物すら持っていない。
…何を持っていようが関係ないか。私はまだ燃え切っていないタバコを投げ捨ててゆっくりと立ち上がり、鞘から静かに剣を抜く。
幼き私に死を教えた忌々しき剣、そして私が命を預けられる数少ない刃。
「…正面から来い、不意打ちは無駄だ」
私がそう言うと、予想通り敵が上から落ちてきた。
大柄なスーツの男。スキンヘッドの白人で両腕にはメリケンサックを装備している。
ゼネリ家の用心棒、マルク・フロル。この男が直接来たという事は、ゼネリ家は重大な件の為に私に会いに来たに違いない。
マルクは何も言わず、ファイティングポーズをとった。
私はレイピアの剣先を下に向けて相手の出方を伺う。
───マルクが僅かに右足を前に滑らせた。
勝負。
風を切り、マルクの横を駆け抜ける。
素手と剣ではリーチからして圧倒的に有利のはず。だが、マルクは見事私の剣先を右手につけたメリケンサックで受け流していた。
即座に振り返るとマルクが目の前に迫る。
重い一撃をバックステップで回避すると、勢い余った拳がコンクリートの床に亀裂を走らせた。
アレは剣で受けることは不可能だ。すぐに距離を詰めて来るマルクに対し私は剣先を上げて牽制を計る。
後ろに下がりながら軽く突きを入れるがマルクはすんでの所で避け続けた。
…ならば再び一撃に賭ける。一瞬こちらの足を止めると、僅かに相手のペースに乱れが生じた。
相手は予想通り右ストレートを繰り出してきた。既に回避体勢に入っていた私は即座にカウンターを右腕にヒットさせた。
剣がマルクの右腕を貫く。そのまま体にまで貫通できればよかったが、この男の肥大した筋肉を通すだけで限界だった。
右腕から刃を引き抜いた際の余力で右足にも裂傷を入れ、私は一歩下がった。
…やはりこの男は格が違う。右腕が死んでいるにもかかわらず左腕を大きく振り回して攻撃に移っていたのだ。
だが人の子であることに違いはないらしい。先ほどのようなキレのある動きは少々失われている。
空しく薙ぎ払われた左腕を的確に貫いてやると、マルクは少し顔をゆがめた。
そのまま左腕を引き裂くように刃を抜き、防御姿勢に移ろうとするマルクに一気に近づいて喉元目掛けて剣を突き出した。
両腕をクロスし、何とか急所を防いだはいいが、マルクの両手は刃でズタズタになっている。
突進した勢いを利用して私は大きくジャンプし、相手に振り返る隙も与えず着地しながら背中に剣を刺した。
貫いた箇所はギリギリ急所を外してやった。
「…何故本気で殺しに来ない?」
幾ら自分の腕に自信があるとは言え、この男が明確な殺意を持っているならもっと良い武器を持ち出すはずだ。
なのにどうしてメリケンサックなんていうチンピラじみたオモチャで私に挑んだのか。
「そこまでだ!」
突如何者かの声が響き渡る。すぐに私は剣を抜いて声の聞こえたほうを見た。
「…まさかトップ直々に来るとは」
廃墟の入り口で腕を組んで立つその者は、ゼネリ家キャスタニア支部長、ブレンダ・ゼネリその人だ。
もう四十も超えているだろうに、その顔には凛々しさと威厳が克明に刻まれている。
「お前の腕が鈍っていないか心配していたが、聊か杞憂だったようだ」
ブレンダの声を聞いていたマルクは、よろめきながらブレンダのほうへ向かった。
「…すみませんでした」
「手を抜いて彼女に勝てるなんて思うな、馬鹿者が」
ブレンダはマルクを叱咤しながら包帯を投げつけ、咳払いした後私に向かってゆっくりと歩いてきた。
私はじっとレイピアを構える。
「手荒な真似をして悪かった。もう争う気はない、信じてくれ」
「…今更ゼネリ家が私に何の用だ。お前から預かった仕事は全て終わらせていたはずだが」
「そんな事知っている。私が伝えたいのは、マッシモ家についてだ」
ブレンダは私の剣が届く範囲にまで近づいてそう言った。
私の間合いに入ってまで話を続けると言うことは、殺意はないということの証のつもりか。
「…マッシモ家だと?」
「最近そこが名前を変えて街に帰ってきてな。この前潰したばかりだが再び芽が出ないとは限らない。もしかしたらお前の所にも火花が飛び散るかもしれん」
「フン、下らん。とっくの昔からマッシモ家の残党の相手はしてきた」
私がかつてマッシモ家を滅ぼした時から、恨みを晴らすために残党が私の命を狙いに幾度もやって来ていた。
それは私があの街から逃げてからも変わらない。今日までずっとマッシモ家をの人間を殺してきた。
「ならもう一つ。清龍党と日久組がイブリースに対し不穏な動きを見せつつある」
「…だからどうした」
「お前は一応まだイブリース所属だ。何かしらの標的にされるかもしれない」
「…忠告はそれだけか」
実にくだらない。そんなチャチな忠告のためだけにわざわざ頭が直接やってきたって言うのか。
そんな筈ない。まだ別の目的があるに決まっている。
「…いいのか、お前の友人が危機に晒されても」
ブレンダの言葉を聴き、私は舌打ちをする。やはり親友の存在を挙げてきたか。
「良い訳がないだろ。私の命を持ってして親友は守ってみせる」
「無理だ、お前には荷が重過ぎる」
挑発的な物言いに苛立ちを隠せない。
「分かっているような口を利くな…!」
「…ならお前には出来るのか、ジェロシアから友人を守ることが」
「ッ…!やはり彼女も私の所に…」
「さぁ、どうだろうな。私も噂程度しか知らんからどうとも言えない」
ブレンダはそう言って更に私との距離を縮める。
「一つ、依頼だ。私のボディーガードを務めろ、事が収まるまでな」
「…断る」
話が理解できない。ボディーガードということは、恐らくゼネリ家に付けと言う事だ。
だがその理由が分からない。
「友人の安全は保障する。それにもし私の傍にいれば、ジェロシアも私の元に来るはずだ」
「…信じると思うか?」
「…フッ、流石だよ雀蜂。腕は勿論態度も何も変わっていない」
私のかつての二つ名を言い、ブレンダはふと笑顔を見せる。
「依頼だなんて堅い事を言って悪かった、言葉を変えよう。お前を守らせてくれ…いや、お前達をか」
「…私なんかを守って何になる?」
「償い、なんて臭い言葉でも言っておこうか。お前やジェロシアを散々利用した私のな」
「なるほど、償いか。お前がジェロシアに良く言っていたのを思い出した」
「ジェロシアが道を踏み外してしまったのは全て私の責任だ。そして彼女が信頼を寄せていたお前を守ることも私の義務だ」
ブレンダはそう言って帽子を取り、私に深く頭を下げた。
「私はどうしようもない人間だが、義理の深さだけは一流だと思っている。どうか私の言葉を信じてくれ」
「…一つ、条件だ。私の親友…クロワとシュトーレにお前達の姿を一切見せるな」
「約束しよう。郊外に我々の情報網を張り巡らせて有事の際は隠密に事を済ませる」
「郊外の人間にも手を出すなよ。それが守れるなら…」
ふと、私は言葉が詰まる。
親友の安全を確保できるのなら選択の余地はない。仮にも相手は七大ファミリーの一つ。戦力については何も問題ない。
だが、この誘いに乗るという事は親友との別れを意味する。
事が収まるまで、と言われてもそれがいつになるかは分からないし、生きて帰れるとも限らない。
…やはり、私は親友の元を離れることを恐れている。
なんて都合のいい女なんだ、私は。ジェロシアの元から逃げ出したくせに、今度は離れることを拒むだなんて。
「…確かに酷な話ではある、でもお前にとっても悪い話じゃないはずだ」
廃墟に沈黙が漂う。心の中を葛藤が渦巻く。
次々と湧き上がり、消え行く思いを噛み締め、私は決断を下した。
「…一度、店に帰る。別れの挨拶がしたい」
「…ありがとう、プレッツェ。我々は此処で待っている」
私は剣を鞘に納め、振り返ることなく廃墟から立ち去り、バイクにまたがった。
親友が守れるのなら、私の身などどうなってもいい。
───それに、ジェロシアとまた出会えるのならば、私の罪も少しは償えるかもしれない。




