29 雑草が丘 ~~王の召集~~
キルペリク王の長子がテウデベルト、次男がメロヴィク、三男がクローヴィスとなります。
ロワール川流域は、急な雨に襲われていた。川が決壊するのではないか、というような勢いの雨ではないが、昼間だというのに辺りが薄暗くなり、外に出ていた村民たちが三々五々帰って来るという事態で、領主の側としても警戒を要する状況であった。
少なくともテウデリクはそのように考えている。
戦国時代の大名に共通する功利主義的思考過程から、領主は領民の生活の安全を最大限保障し、住みやすくすること、それにより領民が逃散せず、却って周辺から領民が流入し、税収が上がること、そうすることで、更に自らの勢力を拡大させることができ、勢力圏の防衛に要する費用を抑えられる。
このサイクルを軌道に乗せた大名のみが生き残りの第一条件を満たすこととなり、その大名同士で武力による衝突が初めて意味を持つこととなるのだ。
戦国時代、織田信長であったテウデリクとしては、そのような考え方は身に染みついていて、そこから離れることができない。それが他のフランク人と決定的に違う点だといえるかもしれない。
だから、急な雨で村民が慌てて移動していること、その間に盗賊が出たり、魔物が発生したりしないか、村民に被害がでないかが気になってしまい、部下を引き連れ雨の下、巡回に回っていたのだった。
「テウデリク様、騎馬武者が三騎、雑草が丘に向かって南から近付いてきています!」
傍を走っていたネイが声を上げた。
羊飼いの子供たちのリーダーだった面影はほとんどない。まだ子供とはいえ、立派な武者振りであった。細いが重い槍を持ち、馬上で姿勢を崩さずに疾駆している。テウデリクと血杯を交わし、野蛮魔法を使えるようになったという効果もあるが、本人もしっかりと鍛錬して、一端の武人となるよう努力している。過去には、領主ロゴに付き従って、トゥルーズ周辺に出撃し、大公グンドヴァルドゥスの長男を討ち取るという手柄も立てている。
「であるか。」
テウデリクは答えた。小山の上から下を見下ろしているが、ロワール川に沿って建設された新都市、ナントから、雑草が丘に繋がる街道を、確かに騎馬武者が進んでいた。
「旗印は・・・。髑髏ですね。」
ミーレも観察した結果を述べた。
ミーレは元々はテウデリクの母、クロティルドの侍女の娘だったのだが、テウデリクが自分好みの小姓に鍛え上げた。美少女小姓である。馬上で薙刀を構えている姿が、凛として美しい。もっとも今は雨に濡れて、ボロ雑巾に身を包んでいるようにしか見えないが、それでも姿勢の美しさが見て取れる。
「白地に黒の髑髏か。キルペリク王のご親族だろうか。またメロヴィク王子が来られたのかな。」
テウデリクが独り言のように呟いた。
以前、第二王子であるメロヴィクが雑草が丘にやってきて、キルペリク王とヒスパニアの姫との婚姻を知らせに来たのだ。
・・・
その夜、雑草が丘の館では、突然の客人を迎えて大騒ぎとなっていた。
「クローヴィス王子様、雨の中お疲れであったでしょう。風呂でさっぱりなされましたかな。」
新辺境伯であり、領主でもあるロゴが、日頃使い慣れない丁寧語で王子に話し掛けた。
「ふむ。兄メロヴィクの話によれば、館の丘の下に風呂場があるということであったが、今は館の脇に風呂があるのだな。非常に心地好いものであったわ。」
欲しがり屋キルペリク王の第三王子、クローヴィスは、館の大広間の食卓前にどっかりと腰を下ろし、注がれた酒杯を持ち上げながら答えた。
「しかし、メロヴィク兄の話と違うところがある。」
クローヴィスは、ガツン! と酒杯をテーブルに叩きつけるようにして置いた。
「辺境伯の風呂場には女が付くと聞いていたが、俺にはそのような歓待がなされていないようだ。辺境伯殿には、よほど嫌われたに違いない。それとも、俺のもってきた用事が気に食わなかったのか。」
嫌味たっぷりに口を歪めて言ってのけた。
「いやいや、王子様。メロヴィク様が来られたときには、どうやら背中を流した女中と恋に落ちたようでして。決して当家では、そのような接待を用意しているわけではございません。」
ようするに、風呂場での自由恋愛という理屈なのだ。
確かにメロヴィクが来た時には、その陽気で快活な雰囲気に好感を持った侍女がメロヴィクの風呂の世話をした。そこで何があったのかは、領主としてはあずかり知らぬことであって、王族に女の饗応をしたとか、娼館まがいの接待をしたとか、そのようにとられてしまっては困るところだ。メロヴィクも、そのあたりは心得ていて、そのような誤解がなされるような喋り方はしていないはずだ。つまり、弟王子、クローヴィスが意図的に歪曲した受け止め方をしているのだ。
「そうかね。では、そういうことにしておこう。」
クローヴィスとしても、どうしてもロゴと対立したいという訳ではないようだ。特に敵対したい理由もないはずなのだ。あちこちに喧嘩を吹っ掛けるような物言いをするのは、どうやら性格的なものであって、特に意図的な攻撃意思があるわけではないようだ。
「もちろんです。それに王子の持ってこられたご用事は、我らにとって喜ばしいこと。名誉あるご用命、喜んでお請け致しますこと、さきほどは、お聞きして即座にそのようにお答えしたはず。」
ロゴが少しむっとして答えた。
クローヴィスの要件とは、参戦命令であった。
東フランク王国は、欲しがり屋キルペリクの兄、戦好きシギベルト王の統治下にある。シギベルト王は、チューリンゲン族などの頼みを受けて、ザクセン同盟との戦さを決意した。そして、シギベルト王は、フランク諸王国における対ゲルマン最前線国家の王としての資格をもって、弟王、西フランク王国のキルペリク王にも参戦を要請したのだ。
「もっとも、シギベルト王が、この時期にザクセン同盟と戦をする必要があるのかどうか、キルペリク王が参戦する義理があるのか、はなはだ疑問ではありますがな。」
ロゴが多少の不服を漏らした。
ゲルマンとの闘いは、フランク族共通の利益のために行われている。定期的に叩いておかなければ、ライン河を超えてガリアに侵入してくる力を蓄えてくる恐れがあるのだ。そこでフランク王国の権威に服し、年来の友好関係のあるテューリンゲン族などの勢力を保全し、敵対的なザクセン同盟がゲルマン諸族に君臨することは、絶対に阻止しなければならない。
その一方で、フランク族がゲルマン諸族に対する権威と支配を強めることは、直接的には、東フランク王であるシギベルト王の勢威を高めるだけの効果しかないから、キルペリク王がそれに協力するのは、正直、タダ働きを要求されているという側面もある。
「ブリトン王国に対する戦争で借りがあるからな。」
クローヴィス王子が答えた。もちろん、それについてはロゴも承知しているし、それを踏まえた上での不服なのだ。
ブリトン王国は、ガリア北西部にあるケルト人とドワーフ族の連合王国であり、ロゴの領地などに対する攻勢を仕掛けていた。
それに対応して、長兄の腰砕けグントラム王(ブルグンド王国)、次兄のシギベルト王がそれぞれ援軍を出して、ブリトン王国に痛撃を加えたばかりだ。それについては、形式的にはキルペリク王が兄王たちに救けを求め、それに応じて貰ったという関係にあるが、そもそもブリトン王国がキルペリクに攻撃を仕掛けてきたのは、シギベルト王の働きかけによるものだというのが公然の秘密なのだ。
「ま、私としては、戦さができるのであれば、それに全く不服はありませんが。」
ロゴは、言いたいことを一通り言った後は、それ以上は文句は言わなかった。クローヴィス王子に言っても無意味だからだ。
「この後、王子は、ロワール川の南側に向かわれますか?」
テウデリクが口を挟んだ。
ロゴとクローヴィスの後ろに立ち、踏み台の上に乗っている。肉が運ばれてきたので、それを切り分けて供するのが、貴人の子の役割なのだ。
「その予定だ。面倒な限りだがな。もっとも、それほど南にまではいかぬ。」
クローヴィス王子が答えた。
「といわれますと、デシデリウス殿は、今回の召集には含まれていないと?」
デシデリウスは、キルペリクに忠誠を誓っている南仏人である。流石にそこからゲルマニアに遠征しろというのは無理があるし、あちらはあちらで、ランゴバルド王国、西ゴート王国との関係もあり、出征は求めないのだろう。
「そうだ。君は、なかなか物知りだな。」
クローヴィス王子は、肉を頬張りながら、口を歪めて言った。才気走った子供は嫌いらしい。
「では、シゲールとバシリウスには、当家から使いを出しておきましょうか? その方が王子の手間も省けるというもの。」
テウデリクはさりげなく提案した。
戦国の通例では、上位者からの命令を伝達するのは、いわゆる中間管理職であって、それが年を追うごとに強い命令関係に転化していき、戦国大名が形成されていった。だから、新たに辺境伯となったロゴが、王の命令をシゲールとバシリウスに伝達するということは、担当区域が明確に定められていない辺境伯としては、結構重要な意味を持つ。そのままなし崩し的に、ロワール川南岸のキルペリク派諸勢力に対する統制力を公認されたことに持って行けるし、ゆくゆくはより強固な主従関係に変容していくことに繋がるかもしれない。
フランク人は、そこまで物事を深く考えない。
クローヴィス王子も、「おう、では、よろしく頼む。」とあっさりと答えた。
・・・
その夜、ロゴの家では、主要な腹心らが集まり、今後の体制について協議をしていた。
「俺が行くぜ。他にはおらんだろ。テウが行っても構わないが、流石に幼児を連れて行ったら、辺境伯として怒られてしまうだろうからな。」
王の召集に応じて参陣するのは、忠誠の確認という意味もある。幼児を代わりに出したとなれば、謀叛を疑われても仕方がないことになる。
「父者、お願い致します。」
テウデリクも異論はない。
「それから、ジャケを連れて行くぜ。」
ジャケは、ロゴの封臣である。西側の村を任されている。ロゴとは長い間の戦友だったから、ロゴとしては一番安心して使える部下だ。
「そうですな。」
テウデリクは再度うなずく。
「あとは主要な従士を連れて行くくらいかな。ネイは今回は置いて行こう。」
「では、代わりにヤンコーを連れて行ってやって下さい。」
ヤンコーも羊飼いだった少年だったが、今はロゴ家の水軍の副長的な存在となっている。
「よかろう。俺が改めて鍛えてやることにするか。」
ロゴもあっさり承諾した。
「それからガーリナを連れて行って下さい。」
テウデリクが要請した。
ネイの妹で、ロゴの家宰をしている幼女だ。幼女ではあるが、テウデリクが手塩にかけて育てただけに、外交・内政については充分な能力がある。文字が書けるだけでも王族の官房長になれる時代において、ガーリナを連れて行けば、出先でロゴが困ることはないだろう。
「おう、ガーリナが来てくれるのなら、何かと安心だな。」
「特に食料品などの供給で苦労されることと思います。ガーリナの意見は、よく聞いてやって下さい。」
テウデリクが念を押した。
「で、テウは、ナントに行って、そこを中心にして、俺の領地全体を統括しろ。」
ロゴが指示した。
「はっ」
テウデリクは少し驚いたが、特に異論はない。
言われなければ自分から願い出ただろう。ナントは、既に経済的にはロゴの領地の中心地となっていた。軍事的にも攻守両面で最強の都市であり、あえて雑草が丘に留まって領地を管理する必要性はない。
本音をいうと、テウデリクは雑草が丘がロゴ領の首邑であるという位置付け自体、既に無意味となっていると思っていたし、ナントの実質的支配権をロゴから認められた時点で、事実上はテウデリク自身がロゴ領全体の実権を握っているに等しいと考えている。勿論テウデリクとしても父であるロゴを打倒して全てを奪い取ろうとか、完全な傀儡にしてしまおうとか、そのような不遜な考えがあるわけではない。あくまでも父の下で、その領地を適切に運営していこうと考えているだけなのだ。そういう意味では、ナントを拠点として領地経営を進めていくというのは、最も合理的な判断ではある。
「それとお前の市民兵は、今回は連れて行けないな。」
ロゴが追加して言った。
ナントに流入してきた民衆のうち、希望する者には市民権を与えている。その条件として、領主の軍役に服するという条項が入っているのだが、遠征となると年間40日を限度とするということになっている。ゲルマニアに行くだけで終わってしまうのだ。
「はい。それに彼らの主要武器は、長槍ですから、ゲルマニアの森には不向きなのです。」
テウデリクも同意した。
思い切って盾を全廃したのだ。
その分甲冑をしっかりつけさせ、更に常識はずれなほどに長い槍を装備させている。平地を集団で突撃するのならおそらく無敵に近いはずなのだが、ザクセン同盟の蛮族と森の中で消耗戦を繰り広げるには不利だろう。槍が木に阻まれて、うまく使えないだろうし、脇から回り込まれると密集隊形が却って不利になるのだ。
「市民兵は、もっと有意義な使い方があるはずだ。任せるぜ、テウ。」
ロゴは問題を簡単に片づけた。
・・・
2か月ほどの後。
雑草が丘の下の広場には、一群の戦士らの集団があった。
ロゴとその直属の従士たち、ロゴ領の封臣とその従士、北隣りの領主、ギリエンの一隊、ロワールの南から集結してきたシゲール、バシリウスの軍勢、全て合わせて100名程度の騎士たちと、ほぼ同数の歩兵兼輜重兵が出陣の準備を完了していた。
「さて、行くか!」
ロゴは乗馬した。見送りには、妻クロティルド、息子のテウデリク、カッツ、娘のイッチや、その他の幹部たちが並んでいる。
フランク人の出陣には、特に儀式的なものは何もない。それではあまりに物寂しいので、テウデリクは角笛を大いに吹き鳴らすように指示していた。
ブオーン、ブオオォーーン
荘重な角笛の音に送られて、辺境伯とその配下らの軍勢は、ゆっくりとソワソンに向けて出発していった。
ご一読ありがとうございました!
ストーリー、文章の評価を下さった方、本当にありがとうございます!