25 トゥール到着 ~~デシデリウス、グンドヴァルドゥス~~
トゥールは、ガリア中西部の大河ロワール川と、その支流シェール川に挟まれて発展した町で、中央部に大司教座や都市伯の館があって、その周辺を有力貴族の館、兵舎、大市場、商店、大商人の館、一般都市住民の居住区などが囲み、修復を要する市壁によって守られていた。
ロワール川の北からトゥールに入る者は、かなりおぼつかない木の橋を渡ってトゥールの北門から入市することになる。ロゴの一行も同じように市内に入り、そのままトゥールを突き抜けて南門からシェール川に渡る橋を通って道端に陣取った。街道周辺にはメロヴィク王子の呼び掛けに応えた多くの地元領主が集まり、賑わっていた。現代人なら小学校の運動会を見に来た保護者のようだと評するかもしれない。沿道脇に馬車を止めて天幕を張ったりして自分の場所を確保し、花嫁が通るのを待つ。
ロゴは馬車を止めると、酒を片手に肉を焼き始めた。ゲルマンは屋外に出ると肉を焼く習性があるらしい。一番無難な時間の潰し方かもしれない。なにしろ欲しがり屋のキルペリク、西フランク王の花嫁は、ポワティエを出て、いつトゥールに着くか、誰も知らないのだ。
レイモンダルムが探し当ててきて、クロティルドに正装を数着、レイナにも新調の衣服を持ってきた。前もってテウデリクが注文をしていたのだ。遠隔地なのでテウデリクが採寸して書面で送っていたのだが、なんとかなったようだ。クロティルドたちは早速馬車に入って着替えを始めた。
「衣服に贅をこらすのは、主の許さざるところなんだぜ。」
いつの間にか庶兄のシアンが来ていた。トゥールの大司教座に附属する修道院から抜けて出てきたらしく、僧服を来たままいつの間にか肉を齧り始めている。肉はいいのだろうか。
「これはシアン兄上、お久しぶりです。」
「おぉ、テウデリクか。大きくなったな。お久しぶりって、お前と会ったのはお前が赤ちゃんのときだったぞ。覚えていたのか。」
「はい。兄上が僕に祝福を授けて下さったではありませんか。」
村の司祭、ジェーロムの洗礼の方法は誤っていたので、シアンが改めて洗礼を授けてくれたのだ。しっかりと覚えている。あのときは、シアンの耳に犬の耳がついているのが気になって仕方がなかったのだが。
「そうだ、テウデリク、この前はお金を送ってくれてありがとう。助かってるぜ。」
定期市で利益が上がるようになってから、ロゴに言ってシアンにもお金を送るようにしていたのだ。見習僧侶は、金を持っているかどうかで日々の生活の苦しさが全然違ってくる。もちろん僧侶としての出世にも関係してくるし、神聖魔法を教えて貰えやすくなるかもしれない。
テウデリクとしては、シアン兄に神聖魔法を覚えさせて、そこから神聖魔法の秘密を聞き出そうと思っていたのだった。それに宗教組織に親族を入れて政治的に利用するというのは、ある意味常套手段なのでシアンには出世して貰わなければならないのだ。
ロゴが、「シアン、司教にはなれそうか。」と聞いた。
シアンが、
「いや、俺まだ15歳だし、もう少しかかりそうだよ。」と答え、
「ああ、そうだ、グレゴリウスが顔を出せってさ。いや、親父のことじゃないよ。親父たちは花嫁についていくだろ。テウデリクと家宰のゴームルに遊びに来いって言ってたよ。」
「そうか、おいジャケ、テウデリクとゴームルのことを頼んだぜ。」
「うん。」
封臣のジャケは酒を片手に答えた。丁度着替えを終えて出てきたクロティルドとレイナに見惚れていた。
「やっぱ売るんじゃなかったな。」
「おいジャケ、聞いてるのか? それから返さないからな。クロティルドは俺の嫁だ。」
ジャケはクロティルドを牛4頭でロゴに売ったのだ。
「分かってる、分かってるって。ただ、綺麗な服を着ていると、やっぱり引き立つねって言いたいだけだよ。」
レイズの村から連れてきた幼女がもぞもぞし始めた。用を足したいのだ。
幼女はまだ誰にも心を開いていない。クロティルドやレイナが馬車の中で声を掛けるのだが、ほとんど返事をしない。まだ名前も分からないのだ。しかし気が付いたらテウデリクの近くにいることが多い。
「ちょっと歩くか。」
テウデリクが聞いて、返事を待たずに歩き出した。幼女も黙ってついてくる。
沿道からかなり離れたところまで行くと、人がほとんどいなくなったので適当な茂みを指さし、「僕はここで待っているから。」とだけ言った。幼女は黙って茂みに入って行く。
幼女が用を足したあと、テウデリクと幼女が馬車に戻って行こうとすると、数人の子供たちが進路を塞いだ。
「おい、通行税を払え!!」
どういう遊びを覚えているのだろうか。父がいつもやっていることを見ているのだろうか。フランクの子供たちらしい。
テウデリクは幼女を後ろにかばって、にっこり笑った。
「はいはい、お代官様。いつも街道の警備ありがとうございます。これはささやかなものでございますが、通行税としてお納め下さいませ。」と言って、丁度ポケットに入っていたどんぐりの実を数個渡そうとした。
(ふっ、大人の対応だな。)冷静に子供たちの相手ができていることにかなり満足しながら、通り過ぎようと思っていたら、子供たちの中で一番大柄な少年が、テウデリクの手を振り払った。どんぐりが落ちて地面を転がる。
「子供の遊びじゃないんだぞ! 僕の父は、このトゥール=ポワティエ街道を支配する者だ。通行税を支払うのは当然の義務だ。100ソリドゥス支払え!」
(子供の遊びにしてはたちが悪いな。そもそも100ソリドゥスなどと言っているが、価値が分かっているのか。)
「ふん。金は払えないようだな。それなら、後ろにいる奴隷を置いていけ。」大柄な少年が要求してきた。
そこまでいうのなら、少し真面目に遊び相手をしてやらなければならないようだ。
テウデリクは黙って短刀と片手斧を腰から外して、後ろの幼女に預けた。幼女も黙ってそれを受け取る。
するすると滑るような足取りで前に進んだ。動きに無駄がなく、少年たちも呆けたような表情でテウデリクを見ている。テウデリクは大将格の少年の腹に力いっぱい拳を叩きこんだ。
「うっ!」少年が腹を押さえて身体を折ると、ようやくテウデリクの手が相手の顔まで届くようになった。
テウデリクは、そのまま少年の頬を殴りつけて地面に転がした。
「うわーっ!」子供たちが騒ぎ始める。少年は泣き出した。
「ふん。」
聞こえよがしに鼻で笑い、テウデリクは、「ここに悲報がある。トゥール=ポワティエ街道は盗賊に襲撃され、お代官様は雄々しくも闘い、討ち死にされた。」と小馬鹿にしたように言いながら、押しとおった。なお、野蛮魔法は使っていない。大人だからだ。
・・・
街道の遠くから土埃が上がり始めた。見張りに立っていた従者が呼びにくるよりも早く、沿道で声が上がり始めたので、ロゴたちは肉を放り出すと街道ぎりぎりまで出てきて行列が近づくのを待ち始めた。
先駆が進んでくる。騎馬の貴人らしき男を中心に近づいてきた。
貴人は、ロゴの顔を見ると、「おお」と言って馬を降りた。
「ロゴじゃないか。イタリア以来だな。元気だったかね。」
ロゴは頭を下げた。
「デシデリウス殿、久しぶりです。元気にしていましたよ。」
テウデリクは、デシデリウスという名前に聞き覚えがあった。
(吟遊詩人のフォルトゥナトスから、詳しい事情を聞いたんだったっけ。確か、戦好きシギベルト王がヒスパニアの西ゴート王アタナギルドの第2王女、その美貌で有名なブルンヒルドと結婚したので、それが羨ましくなった欲しがり屋キルペリク王が、トレドに使節を派遣して長女のガルスウィンドを嫁に欲しいと交渉させたのだった。そのときにデシデリウスの名前を聞いた。)
デシデリウスは南仏人である。プロヴァンス地方は、ガリア人がまだ顔に染料を塗っていた頃からローマ帝国に属していたもので、ガリア地方では最も文明化されていた。ローマ元老院に議員を出したこともある家柄のデシデリウスは智慧もあり、かつ優秀な武人でもあった。少し細身だが引き締まった身体と油断のない鋭い眼光は、かつてのローマ帝国軍の栄光の残滓を感じさせた。
「こちらが、ご子息のテウデリク君かね。フォルトゥナトスから良く耳にする名前だ。噂のとおり輝くように可愛らしい子だな。」
フォルトゥナトスはテウデリクと頻繁に情報交換をしているが、他の人間にテウデリクの頭の出来を喋ることはしないはずだ。そこはテウデリクとフォルトゥナトスとの間の暗黙の了解になっていた。
「閣下、お初にお目に掛かります。」テウデリクは簡単に挨拶した。
デシデリウスは、西フランク王国の最南端、ランゴバルド族や西ゴート王国、そしてキルペリク王の兄王たちとの境界を守る任務を負っているから、実質的にはキルペリクの南仏総督ともいうべき立場にあった。
フランクの官制は未整備状態だった。誰が誰をどのような職名で呼ぶべきか、敬称はどうするべきかなどは、その都度判断される。呼ばれた側が失礼だと感じたら殴って調整するし、相手が王であれば殴るわけにはいかないから反乱を起こしたり、領地に帰って引き籠ったりする。おそらくそれが何百年も続かなければ、きちんとした官僚機構というのはできないのだろう。
「閣下」という敬称は正解だったようだ。デシデリウスは顔を綻ばせると、しゃがんでテウデリクの顔の高さに目を合わせると、
「ほうほう、賢い子だな。フォルトゥナトスからはそこは聞いていなかったぞ。」
と言った。
「いえ、閣下のご名声が余りに高く、私のささやかな噂など届かなかったのでしょう。」
いきなり日本人の美徳を披露してしまった。
「ほう、俺のこと、何か聞いていたのかね?」
「はい、イタリア戦役でご活躍されたこと、今回は西ゴート王アタナギルド様との交渉を巧みに進められたと聞き及んでおります。」
少しやりすぎたらしい。デシデリウスは急に警戒心を丸出しにするとロゴの方を見て、
「ロゴ、息子に吹き込みすぎだぞ。子供は外で暴れさせておけ。」と言った。
(やりすぎたか。)少しテウデリクが後悔しかけたところにロゴが追い打ちをかけた。
「デシデリウス殿、うちの息子は外でも暴れていますよ。この前はゴブリンを3匹も殺したところだ。ついでに幼女を一人連れて帰ってきた。」
デシデリウスはすっかり興ざめした顔で馬に乗り、
「ロゴの息子テウデリクよ。生き急ぐと早死にするぞ。」とだけ言って去っていってしまった。
「はっはっは。デシデリウス殿はテウデリクに競争心を持ったようだ。名誉なことだぞ。」ロゴが心地よさげに笑った。
隊列が続き、牛車に乗った王女ガルスウィンドにロゴとクロティルドが挨拶を済ませ(噂どおり、美人とは言えなかった。雰囲気は優しい女性だったが。)、ロゴと二人の従士が馬に乗り、クロティルドと侍女のレイナが馬車に入って、王女の隊列に加わる用意をしていたら、物々しい武人の一行が通りかかった。
先頭には小太りの男がいる。水色の髪をして、慎重な物腰で馬に乗っている。
「ロゴ殿か。」
「おや、グンドヴァルドゥス大公。お久しぶりですな。」
「息子は元気にしておりますかな。いや、年を取ってからできた息子なので、気になるのだよ。」
グンドヴァルドゥス大公と呼ばれた男はロゴに尋ねた。
「レイズにはこの前会いましたよ。ゴブリン退治に出るって張り切っておりました。元気にやってくれていますぞ。」
ロゴはにこやかに答え、質問した。
「グンドヴァルドゥス大公もブレーヌまで随行するのですか?」
グンドヴァルドゥス大公は顔をしかめた。
「欲しがり屋キルペリク王にそこまでする義理立てもございませんからな。ポワティエとトゥール間で事故が起きたら私の責任になる。それが嫌で着いてきただけだ。我が主、シギベルト王のご結婚ならばどこであれ参集致すが、まあ、なんですな、キルペリク王の今回のご結婚が平穏なものであれば良いのですが。おっと、王女様に対して不吉なことを言ってはならぬ。これで失礼いたしますぞ、ロゴ殿。ブレーヌまでよい旅を。」
ロゴは軽く一礼してグンドヴァルドゥス大公の一行を見送った。
テウデリクは沿道に立ってそれを見ていた。
「爺、あれは誰か。」
ゴームルが答えた。
「ポワティエ大公、グンドヴァルドゥス殿ですな。シギベルト王にお仕えしております。ロゴ様が雑草が丘に所領を貰ったとき、捻じ込まれて大公の息子、レイズを封臣に受け入れたので、当家とは関わりがあります。」
それでレイズの態度がやけにでかかったのだな。レイズがいるお蔭で、ポワティエとの関係が平穏になるのだから、レイズが質の悪い統治をしていても差引勘定としては悪くない。ゴームルの言った言葉を腹に納めて、テウデリクは父たちを見送ったのだった。
ロゴたちは王女に随行して結婚式に呼ばれているが、残りの者はこのまま所領に帰ることになる。封臣のジャケ、家宰のゴームル、テウデリク、名前の分からぬ幼女、二人の従者だ。しかしその前に寄るところがある。
「さて、我らもトゥールに行きましょうかね。グレゴリウス大司教に呼ばれていたんだった。」
封臣のジャケが言った。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました!
明日も少し遅くなるかもしれませんが、1話投稿できると思います。




