# 第十八話 虐待だったのか
時々、分からなくなる。
俺が受けていた物は、本当に虐待だったのか、と。
◇
別に飯を抜かれていた訳じゃない。
家が極端に貧乏だった訳でもない。
鎖で繋がれていた訳でもない。
煙草押し付けられたとか、そういう分かりやすい地獄でもない。
だから時々、
「もっと酷い人間いるだろ」
と思う。
◇
ただ。
俺はずっと、
「男だから」
で暴力の側へ放り込まれていた。
長男だから。
男だから。
耐えろ。
守れ。
我慢しろ。
そんな感じだった。
◇
教師に殴られても、
「男だから」
妹を守るのも、
「兄だから」
理不尽でも、
「長男だから」
全部そうだった。
逆に妹達は守られていた。
女だから。
妹だから。
当たり前みたいに。
◇
もちろん、妹達が悪い訳じゃない。
多分、普通なんだと思う。
俺の扱いがおかしかっただけで。
◇
高校で格闘技を始めた時もそうだ。
月謝を払う代わりに、
「妹の部活へ顔を出せ」
みたいな条件が付いていた。
俺は守られない。
だが俺は守る側。
昔からずっとそうだった。
◇
だから時々、本当に分からなくなる。
これって虐待だったのか?
それとも、
「男として育てられただけ」
なのか。
◇
実際、合う奴には合うんだと思う。
昔ながらの体育会系。
根性論。
男は耐えろ。
殴られて強くなれ。
そういう世界で上手くやれる奴もいる。
実際、俺の周囲にもいた。
先輩に殴られても、
「これが男社会」
で飲み込める奴。
そういう人間もいた。
◇
だが俺には合わなかった。
というより、
元々壊れやすい脳だったんだと思う。
ADHD。
衝動。
過敏さ。
そこへ暴力と理不尽を入れ続けた。
結果、壊れた。
ただ、それだけだった。
◇
しかも厄介なのは。
暴力を受け過ぎたせいで、俺自身も暴力への抵抗がかなり薄くなっている事だ。
殴る。
投げる。
締める。
そういう行為への忌避感が、普通の人間よりかなり低い。
カウンセラーにも言われた。
「暴力がコミュニケーションみたいになってますね」
と。
最初は意味が分からなかった。
◇
だが後から理解した。
俺の脳の中では、
「嫌な事が起きた時の解決方法」
として、暴力がかなり上の方にある。
普通の人間なら。
距離を置く。
無視する。
話し合う。
誰かへ相談する。
そういう選択肢が先に来る。
だが俺は違った。
◇
昔から周囲が暴力だった。
教師も暴力。
学校も暴力。
強い奴が偉い。
やり返せば止まる。
しかも格闘技をやって、実際にそれが通用してしまった。
だから脳が、
「力を使えば解決する」
と覚えてしまった。
◇
だから危ない。
口論になる。
すると一瞬で、
「投げる」
「組み伏せる」
「締める」
まで頭が進む。
普通の人間より、そこへの距離が近い。
数年前もそうだった。
些細な言い合い。
本当に大した事じゃない。
だが途中で頭が切れた。
気付けば相手を投げ飛ばしていた。
そのまま上を取る。
パウンドを落とそうとした。
完全に戦闘モードだった。
◇
ただ、その時は途中で冷静になれた。
手が止まった。
「何やってるんだ俺」
急に現実へ戻った。
もしあのまま殴っていたら、多分終わっていた。
相手も。
俺も。
◇
今思えば、かなり危なかった。
普通の人間は、
「口論から組み伏せてパウンド」
なんて発想にならない。
だが俺の脳は、一瞬でそこまで行く。
それ自体が、もう壊れている。
◇
昔の家って、多分こういう感覚が多かった。
長男は多少雑に扱っていい。
男は殴られて覚える。
泣くな。
我慢しろ。
そういう価値観。
しかも本人達に悪気が無い。
そこが一番厄介だった。
◇
だから今でも混乱する。
親は俺を虐待していたのか。
それとも、
「普通」
だと思っていたのか。
多分、後者なんだと思う。
だから余計に救いが無い。
◇
店の奥。
包丁を研ぐ。
シャアア……。
一定の音。
落ち着く。
昔の俺は、
「耐えれば男になれる」
と思っていた。
だが今は違う。
人間には、耐えたら壊れる限界がある。
それだけは、よく分かった。




