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# 第十二話 それでも研ぐ

結局。


 俺には雑貨屋くらいしか残らなかった。


     ◇


 朝。


 店を開ける。


 狭い店内。


 雑貨。


 工具。


 日用品。


 昔ながらの小さい店。


 正直、金にはなっていない。


 だが完全にゼロでもない。


 時々、客が来る。


 年寄り。


 近所の人。


 ふらっと寄る常連。


 そんな感じだった。


     ◇


 店の奥には砥石がある。


 水。


 包丁。


 昔から続けてる研ぎ。


 今では趣味みたいな物だった。


 ついでに小遣い稼ぎにもなる。


 時々、客がボロボロの包丁を持ってくる。


「これ研げますか?」


 最初は半信半疑みたいな顔をしている。


 まあ当然だ。


 今の時代、包丁を研ぐ人間なんて珍しい。


     ◇


 包丁を触る。


 刃を見る。


 欠け。


 角度。


 癖。


 使い方まで何となく分かる。


 不思議だった。


 人間の気持ちは分からないのに、刃物は分かる。


 研ぎ始める。


 シャアア……。


 一定の音。


 頭の中が少し静かになる。


 フラッシュバックも薄い。


 過去も遠い。


 この時間だけは、脳が止まる。


     ◇


 昔からそうだった。


 集中してる時だけは楽だった。


 格闘技。


 筋トレ。


 研ぎ。


 全部同じだ。


 余計な思考が消える。


 だから多分、俺はずっと何かに没頭していないと駄目なんだと思う。


 止まると過去が来る。


 だから動く。


 身体を動かす。


 手を動かす。


 脳を使う。


 その繰り返し。


     ◇


 研ぎ終わった包丁を新聞紙へ入れる。


 スッ、と切れる。


 客が驚く。


「全然違う……」


 その顔を見ると、少しだけ救われる。


 自分のやった事が、目の前で結果になる。


 そこに嘘が無い。


 学校みたいに理不尽じゃない。


 親みたいに無関心でもない。


 ちゃんと研げば切れる。


 駄目なら切れない。


 単純だった。


     ◇


 夜。


 動画を撮る。


 雑貨。


 料理。


 包丁研ぎ。


 色々上げる。


 再生数は大した事ない。


 だが、たまにコメントが来る。


『研ぎ方参考になりました』


『包丁大事にしたくなった』


 それを見ると少しだけ思う。


 ああ、まだ完全には終わってないのかもしれない、と。


     ◇


 もちろん現実は甘くない。


 金は少ない。


 身体も痛い。


 頭痛もある。


 薬も飲んでいる。


 今でもフラッシュバックは来る。


 怒りも消えていない。


 睡眠薬無しじゃ眠れない。


 普通の人間には多分戻れない。


 だが、それでも。


 昔みたいに、

「全部壊したい」

 だけではなくなっていた。


     ◇


 店の外へ出る。


 夜風が冷たい。


 静かな住宅街。


 昔の俺なら、この静けさすらイライラしていた気がする。


 今は違う。


 少し疲れただけだった。


     ◇


 空を見る。


 別に人生は好転していない。


 成功もしていない。


 赤字だし。


 薬漬けだし。


 精神も壊れている。


 それでも。


 まだ店を開けている。


 まだ包丁を研いでいる。


 まだ動画を上げている。


 まだ生きている。


 多分、今の俺に言えるのはそれだけだった。

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