第33回 王脩、相国に反論する
曹操は、魏公に就任して約三年後、更に位を進めて「魏王」となった。
この頃の曹操を止める者は、もう誰もいなくなった。
王脩は、魏王になった曹操に呼ばれた。
曹操が言う。
「淑治よ。お前が大司農になってからというもの、国庫は豊かになり、おかげで様々な施策、軍事行動を行うことができた。まず、その点、礼を言おう。」
「私は、私の仕事を全うしたに過ぎません。」
「ははは。やはり、そう言うか。しかし、それは誰にでもできることではない。そこで、今度はまた、新しい仕事についてもらいたい。」
「新しい仕事、でございますか。」
「そうだ。淑治よ、お前を九卿の筆頭である“奉常”に任命する。」
「私が奉常・・・。」
「そうだ。淑治、お前は名士として、礼などの作法にも詳しかろう。これから魏が国としてやっていくには、宗廟や王族の管理も必要になってくる。淑治、受けてくれるか。」
「ご命令であれば、謹んでお受けいたします。」
「うむ、よろしく頼むぞ。」
王脩は拝礼して退出をした。
奉常は同じ九卿でも、大司農より位は高くなるので、外から見れば出世したことになる。しかし、王脩が残念に思っているのは、明らかに民との接点が無い仕事、ということである。
しかし、新しい国の基礎作りをするということは、誰もが出来る仕事ではなく、曹操の信頼があっての任命であろうから、心血を注いで成し遂げよう、と王脩は思うようにした。
全てが曹操に順調に進んでいるように見えたが、この曹操に「厳才」というものが、小規模ながら、反乱を起こした。
数十名を引き連れ、掖門に火をつけたのである。
そのことを知った王脩は、馬車を手配したが、その準備を待たずして、自分の家臣を率いて、厳才を捕縛し、掖門の消火に当たった。
曹操は事の報告を受けるとこう言った。
「やはり、変事に最初に駆け付けるのは淑治であるか。」
最大の賛辞と言える。
しかし、この王脩の行動に一言注文を付けた人物がいた。
まさに、魏国建国の中枢にいる人物、「相国」の「鍾繇」である。
鍾繇は、王脩に言った。
「あなたの様な九卿たる者は、変事が生じた際は、自分の府にて待機するのが基本ですぞ。」
王脩は、返答する。
「決まりはそうであっても、変事に気付いて何もしないというのは、禄を食む者としておかしいと考えます。おかしい規則は、それを変えるべきです。」
「・・・。なるほど。規則があることをお分かりの上での行動であったか。あなたの意見、検討しよう。」
鍾繇は王脩を罰することなく、その意見を持ち帰って検討することにしたのである。
相国という、三公より上の地位の鍾繇に対しても、言うべきは言う王脩のその姿勢に、鍾繇は他の者にない才知ありと考え、後に新たな役職に推薦することになるのである。




