# 第二話 普通になれない
昼過ぎ。
雑貨屋には誰も来なかった。
腕時計のベルト修理の依頼は一件。
売上二千円。
終わってる。
俺は作業台に肘をつきながら、スマホで銀行口座を見ていた。
数字が減っている。
毎月減る。
働いても減る。
意味が分からない。
外では小学生が笑いながら歩いていた。
その声が妙に頭に刺さる。
昔を思い出すからだ。
◇
ガキの頃から、俺は普通じゃなかった。
授業中に座っていられない。
気になったらすぐ動く。
喋る。
触る。
忘れる。
無くす。
今ならADHDで説明が付く。
だが当時は違った。
「落ち着きの無いクソガキ」
それだけだ。
教師は怒鳴る。
親も怒鳴る。
周囲も呆れる。
毎日それだった。
だんだん分かってくる。
ああ、俺は嫌われてるんだな、と。
特にキツかったのは集団行動だった。
列。
ルール。
空気。
全部苦痛だった。
なのに出来ない理由を説明しても意味がない。
「みんな出来てる」
その一言で終わる。
だから途中から諦めた。
理解されるのを。
その代わり、別の事を覚えた。
怒られる前に睨む。
舐められる前に威圧する。
先に怖がらせる。
そうすると少しだけ楽だった。
中学に入る頃には、かなり荒れていた。
教師とも揉めた。
何度も。
今思えば、向こうも俺を制御出来なかったんだろう。
だから暴力になった。
殴る。
蹴る。
首を絞める。
だが一番酷かったのは部活だった。
顧問は、わざと皆の前で俺を殴った。
見せしめだった。
教室。
部室。
廊下。
他の生徒が見ている前で、怒鳴りながら殴る。
三年間。
続いた。
俺も親に話した。
助けてほしかった。
だが母親は逃げた。
見て見ぬふりをした。
父親は違った。
もっと最悪だった。
電話越しに笑いながら教師へ言った。
『家の子供が悪かったら殴ってくれて構いません』
ああ。
終わってるな、と思った。
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
誰も守らない。
誰も助けない。
俺はそういう人間なんだと理解した。
◇
高校に入ってから、俺は格闘技を始めた。
最初は単純だった。
強くなりたかった。
もう殴られたくなかった。
ただそれだけだ。
だが道場に通う条件があった。
週一で妹の部活に顔を出す事。
要するに、妹がイジメられないように俺が見張ってろという事だ。
その条件で、ようやく俺は月謝を出してもらえた。
だが妹は違った。
制約なんて無い。
服も買ってもらえる。
遊びに行く金も出る。
習い事にも普通に行ける。
俺は毎日のように言われていた。
『金が無い』
顔を見るたびに。
だから高校生の俺は節約した。
バイトをする。
練習前の食事を削る。
ドリンク代を削る。
友達と遊ぶ回数を減らす。
服も後回し。
それでも足りなかった。
喉が渇いて、水を買う金も惜しくて、トイレの水を飲んだ事すらある。
惨めだった。
本当に。
だが妹は違った。
女だから。
妹だから。
守られていた。
その差が、ずっと頭の中に残った。
長男だから。
男だから。
俺には価値が無い。
そう理解し始めた。
◇
だが格闘技は、俺を変えた。
中学の頃から喧嘩は弱くなかった。
だが技術を覚えると違った。
人間がどう崩れるか。
どう倒れるか。
どう締まるか。
分かるようになった。
すると周囲が変わった。
理不尽な教師も。
偉そうな先輩も。
もう簡単には手を出して来なくなった。
理由は単純だ。
俺の方が強いからだ。
人間は暴力の強さで態度を変える。
綺麗事じゃない。
本能だ。
だが、強くなっても楽にはならなかった。
むしろ逆だった。
強くなるほど、自分の中の壊れた部分が見えるようになった。
殴れる。
壊せる。
止められない。
そう理解してしまったからだ。
店の奥で砥石に水をかける。
シャアア……と音が響く。
落ち着く音だった。
砥石だけは裏切らない。
削れば削っただけ返ってくる。
人間と違って分かりやすい。
動画投稿サイトを開く。
登録者は増えていなかった。
料理。
研ぎ。
アウトドア。
ゲーム。
全部やった。
だが数字は動かない。
才能が無いのか。
運が無いのか。
それとも、もう手遅れなのか。
考えていると、また頭の奥が熱くなってくる。
危ない。
この感覚は危ない。
俺は店の裏口を開けた。
夕方の風が入ってくる。
土と草の匂い。
ガキの頃、この辺を走り回っていた。
あの頃は、自分がこんな人間になるとは思っていなかった。
いや。
違うな。
たぶん薄々気付いていた。
普通になれないって事くらい。




