27 生還 ~~窮地からの脱出~~
投稿が遅れてしまって申し訳ありませんでした。
年明けからじわじわと積み重なっていた仕事の最後の山が4,5月に押し寄せてきて、全然身動きが取れませんでした。他の方の作品を読んだりして、自分の出来の悪さに悶絶したり、全然違うお話を書きたくなったりもしていましたが、その間にも読んで下さる方もいるし、自分でも最後まで書き切りたいという気持ちも強くありますから、なんとか頑張って行こうと思っています。
間が空いてしまったので、少しあらすじを補足したいと思います。
いくつかの場面が並行で進んでいるのですが、とりあえずは、今の場面について。
西フランク王である欲しがり屋キルペリクは、王妃ガルスウィンドを謀殺してしまいます。その姉である東フランク王妃、ブルンヒルドは、夫である東フランク王、戦好きシギベルトを説得して戦争を始めさせます。
兄弟である両王の戦争が始まろうとしたとき、キルペリクは、長兄である腰砕けのグントラム(ブルグンド王)に仲介して貰い、和平を結びます。
キルペリク王の新王妃、フレデグンドは、その和平に怒りを示しますが、キルペリク王は、それを宥めるために、ヒベルニア(アイルランド)に布教した聖パトリキウスの聖遺物、ケルティック・クロスを発見する勇士を募りますが、それに応じたのは第一王子のテウデベルト、側近のミヒャル、パリで修業中のヒューゴこと明智光秀だけでした。
一行は、英仏海峡を渡り、ケント王国を経由して、ブリテン島を横断し、ケルト人のドルイドと名乗る謎の老婆にケルティック・クロスの場所を聞き、マン島に渡ります。マン島では、ヒベルニアはアルスター及びマン島の王と決闘の末、山の頂上にある洞穴に入り、ケルティック・クロスを発見しますが、ラプトリクスと呼ばれる魔物に包囲されてしまいます。
奇妙な子どもだ。
ミヒャルは、一つ下の枝に跨り、地上のラプトリクスの群れを監視しているヒューゴを見て思った。
ヒューゴは幼児なのだが、異常に頭が良い。戦闘にも慣れていて、歴戦の勇者に見えるほど動きに無駄がない。
そして、今、その幼児の背中は小さく、静まり返っている。
(諦めているのかな。)
泣き喚いたら、怒鳴りつけるなり、宥めるなりするのだが。
諦めている幼児を死なせるのは、目覚めが悪い。
テウデベルト王子も、幼児だけは生きて返そうと思ったのだろう。幼児は不思議な魔法を使うから、自分だけ助かることは可能なはずだ。ケルティック・クロスを預けるといえば、言い訳も立つはずだ。それなのに、幼児はそれをにべもなく断った。
ヒューゴが、ふと振り返って、ミヒャルを見上げてきた。
目は死んでいない。
透き通ってもいない。
幼児の癖に、野望に満ちた、濁った眼をしている。
(こいつは、武将の目をしている。)
ミヒャルは、ぞくりとしたものを感じた。
幼児ではない。配下を従え、配下と、その家族を喰わせてきた男の目をしている。そのような男が澄んだ瞳をしているはずがない。
「諦めて、ないんだな。」
ミヒャルは、思わず、頭に浮かんだことを言葉にした。
ヒューゴは、躊躇った顔をした。
「煕子がね」
突然話し始めた。
「ヒロコ? なんだそれは。」
ミヒャルは、ちょっとびっくりして反問した。
「昔の妻ですよ。」
幼児は遠い目をした。
確かに、戦国日本は、マン島の洞穴からは、とてつもなく遠い。
「昔は、金がなかったものです。」
ヒューゴは語り始めた。
「そうかね。」
「どうしても付き合い上必要な出費があったのですが、それが俺には出せなかった。」
絞り出すような声を出して言った。
「そのとき、煕子は、黙って、自分の髪を売って、俺に渡してくれたのです。」
髪を切るということは、現代人には想像もつかぬほど重大な自己犠牲であるといえよう。
世界の女性には様々な美質があるが、髪を売って夫の交際費を捻出できるのは、日本の女だけではないか。ヒューゴは懐かしさを噛み締めながら、亡き妻を想った。
「その、煕子が、死ぬな、というのですよ。生きて、立派な武将になって下さい、と。」
(錯乱したか。)
ミヒャルはそれほど感動しなかった。幼児が老妻の話をし始めても、感動の余地がない。
「というわけで。」
ヒューゴは枝の上で立ち上がった。巧みに平衡を取り、身体をほぐし始める。
「最善の策を採りましょう。」
「何か考え付いたか。」
テウデベルト王子がもう一つ上の枝から、話に加わって来た。
「はい。飛び降りて斬りまくります。」
ヒューゴは王子を見上げて答えた。目がぎらり、と光る。
「死ぬ覚悟か。」
ミヒャルは止めようと思った。どう考えても無謀だ。
「死ぬ覚悟はいつでもできています。でも、諦めたわけじゃない。」
ヒューゴが言い返した。
「このままだと体力を失っていく。夜になると、周りが見えないから、こちらが圧倒的に不利です。そして、一晩立てば、俺たちの身体は、衰弱して充分に戦えないでしょう。今、全力で闘うのが、一番生き残る可能性が高い。」
「・・・」
ミヒャルは感嘆した。
やけくそになっていたわけではなかったのか。
死の覚悟と生への執着が、濁った野望の中に混ぜ合わされて、一流の武人特有の迫力となって押し寄せてくるようだった。
「しかし、可能性は低いぞ。」
ミヒャルはそれでも躊躇う。
「ここは、しばらく様子を見るべきではないか。予想もつかぬことが起きるかもしれない。」
楽観すぎるかもしれないが、それでも突入するよりは可能性は高いかもしれない。
「それも考えられますが。」
ヒューゴも答えた。
「長期戦なら、絶対に相手が有利ですよ。」
ラプトリクスは数も多いし、しっかりとした地面の上で休んでいる。彼らは、ただ待っているだけでいいのだ。
「ふむ。」
ミヒャルは考え込んだ。
武人としては、ヒューゴの策に乗りたい。しかし、ミヒャルは王子を守る使命がある。ここで軽挙すべきではないかもしれない。
「よし。」
テウデベルト王子が決断した。
「ヒューゴの考えが最も潔く、かつ賢明である。私は、このラプトリクスを全て切り払い、必ず生きて帰ることにした。そうでなければ、我が身はここで滅ぶまで。それも神の思し召しであろう。」
「王子、危険ですぞ。」
ミヒャルは、なおも躊躇った。ここは自分に責任がある。王子の身だけは、なんとしても守らなければならない。それと、未来のある幼児も助けてやりたい。
「ミヒャル殿、何を躊躇っているのだ。そちは武人であろう。抜くか抜かぬか、迷うときは、抜いて後悔すればよいのだ!」
ヒューゴが、幼児の割には低い声を出した。腹の底に響くような音だ。そして、妙に古い言い回しで叫び始めた。
「これ以上躊躇っていると、我らの名に傷がつく。いや、貴殿らが来ぬとあらば、俺一人でも闘う所存じゃ。」
「・・・」
ミヒャルもフランクの子なのだ。
武勇を重んじる心は誰よりも強い。
ケルティック・クロスを求める旅に出た以上、生きて帰れぬことは充分覚悟していた。
王子も、いつまでも自分に守られているつもりはないだろう。
どうやら、王子を甘やかしていたようだ。
フランク人なら、剣を抜き、立ちはだかる敵に挑戦するべきだろう。
「・・・分かった。」
ミヒャルもうなずいた。
「私たちは三人だ。」
テウデベルト王子が口を開いた。
「最後まで三人で退路を切り開くぞ。」
「「おう!」」
ヒューゴは、後の二人が用意を整える前に飛び降りた。
「場所、空けるぜ!」
大木の根元に降りた瞬間に血飛沫があがる。完全に油断していたラプトリクスたちが、一瞬の間に、何匹も致命傷を受けて絶叫する。恐ろしいばかりの早業だった。
「王子、身体をしっかりほぐしてから来て下さい!」
ミヒャルは、そう声を掛けて、ヒューゴに続いて飛び降りた。
「もうほぐしてあるぞ!」
テウデベルト王子も、すぐに後を追う。
死の祭りの始まりだ。
ラプトリクスの群れは、狩りの名手だ。
個体ごとに役割を分担し、一頭が陽動をすると、別の一頭が奇襲を掛け、他の個体が包囲し、断続的に鳴き声を上げて獲物を攪乱する。そして最小限の犠牲で、最も効率的な手段で敵を殺戮するのだ。
その連携は、守勢に入った途端、無惨にも崩れ去った。
ヒューゴは後続を待つことなく、辺りを走り回って、目についた個体を傷つけ、あるいは屠り、群れを大混乱に陥れた。
その混乱の中を、ミヒャルとテウデベルト王子は肩を並べ、剣先を揃えて突進し、強引に通り道を開けた。
死をも恐れぬラプトリクスたちが、思わず後ろに下がる。そもそもラプトリクスの身体は後退には適していない。体勢が崩れたところを、ミヒャルとテウデベルトが切り刻む。
「こっちだ!」
ミヒャルが叫び、ヒューゴが、「先回りする!」と答えた。
ヒューゴが飛び上がって、ミヒャル達の前方に着地し、立ちふさがっていたラプトリクスの壁を後ろから崩していく。そのままテウデベルトとミヒャルが突撃すると、壁は大きな穴を開け、脆くも崩壊した。
「このまま走るぞ!」
ミヒャルが叫ぶ。
「私が後ろを固める。ヒューゴは先を払え!」
テウデベルト王子が指示を出す。王子が殿とは異例だが、この場に及んでは、そのようなことに構ってはいられない。
三人全員で生還すると誓ったのだ。安全な役割、危険な役割、身分にかかわらず、それぞれがそれぞれの役割を果たすまでだ。
もっとも、殿以外の役割も危険度には変わりはない。
「うおおぉぉー!!」
ミヒャルが雄叫びを上げ、眼前のラプトリクスを二体同時に斬り捨てる。
その背後からヒューゴがちくちくと刺していくので、ラプトリクスの分厚い壁に動揺が広がる。前後から攻められると、どうすればいいのか混乱するらしい。
「そのまますすめ!」
テウデベルト王子は、後ろを振り返りながら、前をせかす。前進を続けなければ王子は囲まれて食い千切られることになるから、結構切実なのだ。もちろん、自分のことだけでなく、全員の危険にも繋がることだ。
「意外と進んでいるぞ!」
ミヒャルが声を弾ませた。
人の背の高さほどもある草の中で、位置感覚がおかしくなっているが、それでも盆地の周囲にそびえる山の形で、おおよその距離が分かるのだ。既に半分近くは進んだかもしれない。もう100トワーズ(200メートル)ほどは進んだかもしれない。草原の果て、洞穴の出口まで、あと半分ほどだ。
「ちくしょう、剣が斬れねえ。」
ミヒャルが毒づいた。血と脂で切れ味が落ちているのだ。
「刺せ!!」
ヒューゴが叫ぶ。刺す方なら、切れ味が悪くてもラプトリクスを傷つけられるのだ。
「分かった!」
ミヒャルが答える。
「っつ!!」
ヒューゴが叫んだ。
「どうした!」
テウデベルト王子が最後尾から声を掛ける。
「かすり傷だ!」
ヒューゴが答えるが、声に力がない。
ラプトリクスの爪で太腿にざっくりと傷をつけられたのだ。
「ここからは飛べなくなった! 俺もミヒャルの横に並んで一緒に進むことにする!」
ヒューゴが叫んだ。
「ならば、私がミヒャルと並ぼう。ヒューゴよ、後ろを頼む!」
テウデベルト王子が声を上げ、隊列を変更する。突破力という点では、やはり大人の身体が必要なのだ。
「このまま進もう!」
ミヒャルが声を張り上げ、草むらの陰から飛び出してくるラプトリクスの口に剣を差し込む。
「しつこい奴らだ!!」
最後尾に回ったヒューゴは負傷した足を庇いながら、執拗に追尾してくるラプトリクスの眼の前で剣先を揺らして牽制しながら、前列に引き離されないように後退していく。
「くっ、やはりヒューゴが背後から崩してくれないと、きついな。」
ミヒャルがうめく。ラプトリクスの壁が頑強になってきたのだ。
「それでも進んではいるぞ。このまま頑張ろう!」
テウデベルト王子が声を張り上げて、剣を振り回した。そのまま突進して、壁を切り開く。
「ヒューゴ、ついてきているか!」
「なんとか!」
三人は互いに励まし合いながら進んで行ったが、体力が限界に近づいてきている。足場が悪いのが、微妙に疲れを呼ぶようだ。
「・・・」
「包囲、されたな。」
ミヒャルが呟く。
三人は、背中を併せて円陣を作っていたが、最早ラプトリクスの壁を突破する余力はなさそうだった。
「ヒューゴ、もう飛べないかね。」
テウデベルト王子が確認する。
「飛べませんよ。それに、飛べたとしても、お二人を残してはいきません。」
ヒューゴが思い切りよく答えた。
「よかろう。では、そろそろ幕を降ろすとするかね。」
テウデベルト王子が淡々と言った。
「そうだな。王子、俺はあなたにお仕えして良かったと思っています。」
ミヒャルが答えた。
「ありがとう。ミヒャル。そしてヒューゴ、このようなことに巻き込んですまなかった。」
王子が謝罪した。
「まあいいさ。こんな人生もありますよ。」
ヒューゴが気軽に答えた。
「とりあえず、最後まで殺しますよ。」
そう言って、ラプトリクスの群れを睨みつける。まだ、少しだけ力が残っている。死に際を飾るのは武将の心得だ。誰も見ていないからといって、そこを怠るわけにはいかない。
「では、同時に飛び出そうか。」
テウデベルト王子が言った。
「では・・・、1,2、」
さん、と数を数えるその瞬間、空気を切り裂いて何かがラプトリクスに突き刺さった。
「な、なんだ!!?」
ミヒャルが驚愕する。
立て続けに矢が放たれ、ラプトリクスの群れに混乱が走った。
「今だ!」
王子が叫び、最後の気力を振り絞って、草原の端の方角に走り出した。混乱の極みに達しているラプトリクスの包囲網は、あっけないほど簡単に崩れた。
「行くぞ!」
ミヒャルはヒューゴに声を掛けたが、どうやら失血のため立っているのもやっとのようだった。
「ええい、お前は必ず生きて帰れ。」
ミヒャルはヒューゴを抱えて走り出した。片手の剣は、最早制御も利かないほどになってはいたが、闇雲に振り回して、敵を威嚇する。
「あと少しだ!」
王子が叫びながら草原を疾駆する。ミヒャルも少し遅れて後に続き、ついに草原を抜け、洞穴の前に辿り着いた。
そこには5名の戦士が弓を構えていた。戦士らは、王子と、その二人の連れを見ると、弓を置いて跪いた。
「そなたらは、どこの戦士らか。」
王子が尋ねると、戦士らは、
「は。我ら、ケント王国の戦士にして、このたび王子にお仕えしたく馳せ参じた者でございます。」
と答えた。
ご一読ありがとうございます。水責めとか、火責めとか、別の魔物の大量発生とか、色々脱出の方法を考えたのですが、結局、これに落ち着きました。
また、ゆっくりと書いて行きたいと思っています。