30 神聖魔法 ~~文明魔法? ~~
開いて頂いてありがとうございました。
ヒューゴは、物置の中で巻物を開いた。冒頭には、グレゴリウスの前置きが書いてあったが、くだらないから読み飛ばす。
(目次・・・ないのか。)
文字だけが続いている。これだと全体像が見えないままに読み進めていくしかないだろう。
最初は砂漠の神に対する感謝の言葉であるとか、神の力を分かち与えられる神聖魔法がいかに強力なものであるかなどが書き連ねてあった。
ヒューゴとしては、そんなことはどうでもよく、神聖魔法の仕組み、根本原理を知りたかったのだが、どうやらそういう情報はなさそうだった。
次に、野蛮魔法に対する悪口雑言が始まる。
(なんだこの書物は。よほど性格の歪んだ奴が書いたのだろうな。それか何か不都合な事実を隠したいがために、前置きが長くなるのかもしれない。)
書物によれば、野蛮魔法は、血、精液、尿などの体液によって、力の継承が行われるもので、まさに野蛮そのものだということらしい。そして、力の継承がなされた相手は、ハブとグームという二種類の継承者となる。ハブとは、更に他者に対して力の継承ができることになる者で、非常に珍しい存在らしい。
ハブは見つけたら必ず殺さなければならない。捕まえて縛り上げて叩いて殴って悪口を言ってびいびい泣かせてごめんなさいを言わせてから灰になるまで焼いて、その灰は海に流さなければならないらしい。
グームは、殺さなくても良い。なぜならグームから野蛮魔法が拡がるおそれがないし、本人も知らないうちに継承されていることがあるからなのだそうだ。また、グームは自覚のないものも含めると多数存在している可能性があるから、殺していくと大変なことになるらしい。
野蛮魔法の継承者は、自覚症状がないことも多いそうだ。腹に力を入れて集中すると、野蛮になると書かれていた。
(野蛮になるって、何だ。)
おそらく、相当な効能があるのだろうが、それを読んで野蛮魔法素敵! ってなるのをおそれて曖昧に書いてあるのではないか。
(あとで試してみよう。俺もひょっとしてどこかで野蛮魔法を継承しているかもしれないし。)
実はテウデリクと血盟を交わした時点で継承している。まさに自覚のないグームとなっているのだが、ヒューゴはこの時点では気が付いていない。
野蛮魔法に対する中傷が終わって、やっと本題に入ることができるようだ。
(と、思ったら全然違うじゃないか。)
次は、文明魔法に対する罵倒が始まっていた。
文明魔法とは、古代ローマの異教の徒が使っていた悪魔の技であり、悪魔は砂漠の神から魔法の力を盗んでローマに伝えたのだそうだ。
(砂漠の神というのは、ローマ帝国よりも前からいたのだろうか。)
ヒューゴは疑問を感じたが、あとで考えることにして読み進めることにした。
文明魔法を使うものは、神に対する裏切り者だから殺さなければならないらしい。もっとも、文明魔法と神聖魔法とは非常に似ているから区別が難しいのだそうだ。
例えば、ということで、無病息災の魔法について説明がされていた。
(なんだ、無病息災というのは。)
神聖魔法では、無病息災の魔法は、神が直接与える魔法とされている。だから、神に対して正しい言葉で祈りを捧げることで掛けることができる。
なお、野蛮魔法の継承と同じように、神聖魔法では、最初に無病息災の魔法を正しく掛けることによって、魔法の力が継承され、その他の神聖魔法を使うことができるらしい。いわゆる入口を開放する効果があるようだ。
一方、文明魔法は、神から神聖魔法を盗んだことを誤魔化すために、無病息災の祈りの言葉を改竄している。「体力」という抽象概念に関する命令という形で呪文が開発されているのだ。
(では、あれか、洗礼のときに使うあの呪文によって、無病息災の効果が表れているのか。しかし、なんとなくだが、文明魔法の方が信用できそうな気がする。そうすると洗礼のときの言葉を文明魔法風に言い直した方が効果があるのかもしれないな。)
神聖魔法でも文明魔法でも、生まれてすぐに与えられる無病息災魔法によって、病気に対する抵抗力がある程度与えられるそうだ。この効果は弱いが永続的なのだという。
一方、赤子が大きくなってからの無病息災魔法は、それによって一時的ではあるが、体力を回復したり、病気を治療したりする効果が出るらしい。
もちろん文明魔法は神聖魔法が劣化したものだから、副作用が酷く、使うものは神の怒りに触れて死ぬから使ってはならないのだそうだ。
(ふん。分かったぞ。砂漠の神の側が文明魔法を盗んだんだな。)
そうでなければ、ここまで手酷く罵倒するはずがない。ヒューゴは期せずして正しい答えに辿り着いていた。明智光秀であったヒューゴは、宮廷における陰謀や謀略に詳しい。文化的な戦いも経験してきた。文書を見れば、背後に隠された秘密をある程度読み取ることができるのだ。
ヒューゴは、洗礼の際の祈りの文言を思い出した。
自分に向けて手のひらを広げる。
「世界ヲ支配スル物理法則ヨ。我ハ命ズ、我ガ肉体ニ体力ヲ与エ、アラユル病苦ヤ疲労ニ耐エル、強キ精神ト肉体トヲ与エ給エ。」
全身が暖かくなり、活力がみなぎってきたように感じる。
(俺も赤ちゃんのときに神聖魔法による洗礼を受けていたはずなんだけどな。質の低い司祭だったのだろうか。いずれにせよ、これで俺にとって文明魔法の扉が開放されたということになるのかもしれない。)
第一巻は、そこで終わっていた。
ヒューゴは、こっそりグレゴリウスの書庫に戻り、第一巻を戻して第二巻を盗んで物置に隠しておいた。そうすれば、夜にまた読みに戻ってこれるだろう。
そろそろ時間切れだ。「今、お使いが終わって戻ってきました」と言えば、ぎりぎり誤魔化しが効くだろう。
○ ○ ○ ○ ○
テウデリクはグレゴリウスの執務室に戻っていた。ジャケもついてきている。シアンは従者たちと幼女と一緒に客人房で待機している。シアンにテウデリクの短刀を預けて武装させている。
「それでは、布を作るための機械の設計図を渡せば、本件に関する異端捜査は終了し、ゴームルを解放するというのだな。」
テウデリクが確認する。
「そうです。ゴームルを解放しますし、設計図を描いたテウデリク殿に対しても何らお咎めはないでしょう。」
グィンドが答える。
「ゴームルは無事なのか。」
お咎め、という言葉に憤懣を覚えるが、我慢して更に確認を入れる。
グレゴリウス大司教が答えた。
「私はどちらの側に立っているだけでもないが、この交渉を仲介する立場として保証しよう。ゴームルなる者は隣の部屋に控えている。私はさっき見てきたところだが、五体満足であった。」
「では、こちらの条件だ。設計図は、内容を確認した後、直ちに破棄し、他に転用しない。」
グィンドはうなずく。
「もちろんですとも。ただ、こちらでも上に見せて、問題がないことを確認しなければなりません。」
「では、あとで『やはり異端だった』とひっくり返されるかもしれぬということか。」
テウデリクが聞いた。
「いえ、それはありません。あくまでも形式的な審査です。私の名をもってお約束しましょう。」
グィンドが確約した。
トゥール大司教も言葉を添える。
「その約束、私も保証しよう。信仰上のことであれば、私の権限内であるゆえ。設計図をグィンド騎士に引き渡した後は、布の製作の件で異端の捜査がなされるようなことがあれば、グィンドを誓約違反として破門する。」
テウデリクは、「分かった。」
と答えた。本当は全然納得していないが、ここでとやかく言っても無意味だろう。
グレゴリウス大司教は、
「では、さきほどの条件で。双方、解決後は遺恨のないよう。」
テウデリクとグィンドはうなずいた。
テウデリクは、机の上に置いてあった羊皮紙に図形を書き始めた。
(なんじゃこの幼児は。たしか3歳と聞いていたが、記憶一つでこのような複雑な機構を書きだすことができるものか。)
グレゴリウスは言葉に出さないが感嘆していた。仮に図面が出鱈目なものであったとしても、そのような図を書くこと自体、この時代の人間には相当高度な技になるだろう。しかも、見ている限りでは、本当に機能しそうに思われるのだ。
テウデリクは、瞬く間に、糸紡ぎ車と機織り機の図面を書いた。
グィンドの質問に答え、仕組みを簡単に説明する。手取り足取り説明するつもりはないが、この設計図が確かに本物であることが分かるだけの説明はしなければならないだろう。
(説明の様子から言って、この幼児は仕組みを完璧に理解しているようだ。フランクの子にしては、いや、コンスタンチノープルの学者の子でも、ここまで理路整然と喋れる子はいないだろう。どういう教育を受けてきたのだろうか。)
グレゴリウスは驚嘆しつつも警戒する。暴慢なフランクに智慧がついたら、このガリアの地はどうなるのであろうか。
(いつか潰すべきかもしれぬ。)
「了解致しました。それでは、この設計図は一時こちらでお預かりして、後日責任を持って破棄しましょう。ゴームルはこれから連れてきます。」
グィンドは設計図を持って立ち上った。
(あとはゴームルを回収するだけか。)
テウデリクは堅い表情で考えた。
この交渉は不正に満ちていた。戦国時代に、織田信長が人質を取られ、引き換えに城を引き渡すように言われていたら、即座に拒絶していただろう。
しかし、今回は産業上の秘密が狙われていた。戦の局面とは少し違う。また、ゴームルはテウデリクの部下ではなく、父ロゴの部下であるから、使い捨てにできない。それに異端審問という名目が、わずかながらに、この交渉相手に正当性を与えていた。
(いつかまとめて殺してやる。グレゴリウスも、レイズも、グィンドも、全員だ。)
テウデリクは怒りを抑え込んだ。
ドアが開いた。
ゴームルがよろめきながら入ってきた。
ジャケが、怒りのうめき声をあげた。
ゴームルの右目があったところに、深い穴が開いていた。
テウデリクが、激昂して立ち上がった。無意識のうちに野蛮魔法が発動される。片手斧の柄に手を掛けてグレゴリウスに言う。
「アルウェルニー人(オーヴェルニュ出身のグレゴリウスのことを指す。)よ、五体満足と保証したのではなかったか。」怒りを込めて問いただす。
グレゴリウス大司教は慌てた風を装って答えた。
「我が子よ、神の子羊よ、誓っていうが、拙僧が確認したときは、五体満足じゃった。」
そして、自分にしか聞こえないほどの小さな声で、
「この男、目は閉じていたので、見えなかったのだが。」と付け加えた。
小さな声だが、野蛮魔法で強化されたテウデリクの耳には届いた。
「目を閉じていたので気付かなかったとは、何たる詭弁! トゥールのグレゴリウスよ、僕は今後二度とそなたの言葉を信じないであろう。」
流石に殺すとは言わなかった。
「そしてグィンド、レイズの家来たるグィンド、そなたの右目には気をつけよ。それはいつかそなたの顔から、離れ、永遠に失われるであろう!」
殺すと言っても良かったのだが、右目を抜いた後に殺すことに決めた。
「お待ちなされ、テウデリク殿。互いに遺恨を残さぬとさきほど決めたはずじゃ。」
グレゴリウス大司教が介入する。
「右目は和解条項には入っておらぬ。」
言い捨ててテウデリクはゴームルに手を貸して、グレゴリウスの執務室のドアを足で蹴って開け、外に飛び出した。
ジャケもグィンドを睨み、執務室に唾を吐いて後に続く。
テウデリクは、ゴームルの手を引きながら、控室の調度品を片手斧で破壊しながら進んだ。壺、絵画、椅子、扉などをゴミ屑に代えていく。廊下を歩きながら、ジャケに命じて目についた僧侶を殴っていく。
理不尽な暴力ではあるが、そのまま引き下がったと思われたら今後に関わるので、問題とならない程度に暴れておく必要があるのだ。
そして、客人房に戻り、従者と幼女を連れ、「修道院に招かれたところ、右目を奪われて帰ることになった!!」と大声で叫びながら出ていった。
・・・
後に、ある歴史家(グレゴリウス自身のことである。)は、
「このときグレゴリウスは、このフランクの幼児が、既にどぎついゲルマン的な蛮風を身に着けていること、全くの無関係な相手や調度品に、身勝手な怒りを闇雲にぶつけて帰ったことを聞いて、深く悲しみに沈んだ。しかし、この聖職者は、フランク人が一皮剥けば、瞬く間に昔の野獣に戻ることを知っていたので、溜息をついて諦めることとし、この幼児の罪深き所業、神の館での暴虐について、神のお許しがあらんことを祈ったのであった。」
と述べている。
なお、破門はできなかった。司教会議に掛ける必要があるところ、今回の事件は、グレゴリウス大司教にとっても他聞をはばかるところがあったからである。そういう意味では、テウデリクの小さな報復は、ぎりぎりのラインを越えていなかったのである。
ご一読ありがとうございます。
明日は、投稿できないかもしれません。明後日にはおそらく大丈夫のはずですので、引き続きよろしくお願い致します。
感想下さった方、本当にありがとうございます。書く上でも励みになりますし、どう書けばより面白く読んで頂けるか、とても参考になります。引き続き、厳しいご意見も甘いご意見も寄せて頂きますようお願い致します。