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26 トゥール ~~修道院の夜~~

諸事情により、本日夜遅い目の時間にもう一話投稿致します。これは今日投稿の1話目分です。

王の花嫁、西ゴート王の長女ガルスウィンドの一行が通り過ぎた後、足止めを喰らっていた旅人たちがトゥールから南下してくるのと、沿道の観衆がトゥールに入ろうとするのとで、トゥール=ポワティエ街道はごったがえしていた。

ジャケは家宰のゴームルに馬を譲り、他は全員歩いて移動したのだが、トゥールの市街に入った時には、もう夜になっていた。幼女は流石に疲れた様子で従者に背負われて眠っている。


修道院に着いた。グレゴリウス大司教に面会の約束がある旨述べたが、夜も遅いのでとりあえず客人用の房に通された。本来女人禁制だが幼女は構わないようだ。


修道院といえば石造りのイメージがあるが、この時代はまだそこまで発展していない。木造平屋である。高層階を作る技術も不十分なのだ。そして広いスペースを確保するのも難しいので、一つ一つの部屋も極めて小さい。


修道院の貧しい食事を終え、テウデリクは客房に真っ直ぐ戻らずに、うろうろと修道院を歩いて回ることにした。

庶兄のシアンとゆっくり話をしようと思ったのだが、狭い部屋があちこちにあって、入り組んだ造りの修道院で迷ってしまった。


(ここは厨房だろうか。)

入ってみたら、修道僧や子供たちが洗い物をしていた。


「すまぬが、道を教えて欲しいのだが。」

テウデリクは近くにいた者に声を掛けた。

「はい。お客様でございますね。・・・ヒューゴ! このお方を案内しろっ!」

修道僧は忙しそうに他の人間を呼んだ。


テウデリクと同い年くらいの男の子が手を拭きながら走ってきた。栄養状態が悪いらしく、痩せこけている。


(おや?)テウデリクは男の子の顔を見て妙に思った。


黒髪黒目なのだ。


テウデリクは動揺を押し隠して、

「修道僧のシアンのところに行きたいのだが。親族なので挨拶をしたい。」と言った。

「はい。」

男の子は言葉少なく答えた。


「そちとはどこかで会ったことはないか。」

「ございません。」即答された。

「雑草が丘に来たことはないのか。」

「私は、トゥールネ近郊のフランク人農夫の家で生まれ育ちました。1年前、疫病《はやりやまい》で両親が亡くなりまして、それから遠縁を頼ってこの修道院に参りました。それ以外のところには行ったことがございません。」


(気のせいか)

テウデリクはそのまま男の子の後ろを歩いて行った。


トゥールネとは、ガリア北方、ベルガエの地にあるフランク族の集住地である。ゲルマン民族の中で、フランク族は最も移動距離の短い民族だった。ライン川を越えてベルガエの地、トゥールネで勢力を蓄え、メロヴィクス王がガリア北部を占領するに至って、フランク族の戦士たちはガリア全域に広がって各地を支配したが、それだけでなくフランク族の農家も少しずつ南下していっていた。それでもベルガエの地には、多数のフランク族が生活をしている。後の世でいえば、元帝国最盛期のモンゴル高原のような位置付けだろうか。


廊下の壁に蝋燭が掛けられてあった。男の子の影が長く伸びて、蝋燭の下で縮み、また長く前に伸びていく。足元に箱が落ちていたので、男の子は、それをひょいと乗り越えた。


「待て」

テウデリクは声を掛けた。

(やっぱり知っている人間だ。)

ふとした拍子に記憶が戻ってきたのだ。ひょいと箱を乗り越えるその背中に、記憶が呼び起された。

「はい?」

男の子は立ち止まって振り返った。


やはりあいつだ。見間違えるはずはない。全然違うけど、こいつの中身は変わっていない。


「ヒューゴと言ったな。」

「はい。ヒューゴです。」男の子は不思議そうにテウデリクを見た。


「ここに肥え太った僧侶がいたとする。女色男色に飲酒肉食と贅沢三昧、僧院には豊かな田畑が属していて、この世の豪族に肩入れした挙句、いざとなったら槍や刀を持ち出して暴れまわる。豪族は王に逆らった挙句に僧院に逃げ込み武装していつでも出撃できるように隠れている。」


「この修道院には、そのような方はおられません。」

ヒューゴは表情を固くして答える。


「ここの話ではない。」テウデリクは取り合わずに続けた。

「そういう僧院を焼き払い、僧も女も撫で斬りにして何一つ残さぬ。お前はそれをどう思う。」


「どう思うって・・・。」ヒューゴは困ったような顔をした。


「良いから考えてみよ。そして正直に思ったことを言うのだ。今、どう感じた。」


ヒューゴは目をつぶり、すぐに目を開いて答えた。

「爽快な感じがしました。いや、そんなことは、それは許されない所業、神は決してお許しにはなりますまい。神も仏も全ては、・・・」

ヒューゴは、苦しそうに顔を歪めた。


「仏《ほとけ》? 僕は何を言っているのでしょう。神は分かります。仏《ほとけ》とは何でしょうか? 僕は、なぜ僧院を焼き払うと聞いて爽快に感じたのでしょうか。・・・うぅっ! あっ!!」


「あなたは誰なんだ?」

ヒューゴは怯えた表情をしてテウデリクを見る。ふらふらとして焦点があっていない。


「お前に一言言っておきたいことがあったのだ。」テウデリクはヒューゴの目をしっかりと見つめた。


「一言言いたかった。」静かに話し始める。

「楽しかったな、光秀」


ヒューゴの顔が突然歪んだ。「俺は、俺は誰だ」と呟き始める。頭を掻き毟って壁に手を突いた。


明智光秀は、織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにする際、最後まで激しく反対していたといわれている。

しかしそれは俗説であって、実際のところ、光秀も比叡山を焼くことは当然のことだと思っていた。特に畿内の諸勢力は、延暦寺の横暴、傲慢な振る舞いを良く実感していたのだから、焼かれても仕方がないと思われていたのだった。

光秀は当時織田勢力の京都支配を任されていたから、特に延暦寺と衝突することが多かった。誰よりも延暦寺に対する怒りは強かったはずなのだ。


テウデリクがヒューゴの肩に手を置いた瞬間、ヒューゴは突然走り出し、廊下の端の扉から修道院の中庭に出た。地面の上にしゃがんで嘔吐する。頭を抱えて、「頭が痛い、どうしたことだ、どうしたことだ!」と呟き始めた。


「おい、大丈夫か?」

「どうしたことじゃ。俺はこんなところで何をしているのだ。秀吉、いや家康を殺せ、俺は坂本の城で腹を切るのじゃ。落ち武者狩り、落ち武者狩り、俺は死んでしまったのだった。本能寺、大山崎、天王山を獲れ、敵はどこじゃ、敵、敵、信長ああぁ!!」


「おいっ、落ち着け、光秀、落ち着け、今は大丈夫だ。もう落ち武者狩りなどおらぬ。」

テウデリクはヒューゴの背中を必死になってさすった。えずくので、とんとん叩いて落ち着かせる。


・・・


ヒューゴは戸惑ったような目でテウデリクを見た。


「信長、なのか?」

「光秀、お前だな。」

「俺、生まれ変わったみたいだ。今までずっと忘れて、ヒューゴだと思っていた。」


テウデリクは笑った。

「忘れていたのか、しょうがない奴だな。この時代、この世界はなかなかに面白いぞ。お前も天下布武しないといけないな。」


ヒューゴは、下を向いて考え込んだ。テウデリクはしばらく待つことにした。ヒューゴは、いや光秀は自分とは違い記憶を失くしていたようなのだ。冷静になるまで時間が掛かるだろう。


そう思っていたが、ヒューゴが立ち直るのは意外と速かった。


「そうか信長だったか。」

「ああ。僕だ。今はテウデリクという。」

「ふっ、テウデリクか。」

「笑うな。立派な名前だ。先王クロタールの兄の名前だ。東ゴート王国のテオドリック大王の名前でもある。」


ヒューゴが真剣な顔をしてテウデリクを見た。


「信長。お前と俺は知略の限りを尽くして日本を競い合った。それだけのことだから、いちいち謝ったりはしない。」

「もちろんだ。裏切りも武略の一つ、いつか家臣の誰かに裏切られるかもしれぬことは僕も覚悟していた。読めなかったのは僕がお前に負けたというだけのこと。文句はないぞ。」


「そのとおりだ。そして、それを前提にして言う。」

ヒューゴが姿勢を正した。月明かりに照らされている。他に誰もいない修道院の中庭だ。


「このヒューゴ、テウデリク殿に生涯の忠誠を誓う。これより後、我が剣は殿のために振るわれるであろう。」


戦国時代の主従関係は、基本的には情の入らない契約関係の下にあった。主は強い限り忠誠の対象となり、家臣は主より強くなったら、その時点で家臣ではなくなった。だから謀叛というのは、名誉なことではないが倫理的に非難されるようなことでもない。油断している相手を討ったというだけのことなのだ。


しかし今ヒューゴが誓っているのは絶対の忠誠だった。テウデリクの前に膝をついて頭を下げる。


「ヒューゴ」テウデリクは言葉を発した。

「はっ」


「天下布武するぞ。」


「・・・。おうっ!!」

ヒューゴは立ち上がってテウデリクを見た。


にやりと笑って二人の3歳児は、有名な言葉を発した。


「「まずはガリア。」」


伝説の王、メロヴィクスがカタラウヌムの野で宣言したとされるフランク族の野望だ。


二人は世界地図を頭に浮かべながら唱和する。


「「そしてゲルマニア。南に下ってイタリア。フランクは世界の王者となる。」」


この日、織田信長は遂に明智光秀を本当の意味で家臣としたのだった。

ご一読ありがとうございました。

明智光秀は、すぐに滅んでしまったことと、後世の色々な思惑によって、線が細く、メンタルが弱い人物像が作られてしまっているように思います。本当は戦国武将にふさわしい骨太な人物だったはずだと思っています。

また、延暦寺焼き討ちや本能寺の変についても、当時はそれほどのスキャンダルではなかったのではないかと思っています。

色々と悪名高い松永久秀が、別にその後誰からも非難されることなく、普通に大名であり続けたのが、一つの証拠になるかと思います。

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