14 ケント王国 ~~エゼルベルフト王~~
風邪を引いてしまい、投稿が遅れています。
ブリテン島は、今のイギリスです。ブリトン王国というのは、今のブルターニュ半島にあるもので、サクソン人に追い出されたブリテン人がガリアに逃れてきたのと、土着のドワーフが共同統治している王国です。
テウデベルト王子、武人ミヒャルと幼児ヒューゴは、ブリテン島に上陸した。雇っていた船は、即座に舵を切って大陸に戻って行った。恐れられている未開の島であるから、すぐにでも離れたいのだろう。
「さて、歩くか。」
テウデベルト王子は、淡々と言って歩き出した。方角が決まっているのかと思っていたが、高みを通るたびに考え込んでいる。
「どこに向かっているのです?」
ヒューゴが、たまりかねて聞いた。
「分からない。」
テウデベルト王子は答えた。それから、「神の導きがないので、分からないのだ。」と小さな声で続けた。
「では、北に向かいましょう。」
ヒューゴが献策した。
「北には何かあるのかね?」
ミヒャルが聞く。
「深い理由はありませんが、我々は南から来たので。」
ヒューゴが説明した。
他の二人も特に異論はない。
黙々と北に進んで行った。
荒れ果てた土地だ。
人気もない。
森があれば、それはそれで豊かさを感じさせるが、そういうものもない。ところどころに雑木林があって、小川が流れていたから、飲み物にはそれほど困ることはなさそうだ。
「ここはなぜ耕されていないのだろうか。」
テウデベルト王子がぽつりと言った。
「そうですね。ゲルマンが侵入してきて、長く戦争が続いたのでしょう。」
ヒューゴが推測を述べた。
実は戦争は今でも続いている。
ブリテン島西部では、今もケルト人の抵抗が続いているのだ。もっとも、ケントはブリテン島の中では一番早くゲルマンに服した地域だから、戦争の傷跡が見られるわけではない。それでも戦士らが出征するのだろうから、人口はそれほど増えないのかもしれない。
少しずつ人の気配がするようになってきた。
うち捨てられた井戸、人がいるかもしれないあばら家、耕そうとして放棄された畑などが見られるようになり、それから小さな集落をいくつも通り過ぎた。
集落は、ゲルマン人のものもあれば、ケルト人のものもあった。いずれも貧しく、愛想は悪かった。ゲルマン人の集落には男がほとんどいなかった。西方に出陣しているとのことだった。
「お」
ミヒャルが声をあげた。
小高い丘の上から見下ろしてみると、町が見える。それほど大きくはないが、一応、町と言えるだけの規模はありそうだ。
・・・
「貴殿が、西フランク王の第一王子、テウデベルト殿ですか。」
ケント王、エゼルベルフトは、にこやかに話しかけた。
この町はカンタベリというらしいが、ボロボロになった小屋が立ち並ぶ集落の中心に、比較的崩れていない大きな民家があり、そこに王は住んでいた。訪ねて行って名乗るとすぐに通され、歓待された。
「お目に掛かりまして光栄でございます、ケント王、エゼルベルフト様。」
テウデベルトは丁寧に挨拶した。機嫌を損ねるとどうなるか分からない。
「ケルティック・クロスを探しに行かれるとのこと、まことにご立派な志ですな。」
エゼルベルフトが褒め称える。
「おや、私の旅の目的をご存知でしたか?」
「ふむ。王妃フレデグンド殿から、丁重なお手紙が届きましてな。道中の安全と便宜を図って頂きたい旨のご依頼であったものですから、近々おいでになると思っていたのだよ。」
ケント王は言った。
フランク王国広しといえど、テウデベルト王子の旅の安全を心配し、実際に何らかの手を打ったのは、王妃一人だけだったということらしい。
ヒューゴは、
(根回しのできる女だな。)と思った。日本の戦国武将であった身としては、そういうところは高く評価するべきだと考える。打つべきところに手を打っているというのは、為政者として重要な資質ではある。
(ガリアで、まともな能力があるのは、王妃だけかもしれんな。)
フランク人は、先読みという能力が低いのだ。低いというよりは、そういう習慣がないと言って良い。その中で、フレデグンドの気配りは実に際だって見えた。
「ケルティック・クロスを入手された暁には、是非帰路もここに立ち寄り、予にも見せて頂きたいな。」
エゼルベルフト王が言った。
どうやらケント王は、聖教の布教に熱心らしい。カンタベリの町にも小さな教会があって、「大聖堂」と立札が置かれていた。ゆくゆくは「大聖堂にするぞ。」という意味だろうと思うが、現状は小屋でしかない。いずれにしても、エゼルベルフト王は、聖教に好意的であるようだし、西フランク王国にも友好的な気分であるらしい。
「サクソンの皆様におかれましては、」
テウデベルト王子が話し始めたところ、横に立っていたヒューゴが、テウデベルト王子の腕を掴んで制止した。
「王子よ、ケント王は、ジュート族です。サクソンとは別なのでご注意下さい。」
小声で解説する。
ブリトン島には、最初にユトランド半島からジュート族が移住してきてケント地方に王国を作っている。そして、北西ドイツ地方からサクソン族とアングロ族が移住してきているから、ブリトン島のゲルマン人の中では、ケント王国だけがジュート族の国ということになる。
「失礼した。ジュート人の皆様におかれましては、このケントの地を征服なされ、平和と繁栄を実現なされようと聞き及んでおります。私も、ガリアに帰りましたら、父、キルペリク王に、是非ともケント王国との友好を進めていくよう献策するつもりでございます。」
テウデベルト王子が無難に言い直した。
「うむ。それはありがたい。海峡を挟んだ者同士、かつ我らは同じくゲルマン。親戚同様にお付き合いができればよいと考えているのだ。」
ケント王の口調が砕けてきた。良い兆候といえるだろう。
「メロヴィング家に適切な王女がおられれば、是非とも我が妻に迎えたいのだが、心当たりはおありかな?」
テウデベルト王子は首を傾げた。
「今のところ、ちょっと思い当りませんな。もっとも、父キルペリク王は、王妃フレデグンドをこよなく愛しておりますゆえ、いずれ美しい花嫁をケント王の下にお届けできるかもしれません。」
慎重に答えなければ、ここで約束したことになってしまうかもしれない。
実は適当な姫はいないでもない。
ずっと前の王妃、アウドヴェラはテウデベルトたちの実母であるが、娘を産んだ際の洗礼に手違いがあったため、ル・マンに追放され、そこで隠棲している。その娘が4歳だから、そろそろ約束に乗せても悪くない時期だ。
しかし、そのような約束を勝手にするわけにもいかないだろうから、言及は避けたのだ。
「まあよい。その点も是非、フランク王にお伝え下され。」
エゼルベルフト王はそういって、話題を変えた。
「ところで、ヒベルニアに向かうそうだが、ケルティック・クロスは、ヒベルニアのどこにあるかご存知か?」
「いえ、全く情報がない状態でして。おそらく聖パトリキウスが布教をしていた地域にあるだろうということ、ヒベルニアの北東部あたりにありそうに思うというくらいしか目途が立っておりません。」
「よかろう。我が王国としては、ブリテン島の向こう岸までは貴殿らをお送りすることができるが、そこから先はお手伝いができぬ。ヒベルニアの諸勢力とは関係が悪いのだ。」
「ブリテン島の横断はできるのですか?」
「サクソン人の諸王国とは友好関係がある。彼らは聖教にはそれほど熱心ではないが、特に敵意も悪意も持っていない。アリウス派もいるが、それも含めて貴殿の旅を妨害するようなことはあるまい。」
ケント王エゼルベルフトは、後にブレトワルダ、イングランド七王国の覇王として歴史に名を残す人物である。ケント王国の勢力を強め、他のサクソン諸王国との外交関係にも手抜かりはないらしい。
「それは、素晴らしい。ご尽力に感謝致します。」
「いやいや、遠来の客人に協力するのは当然のことだ。フランクの王妃の依頼もある。ともあれ、今夜はゆっくりお休みになり、旅の疲れを癒すがよい。」
王が手振りで指示し、宴会が始まった。
○ ○ ○ ○ ○
ブリトン半島、大西洋岸の沖合で。
ロゴの元従士頭、テイズと幼児ヤンコーは、船縁に立って浜を見ていた。
これまで数回、海洋の航行訓練をしてきたが、今日は遂に本番を迎えている。ロワール河と異なり、海の航行は潮や波が強く、要領を掴むのが大変だったが、ロワールの河口からブリトン半島沖まで1日で辿り着くことができるようになっていた。前日にブリトン王国との国境あたりの沖合に到着して、そこで夜を明かして、明け方に出帆してブリトン王国の海岸村を襲撃するのだ。
「よい、行くか。」
テイズがヤンコーやその他の従士らに声を掛けた。
船は川船だから、喫水は浅い。浜の近くまで寄せていた。日の出少し前の時間だから、村にもまだ人影はない。
音を立てずに海に降り立ち、剣と盾を濡らさぬように持ち上げながら村に向かっていく。
後ろから、村人たちも槍を持って続く。往復の航路では漕ぎ手となるが、襲撃にも参加することを命じられていたのだ。
上陸したところで、テイズが、角笛を取り出して、
「ぷうぅー、ぷうぅーー!!」
と吹き鳴らした。同時に船からの太鼓の音が、「どおん、どん、どおん、どん。」と鳴り響く。村の混乱を誘うためと、景気づけのためだ。
「いくぞお!!」
テイズが叫んで走り出す。他の者も、「おおお!!」と叫んで村に飛び込んで行った。
村は、せいぜい数十軒の民家しかなかった。飛び込んで行ったテイズたちは、外の様子を見に出てきた男たちを次々に斬り捨てて行く。
テイズらの陣容は、関船2隻に、従士15名程度、漕ぎ手が60名だった。従士はもう少し乗せられるのだが、帰りに略奪品を運ばなければならないから、その分を見越して人を減らしている。
それでも奇襲を掛けられ、武装した敵に襲われたブリトンの村は、あっという間に制圧され、生き残りは村の広場に集結させられた。
「よし、お前たちは金目の物を探して来い!」
テイズは村人たちに命じた。
一人一軒ほど見て回れば人数は足りるはずだから、それほど手間は掛からないはずだ。
続けて従士らに、捕虜の選定を始めさせる。もともと村に金銀財宝があるとは思っていない。目的は人間なのだ。
「若い男、美しい女。それぞれ5人ずつ選べ。」
それが乗せられるぎりぎりの線だ。
男は頑健な身体を持ち、従順な性格に見える者を選んで行く。ナントは新興地だから、働き手はいくらいても困らないのだ。
女の選別は好みによるから、少し時間が掛かる。従士らが、貧乳と巨乳の優劣を議論しはじめたところでテイズが割って入り、テイズの好みで決着をつけた。
「火を放て!」
叫んで引き上げる。
船に乗り込み、漕ぎ手に合図して帰路についた。
「うまくいきましたね。」
ヤンコーがテイズに話し掛けた。
「うん。」
テイズは服を脱ぎ始めている。
捕虜となった女の試食会が始まろうとしていた。これは略奪の楽しみなのだから、別にテウデリクも禁止していない。「ほどほどに楽しんでよろしい。」と許可していた。
ヤンコーは幼児だから、別に女が欲しい年頃ではない。ただ、女がテイズに組み敷かれて必死に抵抗する姿が刺激的だったので、じっと見ていた。
(死傷者はゼロだった。略奪品はそれほど多くなかったけど、人間が10人。これはロゴ様の領地の発展に役立つだろう。)
そう考えると、この遠征も悪くない。
そもそもこれは、ブリトン王国から攻められることの報復なのだから、収支とんとんくらいでも構わないのだ。
(戻ったら、またすぐに出発だな。)
漕ぎ手は交替するが、戦士はそのままとんぼ返りする。ブリトン半島の村が対策を講じる前に、できるだけ多く襲撃しなければならないのだ。
○ ○ ○ ○ ○
前方に敵が見える。
せいぜい100名程度だ。全て徒歩だ。騎馬武者はいない。ドワーフは馬には乗らない習慣だと聞いたし、亡命集団であるケルト人にとっても馬は貴重なのだろう。
「少ないな。」
エウニウス・ムモルスは不満そうに言った。がつんとぶつかって一蹴して、とっとと帰りたいのだ。
「あの軍勢の向こう側に村がある。それを略奪しよう。」
曲者・グントラムが言ったが、それは敵を撃破してからのことだ。
「先に村の人間を略奪に向かわせましょう。あれは別に戦には関係ないので。」
テウデリクが言った。レイズの村から引っ張り出してきた人間は、荷物運びをさせていたが、ここまできたらそれは必要ない。迂回させて村を襲わせたら多少なりとも敵を牽制できるだろう。
「よし。」
ムモルスが同意して、部下に命令する。部下はうなずいて後ろに走って行った。村人に荷物を降ろして襲撃を始めるよう指示しにいくのだ。
「テウデリク殿は中央を、私が右側、ボゾ殿が左でよろしいかな。」
「「おう。」」
中央は両側に守られた位置だが、テウデリクは幼児だし、手勢も10名程度だから、やむを得ないことだ。
敵勢が突撃してきた。圧倒的に小勢だが、こちらを恐れる様子はない。
「ブリトン人が勇猛果敢だというのは本当なのだな。」
テウデリクは独り言を言いながら、ミーレと共に矢を放ち始めた。ネイが従士らと共に戦列を組み始める。敵が迫ってきたあたりで、テウデリクとミーレは矢を収めて戦列の後ろに入った。
「突撃!!」
テウデリクが叫び、ロゴ軍が敵に向かった。
ここだけを見ると、100の敵に10の味方がぶつかっているようになるが、両側面からムモルスとボゾの軍が既に迫っているから、敵の打撃力はほとんどが失われていた。
ネイは飛び出していって、敵の中央部に突き進み、見事な甲冑を付けた男の胸に槍を突き立てた。
どうやら敵将らしく、敵勢に動揺が広がる。そのまま三方から押し包まれて、あっという間に敵は全滅した。
「さ、帰るか。」
ムモルスが、村の略奪を終えて言った。
「そうですな。」
曲者・グントラムも同意した。もともと乗り気な戦ではない。
「ご助力ありがとうございます。」
テウデリクも抵抗せずに同意した。
本当は、これだけの軍勢があるのだから、もっとブリトン王国奥深くまで攻め入りたいのだが、援軍の意向には逆らえないだろう。フランクの三王国がこぞって攻めてきたという事実が重要なのだ。そういう意味では、これで目的は達せられている。
この戦で、ブリトン王国は、東フランク王シギベルトに対して深い遺恨を抱くこととなった。依頼に応じて西フランクを攻撃したところ、報復の軍勢を送ってよこしたのだ。しかし、ブリトン王国と東フランクは遠く離れているから、この恨みは当分はくすぶったままになる。
いずれにせよ、この一連の戦いで、ブリトン王国からの攻勢は一時収まることになる。
ご一読ありがとうございました!
局地戦は描写が難しいですね。しかし、こういうあっけない戦が続いて、それが最終的に大きな戦争に繋がっていくのだろうと思うのです。