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17 定期市と筆頭番頭 ~~行った、見た、買った! ~~

本日1話投稿です。

トゥールの大商会主ギムザリウスの下で筆頭番頭を務めるレイモンダルムは、憂鬱だった。


ギムザリウスといえば、トゥール一番の大商人だ。トゥールは北西はパリやオルレアンに、南はポワティエを通ってアクィターニア、ひいてはプロヴァンスやヒスパニアに、東はブルージュを通ってブルグンド王国に繋がる要衝の地だ。大司教座もあり、ガリア地方で一、二を争う大都市であり、そこの大商人ともなれば、その権勢は並ぶものとてない。そのギムザリウスの筆頭番頭ともなれば、そこらの商人など鼻で吹き飛ばすくらいの力がある。

レイモンダルムは自分の地位に満足していた。庶民から丁稚奉公に出て、結婚もせず一心不乱に努力し続けてきた。40を過ぎた今、上り詰めるところまで登り切った感じはしている。その一方で、ギムザリウスが、「お前にもそろそろ暖簾分けしてやるかな。」というようなことを匂わすようになると、「ついに俺も一国一城の主か。」などと思ったりしていた。


正直なところ、レイモンダルムよりも先に暖簾分けをされた番頭たちは多数いる。レイモンダルムは優秀過ぎたので、ギムザリウスが手放したがらなかったのだ。その分給金は過分なまでに貰ってはいるが、後輩たちが、「あるじさま」と使用人から呼ばれているのを聞くと、やはりいい気がしなかったのだ。


これだけ尽くしたのだから、かなり良いところに店を出させて貰えるのではないかと思っている。ポワティエなど、かなりそそられる場所だ。ギムザリウスはポワティエには店を出していない。単発の取引があるたびに現地に人を出して取引しているが、商売の機会は相当ありそうなのだ。ギムザリウスとも競合しない。


トゥールの町は、ガリア中西部にあるが、東フランク王国に属する。戦好きのシギベルト王の統治下にあるのだ。だが、少し西に行けば、西フランク王、すなわち、欲しがり屋キルペリク王の統治する地域になるし、アクィターニアは、諸王がばらばらに所有している。トゥールから西南にあるポワティエの町はカリベルト王(パリ・アクィターニアの王)が所有していたが、先日亡くなったので、現在はやはりシギベルトの所有となっている。

もっとも、この時代、都市の所有者が誰であるかということは、ほとんど問題にならない。国境管理などあってなきが如き状態なのだ。


いずれにせよ、レイモンダルムはギムザリウスに呼び出されたときは、

(ついに来たか!)と勇んで走って行ったものだ。


(ところが、くだらぬお使いを言いつけられたものだ。)

憂鬱というよりは腹立たしい。


西に25リュー(約100キロ)ほど行ったところを領有する、雑草が丘のロゴといえば、武人として有名で、暴れ者という評判だった。商人としては全く何の関心もない。

何やら恐ろしく高品質な布を売りに出したらしいが、どうせどこからか略奪してきたものを放出しているのだろう。


それを見て来い、という。旅人がもたらした話によれば、今後定期市が開かれるらしいのだが、それがどうしたというのか。どうせ、森で拾ったどんぐりでも売りに出すのだろう。このレイモンダルム、トゥールの町では相当名の売れた男が、わざわざ車列を組んでまで赴くようなものではないはずだ。


しかもなんだこの車列は。荷馬車二台とはいえ、赤青黄色、その他色々な染料が積まれている。色々な雑貨も乗せた。うなるほどのソリドゥス金貨やデナリウス銀貨も積んでいる。これだけのものを買い付けるほどの金か、引き替えになる商品があるというのだろうか。そもそもまともな商取引ができるのだろうか。ロゴは乱暴者だという。取引も何も、全て奪われて、身一つで追い返されたりしたらどうするのだ。


ひょっとしてそれが目的だろうか。商会主は、俺を追い出したいのだろうか。暖簾分けをするのが惜しくなったので、何か責任を押し付けて厄介払いしたいのだろうか。そうも疑いたくもなる。もっとも、ギムザリウスは、商売に関してはやり手で冷酷だが、誠心誠意尽くした商会員を捨てたりしたことはない。その点では、レイモンダルムも主人を信じていた。信じてはいるが、では、これは何なのだ。


護衛に雇った傭兵たちも、不思議に思っているようだ。

「あっちは大西洋ですぜ。」と笑われたくらいだ。何もない、というわけだ。そのとおり、トゥールの西には何もない。少なくとも、ベテラン商人たるレイモンダルムの地図には何も記されていなかった。


荷馬車が二台に、レイモンダルムと部下が一人、それぞれ御者台についている。そして徒歩の傭兵が二人。この人件費だけでも相当な費用になる。しかも、移動の食費などを考えると、この程度の商いで元を取れるとは到底思われない。


(はあ。)改めてレイモンダルムは溜息をついた。


「ここで曲がりやすぜ。」傭兵の一人が声を上げた。


ロワール川に支流が流れ込んでいる。川幅は40トワーズ(約80メートル)ほどだ。


「こいつは、『魔の川』と呼ばれている川でさ。」

傭兵が言った。

「魔の川」。なんとおどろおどろしい名前だ。


しかたなく魔の川に沿って北上する。そこでまた曲がれば市に着くらしい。


・・・


・・・


一行は村に入った。村の者に聞くと、中央に広場があって、そこで市が開かれることになっているらしい。丘の下に空き地があるから、そこで荷馬車を置くことができるようだ。


レイモンダルムは、小首を捻った。妙な違和感があるのだ。何か、この村には妙なところがある。

傭兵が言った。

「妙だな。」

「何がおかしい?」レイモンダルムが尋ねた。

「なんか、違うんだよ。なんだろうな。」傭兵も考え込んでしまった。もう村の中だから、護衛の仕事としては気を抜いてもいいところだ。だからこそ、この違和感が気になるのだろう。


「分かった!」傭兵が叫んだ。

「臭くねえ! この村は、あんまり臭くねえんだ!」


そういわれてみれば、そのとおりだ。

確かに家畜の匂いはする。馬糞や牛糞の匂いはするのだが、人間の排泄物特有の臭さがないのだ。


どういう仕組みだ。


更に進んでいくと、広い場所に着いた。既に荷馬車がいくつか並んでいる。同業者だ。

村の人間が近寄ってきた。

「風呂があるよ。銅貨5枚で入れるからな。入るんなら、日没から半刻ほどの間に入ってくれ。」


(風呂だと?どういうことだ。熱いお湯を用意するというのか。それとも、この田舎者は、水を溜めたものを洒落て風呂と言っているだけなのだろうか。しかし、それだったら、夜に入るというのも変だ。)


レイモンダルムは首を傾げながら、傭兵や部下に指示して食事の用意を始めさせた。


「あと、便所はあっちでやってくれ。」

村の人間が指差した。

簡素な造りで、いかにも急造した様子だが、一応しっかりとした小屋が建っている。

(便所だと! それで、この村は臭くなかったのか。しかし、村の人間が全員あそこで用を足すのは無理だ。それに便所は掃除だけでものすごい労力がかかるはず。維持できるのだろうか。)


この村の不可解さは募るばかりだった。


・・・


次の日の朝、レイモンダルムと部下は、他の商人たちと共に、定期市エリアに入った。


(昨日の風呂は、極楽だった。)少し表情がふやけている。あんなに気持ちのよいものが、こんな糞田舎にあるとは思わなかった。トゥールにも風呂はあるが、大貴族や大商人しか使わない。普通は井戸で水をかぶる程度だ。冬は死ぬほど冷たい。


(おっと、気分を切り替えなければならんな。)


近隣の村から来たと思われる人間がたくさんいる。

(ふん、田舎のお祝いごとという雰囲気だな。)レイモンダルムは軽く考える。雰囲気としては、まさに庶民の集まりという感じで、大取引が動いているようには全く見えない。


ふらりと、屋台のようなところに足を向けた。

「布か。」

「はい、布です。」4歳くらいの男の子が答える。ここでは店番を子供にやらせるのか。

「ふむ。見せて貰っていいかね。」

「もちろんです。どうぞお手にとってお確かめ下さい。」


なんだこの子供は。丁稚でも使わないような丁寧な話し方をする。どこで覚えたのだろうか。ここの領主の子か。しかし、フランクの子であれば、もっと傲岸な喋り方をするはずだ。


「君はなんという名前かね。」

一応聞いておこう。別に聞かなくてもいいが、話を逸らして相手を焦らすのは、商売の基本だ。

「ヴェルナーと申します。館の御用を勤めさせて頂いております。」

綺麗な言葉遣いだ。


レイモンダルムは、ヴェルナーの言葉を聞き流しながら布を見た。ロールのように巻かれている。

「!!!」

見た瞬間、衝撃が全身を走った。

このような布を見たことがない。

布というのは、糸からできている。できている、というよりは、この時代の布というのは、糸が絡み合って、なんとか平面という形を維持しているというのが正しい。いかなる高貴な人間でも、どのような富豪であっても、この時代、この土地に生きている限り、でこぼこのない布を使うことはできない。理由は簡単だ。そのような布がないからだ。

ところが、この布は違う。目の細かさが違う。目の揃い方が違う。これは糸の集合体ではない。「布」という一つの物品として完成している。


「色がくすんでいて、お恥ずかしいです。その点は、今後改良の余地がありますね。」

幼児が恥ずかしげに言った。

「確かに色が悪いな。」

レイモンダルムは、動揺を必死に押さえつけながら言った。この商品は、王侯貴族が使うべきものだ。色など加工すればどうとでもなる。この布を押さえたものが、ガリアの服飾業界を牛耳ることになるだろう。


(そういえば)

レイモンダルムはふと思い出した。

(西フランク王、欲しがり屋のキルペリクが、西ゴート王国の王女、ガルスウィンドと結婚式を挙げるのだったか。)


西ゴート王国の王、アタナギルドは遂に娘の婚姻に同意したのだった。今は王女ガルスウィンドは、お付きの者に護衛されて、ゆっくりとヒスパニアの地を北上している。

結婚式では、布が大量に消費されるのだ。キルペリク王の臣下たちは、争って新しい服を新調していると聞いている。もちろん王や新しい王妃も衣服を必要とする。

需要は王の住居周辺だけのことではない。

王女はトゥールの町も通過する予定で、町の娘たちまでが、着飾ろうとしているから、古着屋が儲かっているほどだ。


使える。この布は使える。

なにしろこの布は、どの衣服よりも美しい素材なのだ。完璧に近い。加工の必要はあるが、これ以上の布はどこにもない。


「ふむ。いくらで売っているのかね。」レイモンダルムが聞いた。

「定価はありません。おそらく競りになるだろうと、我が主が言っていました。」


(競りか。これは早いうちに買い逃げた方がいいな。)


「なるほど。では、こうしようじゃないか。私がこの布を全部買ってあげよう。全部で何ロールあるかね?」


幼児は困ったような顔をした。

「全部売ることは許されていないのです。買占めは許さないと主が言っていました。布自体は、一箱に15ロール入っています。そしてその箱が全部で30個あります。ですから、丁度450ロールですね。」


レイモンダルムは、1分ほど計算して、たしかに450ロールあることを確認した。


「ちなみに1ロールはどれくらいの長さかね。」

「はい、ちょっと品質に微妙なムラがあるので、長さは全て完全に同じではありません。ですが、おおよそ3トワーズ(約6メートル)です。」


「そうすると、全部の長さで、何トワーズかね。」

レイモンダルムは頭の中で計算しながら尋ねた。


「はい、1350トワーズですね。」幼児は即答した。


(なんという幼児だ。事前に大人に計算して貰っていたのだろうが、それを覚えているというだけでも出来すぎるぞ。これはうちの丁稚に欲しいくらいだ。)


レイモンダルムは、1分ほど計算して、幼児の計算が正しいことを確認した。


計算をしている間に、他の商人が詰めかけてきた。


「おいっ、買占めは汚いぞ。俺たちだってこの布は買いたいんだ! なにしろこの定期市での目玉商品なんだからな!」


トゥールでは、レイモンダルムにこのような口のきき方をする者はいない。しかし、この地域は行商人が中心になって交易をしている土地だ。都市の力関係は通用しない。


もっとも、金の力は別だ。


「では、競りに掛けてもらおう。買占めがいかんというのであれば、一部を残しておけばよかろう。全部で450ロールということだから、私は420ロールを買いたい。1ロール3デナリウスでどうだ。」


幼児が瞬時に答えた。

「仮にそうすると、1260デナリウスですね。銀貨だと1260枚、ソリドゥス金貨だと、・・・えっと、105枚になります。もっとも、入口の掲示にあったと思いますが、5分の取引税が掛かりますので、63デナリウス余分にお支払い頂きます。」


ロゴの領内の村民には取引税は掛からないが、外部の商人には税を掛けることにしていた。


行商人たちがざわめいた。

「そいつはひどすぎる。そんなにたくさんの買い付けをされたら、俺たちには競りに参加することもできないじゃないか。」


行商人の資金力では、とてもそのような大金は用意できない。


「そうですね、それでは競りが成立しません。ですから、一箱ずつ競って頂くことにしましょう。なお、最低入札価格は、1ロール当たり5デナリウスと致します。つまり一箱あたりの最低入札価格は75デナリウスです。それ以下でしたら、当店でのご購入は諦めて下さい。」

幼児がきっぱりと言った。


レイモンダルムはもう少しで手に入りそうな勝ちを譲る気持ちはなかった。


「おい小僧、生意気なことを言ってくれるじゃねえか! どんなご立派なお人か知らねえが、俺を甘く見るんじゃねえぞ! 勝手にそんなことをして許されると思っているのか!!」


他の行商人も、「一箱75デナリウスは、きついな。」と言っている。


幼児は、

「これは我が主、領主ロゴのご子息であるテウデリク様から、紛糾した場合はそうしろと命ぜられております。ご不満があるのでしたら、無理やり奪って帰るなりなさって下さい。でも、定期市を荒らしたら、この領地から無事には帰れませんよ。」と言い放った。


更に幼児は、手元にあった鍋を木の棒で力いっぱい叩き始めた。

ガンガンガンガン!!!という音で周りの目が集まる。


「みんな聞いてくれ! 今から競りが始まるぞ! トゥールで一番の大商人、ギムザリウスの筆頭番頭である、レイモンダルム様も参加だ! 今日一番の大取引だぞ!!」


大勢がわらわらと寄ってくる。


レイモンダルムは冷や汗をかいた。自分の立場も名前も知られているとは思いもよらなかった。しかも周りから注目されている。うかつなことはできない。それに幼児が言ったとおり、ここで揉め事を起こしたら今後の取引もできなくなるかもしれない。そもそも競りの設定は売り手が自由に決めることができるのは、当然の道理だ。幼児なのでちょっと脅せばうまくいくだろうと思っていたが、どうやら無理なようだ。


「俺は80だ!」

行商人が声を上げた。レイモンダルムが考え込んでいるうちに、先を越されてしまった。

「120デナリウス!!」別の行商人が対抗する。一気に値が上がり、場が沸騰する。

レイモンダルムは、頭を振って切り替えた。

強行突破は無理なようだ。売り手のルールに従って、可能な限り買い付けることにしよう。

手招きで部下を呼び、金貨と銀貨の詰まった袋を渡して、「200までなら必ず買え」と指示した。


箱単価200で買い続けると資金が足りなくなる。染料を売って、手持ちの資金を増やそうと思ったのだ。

それに、他の商品も見て回らなければならない。この村には何かがあるようだ。




1デナリウス銀貨でおよそ2000円程度、12デナリウス、つまり2万4000円程度で1ソリドゥス金貨となるかなと考えています。


銀貨未満の取引は銅貨で処理されています。しかし、銅貨は、価値が一定していません。ものすごく不便ですが、暗黒時代だから、仕方がないのです。

ご一読ありがとうございました。

明日も同じように投稿できるかと思います。

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